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ドラゴンボール・三十六巻

グレートサイヤマン編ドラゴンボールは格闘漫画である。ドラゴンボール(無印)は戦闘を取り入れた冒険活劇であるが、ドラゴンボールZは完璧に格闘漫画だ。孫悟空をはじめとする登場人物は常にフリーザやセルなどといった悪者と派手に戦っている。この戦いこそがドラゴンボールの魅力であり全てであるといっても過言ではない。しかしフリーザやセルなどの悪者を倒した後は地球に平和が訪れる。平和だと戦う理由が無い。といってもすぐに悪者が新たに登場するので平和はすぐに脅かされまた戦闘漫画になる。しかし短いものの平和の日々というものは存在する。悟空等が特に何をするでもなく牧歌的に日常を過ごすという描写が必然的に描かれる。

しかし、ドラゴンボールという漫画は戦闘が主だ。故に平和は物語り上の「つなぎ」であり「おまけ」だ。漫画だと1話分だけ、アニメだと原作に追いつかないための引き伸ばしのためオリジナルストーリとしておよそ4~5話の間だけ平和になるのだ。僕はその何でもない日常を描いた平和(つなぎ)なドラゴンボールが割りと好きだ。フリーザ編の後の人造人間が襲って来るまでの間の修行の日々やカメハウスでの何気ない会話、アニメのオリジナルだが、悟空とピッコロが車の免許をとるストーリなんかは特に好きだ。このようなドラゴンボールの戦いと戦いの間の休息が一番長く描かれるのはセル編のあとだ。俗に言う、グレートサイヤマン編だ。

本来はセル編と魔人ブウ編の間の単なる”つなぎ”だが、それにしては、グレートサイヤマン編は長い。コミックでいうとドラゴンボール・三十六巻はまるごとグレートサイヤマン編だ。僕はリアルタイムで悟飯が主役のグレートサイヤマン編をジャンプで読んでいたがこの長さには大変驚いた。長さだけではない。つなぎにしてはプロットが出来すぎているのだ。グレートサイヤマン編の概要は、(説明するまでも無いと思うが)セル編で死んだ孫悟空の息子・悟飯が主人公であり、16歳になった悟飯は今までは通信教育で勉強していた。しかし教育熱心な母親であるチチ(父という意味ではない、そういう名前だ)の働きによりサタンシティにある高校に通うこととなった。正義感の強い悟飯はサタンシティで悪いやつらを見かけると見過ごせないため助けるのだが顔がばれると学園生活に差しさわりがあるので変装する。変装した姿がグレートサイヤマンだ。グレートサイヤマンであることを隠しながら学園生活を送る。しかし同じクラスメートであるミスターサタンの娘ビーデルに正体を怪しまれる。悟飯は四苦八苦しながらも学園生活を送るというギャグコメディのような内容だ。

「ドラゴンボールが普通の漫画になってしまった!」当時の僕の口癖だ。つなぎの範疇に収まらぬほど物語として成立している。ビーデルは可愛いし、新キャラの悟天やトランクスもいい。ドラゴンボールの今までのキャラを駆使すればDrスランプアラレのようにいくらでもネタが思いつくだろう。もう戦闘漫画ではないのだろうか。僕は先述した通りグレートサイヤマン編のような鳥山明が描く「普通の漫画」な感じが好きなのでこれはこれで大いにアリだったのだが。Z戦士の戦闘力インフレ中毒に犯された当時の友人たちは「こんなのドラゴンボールじゃない」と批判的な意見が多かったように記憶している。

結局、グレートサイヤマン編はやがて開催される天下一武道会の日に向けZ戦士が集合し、そこには案の定、新たな悪者が登場する。鳥山明は最後の力を振り絞り「魔人ブウ編」へと移行するわけだ。今振り返るとグレートサイヤマン編は「魔人ブウ編」(果てはドラゴンボールGTもか)へのために必要な物語であるのだけど、それでも勘ぐってしまう。あわよくば、鳥山明はギャグ漫画としてグレートサイヤマン編をもっと長く続けたかったのではないか、と。グレートサイヤマン編を「ちびっとだけ」続けて終わりたかったのでは、と。だってグレートサイヤマン編こそ鳥山明の真骨頂だから。

付記
こないだ、このブログの存在を明かしている数少ない友人と会った。なんとなく僕のブログの話題になり言われた一言「○○的、って言葉、好きだよね。必ず使ってるよ」…そんなこと無いだろと思いつつも読み返してみた。本当だ。殆ど全ての記事で「○○的」って使ってる。いっそ「○○的のすすめ」にタイトル変更しようか。

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シラネーヨ

●25日から大阪で開催されている世界陸上を見ていて気になるのは観客の少なさだ。ガラガラである。特に午前中はほぼ無人だ。ちょっと調べてみたら、世界陸上のチケットはかなり売れ残っているみたいだ。時間帯や席種でチケットの値段が変更するみたいだけど全体的にやや高めの価格設定らしい。午後の部の一番安い自由席で大人5000円とかあり得ない。陸上競にお金払って見るという習慣は殆どの人には無いのに5000円はないだろう。ただでさえ陸上に対する関心は低いのに。
思うのだが入場料が無料でも満員にはならないと思う。特に午前の部は。だからと言って入場無料にしたら競技場はたちまちDQNの吹き溜まりになるだろう。まるで、放課後のジャスコのように。ここは大人700円、子供400円辺りの美術館クラスの入場料が妥当だと思う。
関心の低い競技でもオリンピックならば、一生に一度ものだから見たくもなるが世界陸上に関してはそれほど興味をそそられない。そもそも、バレーにしても柔道にしても水泳にしても、かなりの頻度で開催国は日本ではないか。まあ、単純に日本が金持ちだからそういう風になってしまうのだろうけど。陸上競技(に限らず大抵の競技)で日本人選手はこれといって活躍できないのに、開催国が頻繁に日本ってのも悲しいものがある。まあ、織田裕二の変にテンションの高い司会ぶりと今回の世界陸上で活躍しているアメリカ代表の「ゲイ」という選手の奇跡のコンボだけでも見る価値はあるが。

