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サブカルの戯言 2008年5月

第64回:5月1日
世界のナベアツの「3のつく数字と3の倍数の時だけアホになる」というネタを、部屋に一人で居る時にやってみるとちょっとだけ自分が好きになれる。“DO ギャグ”だ。

第65回:5月3日
なんだかんだで、またカリオストロの城を最初から最後まで見てしまった。改めて名作だ。毎年やってるテレビ映画のルパンとは大違いだ。

第66回:5月4日
GLAYのグロリアスの「土曜の午後の青空と生意気な笑顔たち」という歌詞が凄く好きなんだけど、土曜日が完全に休みの今時の学生と土曜日に午前中だけ授業があった元学生じゃ、この歌詞のニュアンスが少し変わるんだろうな。

第67回:5月5日
狩野英孝って、ちょっと岡村ちゃんっぽいなぁ。

第68回:5月8日
ほぼ毎日更新されている宇多田ヒカルのブログが4月26日からまったく更新されていない。なぜだ。最新の記事のタイトルが「定位置」ってのも意味深だ。

第69回:5月10日
Xの曲をYOUTUBEではなく、久しぶりにCDを引っ張り出して聴いてみるとPATAのバッキングの刻みが凄いことになってる。凶暴な先生だ。

第70回:5月13日
XJAPANの「I.V」ってよーく聴くと実は名曲かもしれない。

第71回:5月16日
これまでに書いたブログの記事数が「ロッキングオン文字起こし・その1」で500を突破。随分書いたなあ。

第72回:5月27日
三谷幸喜と大泉洋は映画の宣伝にかこつけてバラエティに出たいだけなんだと思う。


今月は16も記事を書いたのにサブカルの戯言は僅か8しか更新しなかった。意外と書くことないんだよな。
6月は、残りの「岡村靖幸全曲解説」をちゃちゃっと書いてしまおう。残すは「ビジネス」と岡村と卓球の「THE ALBUM」とアジャパイの「ミッドナイトウルフ」「大車輪」。どれも思い入れがないので簡潔にぱぱっと書く予定。この全曲解説を書けば、2月からはじめた「岡村靖幸全曲解説」もすべて終了。長かった…。
前々から密かに考えていたのだが、今まで書いた全ての全曲解説(80曲くらいか?)を一つの記事にずらーっとまとめようと思う。きっと壮観だろうなー。



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岡村靖幸で「Me-imi」 全曲解説

1.5!! モンキー ★★★
初っ端から、とんでもなくカオスな曲。どのような規則性の基に鳴っているのか分からない複雑なリズムと、自由奔放好き勝手に暴れていて安易に納まらない感じの裏メロが前衛的。はじめてこの曲を聴いた時は、そのアレンジの凝り過ぎ加減に笑ってしまったほどだ。とにかくテンションが高く、いろんなものが圧縮され、終盤には転調し、スイングし、アドリブ英語が飛び出し…。それまでの岡村靖幸のどの曲にもカテゴライズされない全くの新境地が1曲目で聴ける。
「禁じられた生きがい」をリリースしてからの岡村靖幸は俗世間から目をそむけるかのように引きこもった。そして太りコンフューズした。しかし鹿野さんの助けもありなんとか復帰した。そして実に9年ぶりのアルバムが本作「Me-imi」である。「5!! モンキー」は待ちに待った記念すべきアルバムの1曲目だ。岡村靖幸にとってもファンにとっても悲喜交々な想いがもっとも集約されるであろう「5!! モンキー」の歌いだしは――合唱部の部長さん おっさんも魅了しちゃう、である。…らしいと言えばそれまでだがやや肩透かしだ。どうやらまだ岡村靖幸はコンフューズの最中らしい。

2.モン‐シロ ★★★★
「5!! モンキー」からのメドレーではじまる、「モン‐シロ」は復活第一弾のシングルとしてリリースされたキャッチーなファンクディスコ。キャッチーというのはあくまでもメドレーで聴いた場合の話だ。前の曲があまりにも前衛的なつくりのため、感覚がやや麻痺し、キャッチーに感じるのだろう。サビや後奏で流れるアコギがラテン調風になっており、何とも言えないエキゾチックな世界観が広がっている。また、最初は巧妙にオブラートに包まれているため気付かなかったが、実はかなりエッチな歌詞である。

3.ア・チ・チ・チ★★★★★
ライブで演奏される頻度の高さから、もはや岡村靖幸の代表曲といっても差し支えないであろうクラブミュージック「ア・チ・チ・チ」。「5!! モンキー」と同様に、岡村靖幸がそれまでに発表したどの系統の曲にもカテゴライズされない全く新しいタイプの曲。まるで、どこかの怪しげな工場に紛れ込んだかのような騒がしい機械的な音が随所に挿入されている。その一方、流行を捉えた現代風の洗練されたリズムとアレンジが施されており、トータルではオシャレ系の曲としてまとまっている。

4.ファミリーチャイム ★★★★★
ハートフルなラブバラード。「カルアミルク」や「友人のふり」などの秀逸なバラードと比べても劣らないほどの名曲。この曲を聴くと涙腺が危なくなる。幸せな日々を何が何でも手に入れたいという希求、しかし結局は手に入れられず渇望したまま終わっている様子が感じられて切ない。「安心に近い時の10時30分はもうすぐさ」は屈指の名フレーズ。

5.ミラクルジャンプ ★★★★
爽やかで疾走感溢れる青春ソング「ミラクルジャンプ」。やはり岡村ちゃんといえば、青春ソングである。「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」「パラシュートガール」「生徒会長」「19」などなど、煌いた青春ソングこそ岡村靖幸にとっての真骨頂だ。イントロは、奇をてらわないシンプルなドラムとベースで奏でられる躍動感満点のリズム。それに合わせてドスの利いた岡村ちゃんの「ウッ!」「カモン!」「フォー!」というシャウトだけでご飯3杯はいける。「いわばシャイで 引きこもりの 日常を返上したい」という歌詞は本作「Me-imi」のリリースに漕ぎ着けるまでの岡村靖幸を象徴するフレーズであり、完全復活を予兆させるフレーズであった。前向きで聴き手をもポジティブな気分にさせる素晴らしいフレーズだ。

6.未完成 ★★★
楽器はピアノオンリー。これ以上ないくらいシンプルなつくりである。だからタイトルが「未完成」なのだろうか。夜のしじまに部屋でひっそりと佇みながら作ったような寂しい曲。「失って分かったんだ どうかしてたんだ」という歌詞からは、普通なら失恋の意味合いを想像するだろうが、岡村靖幸が歌うと、どうしようもないほどに深刻な状態を歌った曲のように感じる。

7.軽蔑のイメージ ★★★
歌詞の支離滅裂さやカオスなアレンジからは1曲目の「5!! モンキー」と似た印象を受ける。何が言いたいのかよくわからない歌詞なのだが、どことなく卑屈さと厭世的なニュアンスが漂っている様に思う。以前シングルでリリースされた「セックス」と双璧を成すほどの厭世観を有した曲だ。

8.マシュマロハネムーン~セックス ★★★★
2000年ごろにリリースしたシングル「マシュマロハネムーン」と「セックス」をリミックスしメドレー形式で1曲に仕上げた珍曲。イントロから激しく濃厚にファンクしている。〝Me-imiサウンド〟の集大成と称したいほどに気持ちの良いリズムが終始鳴っている。頭を空っぽにして聴いていても自然と体がリズムを取りはじめるくらい良質なグルーヴが愉快。この曲のみに関していえば、昔のハリと伸びのある声よりも少々潰れた今の声の方が似合っている。
原曲を知らない人が聴くとメドレーとなっている〝つなぎ目〟がどこにあるのか分からないだろう。それくらい同じ曲調のアレンジとなっている。「マシュマロハネムーン」に関してはアレンジにしても歌メロにしても、原曲の方が個人的には好きだが、このバージョンも決して悪くはない。特に「セックス」に関してはこちらのアレンジのほうが数倍カッコイイ。ラストを飾るに相応しい曲なのかはイマイチよく分からないが、これほどまでにファンキーでファンクネスなグルーブで終わるのも悪くない。

