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大きな勲章

あー、本当に何を書けばいいのかわからないなー。全然わからない。わかっていることは今回のこの記事で「サブカルのすすめ」が終了するということ。なぜ終了するのかと言うと以前にも書いたが“熱量”が減ったから。“熱量が減った”だなんて、なんだか漠然としているというか抽象的な言い方でわかりづらいですね。もっと具体的な理由というかぶっちゃけた理由はあるにはあるのですが、それは書けないんです。結局のところ、そういうぶっちゃけたことが書けない閉塞感というものがいつのまにか本ブログには厳然たるものとして出来上がってしまい(もちろんそれは自分が作り上げたものであり自分の勝手な自己規制のようなものなのですが)、それが、ちょっとだけ息苦しくなってきて、そんな中、ちょうどブログを初めて10年という節目が間近に迫ってきて「やめよう」という結論に至った次第です。

でも、8月1日に「十年一昔」という記事を更新してから本日までの2ヵ月間は割といい感じで更新ができていたので「まだやれるかな」とも正直感じました。終了日が近づくにつれ「やっぱりブログはやめません。続けます」的な記事を書こうかとも考えましたが・・・・・うん、一旦終了ということにします。

最後に何か気の効いた文章を書ければ良いのですが上手く思いつきません。実際に何パターンかの文章を試しに書いてみたのですが(「岡村靖幸への手紙」とか「サブカルについて」とかetc」)どれもしっくりと来ませんでした。

最後に言うべきことがあるとしたら、やはりそれは本ブログを読んでくれているあなたに対して「ありがとうございました」という一言に尽きます。10年前「サブカルのすすめ」をはじめたときは、まさかこんなに多くの人々に読んでもらえるブログになるとはこれっぽっちも思いませんでした。僕にとって「サブカルのすすめ」は“ちっちゃな”ではなく“大きな勲章”です。本当に心からありがとうございました。

そして、最後に…岡村靖幸さん!最近はなかなか調子が良いじゃないですか!「ラブメッセージ」は凄く良かったですよ、本当に。なんだか全てが順調に進んでいるように思えます。でも油断しないでください。この先だって人生何があるのかわからないですよ。肝に銘じてください。頼みますよ。あっ、それからこのブログは終わりますけど、安心してくださいね。あのですね、これからもあなたのことは、えーと、変わらずに、だいすkレッギョウ!!!!!!!!!
mataitukaaoune

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というわけで、さようなら。またいつか会いましょう。
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「彼氏になって優しくなって」「ちぎれた夜」 全曲解説

彼氏になって優しくなって★★★★
リズム。とにかくリズム。岡村靖幸の日本人離れしたダンサブルでズシズシ砂埃を立てながら華麗に突進してくるリズムが存分に味わえる曲、それが「彼氏になって優しくなって」だ。この誰にも真似できない岡村靖幸のアベレージの効いたリズムをさらに引き立てているのが歌詞。メロディと歌詞が別々のものではなく一つに重なり合って一つの共同体として存在しているかのような一体感が凄い。

何度もリピートして気づいたのだが岡村靖幸はおそらく本作の歌詞において「さ行」(特に“し”)を意識している(もしかしたら既にベイベの間では言及あるいは周知されていることかもしれませんが)。まずタイトルからして「かれしになってやさしくなって」だ。それから本作の中でもっともインパクトのある歌詞「ただし絶対常識の範囲内でね」にも“し”が二個入っている。

二番の歌詞はさらに顕著だ「バッシュで猛ダッシュ決めて芸術的なシュート(4個)」。さらに次に続く歌詞は「マンダリンかじってプシュっとしめらす(2個)」さらには「シャンプー泡立つ指でゴシゴシしているような(4個)」。さ行を意識して聞いてみると岡村靖幸自身も特に意識して強調するように歌っているように聴こえてくる。

リズム優先で書かれた歌詞というのは韻や母音を最優先するため往々にして歌詞の内容がいい加減だったりするが、「彼氏になって優しくなって」は岡村靖幸のメッセージ性もふんだんに含まれている。リズムに合う歌詞で尚且つ自分の言いたいメッセージも織り込むというのはなかなか難しいことだろう。岡村靖幸がよく口にする「曲はいくらでも作れるけど歌詞が書けない」というのもこの曲を聴いているとわかるような気がする。

冒頭に記したようにこの曲はとにかくリズム。岡村靖幸のリズムの秀逸さを示す見本市があるとしたら最も人目の集まるブースで「彼氏になって優しくなって」を大々的に流すべきだ。

