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社交辞令でハイタッチ

昨日(29日)のGyaOジョッキーの感想。前回の記事でも書いた、鳥居みゆきの初冠番組「社交辞令でハイタッチ」を無事見ることが出来た。10時からの放送だったのだが、9時55分頃にパソコンがまさかのフリーズ。再起動に時間を費やし冒頭の数分間は視聴できなかったのが心残りだ。でも、チャットには参加出来た。視聴率(というよりもアクセス数か)が凄かったみたいで、自ずとチャットの勢いも凄かった。書き込んでもすぐに洪水のように流れていく。案の定、僕の書いた文章が読まれることは無かったが、しょうがない。

「社交辞令でハイタッチ」はてっきり新レギュラー番組だと思っていたのだけど、基本的には単発番組みたいだ。どうやら不定期で放送する番組のようだ。がっかりだ。反響次第ではレギュラー化になる可能性があるような感じだったので次に期待したい。

肝心の内容についてだが、どうしても前回の「髭男爵ナイト」にゲスト出演した時の鳥居みゆきの活躍と比較してしまう。比較すると、今回の「社交辞令でハイタッチ」は個人的には「ま~、こんなもんか」って感じだった。いや、凄く面白かったのだけど、少なくとも「髭男爵ナイト」や「恋愛中毒」と比べるとイマイチだった。

ここ数日何回も幾度となく、鳥居みゆきの動画を見ているからフリートークの際の受け答えの引き出し(あるいは手の内)が読めてしまうことが多かった。「こういう質問にはこういう返しをする」とか「この角度から来たフリはこっちの方向に持っていく」みたいなのがなんとなくわかってしまうのだ。鳥居みゆきからしたら営業妨害のような見方をしてしまう。

鳥居みゆきの相手として登場した飛石連休の藤井宏和は良かったと思う。チャットではカンニング竹山の方が適任じゃないか、というような書き込みを目にして滅入っていたようだがそんなことはない。薄味で毒にならない藤井は引き立て役には適任だったと思う。なんたって鳥居みゆきの冠番組なのだからあれぐらいのキャラの人で正解だ。

鳥居みゆき以外の「GyaOジョッキー」は殆ど視聴したことが無いのだが、番組構成はチャットで視聴者と交流するスタイルのようだ。チャットで大喜利的な内容で展開していく番組。しかし、番組の冒頭で鳥居みゆきが匿名的で時には悪意的な書き込みもたまにあるチャットに対して「こういうの嫌い」と言いパソコンを横に向けたため、番組の殆どは半ばノープラン(そういうシナリオなのかもしれないが)で進行。そのため番組の中盤はやや中弛み気味だった。正直途中で飽きてきたし。

でも、最後のほうでは「まさこ」の新バージョンのネタ(松屋・すきや・吉野家)も見れたし満足だ。とりあえず、来週にはアーカイブで今回の生放送が視聴できるようになる(その前にニコニコ動画にアップされるかもしれない)ようだから、もう一度じっくりと視聴して見ようと思う。

「社交辞令でハイタッチ」の生放送が終わった後の11時からは「超サンミュージック~髭男爵ナイト~」が放送されていた。髭男爵ナイトとは前回鳥居がゲスト出演した番組だ。冒頭の10分間は鳥居みゆきのことをネタにトークしていたので引き続きさして期待せず視聴していたのだが、これが半端なく面白かった。

「社交辞令でハイタッチ」よりも数段面白かった。その理由は樋口くんにある。いつもは緊張しいで寡黙な髭男爵の片割れである「樋口くん」という芸人がフィーバーしていた。放送中にワインを飲み、酔った勢いでやり放題暴れていた。これは伝説ものの壊れっぷりだった。いいものが見れた。髭男爵、M-1準決勝が決まったみたいだし頑張ってほしいもんだ。
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アングラカルトキワモノ芸人

●鳥居みゆきがいよいよ本格的にブレークの兆しを見せている。2週間ほど前、本ブログで鳥居みゆきについて記事を書いた際は、その危険な芸風から地上波は無理だと思っていたのだけど、先週、3本の地上波番組に登場したようだ。「エンタの天使」「スッキリ」「粗びき団」(粗びき団にはインフォメーションされていたのにも関わらずなぜか登場しなかったみたいだけど)の3本。昨日はHMVでカンニング竹山と一緒に握手会。今日(19日)の深夜はフジテレビの「爆笑ピンクカーペット」に出演。カンニング竹山曰く、「年末にかけて鳥居に仕事がたくさん来ている」とのこと。小島よしおの次は鳥居みゆきが、かなりの確立でブレークしそうだ。

鳥居みゆきの映像の殆どは今のところGyaOで見られる。もうひとつはニコニコ動画。ニコ動ではネットでブレークする前のライブ映像と鳥居みゆきの黒歴史と思われる水着姿のイメージビデオっぽい映像がアップされている。それと、鳥居みゆきがゲスト出演したGyaOジョッキーの映像が一度は削除されたが再アップされている。