●市内最大級並の超大型書店には様々なジャンルの本が置いてある。漫画、小説はもちろん、どんなにマイナーな分野の専門書でも大抵はフォローされている。そんな大型書店の店内をグルグル徘徊していて気づいたことがある。それは、漫画のコーナーにはいかにも漫画が好きそうな人が居るし、女性ファッション誌の前には若い女性(アンノン族?)が立ち読みしているということだ。当たり前の話だ。しかし先述したように超大型書店であるから専門的な分野の本のコーナーもたくさんある。そのような「マイナーな本」が置いてあるコーナーにもそれ相応の人が立ち読みなり物色をしている。例えば東洋思想のコーナーの前にはいかにも東洋思想が好きそうなオジサンがいる。チベット史の本の前にはやはりチベット史に興味のありそうなヒゲをたくわえたような怪しげなオジサン(オジサンばっかりだな)がいる。板金技能士の専門書の前には板金系の仕事をやりそうな兄ちゃんがいる。児童書の前には小さな子供を連れた30歳前後の女性がいる。
といった感じで、大型書店では自然発生的に棲み分けが成されているのである…。だから何?と聞かれたならば”シラネーヨ”と答えるしかないが。

●ソーシャルネットワーキングサービスのマイスペースで岡村靖幸がブログをはじめたようだ。SNSがどういったものなのか解からないがフレンドリクエストなるものをすると岡村靖幸から直々に承認してもらえるらしい。岡村ちゃんから承認!ちょっと魅力的だ。でも、SNSの雰囲気は肌に合いそうに無い。ミクシーよりはマシだと思うけど。結局、僕はFC2の空気が似合っているのさ。

矢沢永吉で「成りあがり」

矢沢永吉激論集・成りあがり、を読んだ。はじめは半分ネタのつもりで読み始めたのだけど…この本、いい。魂、感じる。読んで、よかった。そこんとこヨロシク。…みたいな感じだ。

ある種の人たちの間で、この本はバイブルになっているようだが、その気持ちは解かる気がする。影響される人はまるで宗教のように影響されるのではないか。なんか凄い吸引力がある。この本は糸井重里が取材構成という形で携わっている。さすが「成りあがり」は糸井重里のベストワークスのひとつに挙げられるだけある。とにかく矢沢永吉の息吹がひどく近くに感じられるのだ。

「成りあがり」で語る矢沢永吉の年齢は28歳だ。現在のような余裕のある大御所、矢沢永吉と比べると多少とんがっている。故に(かはどうかわからないが)怒っている。自分の貧しい生い立ちを語る時は特に怒っている。この怒りがリアルに感じられる。矢沢永吉の独特のしゃべり口調がそのまま違和感無く文章に溶け込んでいるのが読んでいて妙に説得力がある。矢沢永吉の独特なしゃべり口調とは具体的にどういうものかというと、上記のような「魂、感じる」と一旦切り離す話し方だ。

このブログを読んでいる人は若者が多いと思う。なので矢沢永吉のしゃべり方のニュアンスが解からないかもしれない。解かりやすく言うと「魂?感じる!」だ。魂と感じる、の間に?が付く。自問自答のように一旦自分に「魂?」と問いかける。それに対し相手(糸井重里)の目を力強い眼光で見据えながら「感じる!」と答えるような感じといえばお解かりいただけるだろうか。この矢沢語りが面白い。面白いなんて言ったら硬派なファンに怒られるかもしれないけど面白い。真似したくなる。

名言もたくさんある。というか、名言だらけだ。オリエンタルラジオもラジオ番組でネタにしていた記憶があるが、個人的に一番の名言はダントツでこれだ。

一回目、散々な目に遭う
二回目、落としまえをつける
三回目、余裕


最高だ。最後の余裕ってのがいいよなぁ。この「余裕」って言う時の自信満々の矢沢の顔が目に浮かぶ。三段オチなのもよく出来ているな。ちなみに、矢沢曰く、一回目の散々な目に遭うで、あきらめる人が多いけどそこであきらめたら終わりだそうだ。三回目には、余裕にられるんだから頑張らないといけないのだ。

あと、名言では無いかもしれないけどこれも好きだ。

親父もたいへんだったな
いまになって思う
オッサン 根性たりなかったね


もし自分の子供にこんな事いわれたら相当腹立つだろうけど、個人的にはカタルシスを感じる言葉(名言)だ。かっこいい。「成りあがり」を読み終わってから、youtubeで矢沢永吉関連の動画を一通り見た。読んだあとだからか、凄く格好良く見えたけど自分にはどうも渋すぎる。熱心なファンにはなれそうにないみたいだ

コラボ

前回の記事で太宰治の人間失格と小畑健のデスノートのコラボがいかに良く出来ているかを書いた。暇なので、古典文学と漫画のコラボを他にも考えてみた。


島崎藤村 破戒×弘兼憲史 人間交差点

谷崎潤一郎 痴人の愛×丸尾末広 少女椿

夏目漱石 坊ちゃん×桐山光侍 忍空

芥川龍之介 羅生門×漫☆画太郎 珍遊記

宮沢賢治 銀河鉄道の夜×柴田亜美 南国少年パプワくん

中上健次 十九歳の地図×つげ義春 ねじ式

ドストエフスキー 罪と罰×小畑健 デスノート

サリンジャー ライ麦畑でつかまえて×あだち充 みゆき

カフカ 城×荒木飛呂彦 ジョジョの奇妙な冒険
 

太宰治で「人間失格」

DSCF0493.jpg今、爆発的に売れている古典文学といえば太宰治の「人間失格」だ。6月下旬に表紙を小畑健のイラストで新装したところ売れに売れ、たったの約1か月半で7万5000部のセールスだそうだ。これは凄い。とにかく本が売れない昨今、特に文学小説は売れない。芥川賞受賞の小説でも4000部程度しか売れないらしいのに、古典文学が7万5000部だ。

画像を見れば解かるようにこのイラストは「デスノート風」だ。この青年の髪の色を黄色にすればそのままキラだ。ちなみに、この表紙のキラ風の青年は冒頭の「はしりがき」で紹介される3枚の写真の内の一枚をモチーフに描かれたものだと思われる。その写真が具体的のどのような文章で紹介されているかというと(以下引用)