ちぎれた夜★★★★★
「ワン トゥー」。岡村ちゃんの低い声からはじまるバラード「ちぎれた夜」。アコギがメインのシンプルな楽器編成。メロディは一見フォークソング調だがどこかエスニックな匂いも漂っている。優しくて暖かくて、でも寂しくて何度もリピートしているとたまらなく切なくなってくるけど聴き終わった後は「強く生きていかなきゃ」と思わさせてくれる不思議な曲。

「ちぎれた夜」というタイトルも印象的だ。岡村靖幸にとって“夜”というのはハッピーなものではなくてきっと悲しい時間なのだろう。異性のことで鬱々としたり、人間関係の気がかりや、一筋縄では解決できない深刻な悩みなどを夜に抱え込んで小さくうずくまっているイメージがある。

でも、その鬱々とした夜の不安定な時間こそが岡村靖幸を岡村靖幸にしている時間であり、アーティスト岡村靖幸としては絶対になくてはならない大切な時間なのだろう。しかし、その鬱々とした夜の暗い樹海の中にある立ち入り禁止の柵を乗り越え、足を踏み入れすぎた結果が一連の事件に繋がってしまったのではないだろうか。

「ぶーしゃかLOOP」以降の岡村靖幸は「鬱々とした夜」と上手に向き合い付き合っているように思える。「ヘルシーメルシー」にしても「ちぎれた夜」にしても「ラブメッセージ」にしても、それらの曲からは“今”という同じ時代を生きる岡村靖幸の血の通った体温が感じられるし、健全な肉体と健全な精神から生まれた曲であることを感じられることが、なによりも先に僕は嬉しい。

追記
コメントにて「彼氏になって優しくなって」のレビューのリクエストがあったので書きました。というわけで次の更新がホントに最後です。…最後といっても何を書けばいいのかさっぱり思いつかないのでこの記事で終わりでも別にいいのだけど…。

新しい感情

何の番組だったかは忘れたけど昔、高橋克典と川島なお美が一緒にテレビに出ていた。高橋克典が「青学の先輩なんですよ」と言い、川島なお美が「そう後輩なのよ」と笑顔で話していた。高橋克典の出身高校と言えば青山学院高等部で、一学年下には尾崎豊が居た。尾崎豊と高橋克典は高校時代から交友があり、デビュー前の尾崎豊が高橋の前で「15の夜」を弾き語ったこともあるそうだ。ちなみにその時高橋は尾崎の弾き語りを目の前で聴き「スゲー!!」と衝撃を受けたらしいのだが「どうですかね?」と尾崎に尋ねられ「…まぁまぁだね」と素直に褒めてあげることができなかったという微笑ましいエピソードがある。

青山学院高等部時代の尾崎豊の先輩に高橋克典がいて、青山学院大学時代の高橋克典の先輩に川島なお美がいた。同じ時代に同じ青山学院という学校のなかに尾崎豊、高橋克典、川島なお美が存在していた。

既にご存知のように川島なお美は先月54歳の若さで惜しくも亡くなったわけだが、僕がこの訃報を知り、思ったことは上述したようなことだった。川島なお美の青学の後輩に高橋克典が居て高橋克典の後輩に尾崎豊が居た、ということ。

尾崎豊は1965年に生まれ1992年に26歳の若さで亡くなった。僕は1998年頃に尾崎豊の熱狂的なファンになり当時はそれはそれは信者のように尾崎豊ばかり聴いていた。尾崎の曲をヘッドフォンで聴き、尾崎のライブビデオ(当時はDVDがまだなかった)を視聴し、当時思春期で不安定な気持ちを抱えていた僕は尾崎に救われていた。そしていつも思った。「なんで死んじゃったんだよ」と。何度も何度も何度も数えきれないほど尾崎の死を悔やんだ。

学生時代の先輩後輩という非常に局地的で近しい関係のなかに尾崎豊と川島なお美は存在していて(高等部と大学部なので違う校舎だが)その川島なお美が54歳で亡くなった。54歳という年齢は亡くなるには早い。しかし、だからと言って極端に早いわけではない。50代で人間が病気になり亡くなることは十分寿命として受け入れられることだ。忌野清志郎だって中村勘三郎だって50代で亡くなった。いや、もちろん50代の死は早すぎるのだけど、少なくとも50代で亡くなった人に対して“夭折”という言葉は使用しないだろう。つまりは50代で人間が死ぬことは不自然ではないのだ。

今回、川島なお美の一報を受けて思った。尾崎豊はもし生きていたとしても“寿命で死んでも不自然ではない年齢に達したのだ”と。そう思ったら今まで体験したことのない不思議な感情が湧いてきた。初めて抱いた身に覚えのない新しい感情だった。嬉しいでもないし悲しいでもない。安心でもないし不安でもない。よかったでもない。諦観でもない。なんだかよくわからない感情なので言語化することは当然できない。