前にも書いたけど、GyaOジョッキーでの鳥居みゆきが素晴らしすぎる。この動画はここ数日毎日見ている。毎日見ては「鳥居みゆきスゲー」と感心している。1時間の生放送番組で終始ハイレベルで突拍子もないボケを連発し、あるときは「こんなことして大丈夫なのか」とこちらが心配してしまう程の「危ない人」の雰囲気を醸し出している。そして、なにより特筆すべきは可愛いということだ。女芸人なのに可愛い。ニュータイプだ。そんな鳥居みゆき。今週の木曜日からGyaOで冠番組がスタートするみたいだ。これは嬉しい。番組名は「鳥居みゆきの社交辞令でハイタッチ」。しかも生放送の一時間番組。どうなることやら。非常に楽しみだ。

●話はちょっと変わって…、怒涛の勢いで1日1スレを消費している鳥居みゆきのスレッドの話。このスレッドでは、鳥居みゆきの芸風と似ている芸人として、江頭と鳥肌実が話題になることが多い。危ない芸風の芸人代表としてこの二人が挙げられているわけだ。で、疑問なのは鳥肌実だ。江頭は知っているが、鳥肌実って誰だ?と思いニコニコ動画で彼の動画を見た。衝撃だ。鳥居みゆきなんかとは比較できないほど危ない。でも正直…かなり面白い。彼はテレビではタブーとされている政治的な事柄(主に某学会)に対して平然とネタにしては茶化している。故にテレビには出演できない。マスコミからも完璧にシカトされているみたいだ。

メディアには殆ど露出していない(できない)のにも関わらず、彼のある意味命がけのネタを支持する人々は多く「知る人ぞ知る」的な人として一部では有名なのだ。実際に代々木体育館で一人しゃべり(演説)のライブをし、1万人以上動員した実績もあるとのこと。凄いな。いろいろと問題はある人だが、僕は好きだ。普段は全くのノンポリ(政治運動に関心が無いこと、あるいは関心が無い人のこと)だというのも味がある。元は吉本芸人で顔もイケメンだから普通に売れることもあるいは可能だったかもしれないのに、なんでソッチの方向に行ったんだろう。ま、でも純粋に笑いだけのために極右を装いタブーを犯しているのだから、それはそれで見上げた芸人魂じゃないか。でも鳥肌実が好きだなんて、日常生活ではなかなか言えないな。ブログでギリ…いやアウトかな~(汗)一応リンクはっとこ。

●北海道では先週、吹雪の日が2度ほどありもうすっかり冬だ。まだ根雪にはなっていないが外出する時は手袋をしないと手の感覚が無くなるほど寒くなってしまった。そんな寒い毎日だが、先日ニコ動で心身ともに暖かくなれる動画を発見した。hideがライブで「POSE」を歌っている動画だ。これは痺れる。熱くなれる。見ているだけで体中にじっとり汗が滲む。暖房代わりにhideの「POSE」。おすすめです。

付記
ベストヒット歌謡祭07にウィンズが出ていた。久々にウィンズを見たのだけど、真ん中のメインボーカルの男、デカッ。成長しすぎだろ。驚いた。

Peach‐どんなことしてほしいのぼくに(1989年)

donnnakotositehisii1989年に公開された、岡村靖幸初主演映画「Peach‐どんなことしてほしいのぼくに」。1989年といえば、時期的には傑作アルバム『靖幸』と『家庭教師』の間だ。シングル「だいすき」がスマッシュヒットし、テレビ番組にも頻繁に出演、NHKではレギュラーのラジオパーソナリティを務めていた時期だ(当時ラジオでは、自分のことを『シンガーソングライター・アンドダンサー・アンドアクター』と言っていた)。岡村ちゃんの20年以上に渡る長い音楽活動の中で最も勢いのあった頃だ。そんな飛ぶ鳥を落とす勢いの89年に公開されたのが、eZ the MOVIE第二段「Peach‐どんなことしてほしいのぼくに」だ。ちなみにeZ the MOVIEの”eZ”とは、88年から92年までの間、テレビ東京系列で放送されたEPICソニー制作の音楽番組のタイトルだ。この番組には、岡村靖幸をはじめとしたEPICソニー所属のミュージシャン(渡辺美里、TM NETWORK、松岡英明、小比類巻かほる等々)が頻繁に出演していた。他とは一線を画したワンランク上の音楽番組だったらしい。

岡村靖幸が映画…というのは違和感がある。しかし「80年代後半、EPICソニー制作のeZが映画を制作」という背景を考えれば、岡村靖幸の映画主演もそれほど突飛なものではないように思う。むしろ、相応しい。80年代後半には、チェッカーズや吉川晃司なども映画に挑戦していた。歌手が主演の映画は当時プチブームだったようだ。

