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ライ麦畑でキャッチャー

サリンジャーの代表作『ライ麦畑でつかまえて』を再読した。訳者は野崎孝ではなくて村上春樹の方だから正確には『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(タイトルくらい訳せよっていう)なのだけど、やっぱり「ライ麦畑でつかまえて」の往年の邦題の方がしっくり来るな。

「ライ麦畑でつかまえて」は主人公であるホールデン・コールフィールドの述懐で綴られている。口語体の独白のような文体で語られている。主人公の語りで進行して行く小説はたくさんあるが、「ライ麦」がこの手の小説の中で一線を画している点は、独白している主人公・ホールデン・コパフィールドの人間性だろう。この主人公、はっきり言って壊れている。精神が瓦解しており、故に言っていることが往々にして変だ。変なのだが小説の形態は三人称じゃないから、その「変なこと」は是正されないまま物語は進行していく。是正されないままのホールデンのでたらめな戯言を延々と聞いていると(読んでいると)なんだか妙な心地になる。ホールデンは転校する度に問題を起こし、退学になり、最終的には精神病院にぶち込まれるような問題児なのだけど、ホールデンの人間性というか魂に共感してしまうのだ。

退廃と潔癖と神経質がごちゃ混ぜになった結果「どうにでもなれ」的な言動に走ってしまうホールデン。そんなホールデンの首尾よく行かないグズグズな生き様を見れば、誰もが思春期の頃に経験したであろう、ある種の「やるせなさ」だったり「脱力感」を想起するだろう。個人的には教科書に掲載されてもいいくらいの青春文学だと思うのだが、今でもこの小説は一部の地域では禁書として扱われ、発禁処分となっている。ジョンレノンを殺したマーク・チャップマンやレーガンを射撃した犯人が「ライ麦畑でつかまえて」を愛読していたのを筆頭に、いわゆる「頭の逝かれた奴」の愛読書となっている側面があるのも事実だ。確かに「頭の逝かれた奴」が共感してしまう部分もあるとは思うのだけど、それよりも世界中のティーンの代弁の書としての功績の方が遥かに大きいと思うのだが。

そういえば、ジョンレノンを殺したマーク・チャップマンだけど、噂によると(ガセネタの可能性大だが)今年中に初の仮釈放になるらしい。28年ぶりのシャバってどんな感じなのだろう?想像がつかないな。シャバに出た途端、熱狂的なジョンレノンファンに殺されそうな気もするな。一生刑務所に入っていた方が安全かもしれない。まあ、でも、人殺しに走るほどの酔狂なジョンレノンファンが2008年現在に居るのか疑問だけどね。

最後に村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」について少々。村上春樹は「翻訳というものには鮮度のようなものがあり、古典文学の名作たちは定期的に新訳されるべきだ」みたいなことをどっかの本に書いていた。その言葉を実行するべく、近年の村上春樹は、カポーティの「ティファニーで朝食を」チャンドラーの「ロング・グッドバイ」フィツジェラルドの「グレートギャツビー」を翻訳した(ちなみにこの3作は村上春樹がことあるたびに自身が最も影響を受けた小説として挙げている作品だ)。
思うのだが、…古典文学に鮮度は必要か?。ってか現代的な鮮度がないから古典なのではないか。今時の言葉遣いに新訳された古典文学には、読みやすさや言葉の不自然さを失くした代わりに当時の鮮度を劣化させているような気がする。もちろん、村上春樹が訳せば売れるし、何よりも読みやすいし(この人が訳すと不思議なことに、どんな文章でも村上春樹の文章になる)、読者にとっては「良いこと」の方が遥かに多いのだけど、古典文学独特の旧仮名遣の読みづらさも味があって僕は好きなんだけどなぁ。

●今日の写真
ho-rudenn
サリンジャーはこの本に掲載される予定だった著者解説を断ったらしい。もう90歳近いのに今だに頑固なんだな。
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レイモンド・チャンドラーで「ロング・グッドバイ」