総評★★★★
前作「禁じられた生きがい」から実に9年もの空白の末、2004年にリリースされた6thアルバム「Me-imi」。「Me-imi」と書いて”ミイミ”と読む。これは岡村靖幸が考えた造語だ。意味は「Me(自分)-imi(意味)」である。要するに”自分の意味”だ。このタイトルだと一見、自分のアイデンティティを問うようなメッセージ性の強い内容を想像してしまうが、明確なメッセージ性を歌詞から読み取ることは困難だ。シュールでつぎはぎのような歌詞が散見される。

9年経っても変わらない点は、エロい歌詞だろうか。相変らず所々にエロ歌詞がある。しかし以前と比べるとややエグく感じる。例えば「5!! モンキー」のなかの「OKデート直接手と6000円でどう?」とか。今まではエロくても決して下品な表現はなかった(この感覚は個人差が大きいと思うが)。今までのエロい歌詞は前後の歌詞から汲み取るに「こんなエッチな気持ちになるほど君が好きなんだ」といういわば自らの想いの深さを表現するためのエロ歌詞だった。しかし「OKデート直接手と6000円でどう?」にはそういった節が見られない。前後の歌詞は意味不明なのでどういった意味が込められているのか分からない。よってやや下品に感じてしまう。

全8曲で収録時間は39分と物足りない内容量だが、バランスは良い。トータリティは高い。これまでの曲とは全くタイプの異なるニュータイプの曲(M1,3)もあるし、真骨頂の青々しい青春ソングもある(M5)。バラードの「ファミリーチャイム」「未完成」は相変らず出来が良い。岡村靖幸の作るバラードの打率の高さは周知の事実だが、今回も切なくも美しい名バラードが聴ける。そして最後はもはやジャパニーズファンク界の巨匠と化した岡村靖幸が繰り出す重厚でノリノリなファンクネス「マシュマロハネムーン~セックス」。圧巻である。
「Me-imi」は2000年代に岡村靖幸がリリースした唯一のオリジナルアルバムである。たったの39分で幕を閉じるがそれでも十二分に名盤である。一聴の価値あり。

岡村靖幸の他の全曲解説はこちらから。

葬式

●葬式の思い出
昨日と今日は父方の祖母の葬式だった。葬式に参加したのは2回目だ。1回目の葬式、つまり僕が生まれて初めて参加(参加って言わないか)した葬式はまだ小学生低学年の頃だった。その時は、母方の祖父の葬式だったのだが、身内は皆号泣していた。皆一様にむせび泣いていた。これは、子供心にかなりインパクトがあった。今でも鮮明に記憶に残っていてるのは通夜の前に遺体を棺おけに移動させる場面だ。
その時僕はいとこ達と公園で遊んでいた。その遊びが異様に楽しくてもう祖父が死んだことすら忘れるくらい楽しかった。で、「あ~楽しかったなあ」と思いつつ祖父の家に戻ると、ちょうど布団に横たわった遺体を棺おけに移動させてるところだった。もう死後硬直ははじまっているため、持ち上げたり動かすたびに体からミシミシ音がする。苦心して棺おけに移動させた後も、手をお腹のあたりに持っていき、指を一本一本交互に組ませるのだけど、その作業の際もミシミシ…。その模様を見て身内はみんな凄まじいほどに泣いている。夏だったから、棺おけに入れる作業をしている葬儀屋の人は汗だくで、身内は泣きながらも「タオルタオル。タオル持ってこさせないと」と言っていたことをなぜかよく覚えている。当時10歳くらいだった僕にとって、大人の泣いている姿と死後硬直した状態の体を動かした時の「ミシミシ」という音は強烈だった。僕はそれまで公園でいとこ達と愉快に遊んでいたのに、突然このような場面に対面し複雑な気持ちになった。今でも軽いトラウマなんだよなぁ。

今回の葬式は1回目の葬式と比べたらあっさりしていた。祖母は80を超えていたし、突発的な死ではなく半年前くらい前に余命が宣告されていたこともあり、深い悲しみはなかったようだ。号泣どころか涙目の人すら居なく「まあこんなもんかな」と思った。やっぱり、ちゃんとある程度まで長生きして、ゆっくりと死に向かっていく過程があれば、悲しみは軽減されるものなんだなあ。逆に言えば、突発的な若い死ほど、人を悲しませるものはない(HIDEとか尾崎豊とか)。でもさすがに棺おけに釘を刺す最後の瞬間、父は泣きそうになってたけどねぇ…まぁまぁ。

●笑えば、いいと思うよ
葬式といえば普段は滅多に合わない親戚との再会である。これ、個人的には大嫌いだ。反吐が出るぜ。母方の身内は普段から交流があるし、同じ地域に住んでいるし、年齢が近い従兄弟がたくさんいるしと、仲が良いからまだいいのだけど、父方の方の親戚は地理的な関係もあって疎遠だ。だから、妙な距離感が生じる。疎遠な身内が集まった時のあの独特な雰囲気が苦手。そんな気まずい雰囲気のなかで、僕を〝いじってくる〟陽気なジジイ(名前も知らない)はもっと苦手だ。例えば弁当を食べていると、
「弁当まだ余ってるから食べな」
「もういいです」
「もっと食べないと大きくなれないぞ、あっ、もう大きいか。ガハハハハ」
…みたいな。
こんなときどんな顔すればいいのだろう?笑えないよ。
このような低レベルの冗談をずーっと浴びていて、ひとつ気付いたことがある。それは結局年寄り連中の笑いのツボは〝笑点〟なんだってこと。「山田君座布団一枚」的なのが一番受けるようだ。実際に火葬の待ち時間に火葬場を30分くらいかけて一人で歩き回った後(もの凄い広くて立派な火葬場だったので)控え室に戻り、「見学してきた」と僕が話すと例の陽気なジジイが「見学料払ったか。ガハハハハ」とかまして来たので僕はこう言ってやった。「ツケにしときましたよ」と。・・・・・これが予想以上にウケた。よかった。でもなんか自分の中にある大事なものを失ってしまったような気がするのはなぜだろう。

岡村靖幸 アルバム未収録曲 全曲解説

MARIA★★★
「Young oh! oh!」を彷彿とさせる威勢の良いダンスチューン。サウンド全体から受ける印象は、ファーストアルバム「yellow」からのそれとほぼ同じ。初期特有のまだ持ち前の個性を発揮できていない没個性気味あるいは消化不良的な岡村靖幸が楽しめる。歌声は微笑ましいほどに若々しく、歌詞は無難だが、それ故貴重な曲といえる。個人的には、吉川晃司が腰を振りながら「ベストテン」で歌っている絵が浮かぶ。それほど曲調が80年代的。20年以上前の曲なので仕方ないけど。

幾千年分のPAIN★★★
記念すべき岡村靖幸のデビュー曲「Out of Blue」のカップリングに収録された「幾千年分のPAIN」。岡村靖幸の曲は洋楽ナイズされ比較的洗練された楽曲が多いが、この曲からは歌謡曲テイストが感じられる。特にBメロの「つたく身を飾り 舞い踊るほかに~」の部分はもろ歌謡曲。「MARIA」と同様に「幾千年分のPAIN」もいかにも初期作品といった感じ。もし「yellow」の5曲目辺りに紛れ込んでいても何の違和感もないだろう。

せぶんてぃーん★★★★
シンプルな楽器編成と飾り気の控えめなアレンジが施されたミディアムバラード。まるで雨上がりのキラキラした清潔な街並みを想起させるような情緒的で美しいメロディが印象的。歌詞は「散々授業サボっても 散々ガラスを割っても いつでも僕を許してくれた」とやや尾崎豊チック。しかし、尾崎豊のようにガラスを割り社会や大人に反抗している、といった内容の歌詞ではなく、青春時代をしみじみと振り返り(たぶんタイトルから察するに17歳の頃だろう)、好き勝手に生きていた自分を省み、それを許してくれた両親に感謝するといった内容だ。センチメンタルな気分にさせてくれる名曲。

なごり雪★★★
フォークソングのクラシックであるイルカの「なごり雪」のカバー。エキゾチックでダンディで、まるで子宮に直截的に訴えかけるような低音ボイスがセクシィ。イルカさんの歌声とは正反対のため、曲のイメージはガラっと変わっている。原曲より寂しげな哀愁が漂っている。後奏ではアドリブ英語のシャウトが披露されており「岡村靖幸流・なごり雪」として成立している。