肝心の映画だが、正直面白くない。…いや、岡村靖幸の演技は面白い。…でも、この映画の主演が岡村靖幸じゃ無かったら見る価値は無い。…だけど、僕は岡村靖幸ファンなので凄く楽しめる。心持複雑な心境なのだが、つまりは、映画自体ははっきり言って「星ひとつ」の残念な映画だ。なんだか批判的に書いているが、岡村靖幸ファンでも異論は無いと思う。一応、「リアリティ溢れる台詞と映像で都会の若者の孤独を描いた作品」だそうで、劇中で何度か岡村ちゃんが朗読のような口調で語る「みんな人は淋しいんだって言うけど、絶対に違う」というのが「Peach~」の一貫したテーゼのようだ。

ストーリーを簡単に書くと…、

主人公の岡村靖幸(役名も岡村靖幸)は親の仕送りを受けながら、大学も行かず働きもせず、だらしない暮らしをしている。街に繰り出しては変な踊りをしながらナンパをしたりと、毎日を明るく陽気に生きている。しかし心の中はいつもからっぽだった。そんなある日、恋心を寄せている遊び仲間のエリコに金持ちの婚約者が現れ、エリコは突然姿を消す。時を同じくして、父親からは叱責され仕送りを止められる。・・・さて、どうする岡村ちゃん!


みたいな感じだ。一応最後は力技でハッピーエンドなのだが、よくわかんない映画だ。正直な話。岡村靖幸ファン以外にはおすすめ出来ない映画だ。裏返せば、岡村ファンにとってはこれほど面白く、且つ贅沢な作品は無い。だってあの岡村ちゃんが演技をしてるんですよ。しかも超ナチュラル演技。殆ど素だ。それだけで爆笑ものだし、見る価値はある。

終盤には「泣きの演技」もあるのだが全然涙が出てない。感動の場面なのに笑ってしまう。台詞はアドリブと思しき箇所が何箇所かあり、共演者が思わず笑ってしまっているカットがある(レストランでの食事シーンとか)。ドライブのシーンではギター片手に即興で歌を歌っているし、サラリーマンのおっさんの群れと格闘し揉みあうシーンもある。会社に潜入する場面ではネクタイを締めてスーツを着たレアな岡村靖幸が見れる。スーツ姿の岡村靖幸なんて、もはやコスプレだ。もちろん、劇中で流れる音楽はすべて岡村靖幸の曲だ。うちあわせ、スーパーガール、はじめて、友人のふり、Young Oh!Oh!、ライオンハート、ラブタンバリン等が使用されている。

yumenokyouennこのように靖幸一色の映画だ。全体的にこの映画を眺めるとあまりにもパワーバランスが靖幸に偏っている。でもこれでいいのだと思う。この手の映画は「あの岡村靖幸がこんなシチュエーションであんなことをしている」という意外性を楽しむ作品なのだから。この楽しみ方はミュージシャンが映画の主演をした際の、正しい楽しみ方だと思う。いくら下手であろうが「演技」をしている時点で満足なのだ。
個人的に「Peach‐どんなことしてほしいのぼくに」の一番の見所は戸川純とのカラミだ。この映画には戸川純が喫茶店のマスター役で出演している。マスターと常連の客という設定で、戸川純と岡村靖幸の競演が実現している。この二人の競演が、いかに貴重で素晴らしいかは、なかなか伝わらないだろうが、ある種の人々からするとヨダレものだ。まさに孤高のカリスマ同士の夢の競演だ。


案の定(というかなんというか)「Peach~」はそれほど流行らなかったみたいだ。2007年現在、「Peach~」は一般的にはマイナーな部類の映画だろう。しかし、冒頭で記したようにレコード会社が制作した映画なので今でも大型CDショップのDVDコーナーでは「Peach‐どんなことしてほしいのぼくに」のDVDが置いてある。容易く手に入れることが出来るので興味のある人は見てみよう。


最近読んだ本の感想

書くことが特にない。でも、さすがに5日間もブログを放置するのもアレなので最近読んだ本の感想をちゃちゃっと書いてごまかそう。

そのケータイはXXで/上甲宣之
今ではすっかりメジャーな賞のひとつとなった「このミステリーがすごい!」の第一回目の受賞作だ。ストーリは…、山奥の村に旅行に行った女子大生二人(しよりと愛子)は、突然その村の人々全員から命を狙われる。逃げる女子大生の唯一の武器は、「謎の人物」からかかってきたケータイのみ。山奥に住む土着的な村人全員が、女子大生の命を狙う描写には迫力がある。夜の茂みに身を潜め、村人をやり過したり、時には戦ったり、ハラハラな展開が良い。「リアル鬼ごっこ」と雰囲気は似ている。
終盤に向かうにつれて、どんでん返しの繰り返しなのだが、最後の方の「謎の人物(物部)」としよりの対面シーンがちょっとひどい。以下ネタバレ。村人から命を狙われる女子大生のしよりを救うためにケータイで指示を出す「謎の人物」は物語のはじめから最後までケータイからの声だけで登場する。明確な指示で助けてくれる「謎の人物」にいつのまにしよりは好意を寄せる。その好意はいつしか恋心になる。で、最後の最後に「謎の人物」がしよりの前に姿を現す。しかし謎の人物の容姿は、肥満で汚らしい服を着た不潔な男だったのだ。あまりにもイメージとのギャップに混乱したしよりは、「謎の人物」を(命の恩人なのに)川に突き落としてしまう、というもの。「そのケータイはXXで」は要所々々に普通ではありえない異常な展開がいくつかあるのだけど、「謎の人物を川に突き落とす」シーンは傑作だ。