DSCF0449.jpg3月に発売された話題作、村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」を最近やっと読み終えた。発売後割とすぐに購入したのだがスムーズに読み進めることが出来なかった。500ページ以上もあるボリュームといかにも翻訳ものの独特の文章が読んでいて疲れるというのが原因だ。村上春樹が翻訳した文章は村上春樹っぽい文章に変換されているものが多い。翻訳だけを専門にしている人は原文を忠実に訳すことを第一に考えるのだろうけど、村上春樹は自分なりの揺ぎ無い文体を持っている。だから意図してか無意識かはわからないけど彼の訳す文章には「村上春樹節」が顕著に現れる。村上春樹訳の本を読む人の殆どは村上春樹訳だからこそ読む。原作のファンではない人が読む場合が多いだろう。(「ライ麦畑」と「グレートギャツビ」ーと「熊を放つ」は除く)そもそもマーク・ストランドやレイモンド・カーヴァーなんて村上春樹が翻訳しなければ日本ではほぼ無名だろうし。だから村上春樹テイストの文章に翻訳されていることは全く悪いことではない。むしろ歓迎されている。
しかし、今回の「ロング・グッドバイ」は村上春樹節が殆どない。つまりは原文に忠実ということなんだろうな。それくらい「ロング・グッドバイ」に思い入れがあるのだろう。過去のエッセイなんかでも度々チャンドラーという作家そして「ロング・グッドバイ」の素晴らしさを語っていた。故に「原文に忠実」というのを至上命令に翻訳したのだと思う。
内容については正直そんなに(あくまでも個人的には)面白くなかった。そりゃ、あの村上春樹があとがきで「(「ロング・グッドバイ」は)夢のような領域までに近づいている」とまで言わしめる小説だから文章の一行一行は最初から最後まで完璧だし美文だ。パーフェクトな文章だと思う。内容もハードボイルドでタフなフィリップ・マーロウの一人称で展開される光景にワクワク出来た。だけど恥ずかしい話…というより単純に自分が馬鹿なだけなのだろうが最後の方はストーリーがイマイチ把握できなかった。この本は3月に買ってまず150ページほど読みそれから2ヶ月以上放置してここ3日で一気に読んだ影響かも知れないが。「ロング・グッドバイ」はミステリの要素も入っているからラストでどんでん返しがある。最後の数ページにテリー・レノックスに関してのどんでん返しがあるのだけどそれがよく理解できなかった。理解できないまま物語が終わってしまったのでなんか不本意だ。ま。でも面白い本なので(どっち?)読んで損はないです。なによりも文章が素晴らしい。作家志望の人が読んだら凄い勉強になると思います。

追記
「ロング・グッドバイ」の有名な一節に「さよならを、言うのは少しだけ死ぬことだ」というのがある。タイトルの「ロング・グッドバイ」もこの一文からとっている。で、この一文はいくつかのブログを読む限りは「さよらなとは自分の一部分が少しだけ死ぬ、あるいは損なうこと」というような解釈が成されているようだ。僕の個人的な解釈は少し違う。さよらなをした相手が(この場合はテリーレノックスのこと)生きているにしてもこれから先会うことはない。相手はどこか見知らぬ土地で生きているのだろうけど二度と会うことはない。つまりは相手が死んでしまったのと本質的実質的には同じ。故に「さよならを、言うのは少しだけ死ぬことだ」という解釈なのだが。どちらが正しいのだろうか。どちらが正解なんてないのだろうけど。ま、どちらにせよ人生において「ロング・グッドバイ経験」は人を成長させまた心の財産を増やすものなのでしょう。んっ。

アンネフランク/アンネの日記

先日、YOUTUBEで松本人志がアムステルダムにあるアンネの隠れ家を訪れている映像を見た。
松ちゃんはアンネの日記の愛読者だという。意外だ。なのでさっそく文庫でアンネの日記を読んでみた。
アンネの日記文庫

タイトルからもわかるようにこの本は小説ではなく
アンネフランクが書いた日記がそのまま載っているだけだ。

ユダヤ人であるアンネたちはナチ占領下において迫害から逃れるために隠れ家にに潜む。日記の内容は隠れ家での潜伏生活を仔細に綴ったものだ。13歳そこらの少女が書いたとは思えない巧みな文章だ。

読めばわかるんだけど隠れ家での生活はすっごく悲惨だ。ずっとカーテンの閉ざされた室内に引きこもり息を潜めた暮らし。食べ物だって腐ったじゃがいもとかだし。僕だったら間違いなく発狂してる。しかし、そんな状況でもアンネは「将来はジャーナリストになりたい」とか「物書きとして生きたいし自分にはその才能があるはず」と希望を強く抱いている。アンネの日記には他にも自分の内省を深く掘り下げた文章があったり、またたくさん本を読んで勉強している描写があったりする。とにかく立派な女の子なのだ。