やましい たましい★★★
フォークソング調のメロディに乗せ、力強い想いが込められたメッセージソング。魂を揺さぶるような熱い歌唱で終始歌っている。「大人はどうして子供を育て 愛情を注ぎ 寝顔を見るの でもちょっと待ってよ いまこんなことが俺にはできないのは 何故だろう」という歌詞は〝らしい〟というかある意味岡村靖幸の真骨頂だ。サビ終わりのファルセットは濁ることなく響いており、間奏では高度なギターテクニックが披露されている。岡村靖幸の音楽的資質の技巧が味わえる1曲。

ハッピー ウェディング★★
「ビスケットラブ」や「祈りの季節」辺りの系統(いわゆるアダルトな匂いをプンプン漂わせた感じ)の延長線上に存在する曲。ライブの弾き語りで歌った曲をそのままCD化したのではないかと考えてしまうほどアドリブで瞬間的に紡いでいったようなメロディは秀逸。歌詞はハレンチのように時事ネタ(オヤジ狩り、テレクラ)を扱っている。全体的に重々しく、岡村靖幸の曲のなかでは異色作といえる。

はっきりもっと勇敢になって★★★★
2007年の復活の際にリリースされた最初にして最後のシングル。「ミラクルジャンプ」のように爽やかで力強いサウンドに乗せ、自らの正直な心境を歌っている。復活第一弾だけあって、歌詞はとにかく前向きだ。メッセージは明快でシンプル。1曲中に同じ歌詞のサビが4回もリピートされている。これだけサビが繰り返される曲も珍しい。この繰り返されるサビがとても良い。達観したような、悟ったようなスケールの大きい仕上がりとなっている。
ポジティブな歌詞が多く特に「同じ様な日々はもうすぐ 過去だぜ」は心に残る。あと「よく考えてみてよ 僕がアンサーだぜ」という歌詞もある。岡村ちゃんがアンサーなのか?まあ、前向きなのは良いことである。曲の最後には、岡村ちゃん流のアドリブ英語も披露されているし、お馴染みの「フォー」の雄叫びもある、ヘッドフォンで聴くと岡村ちゃんらしい凝ったアレンジが施されている。

嵐の気分(着替えをもって全裸のままで)★★
5秒程度のリズムのみのイントロがはじめに流れるのだが、これがもう、プリンスだ。たぶん、このイントロを聴いた過半数の人はプリンスを思い浮かるのではないか。イメージとしては家庭教師の「祈りの季節」「ビスケット」あたりの大人な雰囲気漂うミディアムテンポな曲調と似ている。ただ歌詞は違う。割と真面目でシビアだ。決してスッペイン料理がどうのこうのなんて歌詞は無い。「もう許されぬのに 心震わせる様に」「でも探してるのに 反省してるのに 惨めなだけさ」など、「はっきり~」と比べると後ろ向きだ。でもサビの歌詞は「昔ながらの我らが岡村靖幸」な愛すべき歌詞だ。ラストは岡村ちゃん流のシャウトが炸裂している。


総評★★★
上記のアルバム未収録曲は、主にシングルのカップリングに収録された曲である。それぞれの曲の雰囲気はその曲がリリースされた近辺のオリジナルアルバムと空気感が似ており、時代ごとに音楽的傾向が変化していることに気付く。「MARIA」「幾千年分のPAIN」にはファーストアルバム「yellow」と同じような初期特有のサウンドが流れているし、90年代後半の「ハッピー ウェディング」「やましい たましい」辺りからは、時代の流れと自身の在り方にズレを感じコンフューズしている痕跡が曲中に散見される。それぞれの曲がリリースされた時代とその当時の岡村靖幸の考え方(インタビュー記事などから窺い知れる範囲での)を照合させながら聴くのも一興だろう。

岡村靖幸の他の全曲解説はコチラから。

Rain Talk

最近のアメトークの感想を。

●エヴァ芸人
僕は別にエヴァンゲリオンのファンではないけど、アメトークで取り上げるとなると否が応でも注目してしまう。アメトークの神回といえば、ジョジョ芸人やガンダム芸人や越中芸人あたりが挙がると思うが、別に視聴者はジョジョやガンダムや越中に特に興味があるわけじゃない。その対象の熱狂的なファン(芸人)がマニアックに熱弁するところに面白みがあるのだ。そういう意味ではエヴァンゲリオンのファンは良い。客観的に見てジョジョ、ガンダム並に偏執的でディープなファンがうじゃうじゃいそうなイメージがあるから。
案の定、エヴァを語る芸人はみんな熱かった。特にオリエンタルラジオの中田は良かった。完全にお客さん引いてたな。綾波レイの声だけ集め編集したMDを毎日登校時に聴いていたというエピソードは普通にキモかったし(それにしても綾波レイのファンってたくさんいるけど、どこがいいのだろう。さっぱり分からない)。
中田以外には、エヴァと林原めぐみのファンだと公言している加藤夏希が唯一の女性ゲストとして登場していた。個人的には中川翔子の方が嬉しかったのだけど、でも、マニアック度で言ったら加藤夏希の方が一枚上手っぽいのでしょうがないか。他には、くりぃむの有田やアンガールズの山根なんかも出ていたが正直印象は薄い。
後半は、エヴァンゲリオンの終わり方の不可解な点について語っていた。ラスト2話のシュールで抽象的で難解なあの乱暴な終わり方に視聴者の殆どはクエッションマークとフラストレーションを抱き、さらに続編の映画でも同様に「賛否両論の否が殆ど」という結果になった、という経緯を語る際のエヴァ芸人の皆さんの表情が半笑いだったのが一番面白かったような気がする。
最後はエヴァ本編の難解なラスト「ありがとう」の描写を、エヴァについて何も知らない蛍原に対して無理やり再現するという終わり方。ホトちゃんのきょとんとした顔がグッドだった。

●サンミュージック芸人
今週のアメトークはサンミュージック芸人。サンミュージックといえば今最も勢いのあるお笑い事務所である。去年ブレイクした小島よしお、最近レッドカーペットなどで見かける髭男爵、そして本ブログでは去年の暮れから地味に注目していた鳥居みゆきなんかが所属している。一昔前にブレイクしたダンディ坂野やヒロシもサンミュージックだ。この事務所に所属している芸人の共通点は、ずばり「キャラ芸人」だ。…あるいは一発屋。
この濃いメンバーのなかでもさらに一際濃いのはやはり鳥居みゆきだ。今回もやはり浮いていたな。相変らず危ないよなぁー。精神病棟とかに居そうだもん。最後、蛍原と鳥居みゆきを密室で二人っきりにさせ、蛍原が壊れたところが一番の見所だった。

鹿野さんと岡村靖幸

ロッキングオン、2004年5月号に掲載された岡村靖幸のインタビューの感想を。
せっせと文字起こしをしながら、改めてじっくりと読み返してみると、このインタビューはなかなか感慨深いものがある。インタビューに入る前に添えられた鹿野さんのテンションの高い文章からも伺えるが、鹿野さんは岡村靖幸の本格的な復活に興奮している。「子供のようにはしゃいでいる」という形容がしっくり来るほど岡村ちゃんの復活を心から喜んでいる。

この〝はしゃぎっぷり〟は、今読むとちょっと痛々しいものがある。ロッキングオンの連載「やすゆきチャンの行けるかな?一人旅」で岡村ちゃんと1年半もの間、日本全国津々浦々旅をしたほど親しい仲なのに。これだけ熱い本気のジャーナリズムを長年に渡り突きつけて来たのに。結局、鹿野さんの想いは報われなかったのだから。先日の裁判で「友達とうまくやれない、というか友達がいない」と詩を読んだ岡村靖幸。鹿野さんは友達じゃないのか。

インタビューの冒頭で「タイトルは『おかえりなさいやすゆきちゃん!』に決まってるんですよ」と嬉々として鹿野さんは言う。それに対して岡村ちゃんは「ああ、そうですか。何だろうなぁ。どっからおかえりなさいかちょっと分かんないけど……まだ分かんないって。分からないもん、やってみないと。俺は何もないからね、今は」と答える。このインタビューのなかで個人的に最も印象に残った言葉だ。