テニスボーイの憂鬱/村上龍
村上龍の名作といえば、群像新人賞を受賞したデビュー作「限りなく透明に近いブルー」か「コインロッカーベイビーズ」を挙げる人が多いと思うが、僕は「テニスボーイの憂鬱」を押したい。最近、テニスボーイの憂鬱を改めて読み返したのだが、村上龍作品の中ではダントツで名作だと思う。とはいっても、最近の村上龍の著作は全く読んでいないのだけど。
村上龍の小説には、下品で卑猥で反道徳的な描写や言葉がたくさん出てくる。特に初期の作品に多い。「限りなく透明に近いブルー」はドラッグとセックスに溺れた退廃的な若者の話だし。
「テニスボーイの憂鬱」では、いわゆる「下品で卑猥で反道徳的」な事柄はあるにはあるのだが、それらはすべて主人公の脳内で完結されている。文字だけ追えば相変わらず、放送コードにひっかかる言葉だらけなのだが、それらは主人公が脳内で思っていることなのだ。故に物語は割と普通だ。テニスが好きな大人の日常だ。脳内では常に、あらぬ事柄を考えているのに、実際は常識人としての体裁を保ち日常を送っているというのがリアルだし、また文学っぽくて好きだ。

ネバーランド/恩田睦
恩田睦といえば「夜のピクニック」だ。今年読んだ小説の中で「夜のピクニック」は一番面白かった小説だ。ということで、恩田睦作品をいくつか読んだのだけど「夜のピクニック」を超える作品はないみたい。もちろん人それぞれ好みは違うだろうけど。ただ、「ネバーランド」良い。恩田睦の得意とする「爽やかな青春もの」だ。面白いのだけど、登場人物が全員男っていうのがちょっとな…。801を連想させる描写も所々あるし。村山由佳もそうだけど女性作家はさらっと801風味を漂わす場合が多いんだよなあ…。

付記1
ふと思ったのだが、スマップの「どんないいこと」は名曲だと思う。

付記2
今日の記事は、約30分で書いたぜ。

名古屋ベイベー

岡村靖幸は本当にいろいろと大変な人だなぁ…。

岡村ちゃん、13日の大阪でのライブ中、右足ふくらはぎに全治二ヶ月の怪我をしだそうだ。そのため、昨日(14日)の名古屋でのライブが延期になってしまったそうだ。よりによって最終日の名古屋で怪我なんて、ツイてない。悔しいだろうなぁ、岡村ちゃん。ま、中止ではなく延期ということなので、来年の2月頃までには振り替え公演があるだろうから、とりあえずは良かった(のかな?)。追加公演があるともっといいのだけど。

昨日のZepp Nagoyaでのライブといえば、我らが、shallowさんが参加するはずだったライブだ。shallowさんのブログ「拝啓 夏目漱石先生」には、今回のある意味レアなライブの模様がすごく詳しく書かれている。Zepp Nagoyaでのライブから僅か数時間たらずで、あれだけ中身の濃い、且つボリューム満点の「延期レポ」を書けるなんてさすがだ。岡村ファンは必読です。

それにしても、怪我による延期の説明を弾き語りでするとか、いくつ伝説をつくるつもりなんだ。テレビやラジオでは普通に話しているところを見せているのに、ライブではMCを全くしない岡村ちゃん。延期のコメントでも素のしゃべりは見せなかったのか。

岡村靖幸がステージに立っているときは客もさすがに励ましの暖かい雰囲気だったようだが、イベンターが延期の旨を説明しているときは怒鳴り・野次も飛んだそうで、ま、これは仕方ないだろうな。

中には「札幌から来てるんだぞ!!」と怒鳴った人がいたみたい。別にどうでもいいことだけどさ…なぜその札幌人はよりにもよって名古屋に行ったのだろう。同郷のものとしての純粋で無意味な疑問だ。だって一番近いのは仙台でしょ。交通費も一番やすいし。あと、岡村ちゃんのライブ以外にも観光を楽しみたいなら東京という線もある。いづれにしろ仙台か東京に絞られると思うのだが。なのに、なぜ名古屋。しかも名古屋って、中心街の街並みが札幌と似ているから観光としての目新しさはあまりないと思うのだが。