高等学校時代の写真か、大学時代の写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生である。しかしこれもまた、不思議にも生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗かせ、籐椅子に腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。(中略)かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。


というような文章だ。

足は組んでいないが「胸のポケットから白いハンケチを覗かせ」はクリアしているし、なによりも「人間の笑いと、どこやら違う」な感じが的確に描かれている。このニヒルな感じの微笑みはデスノートの小畑健にしか描けないだろう。しかし「人間失格」とは太宰治の自伝的小説だ。つまりこのキラ風の青年はそのまま太宰治ということになる。この本の最初のページには太宰治本人の白黒写真がいくつか紹介されているわけで自ずとギャップが生じる。太宰治は、まあ、男前な方だが実写と二次元との間には悲しいものがある。

それにしても、この太宰治の人間失格と小畑健のDEATH NOTEのコラボは絶妙だ。これを考えた人はキラ並に頭が冴えているのではないか。太宰治に興味の無い人でも「人間失格」というタイトルはどこかしらで見聞しているだろう。また、短編の「二十世紀旗手」のなかの「生まれて すみません」という(身も蓋も無い)名フレーズも有名だから一度は耳にしたことがあるだろう。故に、いつもは漫画ばかり読んでいる人でも太宰治の「辛辣に苦悩ばかりしていて堕落的などうしようもない人」な感じは日本に住むものなら直感的に理解できると思う。そのような、太宰治のイメージとデスノートはあまりにもマッチしている。また価格も257円と異様に安い。文字も大きく読みやすい。そりゃ売れるわ。

ただ思うのだが、小畑健イラストの人間失格を買ったという時点でもう満足なのではないか。7万5000部売れているが7万5000人が「人間失格」を読了したとは思えない。実際にブログで検索しても「小畑健の人間失格買ったぜ」という記事は山ほどあるが、古典青春文学である「人間失格」の感想を書いている人は殆ど居ない。というか僕が見た限りでは一人もいなかった。オブジェ的な効用で既に満たされているのかもしれない。

ということで、本ブログではちょっとだけ「人間失格」を読んで思ったことを書こうと思う。

高校時代にはじめて人間失格を読んだ時の感想は、一言で済ますならば、YOSHIKIが言うところの「破滅への美学」な感じの小説だなぁ、だった。自殺したり薬物中毒な自分のことを「人間失格」と言ってしまうそんな自分に酔っているような印象を受けた。どこかしら演出的な部分があるような(YOSHIKIが激しいドラミングの後、失神するのは半分演出であるのと同じように)気がした。結局はナルシストなんだろうな、と高校時代は思った。

今回改めて再読して感じたことは基本的には高校の頃の感想と殆ど変わらない。自分の「破滅への美学」を大衆に見せつけたいんだろうなって感じだ。僕はあまり太宰治の小説が好きではないからこんな風に思うのかもしれないが。

太宰治の娘が「人間失格」の巻末に寄せた文章にある「男の強がりを感じずにはいられない」や「極めて正常なのに、狂人を装い~」辺りの文章が人間失格を評する場合、的を得ていると思った。本当に狂人ならば「人間失格」と自分を評しながらもあとがき(エピローグ)では登場人物の一人に「…神様みたいないい子でした」と言わせたりはしない。太宰はブンガクする前に、単純に読者が楽しめる小説、または売れる小説を何よりも書きたかったのではないのか。

付記
「人間失格」の感想の引き合いにYOSHIKIが自然と出てくる自分こそ真の人間失格なのかもしれない。


どんだけ~を巡る冒険

●早いものであと3週間ほどで岡村靖幸のニューシングル「はっきりもっと勇敢になって」がリリースされる。非常に楽しみだ。また、10月下旬には「Me-imiプレミアムエディション」というアルバムがリリースされるようだ。Me-imiプレミアムエディションとは何かというと(以下コピペ)…

9月5日発売の新曲「はっきりもっと勇敢になって」と「嵐の気分(着替えを持って全裸のままで)」の2曲を追加収録し、さらに岡村靖幸ワークスをDisc-2に収録!このdisc-2はあの名曲、川本真琴の「愛の才能」やデーモン小暮「Sing Like A Hug」をはじめ、Corneliusへのリミックス提供卓球との「come baby」などなどが収録されたお腹いっぱいディスクとなっています

・・・だそうだ

僕は2004年発売の初回特典版の「Me-imi」を持っているし9月5日にはシングル「はっきりもっと勇敢になって」を買うからこのアルバムはいらない。こういう意味不明な企画ものよりニューオリジナルアルバムが欲しいものだ。まあ今度のコンサート(岡村靖幸TOUR’07「告白」)に行けるんだったらテンションが上がりその勢いで買ってただろうけど。それにしても、何で札幌に来ないのかね。福岡でもコンサートやらないみたいだし。札幌と福岡の岡村ファンは相当落ち込んでますよ。もしこの文章を岡村靖幸の関係者が読んでいるのならば追加公演、あるいは次回のツアーでは札幌と福岡でコンサートするようにして欲しい。お願いします。大変であれば福岡は外してもいいので(おいおい)札幌には来てください。

先ほど、僕がいつも読んでいるshallowさんのブログ「拝啓 夏目漱石先生」に岡村靖幸のコンサートのチケットをゲットしたとの内容の記事があった。その記事のコメントに「へぇ~、よかったですね~」という様な割と余裕ぶったコメントをしといたのだが…内心は憧れと羨望と嫉妬で一杯だったことは言うまでも無い。

●もはや、今年の流行語大賞を狙える位置に現在ある「どんだけ~」。この「どんだけ~」は誰のものなのかを巡るイザコザが起こっているらしい。どんだけ~とはもともと新宿2丁目界隈のオカマの間で流行っていた言葉らしい。どんだけ~がはじめてテレビに登場したのは昨年末に放送されたTBSのバラエティ番組リンカーン内の企画だ。企画内容はウルルン滞在記のパロディでFUJIWARAの藤本がオカマたちのサークルに入部するというものだ。そのサークルのオカマたちによってどんだけ~は紹介された。所謂、どんだけ~のファーストインパクトである。しかし今現在、「どんだけ~」といえばリンカーン(または藤本)よりもIKKOのギャグとして思い浮かべるのではないだろうか。

