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岡村靖幸で「禁じられた生きがい」

禁じられた生きがい(1995年12月13日)
前作「家庭教師」から5年の歳月を経てリリースされた5thアルバム「禁じられた生きがい」。87年のデビューからコンスタントにアルバムをリリースし、円滑に首尾よく音楽活動を行ってきた岡村靖幸だが、「家庭教師」以降は急激に勢いが落ちる。その原因としてファンの間でよく挙げられる理由は、岡村靖幸と時代(90年代)の親和性が低くなった、という点だろうか。
「家庭教師」以前の岡村靖幸は時代(80年代)とのシンクロ率が高かった。特に「DATE」には80年代の香りが充満している。80年代を象徴するアルバムのひとつと言っても決して大げさではない。それくらい、時代との親和性が高かった。しかし、90年代、バブル崩壊後の日本列島を襲った不景気。90年代の一部の女子高生による援助交際やらブルセラ。ルーズソックス。言葉遣いが悪く清潔感の無いコギャル。そんな、不潔というか美しくないティーンエイジの風潮に、純真な「女の子幻想」を抱いていた岡村靖幸は耐えられずに引きこもった、というのが定説でしょうか(?)もうひとつの理由に、親友だった尾崎豊の死が影響しているというのもある。しかし、尾崎豊が亡くなったのは1992年の4月。岡村靖幸のライブDVD「ファンシーゲリラ」の公演は1992年の暮れだ。ファンシーゲリラでの岡村靖幸のパフォーマンスは、まだ自信満々でナルシストな歌と踊りを披露しているので、尾崎豊の死は関係ないのでは、と個人的には思う。どうでもいいが。

上記のような、俗世間に対する鬱々とした不協和音が広がっている状況においてリリースされたのが、「禁じられた生きがい」だ。このアルバムの評価は、一般的にはあまり良いものではない。理由としては、アルバム用のオリジナル曲が少ないため当時あった曲を寄せ集めたセミベスト的な構成になっているということ。また、繰り返されるリリース延期を経て結局5年の歳月を費やしたこと。名盤「家庭教師」のあとだから余計に期待値が大きかったこと。以上が、不評の原因だと思われる。しかし、僕が岡村靖幸を聴き始めたのは僅か3年ほど前からなので、これらの「不評の原因」は全くの無関係だ。そんな新米岡村靖幸ファンが思うに「禁じられた生きがい」はなかなかの傑作である。

前作「家庭教師」と比べると曲のひとつひとつは佳作なのだが曲順によるシナジー効果はあまり感じられない。やはり寄せ集めだからだろうか。コンセプトアルバムとしての完成度あるいは統一感は低い。「チャーム・ポイント」がラストである必然性もそれほど感じられない。別に「ターザン・ボーイ」がラストの曲だったとしてもアルバム全体から受ける印象はそれほど変わらないのではないか。少なくとも「家庭教師」ラストの「ペンション」のような、最後はペンションじゃないと!って感じはしない。ただ、そんな中で唯一秀逸だと思うのは、「あばれ太鼓」から「青年14歳」の流れだ。ここはかなりかっこいい。何回、繰り返し聴いたことか。
岡村靖幸のアルバムでは初のインストである「あばれ太鼓」。リズムを刻んだような岡村ちゃんの発声に自らの演奏と思われるギターがキャッチーなリフをかき鳴らしている。「あばれ太鼓」の終わりのほうに笛のような音が「ピッピー」となり実質1曲目の「青年14歳」のイントロが流れる。「青年14歳」はスガシカオが自分がパーソナリティを務めるラジオで好きだと言ったらしいが、この歌は、岡村ちゃんらしさが溢れんばかりに発揮されている。その証拠に歌詞が聴きとれない。運の悪いことに「禁じられた生きがい」の歌詞カードを紛失したため、今では一体どんな歌詞だったすら覚えていない。思うに「禁じられた生きがい」ほど歌詞カードの必要性があるアルバムは他に無いだろう。同様に「クロロフィル・ラヴ」「どぉしたらいいんだろう」あたりも一部歌詞がわからないのだが不思議と違和感が無い。普通自分の最もお気に入りのミュージシャンの歌詞が解らないというのは、苦痛だろうが。岡村ちゃんに限ってはあまり気にならない。もう自分の中では洋楽だ。

バラードは「ピーチ・クリスマス」と「妻になってよ」の2曲だ。どちらとも、曲は良いのだが、歌詞が面白い。「妻になってよ」の冒頭の歌詞「20代のまんなかじゃ 手軽な恋が出来ない 妻になってよ別れたわかったんだ」って凄く失礼ではないか。妻になって欲しい理由が”君と別れてみたものの、手軽な恋が出来ないから”なのか。根本的に考え方が間違ってるような…。面白いからいいけど。もうひとつの「ピーチ・クリスマス」は男同士のクリスマスにおける友情物語だ。歌詞の概要は、クリスマスに何もしないで毎年惨めな思いするくらいなら好きなあの子に告白しろよ、もし駄目だったら今夜俺に電話してこいよ、来年の作戦考えようぜ、といった内容だ。「来年の作戦」っていう表現が少年チックで好きだ。「カルアミルク」や「友人のふり」あたりの名バラードと比べると歌詞に多少突っ込みどころが多いのが気になるが、そこは岡村ちゃんのご愛嬌だ。

5年のインターバルを経て出来上がった5thアルバム「禁じられた生きがい」。次作の6thアルバムはさらに9年後の2004年にリリースされる。一気に最近の話になる。6thアルバム「Me-imi」では、サウンドが大きく変わる。つまり、「禁じられた生きがい」はDATE~家庭教師までの流れを汲んだサウンドが聴ける最後の作品なのだ。そういった意味でも「禁じられた生きがい」は凄く貴重な作品だ。

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TODAY IS ANOTHER DAY

ZARD/TODAY IS ANOTHER DAY
ここ、2ヶ月ほど、割と熱心にZARDのアルバムを聴いている。個人的に一番の良作は7枚目の「TODAY IS ANOTHER DAY」だ。アルバム用のオリジナル曲が12曲中3曲しかないことと、FIELD OF VIEWに提供した曲のセルフカバーが3曲もあることから、往年のZARDファンには、このアルバムは不評らしい。シングルの寄せ集めのセミベスト的なアルバムだが、アルバムの内容には統一感がある。コンセプトアルバム(←この言葉好きだな自分)としてのまとまりがある。何をコンセプトにまとまっているのかというと「哀愁、刹那、センチメンタル」といったとこだろうか。ZARDの歌といえば、「負けないで」に代表される応援歌、あるいは「揺れる想い」「Don't you see!」などの爽やかな楽曲というイメージが一般的には強いように思う。そういった意味では「TODAY IS ANOTHER DAY」は多少趣が違う。決して暗くて、後ろ向きな曲ではないのだが、なんだか、寂しくなる曲が多い。FIELD OF VIEWが歌ったドラゴンボールGTの主題歌『DAN DAN心魅かれてく』のカバーなんかも、坂井泉水が歌うと哀愁が漂う。ドラゴンボールの歌だから、基本的には元気な歌だ。歌詞にも「愛と勇気と誇りを持って戦うよ」なんて前向きな歌詞もある。なのに、哀愁がある。こう感じるのは、坂井泉水の根本的な資質によるものなのか、それとも、「亡くなった」からなのか。多分どちらともなのだろうけど、なるべくなら前者によるものだと思いたい。そのほうが正しいと思うし。