願わくば「札幌から来てるんだぞ!!」の怒鳴りが岡村ちゃんの耳に残り、「よし、じゃあ、札幌でも追加公演するか」てな具合になればいいな。

依存と心配

我が家では、6年前にインターネットが開通した。ただ、その頃は父の所有しているパソコンが1台、リビングにあるだけだった。しかもそのPCは父が仕事で頻繁に使うものだったから、当時僕がネットに触れる機会は殆どなかった。せいぜい2週間に一度(それも30分程度)くらいしかネットをしていなかった。それでも全く不満はなかった。しかし、その一年後、バイトで貯めたお金で自分専用のパソコンを買い、自分の部屋でインターネットが出来る環境になってから、ネットは日々の習慣となった。特にブログをはじめてからというもの、テレビを付ける感覚でPCを起動している。家にいる時間の大半はPCを起動している。別に調べることがなくても付けている。テレビと同じだ。見ないけど、BGM代わりに流しているのと同じ感覚だ。完璧にネットに依存している。

これだけ恒常的にPCを酷使しているのだから、当たり前だが、最近PCの調子が良くない。ドライブは完全に壊れていて何も読み込まないし。データーをPC内に溜めているわけでもないのに「ディスク領域不足」のアイコンがしょっちゅう表示されるし…。いつ壊れてもおかしくない状態だ。実際に、ネットに接続できない時もたまにある。しかもその頻度は日々上昇している。

PCが壊れてネットがある日突然出来なくなるシチュエーションを想像するとぞっとする。だってある意味ネット中毒者だもの。ネットが出来なくなったらどうなる?まず、好きなミュージシャンや作家の情報手段が絶たれる。岡村靖幸の復活だってネットがなければ、知る機会はずっと遅れてただろうし。お気に入りに登録し、ほぼ毎日読んでいるサイトやブログが読めなくなる。動画サイトが見れなくなる。想像するだけで身震いしてしまう。もちろん壊れたら、すぐに修理するなり新しいPCを買うなりするだろう。でもそうなると最低でも1週間はネットと断絶した生活を送ることが強いられる。たかが1週間されど1週間。修理の場合、下手したら1ヶ月以上かかるかもしれない。絶えられるのか、自分。すごく心配だ。

これと似た心配は8年前にもあった。2000年のちょうど今頃の話だ。当時、高校生だった僕は、相当なテレビっ子だった。テレビ(特にお笑い番組)が大好きだった。もう、完全にテレビに依存していた。2000年の10月頃、部屋のテレビが急に壊れた。突然砂嵐になったのだ。テレビっ子の僕はショックを受けた。その時は、5分ほど放置していたら勝手に直った。だが、それからというもの、テレビの映りが悪くなる頻度は上がっていった。幸いにも映りが悪くなっても、ある程度の時間放置したり、コンセントの接触をいじったりすれば直った。

ただ、僕は心配だった。このテレビは日を追うごとに着実に寿命へと近づいている。このペースで行けばちょうど2ヵ月後の年末年始に壊れるのでは、と。年末年始といえば特番だ。テレビっ子にとって、これ以上の楽しみはない。しかもミレニアムだ。20世紀から21世紀をまたぐ瞬間に壊れたりしたら…。想像しただけでぞっとした。結局、そのテレビは2001年の夏頃に壊れた。ミレニアムの年末年始の特番は無事見られたのだけどあの時は心配だった。

上記のような類の心配は、人に対してもある。つまり、自分が依存している人が突然居なくなることを想像して心配になることがある。例えば、子供の頃は(これは誰もが一度はあると思うが)「親の死」だ。自分よりも30年も年上の親。いづれは必ず、半ば宿命的に親の方が先に亡くなる。子供の頃はその模様をリアルに想像して枕をぬらしたこともあった。しかもそれは誕生日だとかクリスマスだとか、家族が幸せな時ほど想像して心配になってしまう。厄介なものだ。小学生の頃は友達に対してもそうだった。さすがに「死について」は考えないけど(同世代だし子供だし)。特に仲の良い友達に対しては「もしアイツが突然転校したら嫌だな」とか思い勝手に心配になった。

依存している人に対して上述のような想いを伝えると「いい奴じゃん」みたいな、好意的に思われる場合が多いのだが、これは違う。だって結局は自分のことしか考えていないのだから。自己中だ。しかも心の奥底では伝えることで、自分にとってはただの自己中な『心配』が、相手にとっては『友情』やら『愛』やら、好都合に変換されることを、承知しているのだからたちが悪い。

付記
春風亭小朝の離婚会見をチラッと見た。なんか小朝に同情してしまう。

ワンピースが気になる

ハンターハンターの連載が再開されてから、毎週月曜日は週刊少年ジャンプを立ち読みしている。毎週、休載の心配を全くしないでハンターハンターを読めるなんて幸せだ(今週は1秒どころかマイナス1秒?だったなぁ…)。しかし、立ち読みだから、時間をかけてじっくり読むことはしない。やっぱり、立ち読みは褒められた行為ではないし、何より、ジャンプを買おうとしている客の迷惑だから。