「どっからおかえりなさいかちょっと分かんないけど……まだ分かんないって。分からないもん、やってみないと。」

ホントどこから、お帰りなさいなんだろう?分からない。2004年よりも今の方がさらに分からない状態になっているが…。5月8日の判決で懲役2年を求刑されたから、2010年5月まで塀の中が確定している。つまり、岡村靖幸の2000年代(00~09年)における音楽活動は実質的に終了したことになるわけだが、2000年代に岡村靖幸は一度でも本当の意味で帰ってきたのか?復活を遂げたのか?と考えると、本当の意味での復活は一度も無かったような気がする。結局、覚せい剤を完全にやめない限り、真の復活とは言えないのかもしれない。


2001年のロッキングオンではじめて鹿野さんと岡村靖幸は電話インタビューという形で出会う。この出会いをきっかけに、鹿野さんは―――当時エピックを辞め無所属であった岡村靖幸に対し、いろいろと手助けをするようになる。編集長の権限を駆使しロッキングオン内で岡村靖幸のための連載「やすゆきちゃんの行けるかな?一人旅」なんてのもはじめる。そして遂に、2004年に本格的な復活を遂げる。全国ツアーを行い、シングルをリリースし待望のオリジナルアルバム「Me-imi」をリリース。メディアにも頻繁に露出する。

周りが暗闇だった2001年頃の岡村靖幸の足元を照らし鹿野さんは復活への道しるべとなるための協力を惜しまなかった。だからこそ、鹿野さんは2004年の復活を子供のように喜んでいるのだと思う。そして、2005年に捕まり2007年の再復活の際も自身が編集長を務める音楽雑誌「MUSICA」で岡村靖幸を取り上げサポートした。岡村靖幸ファンにとって鹿野淳とは「ありがたやありがたや」と毎朝念仏を唱えたいほどの御方なのだ。2010年以降の再々復活(があればの話だが)の際はまた協力してくれるのだろうか。良い人そうだから、なんだかんだでしてくれそうだけど。

さて、2004年5月号のインタビューについて。序盤はあまりやる気がなく口数が少ないやすゆきチャン。しかし後半に急変する。援助交際についてなぜ誰も歌わなかったのか?今であれば幼児虐待についてなぜ誰も歌わないのか?についての議論はかなり熱い。激昂している。下手すれば喧嘩になりかねないくらいのやりとりが展開されている。特に「あなたも俺に言ってたじゃん?」と鹿野さんに詰め寄る所はピリピリとした現場の空気が伝わってくるようだ。

そんなヒートアップした岡村靖幸の意見に対し全く怯むことなく「それは違う」と鹿野さんは反論する。ある程度お互い気心が知れた仲だからこその熱いインタビュー(というより対談か?)だ。しかし、よく読んでみると、鹿野さんはなんていうか…上手だな。否定しながらも岡村靖幸を褒めている。「気付いてないかもしれないがあなたの音楽は勇気がいる」とか「音楽の才能を持ってるだけで橋なんて渡れないよ」とか、暗に「あなたは天才なんだから、他の人に自分と同じ行動を求めるのは酷だよ」といったニュアンスを込め、相手を気持ちよくさせながら静めている。最後は「……そうね」「う~ん……」」と諭されているし。

社会問題をなぜ歌にしないのか?―――という岡村・鹿野のやりとりを読めば、人それぞれ十人十色な意見を胸の内に抱くと思うけど、個人的には鹿野さんの言う「メッセージがあまりにもダイレクトだから」が最も相応しい答えだと思う。ダイレクトだと聴き手を限定するし。岡村靖幸は「すべてはつながっているのだから、切り離し、自分のこととして捉えずに考えるのは無知で気狂いだ」と言う(気狂いって放送禁止用語かなあ)。でも、つながってるからこそ、敢えて幼児虐待とか援助交際なんていうダイレクトな言葉を持ち出す必要はないのではないか。だって、つながってるんだからさ。「つながり」を意識した曲といえば、ミスチルの「彩り」を思い出すのだが、結局あーいう歌が、幼児虐待も援助交際も、果ては戦争だって少子化だって地球温暖化だって抑止する効果を持つのかもしれない。

あと、ひとつ気になったのだけど、鹿野さんは知ってたのだろうか、2003年に捕まっていたことを。このインタビューは2004年5月のものなので、今振り返ってみれば前年の2003年には捕まっているわけだ。執行猶予中なわけだ。2003年といえば、「やすゆきチャンの行けるかな?一人旅」の連載中だったから、鹿野さんとは頻繁に会っていたと思われる。知っていても不自然ではない。どうなんだろう。まぁ、知っていたにしろ知らなかったにしろ、岡村ちゃんは後ろめたい窮屈な想いをしながらインタビューに答えていたんだろうな。例えば、このコメントなんかもそうだ。

「何でデフジャムにしたか?それは難しいこと聞いてきたね。どこまでしゃべろうか?………ノーコメントっていうことで」

鹿野さんに突っ込んだ質問をされる度、岡村靖幸は慎重に言葉を選ぶ必要があったのだろう。「どこまでしゃべろうか?」と一呼吸置き、神経質に考える必要があったのだろう…。やるせないねぇ、なんか。