beck/Midnite Vultures
WMPにアルバムを取り込むと、アルバムのタイトルや曲名は自動的に表示されるのだが、たまに表示されないアルバムがある。特にマイナーなアルバムやCD自体が目新しい80年代後半のアルバムに多い。表示されない場合、こちら側の選択肢は二つある。ひとつはブックレットを見ながら手動で打ち込む。もうひとつは諦め、そのまま放置。表示されないアルバムに対して僕が取る手段はいつも後者だ。なのでWMPには詳細の解らない「トラック」としか表示されていない曲たちが点在している。名も無きこれらの曲は自ずと再生回数が少ない。なかには実際に聴いてもアーティスト名が解らない曲もある。そんな僕の「WMPのなかの名も無きアルバム」にベックの4thアルバム「Midnite Vultures」があった。たぶん、4~5年前にレンタルしたアルバムだ。「Midnite Vultures」はなぜか自分のパソコンではタイトルを読み込まなくて殆ど聴かないでいたのだけど、先日、なんとなく(ベックだとも知らずに)聴いたところ驚いた。なんだ。この楽しい音楽は!って感じ。いろんな楽器を使って無邪気に遊んでいる!って感じだ。東京事変っぽい音楽といえば解りやすいかも。聴きながら「いいですね~」と思わず声に出してしまったくらい良い。一体、誰の歌なんだろうと思いネットで調べたところベックの「Midnite Vultures」だということが解ったわけだ。ベック、結構有名な人だよね。
そういえば、岡村靖幸のファーストアルバム「yellow」をwmpに取り込むとウォーターベッドがマザーベッド。彼女はサイエンスティーチャーが男女はサイエンスティーチャーと誤表記になる。なんて意味深な間違いなんだろう。

付記
ブログをはじめて、もうすぐ丸2年を目前とした今。最近はあんまり書くことが思いつかない。思いついたとしても書く気力がない。ある意味この状況はブロガーとしての試金石だが、こればっかりはどうにもならない。なので、ちょっとだけ、心持、これからは、更新頻度を落とそうと思います。


スティーヴン・キングで「ミザリー」

超人的創作意欲の持ち主、スティーヴン・キングの「ミザリー」を読んだ。S・キングの小説は1000ページ以上の大長編小説が多いが、「ミザリー」は約500ページとS・キングにしては割と短い。デビュー作『キャリー(Carry)』と同じく短めの長編である。

この小説はプロットのアイデアの時点で既に傑作だ。さすが稀代のストーリーテラーだ。きっと、S・キングも「ミザリー」のストーリーを思いついた瞬間、ベストセラーとして「ミザリー」が書店に平積みされている光景を思い浮かべたのではないだろうか。

「ミザリー」の概要を簡単に説明する。
嵐の日、流行作家である、ポールは自動車事故を起こす。不幸なことに周りに人が居なく危うく死にかけるのだが、幸いにも元看護婦のアニーという女性に助けられる。偶然にもアニーはポールの小説の熱狂的な大ファンであった。しかし、この女は異常に狂っていた。ポールを自宅に監禁し薬漬けにしたのだ。そしてアニーがポールの作品のなかでも特に好きな「ミザリーシリーズ」の続編を、自分だけのために執筆させようとする。「ミザリーシリーズ」というのは、ポール自身あまり好きな作品ではなかったため既に完結させた作品だ。アニーは無理やり続編を執筆させ、またポールはアニーに気遣いながら続編を書きつつ、脱走のチャンスを伺う、というような話だ。

ホラー小説だから、多少目を背けたくなる様な描写はあるが、話の筋の面白さにぐいぐいと読み進めてしまう。また外国の翻訳ものの小説にありがちな読みにくさはあまり感じられずにスラスラと読める文体だ。
ちなみに、監禁された中でポールが執筆したミザリーの続編は作中作として手書き風のフォントで掲載されている。なんだか、S・キングの創作の基礎体力の半端ない高さが誇示されているようで良い。

「ミザリー」を読んでいる最中にちらちらと頭に浮かんだ人物が居る。誰かと言えば、冨樫義博である。「ミザリーシリーズ」を唐突に主人公の死という形で完結させたポール。いわくつきの休載に休載を重ね、ついには長期休暇をとった『HUNTER×HUNTER』。ちょっと似てる。いや、全然似てないか。

一応、物語を完結させ、新作の小説を意欲的に執筆したポールと比較した場合、アニーの発生率は、はるかに冨樫義博の方が高い。『HUNTER×HUNTER』だって熱狂的なファンが多いみたいだし、アニーみたいに狂乱したファンに監禁されて、『HUNTER×HUNTER』をきちんとジャンプに週刊連載で描かされる冨樫を幾度と無く想像してしまった。

アニーは脱走できないようにポールの足を切断したりするホラーな女なので、実際にアニーのようなファンが冨樫の前に現れたら危険過ぎる。でも、アニー的編集者は必要かもしれない。

さて、そんな冨樫義博だが、『HUNTER×HUNTER』が10月から連載再開予定らしい。連載再開一発目がネームみたいな雑な絵だったら、これ以上に笑える出来事は無いと思う。

岡村靖幸で「家庭教師」

家庭教師(1990年11月16日)
未曾有の天才・岡村靖幸の4thアルバム「家庭教師」。小沢健二の「ライフ」と双璧をなす90年代のJ-POPにおける名盤であり、岡村靖幸の最高傑作である。本来「天才」なんて大仰な言葉は無闇に使うものではない(世の中、天才だらけになってしまう)が岡村靖幸を紹介するに当たり、さまざまな媒体で多くの人が彼を天才と評す所以は「家庭教師」のクオリティの高さにある。このアルバム、最強である。個人的にこのアルバムには思い入れが過度にあるので冷静な感想は書けないと思う。今まで生きてきて、聴いた全アルバムのなかで一番繰り返し聴いているのではないかってくらいだ。とにかく中毒性が強烈にある。