僕は、小学生の頃から高校時代までの約10年間、毎週ジャンプを買っていた。買っていた頃は、立ち読み客の存在が邪魔だと常々感じていた。だから、自分が立ち読みする際は、気を使うようにしている。なるべく短時間で読み、表紙にシワをつけず、ページは折り曲げず、手は綺麗な、サラサラな状態で扱う。そして最も重要なのは、買う気配のある客が近づいてきたら、ちゃんと横なり後ろなりによける。当然のことだ。立ち読みの客が壁となり、買いたいのに本が取れない、なんてことがあってはいけない。最低限のマナーだ。

今日の記事は、別に立ち読みのマナーについてではない。ワンピースについてだ。ジャンプの看板漫画であり今年で連載10周年を迎えた人気漫画「ワンピース」について。最近ワンピースがとても気になる。

ハンターハンターを3分程度で立ち読みした後、適当にワンピースのページをパラパラとめくると、大抵、ルフィを中心とした登場人物たちは、テンションが高く、どの回でもあまねくドタバタ劇が展開されている。で、最後のコマは、次週が待ちどうしくなるような憎い終わり方になっている。相も変わらず、元気に少年漫画をやっている。少なくとも傍から見る限りでは。

ワンピースの何が気になるのかと言うと、既にコミックで45巻、連載開始10年の大巨編漫画であるワンピース。これだけ長くて大規模な物語なのだから、さすがに欠陥というか歪みというか破綻がそろそろ生じてきていると思う(まるで築40年の木造アパートのように)。戦闘能力のインフレやマンネリ、必要なくなったキャラクターの始末、等などに対してどのような対処をしているのかが気になる。

ワンピースはもうかれこれ6~7年は読んでいない。チョッパーが仲間になる所くらいで止まっている。コミックで言えば15巻程度までだろうか。個人的な感想だが15巻の時点で既に、内容的には結構なボリュームがある。あの時点でおなか一杯だ。なのに現在45巻。どうなってるんだ。ワンピースという漫画は基本はドラゴンボールと同じ系統の漫画だから、長く続けば続くほど、あらゆる面で、破滅へと向かっていくように思うのだが。

あと、ドラゴンボールならフリーザ編、魔人ブウ編。ハンターハンターなら旅団編、キメラアント編、のように長く続けると「編」が増えていくものだ。ワンピースには(チラッと見ただけなので詳しくは知らないが)コミック30巻あたりで「空島編」というのがあるらしい。ワンピースはルフィが海賊王を目指す話。海が舞台の話だ。なのに空島編。空島が文字通り「空に浮かぶ島」という意味だとしたら、尾田栄一郎はもしや迷走してるのでは?だって空だよ。空島はドラゴンボールで言うナメック星と同じような発想から生まれた気がする。

ワンピースは近い将来、コミックのセールスがドラゴンボールを超えるだろうから(日本のみでのセールスに限るが)「幕の引き際」については十分考えるべきだ。完結してから、改めて全体を通して見たときに「やっぱりこの漫画は傑作だな」と思える作品であってほしい。デスノートみたいに。

鳥居みゆきについて

今ネットで話題のカルト系ピン芸人、鳥居みゆき。小島よしおと同じ事務所・サンミュージックの芸人だ。彼女が一躍有名になったきっかけは、インターネットテレビ・GyaOで放送している「カンニングの恋愛中毒」という番組だ。先月、この番組のワンコーナーに鳥居みゆきが出演し衝撃的なネタを披露。さらに、ネタ後、同じくサンミュージック所属の先輩である、カンニング竹山とのあまりにも秀逸な爆笑もののカラミ。これが話題になり、鳥居みゆきが出演した回の「カンニングの恋愛中毒」がYOUTUBEやニコニコ動画にアップされた。そして、脅威の再生数を叩き出し一躍注目されたのだ。

その模様の動画はコチラ。

ネタ自体は、猫ひろし風の意味不明な芸風だ。このネタを、そこら辺の女芸人がやっても、それほど注目はされないだろう。鳥居みゆきだから面白い。あの演技力と美貌があってこそ注目されている。女芸人の中ではダントツで一番の美人だろう。ウィキペディアによると実際、過去にアコムのCMオーディションで最終選考まで行ったこともあるらしい。ちなみにこの時選ばれたのは小野真弓とのこと。 これほどの美人でありながら、あの壊れっぷり。見事だ。

鳥居みゆきは、言うまでもなくキャラを演じている。一部では、普段からリンク先のような危ない状態なのでは?という疑いがあるようだが、それは無いだろう。普段は普通だろう。ただ、本当に普通の人は、ネタであろうが、あんなキャラは演じない。普段は常識人なのだろうけど、本人も気づかない所で、何かが欠けている人なんだと個人的には思う(まあ、芸人は皆一様に何かが欠けている人の集団だと思うけど)。いわゆる、戸川純や中川翔子、または初期の頃の椎名林檎のような雰囲気が素の鳥居みゆきには、漂っているように思う。