もともと新宿2丁目の言葉だから、藤本が言うよりもリアルにゲイと思しきIKKOの方が似合っているしまた面白い。しかしリンカーンの方が先だ。IKKOが後乗りだ。

このような、現状からどんだけ~を巡る「藤本VS IKKO」という対立が出来上がっているようだ。この話題は先週の松本人志と高須の深夜ラジオ番組「放送室」でも取り上げられていた。リンカーンの構成作家でもある高須は「どんだけ~は本来誰のものでもないけどリンカーンが最初に世に広めたものであることは事実だ」と主張し藤本を中心としたリンカーンメンバーで「どんだけ~の歌(仮)」をリリースし最終的には紅白を目指そうとしているようだ。そのような一連の活動を通じて「どんだけ~」をリンカーンサイドに引き込もうという作戦だろう。ちなみに来週のリンカーン2時間スペシャルのタイトルは「リンカーン超炎天下で命がけの芸人 世界陸上ってどんだけぇ~SP」でありリンカーン側はあくまでも、どんだけ~を自分たちのものにしようとしているみたいだ。

ちなみに松本はこのどんだけ~を巡る出来事については、あまりやる気が無いようで「どんだけ~の歌」に対して不参加を表明していた。結局「藤本VSIKKO」の攻防の結果は年末の流行語大賞の表彰の舞台にどちらが立つのかで解かるわけだ。個人的には、松ちゃんが乗り気でない限りはIKKOが勝つような気がするが。まあ、どうでもいい話ですけどね。

アガサ・クリスティーで「そして誰もいなくなった」

そして誰もいなくなった今日の記事はネタバレありで(やん)す。あしからず…

書店で偶然見つけた「そして誰もいなくなった」の文庫の表紙があまりにも美しかったのでつい買ってしまった。左の画像では解からないかもしれないがこの表紙は写真ではなく絵だ。下方の波の泡の部分に注目すれば解かると思う。凄く惹かれる絵だと思いませんか。僕はかなり好きだ。

「そして誰もいなくなった」は前々から興味があった。以前読んだ東野圭吾の小説「ある閉ざされた雪の山荘で」の作中にはクリスティーの「そして誰もいなくなった」が効果的に紹介されている。「ある閉ざされた雪の山荘で」というタイトルからも容易に想像できるがこの話は外界との連絡が完璧に閉ざされた山荘で殺人事件が起こるというものだ。「そして誰もいなくなった」は外界との連絡が断ち切れた場所で殺人事件が起こる(「クローズド・サークル」と言うらしい)というジャンルのパイオニア的作品である。

それぞれ異なる事情で、とある孤島に集まった11人は、巧妙な手口により島から出られなくなる。閉ざされた孤島で殺人事件が次々と起こる。タイトルからも解かるように最終的にその閉ざされた孤島から誰もいなくなる。11人全員が死ぬ(いなくなる)のだ。この小説の最大の謎だ。この最大の謎の魅力は「そして誰もいなくなった」という(ちょっと秀逸過ぎる)タイトルに凝縮されている。2~3年前に流行った新書「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」と同じくらい秀逸だ。

ただこういう興味深いタイトルはことの真相を知った時にがっかりするものだ。実際「さおだけ屋~」の場合、謎が気になり読んだががっかりした覚えがある。だって「さおだけ屋~」の謎の答えは簡単に言えば「副業だから潰れない」だ。随分現実的であっさりした答えではないか。副業ってことは、本業が潰れたら副業(さおだけ屋)も自ずと潰れるし。これじゃ、謎というより「なぞなぞ」だ。ちなみに、さおだけ屋のカラクリを業界風に言えば「バーター」だ。知名度の無いタレントが人気番組に出演できるのはその事務所の人気者が居るからなわけだが、その人気者(本業)が潰れればバータータレント(副業)も自ずと潰れる。例えが間違ってる気もするが…。

その反面「そして誰もいなくなった」は全くがっかりしなかった。外界とシャット・アウトされた孤島で殺人が次々起き殺されていく。最初は11人いた人間もあっさりと殺され5人、4人、3人と人数はどんどん減っていく。残された人々の中に犯人が絶対的にいるという状況にヒステリックになる人々がリアルに描写されている。疑心暗鬼になり残された人々は(ミステリではお決まりのパターンだが)常に集団行動をとる。しかし殺人は止まらない。結果その孤島には「誰もいなくなった」となる。

この小説の紙数は363ページある。構成としては、

本編:330ページまで
エピローグ:P331~346
漁船からの告白書:P347~363

となっている。
僕が一番感心したのはこの構成だ。「そして誰もいなくなった」の謎は本編では解明されない。孤島にいる11人のなかにシャーロック・ホームズや明智小五郎のような名探偵はいないから誰も頭脳明晰な推理は展開しないしまた出来ない。11人は恐怖におびえ一人ずつ殺され最終的には誰も居なくなる。11人が皆死んだ時点で本編はあっさりと幕を閉じるのだ。本編を読み終えた僕は戸惑った。だって謎解きが成されないまま残りのページは僅か30ページだもの。

エピローグは、数日後警察がその孤島に足を踏み入れ、11人の死亡を確認し全ての調べが終わった後の警部ふたり(メイン警部とレッグ卿)の会話だ。死亡時間や凶器、11人の経歴など様々な可能性を考慮して事件の真相を議論する内容だ。しかし結局謎はわからないまま、エピローグは終わる。

謎解きが一切行われないまま残りページは、「漁船からの告白書」の6ページのみだ。たがか6ページされど6ページである。この6ページで全ての謎はすっきりと解ける。最近のミステリはアンフェアなトリックがあるが「そして誰もいなくなった」はまったくのフェアだ。まぁ、謎の真相事態はそれほど大したものではない。「驚愕の真実」なんかでは全然無い。トリック自体は青山剛昌の「名探偵コナン」の方が緻密だ。しかし素晴らしいのは構成でしょう。ラストまで謎を明らかにせず、最後の最後に誰もを納得させる答えを僅かな紙数(6ページ)で書くのは凄い。感嘆した。

付記
ネタバレあり、と冒頭に書きながらクリスティーの「そして誰もいなくなった」ではなく「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」のネタバレになってしまった。