僕がはじめて聴いた岡村靖幸のアルバムは「家庭教師」だ。きっかけは、スピードワゴンのラジオだった。その回のラジオのフリートークでスピードワゴンの小沢が岡村ちゃんのライブに行った話を興奮気味にしていた。終演後の楽屋に赴き、岡村ちゃんと対面し、意気投合しカラオケに行ったというような内容のトークだったと記憶している。今思えば大変貴重なトークだ。小沢による岡村靖幸と遭遇したトークが一段落した後に流された曲が「あの娘僕がロングシュート決めたらどんな顔するだろう」だった。つまり僕がはじめて聴いた岡村靖幸の曲だ。そのときは、深夜3時の放送だったこともあり頭がボーっとしていたのか特別な印象は抱かなかったが、ユニークなタイトルに惹かれ、翌日TUTAYAで「あの娘僕がロングシュート決めたらどんな顔するだろう」が収録されているアルバムを探し「家庭教師」をレンタルしたんだっけ。

洋の東西を問わず、名盤というのは曲順が不思議なほどに優れている。多分に漏れず「家庭教師」の曲順も良い。一曲目の「どぉなっちゃってんだよ」からラストの「ペンション」まで、正に霊妙なさまである。この曲順じゃないと「家庭教師」の魅力は落ちるのではないか。「あのロン」のイントロの爽快さはその前の家庭教師のドロドロ感があってこそだし。「どぉなっちゃってんだよ」の後は「カルアミルク」じゃないと駄目だし「あのロン」の後は「祈りの季節」じゃないと駄目だ。この曲順だからこそ生じるシナジー効果のようなものがある。だから、最後は「ペンション」で〆じゃないと、それはもはや家庭教師ではないのだ…と思う。もちろん1曲単位で聴く場合、曲順なんて関係ないけど、一度通して聴いた場合、否応なく一貫した「流れ」のあるコンセプトアルバムとしての秀逸さを気づくはずだ。

もちろん捨て曲なんてものは無い。もともと、9曲しかないし。全曲シングルカットしても無問題の傑作揃いだ。なかでも個人的に好みの曲は「ステップUP↑」だろうか。「家庭教師」のみならず岡村靖幸の全ての曲のなかでも一番アップテンポでファンクな曲だろう。曲自体も型にはまったものでなく後半に新たな展開に突入する。いわゆるAメロやサビなどの定型から逸したリズムに入りカオスと化した岡村ちゃんワールドが広がる。意味不明な岡村ちゃんの叫び(「一人ぼっちじゃボバンボン二人じゃなくちゃババンボン」)に対しどこから沸いて出てきたのか、野郎のレスポンスが入ったり、岡村ちゃんの語りを被うように早送りにした音声が流れたり。もう、いろんなものが渾然一体となっている。大好きな歌だ。一体何度聴いたことだろう、この曲。

バラードは「カルアミルク」とラストを飾る「ペンション」の2曲だ。どちらとも歌詞が良い。「歌詞が良い」だなんて、ありきたりすぎる表現だけど、良いのだから仕方ない。「カルアミルク」は岡村靖幸の曲のなかで最も一般受けする曲だと思う。いかにも日本人が好きそうな、いわゆる「売れる曲」とでも言うのだろうか。岡村靖幸にしては珍しく、歌詞も聴き取りやすい曲だ。ラブソングとしてもいい線いってる。「女の子ってか弱いもんね だからかばってあげなきゃ駄目だよ できるだけ」なんて歌詞もあるし、カラオケで歌ってあげれば色々と盛り上がりそうだ。知らないけど。

もうひとつのバラード「ペンション」は岡村ちゃんらしい内容の曲だ。凄くせつない曲なのだが全体的に突っ込みどころの多い歌詞だ。さまざまな解釈のできる歌詞だが全体的にはネガティブな男の感じが漂っているように思う。「曲がる順序間違えて 最終のバスに乗り損ねた」とか。

あと、忘れてはいけないのが、アルバムのタイトルにもなった4曲目の「家庭教師」だ。家庭教師・・・・。あー。ま、このブログを定期的に読んで下さってる(奇特な)方は岡村靖幸関連のワード検索でたどり着いた人たちが大半だと思われるのであえて「家庭教師」については触れないでおこう。変なトラックバック来たら嫌だし。

さて、ファーストアルバムの「yellow」から「家庭教師」まで、ほぼ1年に1枚のペースでコンスタントにリリースし、音楽的にも向上し続けた岡村靖幸だが、その勢いはここで一旦止まる事となる。次作の「禁じられた生きがい」がリリースされるまで、長い歳月を費やすこととなる。

最近読んだ本

恩田睦「夜のピクニック」
去年、映画化されたベストセラー青春小説「夜のピクニック」。今年読んだ小説の中で、今のところ一番面白く読めた。最後まで読み終わってから、間髪入れずにまた、はじめから読み直したほどだ。まだ9月だけど、「2007年に読んだ面白かった小説BEST3」には確実にランクインするだろう(どうでもいいすか)。それくらいの佳作だ。この小説は447ページの長編小説なのだが、最初のページから最後のページまで主な登場人物は歩いている。とにかく歩き続けている。なぜなら、この小説の題材は「歩行祭」だからだ。歩行祭というのは主人公の通う高校の行事だ。丸一日かけて80キロの道のりを全校生徒が歩くというものだ。めちゃくちゃな行事だ。途中2時間程度の仮眠は許されているものの残りの20時間以上は歩き続けるのだ。はじめ読んだ時は、いかにもフィクションならではの行事だなぁ、と思ったが、どうやら、実在する行事らしい。鬼である。ふと思ったが、丸一日で80キロ歩くという歩行祭と日テレの24時間テレビのマラソン(100キロ程度)はそれほど大きな違いはないな。

歩行祭の最中に、大きな事件は起きない。恩田睦は推理小説なども書いているみたいだが、「夜のピクニック」は推理小説ではないから殺人事件は起こらない。殺人事件どころか些細な事件すら起こらない。何も起こらない中ひたすら歩くだけ。
「疲れたね」「足痛くなってきたもん」「あたしなんかとっくに足の感覚ないよ」みたいな本当に不毛な高校生のお喋りを描きながら歩き続けるだけだ。それに合わせてきっちりと時間は過ぎる。太陽が沈み夕暮れになって、晩になって星が輝いてと、その過程がゆっくりと描かれている。実に牧歌的な純文学である。一応終盤に、ちょっぴり感動的な展開が用意されているのだが物語りの殆どは大きな展開なく流れていく。
上の文章を読んだだけでは、「夜のピクニック」の何が面白いのか全く伝わらないと思う。ただ歩いているだけですからね。こればっかりは実際に読まないと解らないかもしれない。作中に何度か出てくる言葉に「みんなで、夜歩く。ただそれだけのことがどうしてこんなに特別なんだろう」という一文があるのだけど、まさに「夜のピクニック」の魅力を言い表した一文だと思う。ただそれだけの小説がどうしてこんなに特別なんだろう、と。