ネット内ではブレイクしてるが地上波のテレビで、鳥居みゆきの姿を見る機会は難しいと思う。ネタが倫理・道徳に反したものが多いし。ネタだけなら、所々変更すればいいけど、普段のフリートークの部分でもネタ(「まさこ」というらしい)の、キ○ガイっぽいキャラを引きずっている。基本的にキ○ガイキャラはテレビNGだろうから、キャラ変更しない限りテレビは無理だろう。ということで、今のところ、鳥居みゆきの活躍が見れるのはGyaOだけだ。

11月1日(木)に「GyaOジョッキー」というGyaO内で放送されている1時間の生放送番組に鳥居みゆきが出演した。鳥居みゆきが「カンニングの恋愛中毒」でのブレイク後、初の露出なわけだがこれが凄い。鳥居みゆきのバイタリティに感心した。1時間ずっとあのキャラでやりたい放題に疾走していた。「戸塚ヨットスクールの生き残り」や「ビッグイシュー」など、地味に問題が生じそうな所謂相応しくない言葉をさらっと言うあたりも絶妙だ。司会の髭男爵の鳥居みゆきの扱い方は、カンニング竹山と比べると多少劣るものの、十分面白かった。

この番組の見所は、鳥居みゆきが2~3秒だけ素に戻るところだ。番組の途中で鳥居みゆきが、一発芸を披露するのだけど、これがすべる。すべったことが恥ずかしかったのか、その後照れた顔をしながら「やらなきゃよかったぁ~」と素で言うのだ。すぐに元のキャラに戻るのだが、素に戻ったときの「やらなきゃよかったぁ~」の言い方や表情が非常に可愛い。美人は得だな。

危ないキャラを心持緩和して、素に戻る時間を長くすれば、地上波でのブレイクも期待できるかもしれない……無理か。

KANで「ぼけつバリほり」

1992年に発行されたKANの本「ぼけつバリほり」。KANファンにはたまらないボリューム満点の内容となっている。丘珠空港のカツサンドや冷麺などについて鋭い着眼点で書かれたエッセイ、これまでにリリースした7枚のアルバムのセルフライナーノーツ、またグラビアもたくさん掲載されている。

KANは1988年から北海道のラジオ放送局・STVでラジオのパーソナリティを務めている。途中フランス留学のため休んでいた時期もあったが、2000年代に入ってから復活した。今でも土曜日の12時から30分間『KANのロックボンソワ』という番組をやっている。以前に一度書いたが、KANはラジオで自身の代名詞とも言える名曲「愛は勝つ」について全く触れない。頑ななまでに触れない。なんで触れないのか疑問に思っていたのだが、「ぼけつバリほり」という本には「愛は勝つ」に対する愛憎渦巻く心持が割と赤裸々に語られている。当時は、自分が生みだした「愛は勝つ」に押し潰されないようにどうしようかと苦しんでいたようだ。

この頃のKANはテレビに出まくっていた。歌番組では、紅白歌合戦、レコード大賞、バラエティでは、いいとも、さんまのまんま、etc。今のKANでは考えられない。結局、90年代後半から現在までの、KANの露出が極めて少ない活動スタイルが、「愛は勝つ」だけの人にならないためにとった最善の道なのかもしれない。実際に「愛は勝つ」と同時期に流行った、大事MANブラザーズバンドの「それが大事」、たまの「さよなら人類」と比べれば一目瞭然だ。世間的にはKANも、大事MANブラザーズバンドやたまと大差ないのかもしれない。しかし、aiko、槇原、平井堅、ミスチル桜井などシンガーソングライター系のアーティストの間では熱心にリスペクトされているというのは周知の事実だ。

そういえば、この本には「AtoZ」という章がある。AからZまで、それぞれの頭文字ではじまる単語を適当に選び、それについてKANが語るというものだ。例えばDならデモテープについて、Pならピザといった具合に。注目すべきはRだ。Rはライバルなのだが、なんとKANはライバルとして岡村靖幸を挙げている。せっかくなので引用しとこう。

ライバルはやっぱり……同世代の人たちは当然意識するけどさ。今一人挙げるとしたら、岡村靖幸クンだね。例えばユニコーンとかも、すごいカッコイーナーと思うしさ、なんかアルバムとかもすごいおもしろいの作ってるとチッキショーとか思っちゃうけどさ。でも、やっぱり、友達になりたいし、ユニコーンに入りたいなって気持ちが起こるのね(笑)。(中略)だけど岡村クンだけはね、コイツと僕は一生接点がなくていいと思ってるのね。でもすごくかっこいいし、どう考えても、僕には持ち得ない感覚持ってるしさ。だから負けたくないっていうのは凄くあるね。と同時に、一生話しなくてもいいと思ってる。そのぐらい、反発するものを感じるしさ、変に友達になりたくないしさ。ウン。岡村クンは特別だね。ちょっと違う存在だね。