ロッキングオンジャパン 2004年5月号 その2

タイトル通りロッキングオンジャパン、2004年5月号に
掲載された岡村靖幸のインタビュー文字起こし、その2。その1はここ


インタヴュー=鹿野淳

●いや、岡村さんの言うとおり。世の中で沸き起こっていたことを、岡村さんは歌にしたわけだよね。それは、当たり前のことであるにもかかわらず、画期的なことだったわけじゃない?
「なぜ画期的になってしまったのかがよく分からないけども。例えば今だったら、俺よく話してるけど、幼児虐待のこととかについてよく考えるし。昨日とかもあったじゃん。知ってる?」
●そう。岡村さんの音楽はまだまだやらなくちゃいけないことがいっぱいあるんだよ。何も変わっちゃいないから。どんどん表層に醜いことが溢れて来る。お母さんがチンポコ切っちゃうんだもん、子供の。そんなのさ、希望を切り落とすショックはとんでもない。
「そうだね。だから俺が不思議なのは、俺がやることっていうよりも、他の人がなんで歌わないのかと思ったりするけどね。だって日々感じてるはずですよ。見る人が見てね。」
●それは矢面に立つから。で、メッセージがあまりにもダイレクトだから。表現するには勇気がいるから。
「そうかな?」
●岡村さんはそれを直視しよう、そこからしかロマンは生まれないんだっていう気持ちがあるから歌にするんだと思う。
「あのね、よく分かんないけど、全部がつながっているような気がして。例えば少女売春のことにしろ、幼児虐待のことにしろ、子供ってのは恋愛の先に生まれてきたものだし、少女の売春ってのも一種こうね、まあセックスの行為だし。まあ嘘の恋愛だけども恋愛みたいなこともあるし。日々の恋愛にしろ、日々の生活にしろ全部つながっているような気がする。そこを、切り離して、自分の彼女を大事にしようとか、自分らしい生き方をしたい、こんな世の中だけども、みたいなことっていうのは全部つながっているから、だから………例えばあなたの生活を考えると分かるんだけど、あなたには子供がいて、あなたの子供っていうのは恋愛の先に出てきたものだから、恋愛の物語の第何章かめに出てくることなんですよ。だから恋愛の歌を歌ってたら自然に子供のことが出てくるわけですよ。例えば子供がいる親だったらテレビ見て幼児虐待があまりにも多いと、自然にそのことについて考えるはずだし。そんな奇異なことじゃなく。だから別にテレビで起きていることはそれはそれで、それとは別に自分の生活があってていう考え方ももちろんそれはひとつの、井上陽水の〝傘がない〟じゃないけども、ひとつの考え方としてあるんだけども………」 
●裏を返せばね、そうやって「なんで俺だけが?」っていうようなことを岡村さんは歌ってるわけよ。音楽は日常か、否か、とか。そこにあるニュースとは違うものこそが音楽という考え方もある。何も考えてない音楽もある。
「違うよ。『なんで俺だけが?』っていうことは結果的にそうなってしまっただけであって、他の人たちが歌ってくれれば普通にポピュラリティのあることとして広がることだよ。他の人たちも一緒に歌ってくれないから、ひとりだけ浮いちゃってるけども、今は」
●それはそうかもしんないけども、愛からつながっていく物語のわずらわしさ、そのわずらわしさの先にある本物の愛みたいなことを岡村さんだけが歌ってるから、それをキャッチしてる人間が岡村さんの音楽をすごくディープに愛してるってのもあるんだよ。
「まあ、そうかもしんないけど、それ以前になんで他の人は歌わないんだろう。ほんっとに分からないね。全く―――まあちゃんと考えてみないといけないのかもしれないけど」
●ぶっちゃけて言うと、岡村さんほど愛というものを手に入れられないっていうことの狂おしさを良くも悪くも実感できていないんだと思う。そこそこのものなら手に入れられるから。
「ああ………俺は子供を産まなくなったって歌を歌ったことがあるんだけど、でももしね、少子化のこととか今の幼児虐待のことを自分のこととして捉えないんだったらそいつは気狂いだよ。個人的に言わしてもらうけど」
●何で?
「当たり前だよ。全部つながってんだよ、だから。あれ他人事―――あなたも俺に言ってたじゃん。虐待と愛情はほんとに皮一枚だっていってたじゃない、親なんてものは。その時々の状況の中では私的感情で殴ることもあるだろうし、実は皮一枚ですべてはつながっていて恐い、みたいなこと言ってたじゃない?俺もほんとそう思うしさ。あれはあれ、これはこれみたいに捉えてるとしたら、あまりにも無知なんじゃないかしら。それもさ、たまにしか起きないんだったらいいよ?今異常に起きてるよ幼児虐待にしろ何にしろさ。それを他人事として捉えるのってのは、どうなんだろう?」
●その通り。けど違う。岡村さんは気付いてないんだけど、あなたの音楽は非常に勇気がいるものを歌ってるの。
「あ、そう」
●うん。少子化に対してものを言っていく、幼児虐待に対して意見を言っていく―――岡村さんの歌は意見だからね。意見を言っていくことはものすごく勇気のいることだよ。あなたは歌ってることを本気で変えたいと思っているし、文句を言ってるからだよ。なぜなら本気で愛を求めているから。で、みんな感じてはいるんだけど―――どこだってそうじゃん、学校からさ、社会からさ、みんな矢面に立たないじゃん。だから矢面に立つひとはみんなそれぞれしんどい思いをしてるよ。で、その人は何かを掴むかもしれないし、成功を掴むかもしれない。でも、成功ってのは全然ラクなもんじゃなくて、ものすごくしんどいもので。で、その人の人生の中ですごく感動的なものなのかもしれないけど、勇気がいることだよね。それは橋を渡ったってことじゃん。だからあなたは自分の音楽を作ることで橋を渡ってるんですよ。
「うーん……」
●なかなか渡れないって。音楽の才能を持ってるだけで橋なんて渡れないよ、みんな。岡村さんはそれをやってるのよ。だからあなたの音楽に対して僕はこれだけしつこくジャーナリズムを突きつけてると思うし、聴いてる人はあなたの音楽から離れられないのよ。
「うーん…不思議だなあ。何でみんな歌わないんだろう?」
●でも岡村さんはそういうことを歌っていくことによってしんどくなってきたこともあったわけじゃない?
「うん、もちろんね。そうだね」
●それによって作品を出せなくなった、隠遁してしまったってこともあったわけじゃない?それは傷ついたからでしょ?
「…………そうね」
●岡村さんを傷つけたのは岡村さんの音楽だよ。
「そうね。そうかもしんないね、うーん、そうかなあ、そうかもしんない…………いやそれは結果論であってさ。俺からすると、とても自然なことなんだよね、音楽にすることも傷つくことも」
●いろいろ分かりました。で、岡村さんは5月19日にシングルを出すわけですよね?
「そうなんですか?まったく分かってません」
●出します(笑)で、こっからアルバムに向けて、今は音楽活動をたくさんされているわけですか。
「そうなのかな?分かりません。してるような気もするけど。スタッフに聞いたほうがいいんじゃないかしら」
●OK。じゃあもういいや。
「はははははは!」
●楽しみにしてるよ。で、新曲が出てきたのはすごくよかったよ。
「ほんとですか?」
●はい。だって今日話したような世界の下にあるのはさ、俺は、そこにはクソのような音楽が撒き散らされていることも起因してると思うよ。
「そうかな?」
●例えばアメリカでヒップホップがすごく流行ったよね。この何年間かでメジャー化してきて。ヒップホップの中にはものすごくさげすまれた人生、そして黒人としての生き方をどんどん正直に暴いていった状況があったよね。それによって「自分だけじゃないんだ」って思う人が増えた結果、自殺が減ったんだ。
「そうなんだ」
●ヒップホップの成功によって黒人社会のマフィアのような抗争も大きくなっていったけど、そこで死んでいった数よりもとどまった自殺の方が大きくなったんだよ。音楽的にも画期的なリズム・ミュージックが生まれた。そういう意味で言ったら、この国には何も考えない無頓着で麻痺したクソのような音楽がたくさんまかり通ってるっていうことが僕は起因していると思う。答えはひとつじゃないんだ。なのにそれを心も大して動かさずに安易な共有を促す音楽。結果的に何にも変えてくれない音楽もどきも何かを殺していると思う。麻痺させていると思う。
「うん、そうだね…」
●だからあなたはいっぱい「音楽」を作っていってくださいよ。
「はい。分かりました。頑張ります。いろいろ本当にありがとうございました」

                                                        
                                                        終わり

幽遊白書が読み継がれないワケ 後半

「幽遊白書が読み継がれないワケ」に、これといった明確な理由は無いと思うけど、いくつか強引に捻り出してみよう。「幽遊白書が読み継がれないワケ 前半」を読まず、下の文章を読むと「別に今でも普通に読み継がれてるじゃん」といった感想を抱く人が出てくると思うのだけど、これはあくまでも、ジャンプ黄金期を支えたドラゴンボール、スラムダンクの2作品と比較した場合である。一般的な漫画としてであれば、十分「幽遊白書」は読み継がれている方だ。
90年代前半おける、幽遊白書の人気はあのドラゴンボールと肩を並べるほど絶大だった。アニメ「幽遊白書」の平均視聴率は17.6%であり、スラムダンクよりも高視聴率だった。幽遊白書は一大ムーブメントだった。それなのになぜ、現在2008年において「幽遊白書」はパッとしないのか?つまり、ドラゴンボール、スラムダンクという今や日本を代表する2大漫画と比較した上での〝読み継がれないワケ〟である。
一応断っておくが、読み継がれないワケを書くわけだから、以下の文章は基本的に全てネガティヴな内容である。あしからず。

その1、前半は下手、後半は雑

まず、最も基本的な問題だが、絵のクオリティが低い。物語の前半の乱童やら朱雀と戦っていた頃の絵のスキルは(今の冨樫と比べると)低い。これは冨樫が手を抜いているわけではなく、基礎能力としてまだ未熟だったからだ。ジャンプ編集部は「絵の上手さ」よりも、漫画家としての将来性を優先する傾向にあるようなので、デビューから間もない頃の新人の絵が下手なのは珍しいことではない。むしろ、最初から抜群に絵が上手だった鳥山明の方が異端だ。冨樫は連載しながら成長していった。「レベルE」や「HUNTER×HUNTER」を見れば一目瞭然だ。驚くべき早さでメキメキ成長したのだ。しかしながら、幽遊白書の前半は一生懸命書いているもののあまり上手ではない。
後半になるにつれ、絵は上達していく。しかし、残念ながら後半は雑だ。どんどん手抜きになる。故に背景はどんどん白くなる。「これだったら俺でも描けるぞ」と素人に思わせるようなコマが散見されるようになる。まぁ、冨樫の悪い意味での真骨頂である。というわけで、前半は下手で後半は雑。ストーリーは面白くても絵がアレだとなかなか熱心には読み継がれないだろう。

その2、「HUNTER×HUNTER」と被ってる
現在連載中の「HUNTER×HUNTER」と「幽遊白書」の類似点は多い。念と特殊能力、暗黒武術会と天空闘技場、似たようなキャラクター、主人公の父親の存在、などなど、同じ作者なのだからしょうがないが、でも、被っている所が多ければ多いほど、それなら「HUNTER×HUNTER」を読めば済んでしまうってことにならないだろうか。傑作漫画「HUNTER×HUNTER」と比べると幽遊白書の影はどうしても薄くなる。絵だってハンターの方が上手だし。