山口百恵「蒼い時」
ブックオフで100円で売られていたので、なんとなく買った本。山口百恵が芸能界を引退するまで、つまり21歳までの人生を語っている。波乱万丈な生い立ちや自分の性などについて赤裸々に語っている。山口百恵は大スターなわけだから当時は相当ショッキングな本だったんだろう。僕が生まれた頃はもう引退していたわけで、自ずと山口百恵についての知識は皆無だ。山口百恵に何の思い入れもない。なので、山口百恵の物語としてよりも、山口百恵を通して語られる当時の芸能界事情の方が興味深かった。郷ヒロミ、桜田淳子、森進一、ヒデキとかいろいろ出てくるし。
この本を読んだ後思ったが、ホリプロの石原さとみはモロ山口百恵路線ですね。

児玉清「寝ても覚めても本の虫」
児玉清の初文庫作品「寝ても覚めても本の虫」。本好きとして有名な児玉清が好きな小説を思う存分語っている。あとがきには、いかに自分は本を愛してやまないかを、延々と書いているのだが、正直こちらが引くほどこの人は本が好きなようだ。病的と言ってもよいくらいだ。30年ほど前、児玉清がまだ無名でお金が無かったころに28万円もする「グレートブック(西洋の哲学者50人の全著作の全集)」とやらを買い妻と不仲になったエピソードは笑える。

岡村靖幸で「靖幸」/「早熟」

靖幸(1989年7月14日)
孤高の天才・岡村靖幸のサードアルバム『靖幸』。これまで「yellow」「DATE」と二作品のレビューを書いてきたが、その文中で何度も「岡村靖幸らしさ」という言葉を幾度と無く使ってきた。『靖幸』に関しては自分の名前をアルバムのタイトルにしている時点でもう言うまでもないだろう。らしさ全快である。作詞・作曲・編曲・プロデュースに至るまで全てひとりでこなしている。

岡村靖幸のアルバムをはじめて聴くなら『靖幸』から入ると良いかと思う。入門編のアルバムとして、打ってつけの作品だ。もし、このアルバムを聴いて「岡村靖幸って別に大したことないじゃん、キモイしさ」と思った人は、多分そこでもう終了。この先岡村靖幸のファンになる確立は極めて低いだろう。もともと好き嫌いがはっきり別れるタイプのアーティストだから仕方ない。お酒の飲めない人に無理やりビールを勧めても迷惑なだけだ。岡村靖幸もそれと同じことである。つまりは、体質の問題だ。なので、「(アルバムの)靖幸」が受け入れられない人は「(岡村)靖幸」も受け入れられないだろう。

『靖幸』には岡村靖幸の一番の代表曲である「だいすき」が収録されている。まだ美少女だった頃の今井美樹が出ていたホンダのCMに「だいすき」が起用され、オリコン上位(確か4位)にランキングされたスマッシュヒットだ。ランキングとは無縁の岡村靖幸が、長いキャリアのなかで唯一お茶の間レベルまで浸透した奇跡的な曲だ。30代以上の世代の人で「だいすき」を知らない人は少ないだろう。

そういえば、大学時代、スーパーでのアルバイト先の社員Sさん(30代前半)との会話の中で好きなミュージシャンの話になった。スターダストレビューが好きだというSさんに「僕は、岡村靖幸が好きなんですよ~、Sさんくらいの年代だったら知ってると思うんですけど。ま、今捕まってるんですけどね(笑)」と訥々と話したところ「ああ、だいすきの人でしょ」と言い返されたことがある。「だいすきの人」って!と思いつつも、内心嬉しかった覚えがある。それくらいのヒット曲なのだ、だいすきは。

はじめて『靖幸』をTUTAYAでレンタルし「だいすき」を聴く直前は、聴けばサビの部分辺りで「あ~この曲か、どっかで聴いたことあるわ」みたいな、ビッグネームの洋楽のアルバムを聴いた時によくあるパターンに陥るのだろうと思った。しかし、聴いてみると全く聴き覚えのない曲だった。岡村靖幸の大ヒットした代表曲なのに、全然知らないのだ。今の若い世代に岡村靖幸の知名度が著しく低いのも仕方ない。

『靖幸』のモチーフカラーはピンクだ。ジャケットや歌詞カードなど、すべてピンクで統一されている。(ちなみに、「yellow」は黄色「DATE」は紫である)ピンクから連想されるイメージは女の子らしい「かわいさ」とアダルトな「エロス」だ。故にこのアルバムの曲は、かわいい曲とエロスな曲の二つに大別される。

まず、「かわいさ」(安易な言葉だからあまり好きではないが)のある曲は「Vegetable」「だいすき」「ラブタンバリン」「友人のフリ」「バスケットボール」だろうか。これらの曲には「かわいい」という形容詞が相応しい。特に「ラブタンバリン」。この歌はサウンドから歌詞から歌い方から全てが堪らなく愛らしい。出だしの歌詞がもう凄い。「君が好きだよ 心に住んでる修学旅行が育つんだ」だ。心に住んでる修学旅行って一体何でしょう。詩的すぎて、凡人な自分には理解できない。しかしこの「ラブタンバリン」の歌詞は全てが意味不明な内容ではない。はっきりとしたメッセージがある。

「ラブタンバリン」の歌詞の概要は「男なんてものは毎日がバレンタインデーなのだから、告白しちゃえよ、だって愛しちゃったんだろ、ベイベー」というような内容だ。このような全体像の歌詞を把握した上では、一見すると意味不明な上記の「君が好きだよ 心に住んでる修学旅行が育つんだ」という歌詞も素敵に感じられるから不思議だ。他にも「このバラ持ってTVの男たちのように告白タイムを見つけ出したい」など秀逸な歌詞が多い。「友人のフリ」は岡村靖幸三大バラード(そんなのないけど)のひとつだ。(他の二つは「カルアミルク」と「イケナイコトカイ」)本当に切ない曲だ。イントロから、もう切ない。槇原敬之の「80Km/hの気持ち」と同じく友達の彼女が好きな男の複雑な想いの歌だ。

もうひとつの方の「エロス」な曲は、「どんなことをして欲しいの僕に」「聖書」「Co['] mon」「Punch↑」だ。エロスな曲とは、言い換えればプリンスっぽい曲とも言える。岡村靖幸は和製プリンスと呼ばれるほどの人である。「どんなことをして欲しいの僕に」はサビ以外はファルセットで歌っているのだが、これはプリンスのよくやる歌い方だ。また「Punch↑」の後半、3分17秒では”All lights This is new phone”(?)と歌っているが、この部分の言い方はまさにプリンスのモノマネだ。本当にそっくり。もはや声帯模写の域である。今やパクリを言い訳する際の便利な言葉としてインスパイアやリスペクトやオマージュ(すっかり胡散臭言葉と化してしまった)が使われているが本来は『靖幸』のような作品にこそ使われる言葉だと思う。