「なんで汗かいてるの?」「十代だからさ」

公開中の映画「トランスフォーマー」を見た。他のブログを見る限り評判は上々のようだ。今は夏休みだし子供が見る分には楽しめる作品だと思う。なんたってロボットのCGが凄いですから。映画の半分はガシャガシャとロボットのCGが動き回っている。僕はもう年なのか、どうなのか…途中から頭がズキズキしてきまして、終盤は目を薄めにし、ボーっと鑑賞してました。個人的にはつまらなかった。ストーリも意味不明だし。何よりもキャストが微妙。なんたって主人公が冴えない。アメリカ版電車男みたいな男だ。ヒロインの女も可もなく不可もなくって感じだしなぁ。

「トランスフォーマー」は元々日本のアニメだ。なので所々に日本贔屓な描写がある。高性能な携帯電話が出てきたシーンでは「これは日本製だ。こんなハイテクなものは日本製に決まってる!」トランスフォーマーがはじめて姿を現したシーンで「これは日本の最新型ロボットだ!!」なんかやたらと日本を褒めてます。その反面、北朝鮮、中国、イラン、ロシア辺りに対しては若干悪者風に扱っている。あと案外コメディとしても面白い所がいくつかある。主人公・サムの部屋に母親が無理やり入った後の、焦っているサムと母親の会話、
母親「なんで汗かいてるの?」
サム「十代だからさ」
には思わず吹いてしまった。まあ、夏休み映画としては楽しめる作品だと思う。

トランスフォーマーを見た後(12日午後9時頃)、知人と落ち合うためJR札幌駅の改札に向かうとそこには浴衣を着た力士が40人ほど群がっていた。巡業で札幌にでも来ているのだろうか。異様な光景だった。相撲には全く詳しくないから、どうせ誰も解からないだろうなぁと思いつつも興味本位でジロジロ見ていたら見つけたぞ、角界のロボコップこと高見盛!鮮やかな紫色の浴衣を着ていた。何人かから写真をお願いされていたが嫌な顔せず笑顔で受けていた。いい人だ。好感度上がったなぁ。普通に道を歩いていて有名人を見たのは高見盛が初めてだ。

付記
今の時期は、周りの迷惑を考えず爆音で音楽を流している車をよく見かける。大抵そういう無神経な奴はサングラスをかけていてケバケバしい身なりのチャラ男・女(いわゆるDQN)だ。でもって騒音として流されている音楽は決まってヒップホップだ。だからか、僕の中でヒップホップのイメージは相当悪い。生理的に受け付けない。先日、信号待ちをしていたら隣に騒音車が止まったのだが、その車が爆音で流していた音楽は矢井田瞳の曲だった。ヒップホップではなく矢井田瞳。別に矢井田瞳のファンではないけどさ、なんか矢井田瞳が可哀そうに思えてきた。あんな風に流されるなんて、音楽が可哀そうだ。

前略、病室にて

以前、正直しんどい、というタイトルの記事にて、祖父について書いた。あれからいろいろ紆余曲折があった(ほんとに色々あった)結果、今、僕はこのブログ用の文章を札幌市内のとある病院で携帯片手に打っている。現在は8月11日土曜日正午の12時35分だ。午後5時30分頃までは僕一人で看病する予定。そのあとは母が来て明日の朝まで泊り込みで看病だそうだ。

最近は雨ばかりだった北海道だが今日は快晴だ。祖父が点滴を受けながら寝ているのを横目にこの文章を打っている。携帯って病室でいじっても良いものだとは知らなかった。てっきり駄目だと思ってたから先程までは暇潰しのため家から持参した文庫を読んでいた。村上春樹著の、「ザ・スッコット・フィツジェラルド・ブック」という本だ。こないだブックオフの100円コーナーで買ったやつなんだけど、これがひどくつまらない。なので本読むのを辞めて今こうやって文章をカクカク打っている。なかなか良い暇つぶしになるもんだ。ブログとういツールの前では文章を書く行為は娯楽なのかもしれない。

いやはや、大変なもんだ。入院ってやつは。1時間置きにトイレに付き添わないといけないし。看病らしき看病は生まれて今日が初めてだよ。

こうして看病しているとつい考えてしまう。将来自分が年老いた時、一体誰が自分を看病してくれるのだろうか?と。当たり前だが僕が80になった頃(2060年頃かな)親は死んでいる。となると、まあ僕みたいなしょうもない人間でも、普通に誰かと結婚するだろうからまだ見ぬ妻が看病するのだろう。女性の方が寿命が長いし、基本的には自分より年下の女性と結婚するつもりだし。

「誰が将来自分を看病してくれるのか」というのをリアルに考えることは生きる上で割と大事なことだ。しかし、23歳(もうすぐ24)の男が老後の世話を内心考慮しながら恋人を見定めたら相手にどう思われるだろうか。はっきり言って「重い」以外の何者でもないな。まあ互いに結婚を視野に入れた相手なら案外逆に喜ぶのかもしれないけどねぇ。

それにしても、携帯である程度の長さの文章を打とうとすると打つスピードの遅さにイライラする。頭の中では既に次の文章の言葉が浮かんでいるのに指が追いつかない。でも携帯で書く文章の速さよりも紙とペンを使った手書きの方がさらに遅い。ってことは、つまりはパソコンが速すぎるのだろう。これはパソコン(古くはタイプライター・ワープロ)に依存した人間が有する贅沢病だな。間違いない。

そう考えると「手書きの文章」と「パソコンで書く文章」では文章の質が微妙に変化するのかもしれない。文章が作成される速さが違うが故の相違点があるだろう。手書きの小説家は最近めっきり見かけないが、思えば、パソコンで小説を書くことがマジョリティーになったのは最近の話だ。

村上春樹は1988年に発売された「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」辺りまで手書きで小説を執筆していた。1992年の「国境の南、太陽の西」からバソコンだ。村上春樹以外の作家はどうか解からないが、だいたい「90年代前半に手書き小説が廃れ90年代後半パソコンが主流になった」ということで大きな間違いは無いだろう。では、「90年代後半から現在(2007年)の小説」と「90年代以前の小説」のマクロ的な相違点が、そのまま手書きとパソコンで書く文章の相違点になるのではいか。

では「90年代後半から現在(2007年)の小説」の特徴とはなんだろうか。パッと思いつくのはライトノベル

。。。。。。。。。。。。。。

携帯で書いた文章はここで唐突に終わっている。上記の文章は携帯からPCに送信しコピペしたものだが、一体この続きは何なのでしょうかね。ゴット・オンリー・ノウズだ。今となってはライトノベルが何なのかすらよく解からないな。脳みそ垂れ流しで書くと話があちこちに飛ぶようだ。自分の老後の心配から手書きの文章がどうたらこうたらですからね。
病院を後にするロビーのテレビにはちょうどはじまった駒大苫小牧の試合が流れていた。静かな病院だがテレビの前は賑やかだ。大正生まれの老人たちが平成生まれの高校生たちに熱い視線を送っている。がんばれ駒大苫小牧!