「アンネの日記」のラストは、何者かによって密告され、隠れ家に住む八人は捕まる。
アンネの父親オットーフランク以外は殺される・・・。毒ガスでのホロコーストとか600万人のユダヤ人大虐殺なんてワードは歴史としてなんとなく知ってたけどアンネの日記を読んだらこういう歴史が自分には関係ないことではない気がする。

アンネは日記なのに読み手を想定した(キティーという)手紙風に書いてるから余計に距離が近く感じられる。画像の帯にも書いてあるけどアンネは今年で生誕77周年だ。生きていたら77歳。
森光子より9つも年下、黒柳哲子より4つ年上だ。若山富三郎(誰か知らないけど)と同い年です。(わざわざ調べた)生きていれば充分僕らと同じ時代に存在していた人なんだ。そう考えると歴史上の人物なんかじゃ全然ないと思えるし戦争についてもほんの少しだけ対岸の火事としてではなく考えられるようになった気がする。

カラマーゾフの兄弟を読ませたい

今日本屋で思わず笑ってしまった。

新潮文庫から発売されているドストエフスキーの
カラマーゾフの兄弟の帯に

「東大教授が新入生に読ませたい小説NO1」
と書いてあったのだ。

なんだこのキャッチコピーは。
まず東大教授って誰だよ。
肩書きのゴリ押しな感じが良いです。

カラマーゾフの兄弟を読ませたいっていうのもね、
ある意味サディスティックな発想だ。


僕は一応(自称ですが)ドストエフスキーファンなのですが、
カラマーゾフの兄弟は、それはそれは長くて難解な長編小説なのです。
だいたい、1400ページくらいある。

ページ数だけで言ったらそれほどでもない。
もっと長い小説はたくさんある。

ハリーポッターとか竜馬がゆくの方がボリュームはある。

しかし、カラマーゾフはページ数なんてものを
遥かに超越したボリュームがある。

登場人物もとにかく喋る。
橋田すがこの脚本は長台詞が多いみたいだけど
ドストエフスキーの描く登場人物と比べると比較にならない。
だって平気で2ページくらい(しかも段落なし)で話し続けるんです。

しかもその内容がもういっちゃってるんです。
放送禁止用語ですが本当にきちがいのようにヒステリックな内容。
しかも全編にわたって熱病のようなテンション。

ためしに今カラマーゾフの文庫を適当に開いて目に付いた会話文を抜粋してみよう。

・・・

「いやべつにないさ。呆れたもんだ。この節じゃ13歳の中学生だってそんなこと信じちゃいないぜ。しかし呆れたよ。それで君は今自分の神に腹を立てて謀叛を起こしたんだな。これほどの忠勤に対して何のお沙汰もないとは。まったく君って男は!」
            (カラマーゾフの兄弟(中)146ページから)

たまたま開いたページでこんな感じです。
ゾシマ長老の死臭の件についてアリョーシャが落ち込んでいる
場面だと思います。(どんな場面だよっ)

内容はとことん難しいですが、得体の知れぬ興奮にぞくぞくする。
この濃密な感じはドストエフスキー以外の作家には到底かけないだろう。
ミステリの要素も入っていて読者側も誰が犯人かわからないように書かれている。
まさに総合小説だ。

ちなみにカラマーゾフの兄弟を読むと村上春樹が創設した
「カラマーゾフの兄弟読了クラブ」略して「カラ兄読了クラブ」
に入会することができる。

春樹さんが作ったこのクラブの存在がなによりもカラマーゾフの兄弟の恐ろしさを現している。


20061017210740.jpg

描かれた未来は今

久々にSF小説を読んだ。

かの山下達郎が好きな作家の一人に挙げている
作家レイ・ブラッドベリの火星年代記。
DSCF0241.jpg

この本はSFのクラシックで1950年に発表された作品だ。

古典なので作中で描かれている未来も
1999年から2026年の地球と火星についてなので
あんまり物語りに入り込めない。
だって1999年から2026年って今の時代に
生きる僕等からしたらあまりにも現実的だから。

なんか火星年代記の年代をさらに未来にして
再刊行しようとする動きもあるらしいです。
どうなんだろ。

火星年代記以外のSFものでも未来として描かれている
年代を最近はどんどん追い越している。

やっぱり
21世紀だとか
2000年だとか
ミレニアムなんてものは
未来の象徴として想像力を育みやすかったのでしょうね。
頷ける。



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