早熟(1990年3月21日)
「靖幸」と4thアルバム「家庭教師」の傑作アルバムに挟まれる形でリリースされたベストアルバム「早熟」。収録されている13曲中、4曲はオリジナルアルバムに入っていない曲なので聴く価値は大いにある。ちなみにその4曲とは「ドッグ・デイズ」「ライオン・ハート(ハリウッド・ヴァージョン)」「シャイニング(君がスキだよ)」「ピーチ・タイム(修学旅行ミックス)」。今思ったが岡村靖幸の曲には括弧つきの曲が多い。新曲の「はっきりもっと勇敢になって」のカップリングは「嵐の気分(着替えをもって全裸のままで)」だったし。

ベストアルバムであるから感想は省略するつもりだったが、「DATE」の最後に触れた早熟のジャケットについて少々…。まず、アマゾンの早熟を紹介しているページのリンクを貼ろう。コチラ。ご覧頂けただろうか。衝撃的なジャケットである。エメラルドグリーンの背景。薄手の白のトレーナに淡い花柄のチョッキを着た男がこちらを見つめている。首を右に傾け目は上目遣い。口角はやや上がっているのだろうか、あるいは笑っているのだろうか、もはや、定かではない。このアルバムの購入(もしくはレンタル)はファンにとって勇気を強いられる試練だ。

この異様なジャケットをレジに持って行き店員に手渡す瞬間は誰もが苦虫を噛み潰した様な心持となる。ズル賢い人はこう思うかもしれない。店員に渡すときジャケットを下、つまり裏ジャケットを表にして差し出せばいいじゃん、と。しかし裏ジャケットはもっと危ない。上半身裸にネックレスの岡村ちゃんが腕を組んでカメラ目線なのだ。なんで脱いでるんだよ。別に引き締まった体じゃないのにね。

1965 当たり年

世の中には当たり年というものがある。1年単位という比較的長い期間だから、統計学的にはそれほど大きなバラツキは無さそうだが、同じ1年間でも当たり年とハズレ年いうものは確実に存在する。

解かりやすい例としては吉本興業の養成学校・NSCだ。第何期生かによって当たり年とハズレ年がある。ウィキペディアを参照すると、非常に解かりやすい。例えば、ナイナイを筆頭に天然素材のメンバーが集中している第9期生は当たり年だが、有松たかし大会(コンビ名だろうか)としか記されていない第3期生はハズレ年といえよう。

細かく記すと、当たり年は第1、9、13、22期生。ハズレ年は第2、3、16期生、辺りだろうか。近年は若手の高年齢化が進んでいるから第15期生以降はまだまだこれから活躍する可能性がある訳で、一概にハズレ年と断言することは出来ないが、それでも基本的に第15期生以降はハズレ年が多い。そういう意味では第22期生の当たり年具合は凄いかもしれない。

さて、僕が「当たり年」と聞いて真っ先に思いつくのは1965年だ。1965年生まれの有名人はとても多い。しかも自分の好きな有名人が多い。1965という数字の羅列を見ただけで脳内には1965年生まれの有名人たちが僕の脳内を駆け巡る。

1965年生まれの有名人を挙げると、
ミュージシャンでは、このブログでも頻繁に話題にしている岡村靖幸だ。また岡村靖幸の友達である尾崎豊、吉川光司も65年生まれだ。さらにX-JAPANのTOSHI、YOSHIKI、PATAも65年生まれである。他には奥田民夫、中森明菜、TUBEの前田などなど他にも多数。これは凄い。

お笑い芸人では、なんといっても、爆笑問題とウッチャンナンチャンだ。他には、勝俣、江頭、ヒロミなどなど。極めつけは、さくらももこだ。さくらももこが65年ということは、つまり、まる子のクラスメートも皆65年生まれだ。詳しくは知らないが、実在するらしい、ハマジやたまちゃんなども65年生れということだ。
他にも、65年生まれは本当にたくさん居る。正真正銘、当たり年である。

ちなみに自分の生まれ年は1983年だが…ハズレ年だ。小倉優子と松本潤と二宮和也くらいしかいない。ただ、リンク先のウィキペディアを見る限り、Aブイ女優はやたらと多い。その点では当たり年だ。そんな情けない83年組だが、一応、宇多田ヒカルという唯一無二の超大物が83年にはいる。宇多田ヒカル一人が存在する時点で当たり年といっても過言ではないくらいの人物だが彼女は1月生まれだ。微妙なんだけど、同じ年でも学年がひとつ上だと、決定的に何かが違う。しかも1月19日だし。限りなく82年よりなんだよなあ。

付記
先日、公開されたキムタク主演の映画「HERO」。興行収入90億も確実なんて騒がれているらしい。西遊記並みのクドイ宣伝に辟易しているので、いっそ「大コケしてしまえ」と半ば呪っているんだけど…タモリが出てるらしい!しかもちょい役ではなくガッツリ出演しているっぽいではないか。タモリファン(笑)としては気になるな。

岡村靖幸で「DATE」

DATE(1988年3月21日)
不世出の天才・岡村靖幸のセカンドアルバム「DATE」。前作の「yellow」からぴったり一年後にリリースされた今作は、岡村靖幸らしさが随所に伺われる内容となっている。まずタイトルのDATE。一応説明すると「デート」と読む。データではない。DATEという言葉は岡村靖幸ファンの間では頻繁に取り交わされる重要な言葉だ。DATEとは岡村靖幸のファンクラブ名でもある。(現在は存在しないが)また、岡村靖幸のライブをファンの間ではDATEと呼ぶ。単なるコンサートではなく、客と岡村靖幸の親密なDATEなのだ。まるで、ミッチーのような発想である。(そもそもミッチーは岡村靖幸の熱狂的なファンらしいが)とは言っても岡村靖幸のファンはミッチーと比べると格段に男の比率が高いわけで、男の岡村ファンはDATEという言葉を使わない傾向にあるようだ。

「yellow」と同様に「DATE」でも編曲は西平彰との共作が多くを占める。唯一、作詞・作曲・編曲すべて一人でこなしている作品は1曲目の「19(nineteen) 」のみだ。しかし、「yellow」と比べると前述したように、後の「靖幸」「家庭教師」に顕著に見られる岡村靖幸らしさが発揮されている。思うのだが(あくまでも予測だけど)、同じ”編曲:岡村靖幸・西平彰”でもイニシアチブは岡村靖幸が握っていたのではないか。それくらい「yellow」とは作風が違う。「DATE」は今聞いても、個人的には古さをあまり感じないが、「yellow」はいかにも懐古的な80年代サウンドだ。僅か1年のリリース期間でここまで編曲能力が変貌するなんて凄い。