二人一組

こないだ中学の同級生8人とプチ同窓会を行った。いろいろと昔話をしたのだけどその中で友人Kがこんな話題を振ってきた。「体育の時間とかにさ、適当に好きなもの同士で二人一組になれとか言うじゃん、あれってドキっとするよな」と。誰でも覚えがあると思う。例えば柔道の相手だったり、サッカーでいえばパスの練習なんかをする場合によくあるシチュエーションだ。体育以外でも修学旅行の班決めやバスの席順など学校生活を送る上で「二人一組」的な状況は結構な恐怖じゃなかった?という様な話だ。

僕が意外だったのは友人Kの口からこの話題が出たことだった。友人Kは、なんといえばいいのだろうか、例えば修学旅行でバスに乗る時は後ろの席に座りバスガイドの問いかけにウザイほどレスポンスするタイプだ。いわゆるクラスの人気者だ。その友人Kでさえ先生がノンデリカシーで発する「二人一組」という言葉にドキッとしていた事実が意外だったのだ。「Kだったら最後の一人まで残らないじゃん」という言葉に対し「…いや…そうでもなかったよ…」と、しみじみと答える友人K。

思えば好きなもの同士で二人一組、というのは確かに恐怖だった。僕の場合は小中高と親友と呼べる友達がクラスに一人以上はラッキーなことに居た。しかしその親友が学校を休んだ日に「二人一組」的シチュエーションを迫られたときは漠然としたプレッシャーに苛まれたものだ。懐かしい思い出だ。

話はズレるが、それ系列の話を今思い出した。高校1年の頃の話だ。当時の担任は若くて活気のある先生だった。その先生は席替えの時期になるとこう言った。「今回は席を決めないで授業ごとに自由に座るようにしよう」と。要は「大学の講義のスタイル」を取り入れようとしたみたいだ。なかなか突飛な試みである。しかしこれには問題がある。箇条書きにすると、
①高校と大学では教室の大きさが違う。
②机の数が人数分しかない。
③僕の通っていた高校は男女共学だ。
これだけの条件が揃えばどのような状況に行き着くかはまあ言わずもがなでしょう。最初は席が自由に座れるということでクラスの皆は喜んだが結局1週間も経たないうちにギクシャクして、いつも通りのクジでの席替えが行われたなぁ。これも懐かしい思い出だ。

そもそも、「二人一組」ってやったら駄目だと思う。クラスの人気者でさえドキッとするのだから、誰も得しないよなぁ。先生はその方が楽かもしれないけどはっきり言って考えが足りない…というか鈍感だと個人的には思う。もっと考えて不必要なプレッシャーは与えないでほしい。なんか伊集院光っぽい内容の記事になってしまったなぁ。

追記
今回の溜池NOWは必見。「ジョジョの奇妙な冒険」の作者・荒木飛呂彦の仕事部屋に中川翔子が訪れるという内容だ。荒木先生の仕事部屋には大きな本棚があって絵の資料と思われる参考書やら画集らしきものがたくさんあったのだが…なんとその中にドラゴンボールのコミック(多分全巻)がドーンと置いてあった。ちょっと嬉しい発見だ。ちなみに動画の18分辺りで頻繁に映ってますので興味のある人は見てみよう。

槇原敬之で「Cicada(シカーダ)」

今日は8月8日、夏真っ盛りである。暑いですねぇ。札幌はここ1週間ずっと雨だ。北海道に梅雨は無いなんていうけど近年は「蝦夷梅雨」なんて言葉が出来たようで、北海道にも梅雨は(気象的にも言語的にも)存在する。まあ、暑いとは言っても所詮「エアコンを必要としない程度の暑さ」だ。本州や九州の人たちよりはマシなのだろう。さて、夏になると無性に聴きたくなるアルバムがある。槇原敬之の「Cicada」だ。

以前、槇原敬之についての記事でこんなことを書いた。マッキーの曲はドラッグで捕まる以前と以後で作風が違う、と。捕まる以前はさわやかな恋愛ソングで、以後は「世界にひとつだけの花」に代表されるまるで道徳の教科書のような哲学ソングのふたつに大別される。今回取り上げる「Cicada」は事件以前以後どちらにも属さない。なぜなら以前と以後の中間、つまり真っ只中に制作されたアルバムだからだ。実際の所はもちろん当事者にしか解からないが時期的には真っ只中だ。

「Cicada」は日本の夏をテーマにしたコンセプトアルバムだ。Cicadaという単語は日本語に訳すと「蝉(せみ)」という意味でまさに日本の夏の代表的な風物詩の虫だ。歌詞に夏のキーワードがたくさん出てきて聴いていると涼しくなる。最も涼しくなれる曲はイントロダクション明けの一曲目の「pool 」という曲だ。とにかく夏ワードが目白押しだ。「誘う水」「氷イチゴ」「プールの監視員」「軒先に並ぶ花火」「ひまわり」などの夏を連想させる歌詞を背景に16の頃のガールフレンドに想いを馳せるといった内容の歌だ。この歌かなり傑作だ。それ以外にも「夏うた」(Mステ風に言うならば)がたくさん収録されている。なぜかゲレンデらしき場所でスキーをしている冬の曲(「STRIPE! 」)も1曲ある。夏のアルバムなのに…。涼しくなれるから問題は無いけど。