その3、敵が地味
幽遊白書のメインの敵キャラといえば、戸愚呂と仙水の二人だ。この二人の服装は非常に地味である。戸愚呂は深緑のジャケットに黒のパンツ。髪型はごくごく普通。サングラスが唯一にして最大のアクセント。戦闘時も筋肉を増大させるだけ。これといった技はない。50%、80%、100%と自分で口にし、その分だけ筋肉を大きくさせるだけ。そして、仙水の服装は部屋着だ。黒のパンツに黒の長袖シャツ。ラフ過ぎる。髪型はタモリのようなオールバック。これといった必殺技もない。何回か変身するが、ダサイ鎧が纏われるだけ。バトルものの少年漫画にとって敵キャラはある意味主人公以上に魅力的でなければいけない。戸愚呂と仙水は地味。華やかさにかける。

その4、幽助の服装が80年代後半
主人公の幽助の服装が時代を感じさせる。戸愚呂との対戦の時はジーンズに白いTシャツ。しかもシャツはズボンにIN。シャツの袖は肩までめくっている。これじゃ尾崎豊である。また、制服以外のときの格好はノーネクタイにジャケット、まるで一世風靡セピアのようだ。しかも幽助は中学生。このダサさは今の時代には受けないかも。

その5、冨樫義博氏の人間性
冨樫は言うまでもなく、ダメ人間である。少なくとも世間的にはそういうレッテルが貼られている。休載の多さは群を抜いているし、落書きのようなネーム状態の絵を掲載したり(ジャンプ編集部の責任でもあるけど)もしている。作品は面白いが人間性はどうなんだろう?愛すべき漫画家なのか?と考えたとき、鳥山明や井上雄彦などと比較すると残念ながら劣る部分がある。本来ならば作者と作品は別々であるが、読み継がれない理由の一旦となっていても不思議ではない。

その6、戸愚呂がB級妖怪という設定
服装は地味でありながらも、戸愚呂は一番人気のある敵だったし、幽遊白書が一番輝いていた絶頂期にメインで出ていたキャラクターである。DBでいえばフリーザのようなものだ。その戸愚呂がB級妖怪だったという、読者を騒然あるいは失望させる設定は暴挙である。ちなみにフリーザも後にトランクスに瞬殺されるわけだが、戸愚呂とフリーザは違う。フリーザは根っからの悪者だが、戸愚呂は根はいい奴であり、それなりの過去を背負っている。ナイスガイだった。そんな愛すべき戸愚呂がB級妖怪ってのはちょっと…。

その7、子供向け漫画
大人が読んで楽しめる要素がやや足りない。特に暗黒武術会。ひたすらトーナメント戦が描かれているが、アレは今読み返してみると結構中弛みを感じる。そもそも何のために戦っているのかがわからない。戸愚呂と幽助の戦いはストーリー上必要であり理解できるが、それ以外の戦いは、子供向けの享楽だ。


ロッキングオンジャパン 2004年5月号 文字起こし その1

タイトル通りロッキングオンジャパン、2004年5月号に
掲載された岡村靖幸のインタビュー文字起こし。



おかえりなさい、やすゆきチャン
―――の筈なのにシングル表題曲聴けないし、タイアップ映像マネージャーしか映ってないし、インタヴュールームの周りはうるさいし、やすゆきチャンぶっきらぼうだし………本当に帰ってきてくれたの、ねぇ、YASUYUKI!?

インタヴュー=鹿野 淳   写真=殆ど一人旅シリーズだし



思い起こせばちょうど3年前。僕は電話にて岡村靖幸独占インタビューを実現することが出来た。その取材はなんと5年半ぶりの取材だったのだが、、それから3年の間、岡村靖幸はゆっくりゆっくり活動し、何曲かのシングルを出し、そしてフェスに登場してショート・ツアーも行った。ウォーミング・アップという形容はあまりにも失礼だが、岡村靖幸は完全に本格的活動への戦線を整え、そして遂に、遂に、メジャー復帰を果たすこととなった!おぅやすゆきチャン、デフジャムかい。ビースティ・ボーイズの歴史はここから始まったんだぜ、いぇい。累計で一番枚数売ったのは間違いなくLLクールJだぜ、おげっ?続けよ、やすゆき!昨今では宇多田ヒカルの世界デビューの舞台だ、やすゆきチャン。今回はデフジャム・ジャパンだけど、世界は地続きなんだぜ。ベイベッ。………というわけで、5月19日、見事ニューシングルをリリースにつき、岡村靖幸復活なのである。

肝心の曲が届いた。2曲。1曲は、〝モン‐シロ〟というタイトル。もう1曲は〝Pf SONG〟。後者は(仮題)となっている。前者は若干ダークでセクスィーなファンクディスコ・ナンバー。〝セックス〟〝COME BABY〟という流れの延長にあるものだ。後者はピアノ弾き語りバラッド。〝友人のふり〟やライブでの弾き語りコーナーにさらに涙をびしょびしょ流させたもの。岡村の王道が鮮やかに彩られながら鮮烈に響いてくる。しかし、もうひとつの王道世界、いや、岡村節の中での華やかでポップな世界、ピーチ・カラーが狂い咲く〝だいすき〟や〝あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう〟のような青春ナンバーが存在していない。聞くと、表題曲がこの2曲以外になる可能性があるという。それはまさに青春ナンバーなのだという。しかし、それはまだ、フィニッシュしていないし、僕がゲットした2曲もまだ完成していないものだったのだ。しかもアーティスト写真をもらったら、それは読者にはあまりにもお馴染みな一人旅シリーズで携帯で撮ったものばかり。ほんと大丈夫なの?間に合うの??………それでも大丈夫DEATH!というマネージャー・マツモトの指令の下で、復活インタビューはここに実現した。そうだよね、フレッシュなメンバー揃えて帰って来てくれたんだものね。

インタヴューのトーンでも分る通り、岡村はまだこのメジャー復帰の現実をまとめていないし、まとめようとも思ってない。しかし、狂おしいほど音楽と愛に対して切望する欲望が何も燃え尽きていないのは明らかで、だからこそ岡村靖幸はフレッシュでロマンチックなナンバーをまだ「敢えて作っていない」と僕は思う。歌詞もそう、まだ何も手に出来ていない消失感が甘酸っぱさを凌駕している。不条理で麻痺した現実があるのだから、疑問や嘆くことから逃げても何も始まらない―――そんなシビアな愛に基づく現状認識が、類まれなるリズム・センスとメロディ・メイクによって、すぐ目の前に音楽として飛び込んでくる。やはり岡村靖幸は必要なのだ、僕らにも、そして音楽自体にも。