サウンドは古くないが、歌詞の内容はいかにも80年代風だ。80年代に、あだち充を筆頭に量産されたラブコメ漫画(「タッチ」「みゆき」「めぞん一刻」「気まぐれオレンジロード」「人類ネコ科」エトセトラ)の空気感と似た内容の歌詞が多い。特に3曲目の「生徒会長」なんてタイトルからしていかにもである。

80年代の香りをプンプンと漂わせている「DATE」だが、これを鋭い臭覚で貪欲にも嗅ぎつけたのが、「80年代に青春を送りたかった」の口癖でお馴染みの中川翔子である。今や岡村靖幸の広告塔?の一人である中川翔子もDATEの2曲目の「スーパー・ガール」が好きなようだ。スーパー・ガールという曲はアニメ「シティーハンター」のエンディングソングだったこともあり、世間的にも知名度の高い(岡村靖幸の曲のなかでは)曲である。これに目をつけるとはしょこたんのアンテナ、さすがである。そういえば中川翔子のアニソンンカバーアルバム第二段が近々リリースされるようだ。第一弾は買って、今でも時々聴くのだが今回のは買わないだろう。好きな曲がないから。「スーパー・ガール」が入ってたら100パー買ってたけどね、一応アニソンでしょ、スーパー・ガールって。「空色デイズ」がある程度売れたみたいだから、その勢いで急遽第二段が決まったのだろうか。まずは、「ファースト・オリジナル・フル・アルバム」を出せばいいのに。

DATEに収録されている曲はライブでも披露される曲が多い。「イケナイコトカイ」「いじわる」「スーパー・ガール」等など。また、ライブDVD「家庭教師91」にはDATEメドレーといのがある。その名の通りDATEに収録されている曲をメドレーで歌い踊っている。これが凄い。特に踊りが凄い。靖幸関連で時々話題になる事柄のひとつに「岡村ちゃんの踊りって実際どの程度のレベルなの?」というのがある。一見とんねるずの石橋貴明っぽい変な踊りだが、実際のところはどーなのよ、っていう。大抵、結論としては「決して下手ではない(笑)」となる場合が多い。しかし、DATEメドレーでの岡村靖幸は誰が見ても有無を言わさず上手い。数あるDVDのなかでも、このDATEメドレーでの岡村靖幸が一番神がかっている。岡村ちゃん大百科にもDATEメドレーの映像が収められているし、きっと本人もお気に入りなのだろう。

最初に書いた通り、セカンドアルバム、DATEは「岡村靖幸らしさ」が(前作と比べて)格段に発揮された記念すべきアルバムである。ブックレットには岡村靖幸のナルシスティックなグラビアが4ページ程掲載されていることからも解かる。見てる側が恥ずかしくなるような岡村靖幸のグラビアは次回のアルバム「靖幸」ではジャケットにも登場し、さらに過激さを増していく。やがてそれは「早熟」のジャケットでピークを向かえることになるのだが、それは、また別の話。

僕はこの宝くじに当たるはずはない。

先日、宇多田ヒカルのブログに掲載されたこの記事
「ページのはしっこについてる、ちょっとしたインクのにょろにょろ」について、画像と共に紹介されている。で、さっき更新された日記で、画像のページ数(42ページ)と僅かな文字で本を見事に特定した女性からメールが来たとの記述があった。村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル(第3部)」だったとのこと。

実は、自分もその画像を見たとき、もしや村上春樹ではないか、と思った。だって、「僕は」の文字の横に注意を向けるための点のようなフォントがあったから。いかにも、村上春樹的である。42ページって手がかりがあったわけだし特定しようと思えば特定できたなぁ。

ということで、もうひとつのコチラの画像を特定してみよう。手がかりは「隊 整列 血に黒く 付着した」というワードが左ページの最後の3行にあるということである。これらのワードから連想されるのは軍事や戦争などの事柄だ。ねじまき鳥にはノモンハン事件(満州国とモンゴルとの軍事衝突)が取り上げられていて、残酷な暴力描写がある。

ということで、ねじまき鳥の作中から戦争系の章を中心に左ページの最後の1行の「付着」を目印に探しはじめた。探し始めること15分。何度、付着付着と脳内で連呼しただろうか。見つけたよー。同じく、ねじまき鳥クロニクル(3部)の129ページにある。ちなみに付着の前後の文章は「壁のあちこちに付着した動物たちの肉片も」だ。もうひとつ方の、横に点のついた「僕は」の後の文章は「僕はこの宝くじに当たるはずはない」だ。
DSCF0505.jpg

やれやれ。

岡村靖幸で「はっきりもっと勇敢になって」

はっきりもっと勇敢になって昨日は岡村靖幸の新譜「はっきりもっと勇敢になって」の発売日だった。近所のTUTAYAには案の定、置いてなかったのでわざわざ札幌駅の玉光堂に行き買った。以下感想。






「はっきりもっと勇敢になって」
まず、オーケストラのようなキラキラとした優雅なイントロが鳴る。噂では早いテンポの曲だと聞いていただけにこの展開には少し驚いた。優雅なバラードが静まってから、実に3年の沈黙を破り岡村ちゃんの歌声が!力の入った熱唱系の歌い方だ。振り絞るような歌い方は以前と変わっていないが、デブ声じゃないし、高音も以前と比べたら無理せず出ている。それだけで感激である。曲調はミイミの「ミラクルジャンプ」に近い。ただ、ミラクルジャンプ(というよりはミイミに収録の曲)は石野卓球の影響なのか重低音ファンクっぽい打ち込み系だったが、それと比べると「はっきり~」は生の楽器の音がする。好みは分かれるだろうが個人的には、ミイミサウンドより、こっちのほうが好きだ。

歌詞はとにかく前向きだ。ミイミのような「ツギハギみたいな歌詞で内容が理解できない」というものでもない。メッセージが明快でシンプルだ。しかも、同じ歌詞のサビが4回もリピートされる。歌いだしもサビからだし、これだけサビが繰り返される曲も珍しい。この繰り返されるサビがとても良い。達観したような悟ったような、スケールの大きい仕上がりとなている。
「同じ様な日々はもうすぐ 過去だぜ」は特に好きな歌詞だ。前向きだ。あと「よく考えてみてよ 僕がアンサーだぜ」という歌詞もある。これはどうだろ。岡村ちゃんがアンサーなのか?「これからの僕は アンサーになるぜBABY」みたいな歌詞の方が似合っているんじゃないか、なんて思ったが。まあ、前向きなのは良きことである。とにかく岡村靖幸らしさが凝縮された曲だ。曲の最後には、岡村ちゃん流のアドリブ英語も披露されているし、お馴染みの「フォー」の雄叫びもある、ヘッドフォンで聴くと岡村ちゃんらしい凝ったアレンジが施されている。待ってた甲斐があったってもんだ。