問題があるとすれば「Hungry Spider」だろう。先述した「事件真っ只中に制作されたアルバム」な感じを聴き手に否応なく感じさせる曲だ。一度聴いただけでは歌詞の意味がよく理解できないが、「お腹のすいた蜘蛛」をメタファーに何が言いたいのかを考えると結構ドロドロでシビアな内容であることに気づく。夏中心の「Cicada」の曲たちの中で「Hungry Spider」は浮きまくっている。しかしこの曲単体は素晴らしい。というかマッキーの中で一番好きな曲だ。「夜に礼も言わず駆け寄る」という歌詞の譜割りは天才的(どんだけ頭が柔軟なんだというほどに)だしPVも良作(←ラストと紙芝居の絵が怖い)だし。自分は普段WMPで音楽を聴くことが多いのだが「Hungry Spider」の再生回数が一番多いくらいだ。

「Hungry Spider」をシングルでリリースした数日後にマッキーは捕まったわけで余計にこの歌と「Cicada」は問題作のレッテルが貼られている。しかし「Hungry Spider」の曲自体はハンパなく秀逸だし「Cicada」は夏に聴くのに打ってつけのアルバムだ。暑くて眠れぬ夜はぜひ「Cicada」を。


新着エントリーから

最近のマイブーム(という程でもないけど)はブログのトップページに掲載されている新着エントリーをランダムに選んで読むことだ。gooでもfc2でもアメーバでも、どのブログでも大抵はトップページに新着エントリーのブログのリンクが記事のタイトルと共に掲載されている。それを一通り見てから興味深いタイトルをクリックするわけだ。新着エントリーってのは大抵1分間に100以上は常に洪水のように順次アップされている。なのでリロード(更新)する度に新着エントリーのタイトルを見ることができる。これがなかなか面白い。
さて、今からとある企画をやる。以下、gooブログのトップページから新着エントリーのタイトル群を5セット、コピペして載せる。その中からひとつ選ぶ。僕がどれを選んだのかはこの記事の最後に載せる。要は「僕はこれらを選びましたけどあなたはどれを選びましたか?」…みたいな。何が面白いのか全く解かりませんが、せっかく思いついたのでやりたいと思います。いや、やってみたら案外面白いと思いますのでご参加ください。
ちなみに僕が選ぶ基準としては
1、単純に興味深い内容のタイトル。
2、オモシロが潜んでいそうなタイトル。
3、どこかしらセンスを感じるタイトル。

では、


20:52 切ない恋もあるけ...
20:52 祝!!
20:52 本日の更新
20:52 キアシシギ
20:52 忘れてしまおう。
20:52 向いてないなあ
20:52 暑い!!
20:52 2007/08/06
20:51 しまったぁ~!
20:51 U-22とU-20の結合
20:51 悲しいなあ
20:51 せっかくの美肌が...
20:51 つばさのクロスス...
20:51 ニモ
20:51 グラスウールを一


20:52  潔く
20:52 夏の幻影
20:52 どうでもいい宝物
20:52 夏合宿!イン桧枝岐
20:52 平均寿命
20:52 約束・・・
20:52 打ち身より痛い
20:52 たそがれのブラジ...
20:52 かたち
20:52 ふにょバカ日誌
20:52 梅花藻をみにいっ...
20:52 WRC第9戦フィンラ...
20:52 逝く
20:52 久しぶり
20:52 信濃グランセロー


20:53 こめこめクラクラ
20:53 夏の思い出☆
20:53 パパとムスメの7...
20:53 休日出勤
20:53 ヒロシマが喪に服...
20:53 どーやって手に入...
20:53 黄ぐみ(1歳児)...
20:53 買い物のついでに。
20:53 8月6日
20:53 早くも収穫なのか?
20:53 ●改革●
20:53 合宿終わる
20:52 嬉しいと顔に出ち...
20:52 ゲンゲン
20:52 マノンとランチ&...


20:53 カムジャタン 韓...
20:53 シーサー
20:53 原爆。
20:53 上昇トレンドの終焉
20:53 原爆の日
20:53 懐かしい写真
20:53 敗軍の将兵を語ら...
20:53 夏野菜
20:53 ひりひりする~(...
20:53 赤くみ(2歳児)...
20:53 デジャブ?
20:53 面雀の巻
20:53 ! 情報保護 常...
20:53 新人さん
20:53 コールド・ストー...


20:54  Cake au...
20:54 ねじまきやチケッ...
20:54 ただいま富士川S...
20:54 【スキムボード】...
20:54 簡単に死ぬな、誰...
20:54 ヨ~ メ~ン♪
20:54 青くみ(3歳児)...
20:54 ヒロシマ2007
20:54 バックには波の音
20:54 アレチマツヨイグ...
20:54 北アメリカ星雲
20:54 シャノ号解体宣言...
20:54 駄目だぁ・・・
20:54 うん
20:54 のんびり。


では答え合わせ(答えなんて無いけど)をしよう。
まず①は「せっかくの美肌が...」だ。最後の「...」は新着エントリーに掲載されるタイトルの文字数に制限(8文字まで)があるためだ。つまり本当は「せっかくの美肌が... 」には続きがあるということだ。これが良いですね。例えばひとつしたのタイトルは「つばさのクロスス...」となっている。しかしこれでは意味が解からない「クロスス」なんて言葉は無い。あるかもしれないけど自分は知らない。8文字という制限の中で「せっかくの美肌が」という意味が読み手に通じていてさらにその次が「...」になっているというのは小さな奇跡だ。

②は非常に迷いましたが「逝く」にさせていただきました。やはりシンプルでありながら、またインパクトが強く興味を持たずにはいられませんね。一体何が逝ったんだ!、と。逝くという表現は基本的に死を意味する。もしかしたら知人や親戚が亡くなったという内容の記事かもしれない。はたまた比喩的な意味合いでの逝くかもしれない。何かしらの秘密がバレたりなど、割と軽い内容かもしれない。それは実際にクリックしないとわからないわけで、そこにはスリルが生まれる。なかなか良いタイトルだと思う。②は「たそがれのブラジ...」「ふにょバカ日誌」など秀作が多かったが僕は「逝く」ですね。