●すごいですね。目の前にレコード会社のスタッフのプロフィールの束が。
「なんかね。全然みんなのこと知らないので、社員の方々が『僕はどういうもんです』っていうのをこうやって今日もらったんですよ」
●ははは、よかったですね。始まってく感じがいいね。まずどうなんですか、気持ちとしては?タイトルは「おかえりなさい、やすゆきちゃん!」に決まってるんですよ。
「ああ、そうですか。何だろうなぁ。どっからおかえりなさいかちょっと分かんないけど……まだ分かんないって。分からないもん、やってみないと。俺は何もないからね、今は」
●でも曲をコンスタントに作り始めてきたわけだよね?
「いや、もうほとんど(アルバムが)できてるんだよ」
●レコード会社の人たちも「本当に作品を作ってくれるのか?」ってリスクを冒しながら、あなたと契約したいってみんな言ってきたと思うんですよ。それに対してはどう思いますか?
「まあ、人気あってラッキーって感じなのかな」
●いや、岡村さんは人気もあるし、ある意味ポップミュージックジャイアンツなんですよ。ただほんとに岡村さんはうちと契約して作品をくれるのか、岡村さんがリズミカルなリリースをする表現家として機能してくれるのかっていうことが最大の難関だったわけですよ。でも、やってくれるだろうと思った人たちがいっぱい出てきたんだよね。その状況は自分の中でどう思いました?
「ラッキー。何が認められたんだか分かんないけど、とりあえずラッキーかなと思う」
●じゃあ、デフジャムを決めたっていうのは、自分の中では別にそんな大きな意味合いはない?
「何でデフジャムにしたか?」
●そう
「それは難しいこと聞いてきたね。どこまでしゃべろうか?………ノーコメントっていうことで」
●ちょっと待ってよ!
「正直に話すと何も関与していない、契約に関しては。だからどのレコード会社がいいとか、どのレコード会社がどれくらいのことを望んでいるとか、それも知らないし。俺は。契約金がいくらなのかも知らないし。あとその契約金を俺がどのくらい貰えるのかも知らないし。何も知らないのよ。もしかしたら騙されているかもしれない。そんな現状。それはさ、ほんとに失礼極まりない、普通で考えればもうあり得ないことなんだけど、もうそういうことに関しても俺あんまり依存したくなくなってきてるのかもしれない」
●それは岡村さんがきっちり戦線を整えたからだと思うんだよ。第二のスタートだっていう気持ちをものすごく強く持っているからだと思うんだ。何故かというとね、岡村さんは第一のスタートである、最初のキャリアの時に作家から始めていって、そしてよく分らない状況のなかで自分の曲がどんどんお金になっていく、知らない間に口座がどんどん膨れ上がっていくっていう状況を見ていてなんのこっちゃか分からないってことで麻痺したし虚無に陥ったていう思い出があることを1回しゃべってくれましたよね?
「そうだね」
●もう、ああいうリスタートを切りたくない、もっと自分の音楽を自分の実感としてきっちりと届ける形から今度始めたいんだっていう気持ちがすごく強いんだと思う。
「いや、どうなんだろう?分かりません。全然俺の中には再スタートとか再デビューなんて気持ちはさらっさらない。それよりきちんとしようって感じ。もうちゃんとするって感じかな。あとは分かりません」
●どうだったですか、現実的に?今現在2曲音が僕のところには届いてるんですね。
「届いっちゃったの?ラッキーだね(笑)。これは作者は何を言わんとしてるの?」
●説明してよ(笑)
「分からない。分からないから聞いてるんだけど」
●いや、岡村さんは、自分を何とか更生して純化したいってことを、プラスこの社会にも更生してくれないかていうこと、その両方を言ってるんだと思う。
「じゃあ、それで」
●(笑)話したくないんだね、音楽のことは「今日も」。ただ岡村さんね、僕もリスナーがその音楽にどういう風に触れていくのかっていうこと、あとその音楽をどう捉えるのかっていうことはものすごく自由。だからこそ音楽は素晴らしいと思う。ただその音楽を作った人には理由があるよね。で、その理由っていうものは僕はイコールメッセージだと思ってるの。心の中から音楽は生まれ始めるんでしょ。言葉や意味も批評もそうだよ。感覚から始まって、それを探求する。僕は表現者ではないかもしれない。でも批評活動の責任において、その意見や批評を自由に捉えて欲しい。音楽と同じように楽しんで欲しいと思って文を書いているし、今日もインタヴューをしに来た。
「うん、そういった部分もあるかもしれないね。でも、僕なのかのシステムのなかではそういうのはなしにしてるから。だからインタヴューで音楽の話ってほとんどしないの。前にも理由は話したと思うけど」
●分った。僕ね、純愛だと思ったんですよ、この作品。
「はい」
●岡村さんはずーっと純愛を求めていたじゃない?僕はこの1年間岡村さんといろんな話をしてきて。その中で岡村さんが一番大きく考えてたことは、自分といういち人間の生き方の更生っていうものと、純愛ってものを突き詰めるってことだったと思うんですよ。それがこの音楽にすごくなってる気がするの。だから岡村さんは歌う理由をもう一度見つけたんじゃないかなと思ったの。
「確かにそうだと嬉しいけど。……そうだといいなと思う。そうだと嬉しいですね。でもそうなのかは分からない」
●更に言うと、結果的にまだ更生できていない自分がいる、そしてまだ社会もめちゃくちゃじゃんという、ある意味嘆きになっている気がするんですよ。だから聴いた2曲のうちの1曲はダークなディスコソングだし、1曲はすごくおセンチなピアノバラードで。
「『おセンチ』って言い方がいいね。2年4ヶ月ぶりに聞いた、『おセンチ』って言葉を」
●(笑)要するに岡村さんは、周りにいろいろ頼っていて周りが変わってくれれば俺はいつでも音楽を出せるのにって思ってたんだけど。そうじゃなくて、俺が変わんなくちゃ音楽を出せないんだなってことに気付いたから、ここで新作を生めたんだと思うんだ。
「まあ、そういった側面はあるかもしれないね。実際に自分がかなり変われたような気がしますけど。システムとかに依存するって考え方がなくなったんじゃないかしら。システムに依存している時点で弱いってことですよ」
●岡村さんは音楽活動だけじゃなくて、生きていくってことでシステムに依存して傷ついたからそういう風な気持ちになったんじゃないかなと思ったんだけど。それはどうなんですか。
「そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。マジに、冗談抜きに客観的になれないけど」
●いや、真面目な話、一人旅できるような人間になるって連載を半年以上一緒にやってきて。で、なんで岡村さんはこれを求めたのかなって思ったわけ。ただ、旅をしたいからじゃないんだよね。
「そうかもしんないね」
●それはただのワン・オブ・ゼムなだけで。ひとりで何でも出来る順応能力というか、行動力というか、、強さを身に付けたいからなんだよね。
「そうだね。うーんとね、変な話だけど、普通の人はできているのに自分ができてないってことに対するやましさみたいなことに対する―――例えば、飛行機のチケットを取るとか。ひとりで電車乗ることとか。あと人に場所を聞きながら歩き回るようなこととか、普通に普通の人がやっているようなことが、まあできてたりすることに対するやましさの減る感じとかも、まあいろいろ自分にとってはいいことだったし。当然そういうことは音楽に含まれていくんじゃないでしょうか」
●で、ひとつ聞きたかったのはね、岡村さんは今までそういうことが出来ないっていうやましさという―――負い目だよね。その負い目っていう衝動が音楽を作らせていた部分もあったんじゃないのかなと思ったんだけど。
「ああ、そうかもしれないね」
●そのやましさが音楽になって人がそれを消費していく、やましさから生まれた歌をすっごく楽しそうにカラオケで歌うっていう状況が岡村さんの周りではあったよね。そこに自分の中では良く分からないものを感じていた?
「いや、どうなんだろう?よく分からないけど…………………どうなんだろう、分からないけど。でもある時期から非常にこう…………メッセージシンガーみたいな側面で見られて。〝ハレンチ〟ってシングルを出した時に、少女売春とか援交みたいなこと?ほんとに話題になってたし、ほんとにポピュラリティ―――もう日本中ポピュラリティのある問題として話に出てたし。いろんな人がそれについていろんな風に感じていたはずだし。でも、なんで、こう俺しか歌わなかったのか?今も全く分かんない」


ロッキングオンジャパン 2004年5月号 文字起こし その2

幽遊白書が読み継がれないワケ 前半

「幽遊白書」といえば冨樫義博の代表作であり、「ドラゴンボール」「スラムダンク」と共に90年代前半のジャンプ黄金期(発行部数が脅威の600万部越え)を築きあげた名作漫画である。幽遊白書の人気は当時、相当なもであった。90年代前半に毎週ジャンプを欠かさず購入し、心躍らせながら読んでいた僕の感覚では、あのスラムダンクよりも人気を上回っていた印象があるくらいだ。

ジャンプ黄金期といえば、ドラゴンボールと幽遊白書がジャンプ内で双璧を成していて、それを追随するようにスラムダンクが後を追うというイメージがあった。今のジャンプで言えばワンピースとナルトが双璧を成していて、追随するのが「テニスの王子様」(もう終わっちゃったけど)みたいな感じだろうか。あくまでも、個人的な感想だが、スラムダンクはちょっと大人向けだった。特に初期は「クローズ」や「ろくでなしブルース」などの学園ヤンキー漫画風の絵柄であり内容であったので、スラムダンクに当時の小学生はあまりドキドキワクワクを感じなかったのだ。