「嵐の気分(着替えをもって全裸のままで)」
5秒程度のリズムのみのイントロがはじめに流れるのだが、これがもう、プリンスだ。たぶん、このイントロを聴いた過半数の人はプリンスを思い浮かべたのではないか。イメージとしては家庭教師の「祈りの季節」「ビスケット」あたりの大人な雰囲気漂うミディアムテンポな曲調と似ている。ただ歌詞は違う。割と真面目でシビアだ。決してスッペイン料理がどうのこうのなんて歌詞は無い。「もう許されぬのに 心震わせる様に」「でも探してるのに 反省してるのに 惨めなだけさ」など、「はっきり~」と比べると後ろ向きだ。でもサビの歌詞は「昔ながらの我らが岡村靖幸」な感じで愛すべき歌詞だ。こちらの曲にもラストは岡村ちゃん流のアドリブ英語が炸裂している。

「N☆baby」
2004年10月のミイミツアー最終公演での弾き語りを収録したもの。お馴染みのピアノでのMC兼弾き語りである。これといって特に語る内容は無いが、「お金が無いときは徒歩でもいいよね ちょっと侘しいけど 君といれば幸せなのさ」ってのはそこらへんの40のおっさんの口からは到底出ないだろう。なんて健気なんだ。だって、こんなの高校生の恋愛模様だもの。

「黒のオベーション」
ギターがジャカジャカ鳴っているだけの音源。ライブ音源だからそんなに綺麗に聴こえない。ギターに詳しくないから上手なのか下手なのかすらわからない。


アリエネーヨ

ネットニュースに、”中居熱愛突っ込まれ動揺「ありえねー」”というタイトルの記事があった。別に興味なんて無いがクリックしてみたら、どうやら昨日の笑っていいとものワンコーナーにて中居の身にプチ事件が起こったらしい。いいとものゲストで出演していた、空気の読めない(今風に言うと『KY』)デビィ夫人が中居に向かって「だって中居くんは倖田來未という恋人がいて…」と言ったらしい。客は悲鳴に近い叫び声を上げ、アルタのスタジオ中が大混乱。出演者たちは苦笑い。キョトンとするデビィ夫人。そんな状況で、急遽CMへのSEが流れる、というものだ。軽い放送事故である。

この模様の動画は当然YOUTUBEにいくつかアップロードされているのだが、クリックしても、「この動画は、著作権法上の権利が侵害されたとのFujiTelevisionNetwork, Inc.による申し立てにより削除されました。」と表示され閲覧できない。フジテレビとジャニーズ事務所による迅速な対応であろう。しかし、ニコニコ動画では削除されずにアップされている。実際に見たのだが、なかなかの珍事であった。

今回の事件に関連したブログをいくつか読んで気づいたことがある。それは、ネットニュースのタイトルにも使われている中居の「ありえねー」発言の解釈についてである。これはCMにいく直前、興奮の坩堝と化したスタジオで中居が叫んだ言葉だ。常識的に考えればこの「ありえねー」は暗黙の了解を了解できていない、デビィ夫人に向けられたものである。しかし、SMAPが大好きな中居ファンが書いたと思われるブログでは、かなりの確立で、デビィ夫人ではなく倖田來未に向けられた言葉として解釈されている。中居と倖田來未が熱愛という報道、引いては中居の倖田來未に対する想いが「ありえねー」だと。

要は、ファン心理である。「ワタシの大好きな中居くんが倖田來未なんかと、あ~ムカツク」というヒステリックな中居ファンが無意識的に、オートマティックに、自分が救われる結論へ向かってしまっているのだ。故にデビィ夫人に向かって叫んだ「ありえねー」だが、中居ファンにとっては、「(俺が、倖田來未と付き合っているなんて)ありえねー」と、解釈してしまったのだろう。まあ、その気持ちは非常に良くわかる。しかし、あまりにも盲目的になってはいけないものだなぁと思った。


岡村靖幸で「yellow」

明くる日の9月5日は待望の岡村靖幸のシングル「はっきりもっと勇敢になって」がリリースされる。なんだかんだで予約しないままズルズルと今日まで過ごしてしまった。まあ、発売日にタワレコに行けば(いくらマイナーな岡村ちゃんでも)さすがに2、3枚は陳列されているだろう。どんな曲なのだろうか。今から楽しみだ。最近は「フラゲ」なんて言葉があるようで、発売日の前日に買える場合もあるらしいが、どうなんだろうか。フラゲなんてナウい言葉は都心の書店やCD店で主に使用される言葉っぽいから僕には関係ないかもしれない。まあ、たったの一日早く手に入れられるだけだ。発売日を待とう。
さて、岡村靖幸熱が最近、高まってきているので岡村ちゃんのアルバムのレビューでも書こう。今日の記事ではファーストアルバムの「yellow」について書く。近いうちに、yellowからビジネスまでの計8枚のアルバムすべてについての感想も順次書く予定。


yellow(1987年3月21日発売)
記念すべき、稀代の天才・岡村靖幸のファーストアルバムだが、このアルバムでは岡村靖幸の熱狂的なファン(岡村靖幸中毒とでも形容しようか)はそれほど満足できない内容になっている。なぜなら、岡村靖幸らしさが発揮されていないからだ。多くの岡村靖幸ファンにとって彼の最高傑作は「家庭教師」だと思うのだが、家庭教師と比較するとyellowは殆どの点で劣るのではないか。しかし、それ故に、岡村靖幸の作品の中ではいわゆる「一般受け」が期待できる作品でもある。そういう意味では価値のある作品であるかもしれない。あの変態岡村ちゃんの作品が一般受けする内容となっている原因のひとつは編曲のクレジットを見ればわかる。編曲の欄には「岡村靖幸・西平彰」となっているのだ。これは単純に当時の岡村靖幸には編曲のスキルが無かったのだろう。なんたって「yellow」がリリースされたのは1987年である。岡村靖幸は22歳である。これは致し方ない。

ただ西平彰という人は80年代から現在までのJ-POPを語る上では欠かせない重要人物だそうだ。凄く才能のある人みたいだ。ウィキペディアで西平彰が手がけたアーティストの一覧が載っているのだが(コチラ)そうそうたるメンバーである。つまり、西平彰とは凄いお方なのである。岡村靖幸ファンとしては、「作詞・作曲・編曲はもちろん、ギターもベースもどんな楽器もすべて一人でこなしている」という自称・シンガーソングライターダンサーである万能な岡村ちゃんを期待してしまうが、まあしょうがない。くどいようだが、当時の彼は22歳だ。
収録曲で有名なのは「アウト・オブ・ブルー」だろう。一曲目に収められている。思うのだがシンガソングライター系のアーティストにとってファーストアルバムの1曲目というのはかなり重要度(あるいは思い入れの深い)の高い曲が多い。統計的にも間違いないと思われる。岡村靖幸にとっても「アウト・オブ・ブルー」は大切な曲なのだろう。ライブDVD「Date Love & Sex 88 」「Symposium」ではライブのラストの曲として歌われていることからも察知できる。