③はダントツで「黄ぐみ(1歳児)...」です。みなさんもこれを選んだのではないでしょうか。一人勝です。敢えて対抗馬を挙げるとするならば「ゲンゲン」でしょうか。しかし「ゲンゲン」と「黄ぐみ(1歳児)...」は同じカテゴリーのタイトルだ。意味不明というカテゴリーだ。となると雲泥の差で「黄ぐみ(1歳児)...」の方が意味不明だ。まず黄ぐみって何?(1歳児)ってことは赤ん坊なのか?で、極め付けが8文字以上のため「...」が付いているという点。一体この先に何が続くのだろうか?これは最強でしょ。

奇跡は起きた。④は「赤くみ(2歳児)... 」だろう。投稿時間を見れば解かるように20:51~20:54の僅か3分間の間に投稿された記事のタイトルだから「赤くみ(2歳児)... 」は③の「黄ぐみ(1歳児)...」と同じブログによるものだろう。あらかじめ記事を完成させといて連投で投稿したんだろう。このマイナーチェンジぶりがたまらないではないか。意味不明でありながらも「黄ぐみ(1歳児)...」の存在を既に知っている僕(ら)は絶対的な規則性に気づくことになる。
黄→赤
くみ→ぐみ
(1歳児)→(2歳児)
なんらかの法則が発動している。一体何なんだ。

もはや不気味としか言いようが無い。⑤に「青くみ(3歳児)...」があるではないか。う~ん確実に成長しているな。とりあえず「青くみ(3歳児)...」は控えておく。もう、殿堂入りってことで勘弁だ。。⑤は「バックには波の音」だ。⑤のカテゴリーは「アレチマツヨイグ... 」「北アメリカ星雲 」「シャノ号解体宣言...」など意味不明系が多い中では余計に「バックには波の音」にセンスを感じてしまう。夏という季節柄このブログの管理人は実際に旅行かなんかで海辺に来ていてそこから携帯電話で更新しているのかもしれない。リアルタイム更新の可能性もあるわけで自ずとポイントは高めになるので「バックには波の音」にした。本当は「青くみ(3歳児)...」ですが。

①せっかくの美肌が...
②逝く
③黄ぐみ(1歳児)...
④赤くみ(2歳児)...
⑤バックには波の音

エクソシストについて

先週の日曜日にテレビ東京で『フレンチ・コネクション』という映画が放送されていた。この映画は1971年頃に公開されアカデミー賞を受賞したウィリアム・フリードキン監督の作品である。映画に全く興味のない自分がなぜこんな昔の映画(しかもマイナーな作品)についての知識があるのか、それには理由がある。『フレンチ・コネクション』の次にウィリアム・フリードキン監督が制作した映画のファンだからだ。その映画とは1973年に公開された「エクソシスト」だ。そうです、あのエクソシストです。ブリッジで階段を降りたり(心臓の弱い方はこちら)、少女が自分の股間にナイフを突き刺して「フ○ック○ー!」(伏字は多目にしとこう)と叫けんだりするホラー映画だ。

エクソシストは1973年の大ヒット映画だ。2000年には公開25周年を記念し「エクソシスト ディレクターズカット版 」が新たに公開された。僕がはじめて見たエクソシストは「ディレクターズカット版」の方だ。当時高校生だった僕はこの映画を見てかなり衝撃を受けた。見終わってから数日はリーガン(悪魔に取り付かれる少女)の顔が頭から離れなかったほどだ。もう軽いトラウマだ。ただエクソシストの怖いシーンを取り除いて描かれたストーリーを冷静に振り返ると凄く悲しい人間のドラマなのだ。「エクソシスト特別版」のDVDは高校のときに買って何度も見た。何度も見すぎたため衝撃的なグロシーンを見ても何も感じないほど繰り返し見た。高校の頃は今と比べると多少病んでいたので余計にエクソシストで描かれるアンビバレンツな世界観に惹かれたのかもしれない。病んだ心とホラーはシンクロしやすいのかもしれない。しょこたんがホラー好きなのもきっと昔病んでいたからだと思う。

B級のホラー映画から「ホラーな部分」を取り除いたら物語として何も残らないだろう。でもエクソシストはむしろ「ホラーな部分」ではない所が素晴らしい。ホラーが邪魔なくらいだ。マイケルジャクソンの「Thriller(スリラー)」のPVみたいなものだ。あのPVには気持ち悪いゾンビがうじゃうじゃ出てくる。スリラーが素晴らしい所以はマイケルジャクソンとゾンビたちのやたらと完成度の高いダンスだろう。しかしゾンビが怖くて目を背けたならばマイケルたちの秀逸なダンスに気づけない。つまりゾンビ(ホラーな部分)が結果的にマイケルの足を引っ張っることになる。エクソシストにも同じことが言える。ま、スリラーのPVのゾンビは全く怖くないが。リーガンと比べるとむしろ可愛いくらいだ。

『フレンチ・コネクション』を見て久しぶりに「エクソシスト」が見たくなった。押入れの奥の方からエクソシストのDVDを探し出し約5年ぶりに見た。上述したように何度も見た映画だから大体のストーリーは覚えていたのだけど久しぶりに見るリーガンは予想以上に怖かった。エクソシストが傑作である所以はホラーな部分以外の描写にあるのだが、もうホラーな部分だけでお腹いっぱいだ。母親がリーガンの部屋に近づく度にドキドキ。精神病院で母に責められるカラス神父を見てブルーな気持ちに。リーガンの一連の奇行に至っては直視できなかった。エクソシストは公開当時あまりにも衝撃的で悲惨なシーンにショックを受けて死亡した人がいる。僕の中でエクソシストを見て死亡した人は、戦後のプロレス中継の力道山の勇姿に興奮して死亡した人と同列だった。つまりはどんだけ心臓弱いんだよ、と。でも改めてエクソシストを見て「こりゃぁ死人もでるわ」と思ってしまうほど怖かった。高校時代はこれを好んで何度も見ていたんだよな。相当病んでいたんだな。

追記
岡村靖幸 「TOUR'07 告白」の詳細が決定したぞー。
札幌には来ないぞー。ヒャッホーぃ。泣ける。


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サブカルの戯言
第332回:10月12日
ツイッターを先取りした「サブカルの戯言」も本日にて終了。332回の戯言のご愛読ありがとうございました!!
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