ただこの「新しい感情」から由来して僕がひとつ強く思ったことは、僕は出来るだけ長生きしたいし、僕の周りの大事な人も出来るだけ長生きしてほしい、ということ。

追記
次の更新で最後になります。10月9日が最終回と書きましたが次の記事は10月11日か12日にアップすると思いますのでちょっとズレます。

人生という見えないゴールへ向かって

嫌になっちまった
腹が立っちまった
理由もなくブログをやめたんだ
公衆電話から“yuji”は尾崎に声をかけ待ち合わせた15の夜

“yuji”あの時の
空を忘れちゃいないか
“yuji”あの時の
エネルギッシュなお前が欲しい

帰りたい帰れない
青春と呼ばれた「サブカルのすすめ」の日々に
戻りたい戻れない
狭間で叫ぶ俺がここに居る

疲れ果てたダンサー
岡村靖幸がもたれたレンガの壁に
しみついた汗の臭いは
10年前にはじまった“yuji”の「サブカルのすすめ」を思い出させてくれた

岡村靖幸に撃鉄がおとされベイベたちは駆けぬけた

人生という見えないゴールへ向かって



岡村靖幸の文章の書き方

本ブログでは岡村靖幸に関する記事をたくさん書いた。新規のベイベが“岡村靖幸”と検索し「サブカルのすすめ」に辿り着いたとして、本ブログに掲載されている岡村靖幸の記事を全て読破するには相当の時間と根気を要するだろう。

これだけの膨大な量の岡村靖幸の記事を書き、最終回を間近に迎えた今、僕が心底思うことは「岡村靖幸はやっぱり天才だ」とか「岡村靖幸のNEWアルバムが聴きたい」云々ではなくて「文章を書くって大変だけど面白いなぁ」ということだ。

この10年、日々の生活を送る中で常に頭の片隅には岡村靖幸のことを考えている自分がいた(考えていない時期も多少あったが…)。常に次はどんな岡村ちゃんの記事を書こうかと考えていた。

一つのトピックが思い浮かんだらそこからどんどん広げていく作業に移る。例えば「あっ次は岡村ちゃんのダンスについて書こうかな」と思ったら、そこからどんどん脳内で連想して行く。「岡村ちゃんのダンスって独特だよな」とか「ダンススクールに通ってたのかな?」とか「通ってるわけないよな」「でも通ってたらそれはそれで面白いな」「じゃ我流でダンスをはじめたわけか」「そもそも適当に踊ってるのかな」「適当に踊るってよーく考えてみると凄い勇気だよなw」「でもPVでは振付のあるダンスもしているっけ」等々。仕事中や通勤中や買い物中に脳内を岡村ちゃんのダンスに関するあれこれで溢れるほど一杯にさせる。

そしてPCの前に座り、脳内にこぼれそうなほどに溜まっている「岡村靖幸のダンスに関するあれこれ」を文章という形式に変換していく。この際の自分の考えていたことが言語という形で文章化される時の快感といったらない。正確に言語化されればされるほど快感なのだ。場合によっては脳内で考えていたこと以上の内容が文章を書いている時にふっと発現してきて(めったにないけど)、そういう文章を書く喜びみたいなものを得られたことが何よりも面白かった。

僕は思うのだが、岡村靖幸に関する文章を書くという行為はとても面白いことだ。ほかのミュージシャンとは比べ物にならないくらいに書くべき主題がたくさんあるし、人間的にも非常に興味深い。これほどまでに書きごたえがあるミュージシャンっていないと思う。本当に。なんでみんな岡村靖幸について書かないのだろう?みんな書けばいいのに。

というわけで、これから岡村靖幸に関するブログをやろうかなと考えている方のために(そう!君のことさ!)、去りゆく僕から岡村靖幸の文章の書き方3カ条を授け今回の記事はおしまい。

1、自分なりの岡村靖幸像を持つ。
同じベイベでもそれぞれ違った岡村靖幸像を持っている。自分の中の岡村靖幸像を揺るぎないものにしておけば内容にブレや矛盾が出にくく、一貫性がでる。何よりオリジナルな文章になる。

2、岡村靖幸愛を持つ。
前提に岡村ちゃん愛があれば多少批判的な文章を書いても多くの人は受け入れてくれる(もちろん一部からは批判がくるだろう)。

3、周りの岡村靖幸に対する温度に惑わされない
自分よりも熱狂的なベイベが居たとしても自分の温度を貫き通す。実際には思ってもないのに無理して「天才だ」とか岡村ちゃんを称賛しまくった文章は上っ面感が必ず出てしまう。
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サブカルの戯言
第332回:10月12日
ツイッターを先取りした「サブカルの戯言」も本日にて終了。332回の戯言のご愛読ありがとうございました!!
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