付記
尾崎豊はROCKIN'ON JAPANの表紙をなんと4回も飾っている。今ではすっかり芸人の恰好のネタになっているけど、生きていたらロキノン系だったのかもしれない。

文句があるならベルサイユへいらっしゃい

最近、ニコニコ動画で「ベルサイユのばら」を見ている。19話まで見終わった。全40話なので約半分見たことになる。それにしても、ベルばらはさすが名作だ。面白い。夢中で見入ってしまう。ベルサイユのばらは、フランス革命前から革命前期を舞台にした漫画だ。主人公のオスカルは女だが男として育てられ、ルイ16世王妃であるマリー・アントワネットの護衛をしている。19話まででは、まだフランス革命の起こる前なので物語はもっぱら、ベルサイユ宮殿内での話だ。
いわゆる女同士の傲慢で醜く、客観的に見れば次元の低い争いが延々と描かれている。殆どの人間は自己中心的だ。初めは良心的な人物として描かれている人もひとたび権力を手中に収めるチャンスが巡ると私利私欲のために、あっさりと悪者になってしまう(ポリニャック伯婦人のことだけど)。

昼ドラのようなドロドロとした感じが良い。そんなドロドロとしたベルサイユ宮殿での諸問題に対して、揺ぎ無い正義感で立ち向かうオスカルが格好よく描かれている。オスカルがひどく格好よい。女でありながらベルサイユ宮殿の女たちの多くはオスカルへ好意を抱いている。中には同性でありながら恋している女もいるほどだ。男として育てられ、オスカル自身も男として生きる道を選んでいるため、女っぽい仕草になることは無い。ツンデレのツンの部分しか無いのだ。頑ななほどにツンだ。ツンはデレがあってこそのツンなわけだが、オスカルにはデレの影が全く見当たらない。つまりは、完璧に男気質なのだ。しかし、先ほど見たウィキペディアによると、オスカルは「正体を隠して生涯に1度だけドレスを着用、女性としてフェルゼンの前に現れる」との記述がある。これはひどいネタバレを読んでしまった。僕の知っている、19話までのオスカルは「色恋など、私には関係ないものだ、くだらない、フン」的なスタンスなのに。ドレスを着用するとは。しかもフェルゼンの前でかよ!この場面はオスカルの人生のなかで唯一のデレなんだろうなぁ。このシーンを見るときはニヤニヤ動画になりそうだ。

「ベルサイユのばら」が本格的に面白くなるのは、フランス革命が起きてからだろう。「96パーセントの極端に貧しい市民と4パーセントの裕福な貴族」という歪んだ実態がたまにオスカルの眼前に現れるものの、まだまだ、ベルサイユが悪だと思っていないようだ。マリー・アントワネットの税金の無駄遣いに対してもあまい態度だし。後のフランス革命への伏線が登場する頻度は15話あたりから高くなってきている。20話以降では本格的に悪政への不満が高まるのだろう。楽しみだ。

話は、少し変わるが…「ベルサイユのばら」は凄く面白い。でも、それはアニメに限る。原作漫画のベルサイユのばらは以前に読んだことがあるがすぐに挫折した。ベルばらのストーリーはアニメも原作漫画も基本的には同じなのに漫画の方は受け付けないのだ。これは、ベルばらの作者・池田理代子に問題があるわけでは無い。自分には少女漫画自体が受け付けないのだ。少女漫画独特の、全体的に薄くて線が細い画風。それなのに1ページの密度はやたら高い「繊細な小林よしのり」みたいな画風が苦手だ。4~5ページ読んだだけでもう無理だ。頭が痛くなってくる。

故に少女漫画で名作とされている作品は挑戦するものの殆ど読み進めないうちに挫折してしまう。少女漫画の名作と言っても、別に「のだめカンタービレ」やら「花より男子」辺りの作品が読みたいわけではない。「花より男子」とか心の底からどうでもいい。自分の趣味とは正反対だろうし。イケメンパラダイス的なノリの話は想像しただけで反吐が出る。ただ、岡田あーみんや美内すずえ、XJAPANのPATAの名前の由来となった魔夜峰央の「パタリロ!」なんかは読んでおきたい。特に、岡田あーみんの名前は、いろんな所で目にするが、皆一様に絶賛している。そこら辺の少女漫画とは一線を画していて、ややアングラチックな雰囲気が漂う岡田あーみんは非常に気になる。でも、あーみんの漫画も表層的な部分では、いかにも少女漫画風だから読めない。どうにかして克服したいのだけど、こればっかりは無理みたいだ。

付記
最近のミスチルは何か悟ったような曲(「彩り」「しるし」とか)が多い。今週リリースされた「旅立ちの唄」も悟った人間の歌って感じがする。歌番組での桜井の感情の込め方やその表情なんかを見ているとなぜか心配になる。ハンターハンター風に言うなら、シュートがキルアに感じた「時折消え入りそうに儚い」ってイメージがある。
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