他の収録曲で現在でもフューチャーされている曲は2005年3月にリリースされた「ビジネス」でのリミックスで蘇った「チェックアウト・ラヴ」とライブDVD「Symposium」で披露された「ウォーター・ベッド」だろうか。この曲は原曲が良いから今聞いても全く古さを感じない。それに加えて今風のアレンジが施されているから相当かっこいい。特に「Symposium」の「ウォーター・ベッド」なんて古いどころか新しい。このバージョンのウォーター・ベッドを発売したら売れると思うのだが。しかし「yellow」でのウォーター・ベッドはテンポが遅すぎる。まるでバラードのようだ。正直かったるいが、このかったるさがエロくもある。また、この歌には、後の「聖書(バイブル)」でピークを向かえることとなるカタリが初披露されている曲でもある。
全体的に見ればロック調のアルバムであるが、「はじめて」「ホワイト・コラージュ」などのしっとりとしたバラードもあり、また、時代を感じさせるアレンジとなっている「レイン」。当時の日本の音楽シーンでは久保田利伸くらいしか居なかったと言われるブラックなリズムを鳴らしている「ヤング・オー!オー!」「彼女はサイエンス・ティーチャー」などのダンスチューンもありの非常にバランスの良いアルバムである。

個人的には、岡村靖幸のアルバムの中で最も聴かないアルバムである。しかし、岡村靖幸ファンのサイトなどを読むと意外と「yellowが一番好き!」という文章も見かける。はっきり言ってyellowが一番だなんて言ってしまう人は同じ岡村靖幸ファンでも僕とは話が合わないと思う。僕の望む岡村靖幸とは、やはり、家庭教師と靖幸に凝縮されている。変態で好きな異性に告白できないで、そんなフラストレーションを個性的な踊りでもって解消しているような…笑える岡村靖幸が好きだ。yellowからは岡村靖幸の変態チックな本性の片鱗は伺えるが、それよりも時代に迎合した没個性的な感じがする。ただyellowの一年後に発売されるセカンドアルバム、DATEでは岡村ちゃんワールドがジュバジュバ発揮されているので、yellowもそれなりに価値のある作品ではある。

さまぁ~ず・さまぁ~ず

関東地域で放送されているテレ朝の深夜番組「さまぁ~ず・さまぁ~ず」。この番組はお笑いコンビ・さまぁ~ずによるフリートーク番組だ。僕の住んでいる地域では放送されていないのだが今の時代は便利なものでネットがある。先日、偶然ニコニコ動画で「さまぁ~ず・さまぁ~ず」を発見したのだが、かなり面白い。この番組は30分番組で全編フリートークのみで構成されている。テレビ東京で放送している、笑福亭鶴瓶とオセロの白い方こと松嶋尚美の「きらきらアフロ」と殆ど同じ構成だ。

この番組をはじめるにあたって大竹は「あんまりほかのすごいトーク番組とは比較しないでほしい」という旨の発言をしている。「すごいトーク番組」で第一に思い浮かぶのは「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」だろう。大竹はガキを意識しているのか。思えば芸人がフリートークだけで勝負する番組は少ない。これはやはり、ダウンタウンの存在が大きいからだと思う。大抵の芸人はガキのフリートークには敵わないことを察知しているのではないか。故にフリートーク番組というジャンルは実質ガキの寡占状態となっている。

そこにまるで独占禁止法のごとく(ちがうか)登場したのが「さまぁ~ず・さまぁ~ず」である。はっきり言ってこの番組、ガキよりも(個人的には)笑える。自分だけかもしれないが最近のガキって勢いが落ちてませんか。スペシャルでの勢いは、あるのだけど(「笑ってはいけないシリーズ」は今年も大晦日にやるそうだ)レギュラー放送はあんまり面白くない。正直、ガキの前の「中井正広のブラックバラエティ」の方が勢いがあると思うのだが。そんな落ち目?のガキの前では余計に「さまぁ~ず・さまぁ~ず」が新鮮に写る。

どの著書だか忘れたが松本は自分の本の中でこんなことを言っていた。「ガキのトークでのボケは短期間であれば出来る芸人もいるだろうけど、長く続けることは困難だ。俺にしか出来ないだろう」うろ覚えだが確かこんな内容だったと思う。要は、ボケ続けることの難しさ、引いてはお笑い界の第一線で活躍し続けることの難しさを言っているのだと思う。「さまぁ~ず・さまぁ~ず」は今年の4月に始まった番組である。ということは、この番組、今は面白いが数年後もこの面白さを持続し続けることは困難であるのだろうか?いや、そうは思わない。もちろん番組自体が消滅する可能性はあるだろうけど、今のクオリティのフリートークを何年でも出し続けられると思う。そもそも、さまぁ~ずのフリートークはダウンタウンのそれとはタイプが違う。ダウンタウンは一応漫才形式というか台本のないネタのような感じだが、さまぁ~ずは単純に仲の良い友達の会話だ。別に大竹がボケで三村がツッコミというわけではない。フリートークの「フリー」の部分が凄くフリーなのだ。

まあ、こんな文章を読んでいるよりも実際に見た方が解りやすいと思う。ただyoutubeには「さまぁ~ず・さまぁ~ず」の第一回目しかアップされてない。第一回目はさまぁ~ずの二人が緊張しているし(特に三村)、まだ番組の方向性が定まっていないのかそれほど爆笑ものではない。少なくとも上述したような、ガキよりも面白いなんて大口を叩かせるような面白さはないかも…。まあでも一応コチラ。ニコニコ動画にはたくさんある、コチラ。ぜひニコニコ動画の方を見てほしい。ニコニコはアカウントが必要なんだけど、無料だし絶対登録して損はないよ。アニメとか見放題だし。画面に流れるコメントは不快だけど非表示にすれば問題ないし。近いうちに有料になる噂もあるし、登録するなら今だ!……業者か。

付記
昨日(9/1)放送された「裸の大将」は良かった。最後のお決まりの展開「えっ!あの人が、有名な山下清先生なの、捜せ~」この一連のクダリは非常に懐かしい。主題歌の、野に咲く花のように♪はマッキーが歌っていたのも嬉しい。肝心の主役ドランクドラゴンの塚地は100パーセント芦屋雁之助のやる山下清のしゃべり口調だったけど、変にオリジナルにするよりは良かったと思う。しかし、塚地は太りすぎだ。山下清本人は意外と痩せているから。
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サブカルの戯言
第332回:10月12日
ツイッターを先取りした「サブカルの戯言」も本日にて終了。332回の戯言のご愛読ありがとうございました!!
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