その点ドラゴンボールと幽遊白書の人気は凄まじかった。ドラゴンボールの人気は言うまでもないだろうが、幽遊白書も同様に爆発的な人気があった。正義感の強い主人公幽助、ムードメーカー役の桑原、中性的でナルシストなのに嫌味を感じさせない蔵馬、クールでべジータ風のツンデレ飛影、この主要4人の絶妙なキャラクターの黄金率。特に蔵馬と飛影の人気は天井知らずで「キャラ萌え」の原点とも言えるだろう。また、この4人が並んだ時のコントラストが少年の心をくすぐる。まるで戦隊もののようにそれぞれ、緑、青、赤、黒と原色の派手な衣装を纏っているのだが、それがとにかくカッコイイのだ(漫画だとあまりわかんないけど)。

他にも、ぼたん、けいこ、雪菜、しずる、など女性キャラも皆個性的でかわいらしい(特にぼたんは良いですよね…)。主要4人のメンバーと女性キャラの間には、いくつか色恋沙汰があり、また雪菜と桑原の関係をじっと見つめる飛影など、作中の要所々々でニヤニヤポイントが周到に用意されているのも良いアクセントになっている。

ドラゴンボールと比較するとあまりデフォルメされていないリアルな世界観にも惹かれる。霊界やら魔界やらの世界を描いている一方、主人公は制服を着、昼休みに学校の屋上で弁当を食べたりと、学園生活の模様もパラレルワールド的に描かれている。また、デフォルメされていないといえば「HUNTER×HUNTER」程ではないものの、ややグロ系の描写がある。敵を倒せばリアルな血が飛ぶし、首が飛ぶこともある。また、悪の手により人々が操られゾンビみたくなり、ぼたんやけいこを襲うというホラー・オカルト要素もある。

バトルものの少年漫画にありがちな戦闘力のインフレに関しての処置も見事だ。暗黒武術会編において、ひたすら肉弾戦のバトルに終始し、幽助はどんどん強くなる。それは戸愚呂との対決でピークを迎える。しかし次のエピローグでは海藤の頭脳戦により、一瞬にして蔵馬以外あっさりとやられてしまう。タブーという概念において、それまでの、肥大した戦力を、局地的なテリトリーのなかで技術的に奪うという、いわば冨樫の真骨頂を取り入れることにより、深みが増した。何より、1分ごとに言葉が1文字ずつ使えなくなるというシチュエーションが小学生でも十分理解でき、面白かった。

終盤は、戸愚呂がB級妖怪であると判明し、べジータが言うところの「スーパーサイヤ人のバーゲンセール」みたいな、めちゃくちゃな常態になるのだけど…。それでも幽遊白書はドラゴンボールとは違ったタイプのドキドキワクワクを我々に提供してくれた。とにかく凄い漫画だったのだ。90年代前半に小学生時代を送った世代にとって幽遊白書は誰もが知っている超人気漫画であり、「幽遊白書世代」といっても過言ではないくらいなのだ。

しかし、2008年現在、幽遊白書の知名度は残念ながらそれほど大したものではない。ドラゴンボール、スラムダンクと比較すると、その差は歴然である。つまりは、読み継がれていないのだ!語り継がれていないのだ!ジャンプ黄金期の漫画は2000年代に入ってから誕生した「完全版コミックス」という形で再発売されている。

完全版コミックスとは、通常の単行本(400円のやつ)よりも一回り大きな版型で、表紙は新たに描き下ろされ、紙質やカバーにもこだわり、贅を尽くした製本がなされた形態の本である。故に値段は1冊につき1000円ほどするのだが、それでも、愛蔵版として手元に置いておきたい人たちはたくさんいるようでバカ売れしている。漫画界における新しい市場の開拓である。完全版コミックスの売り上げは、現在における人気の指標になると思うのだが、幽遊白書はあまり売れていない。詳細は、以下となっている。

ドラゴンボール(全34巻)売上2000万部
スラムダンク(全24巻)売上800万部
北斗の拳(全14巻)売上600万部
るろうに剣心(全22巻) 売上400万部
幽遊白書(全15巻)売上140万部
シティーハンター(全10巻)売上100万部


巻数を勘案したとしても、幽遊白書の140万部は少ない。もちろん、今の時代における幽遊白書の知名度を考えれば、至極妥当な数字だと思うが、ジャンプ黄金期における先述したような幽遊白書の人気を肌で体感した者からすると哀しいものがある。幽遊白書は、90年代前半、あれほどの人気があったにも関わらず、なぜ読み継がれていないのか?なぜクラシックになれないのか?

ということで、今日の記事では、幽遊白書が読み継がれない理由について考えてみようと思う。……前置きが長くなってしまったので理由を書くのは次回にしよう。つづく。

冬の終わりから春

「何とかがんばります。なるべく早くに続きが出せるように…」

3月上旬から10週連続で掲載された「HUNTER×HUNTER」が今週で終了。上記の文は今週号のジャンプに冨樫が記した巻末コメント。ちなみに前回の休載前の巻末コメントは、「近くまた戻ってきます。なるべく早く帰ってきます。頑張ります。」であった。アレ?前より明らかに覇気がなくなってるぞ。大丈夫か?コメントの内容は、前回も今回も基本的には同じだ。「なるべく早く戻って、頑張ります」というポジティブなメッセージだ。しかし、なんろう?今回のコメントの頼りなさは!思うに最初の「何とか」と最後の「…」が我々ハンターファンを不安にさせるのだろう。特に「…」は意味深過ぎる。どうした!ファンの間では、前回が僅か3ヶ月でのカムバックだったから、次回の再開は8月くらいなのでは、みたいな予測が大半を占めているようだが、巻末コメントからは、8月の復帰は無理っぽい雰囲気が漂ってる。今年中の復活すら厳しいかもしれないな。

冬の終わりから春にわたって10週連続掲載されたハンターハンター。ハイライトは、言うまでもなく「ゴンVSネフェルピトー」だ。10週分のハイライトというより、まだ完結していないもののキメラアント編のハイライトと言っても過言ではないだろう。いや、まだ未完なもののハンターハンターという漫画のハイライトかもしれない。いやっ、ジャンプ漫画史上最高のハイライトかもしれない――というのはさすがに大袈裟だけど、まぁ、それくらい、ゴンとネフェルピトーの“くだり”は圧巻だった。

ゴンは殺されたカイトを助けるため、憎きネフェルピトーを倒すため、ビスケのもとで厳しい修行をし、ナックル・シュートと過酷な対決をし、大きく成長した。そして実に4年ぶりに再び対面。4年ってのはハンターハンターの世界のなかの時間の流れではなく、現実世界の時間で4年である。ゴンも読者もみんなが待っていた注目の対面。なのに、ピトーはゴン側の責任で死傷した人間を必死に助けている最中だった。未曾有の悪として、それまで描かれていたピトーが一個の生命を救うためゴンに平伏す。ゴンはコンフューズし壊れる。勧善懲悪、プライド、矛盾、エゴ、アイデンティティ…。こんな深い内容を内包した少年漫画ってそうはない。単行本26巻が待ち遠しい。

「ゴンVSネフェルピトー」以外のストーリーは、前回の10週連続掲載の時と同じく、とにかく展開が遅い。結局、20週分、または単行本2冊分で5分か。遅すぎる。スラムダンクの回想よりも遥かにじれったく遅い展開だ。しかも「ユピーVSナックル・シュート」に紙数を割き過ぎ。今週号も、ユピーとナックルだったし。ユピーなんかよりも、「王VSネテロ」の方が気になる。結局王は1週目に登場したきりだし。パームも行方不明のままだし。プフは殻に閉じこもったままだし。改めて振り返ってみると、恐ろしいほど進んでいないではないか。なんだこれ。死亡フラグがたくさん立っていた宮殿突入後、はじめに死んだのがヂートゥってのも、おかしな話だ。

これからは、月曜日にまるで小学生のようにワクワクした心持でジャンプを読む習慣がなくなると思うと残念だ。再びジャンプとは疎遠になりそうだな。それにしても、8日の判決で岡村靖幸は懲役2年。12日のジャンプで「HUNTER×HUNTER」は再び無期限休載。本ブログの二本柱である、岡村ハンターがどちらも活動停止。こりゃ、まずい。書くことがなくなる。

80年代のミュージシャン

昨日の「SmaSTATION!!」の特集は「名曲揃い日本の80年代ロック&ニューミュージック超人気ベスト20!」だった。2月のはじめに同番組で特集され、このブログでもネタにした「80年代洋楽ベスト30」の邦楽バージョンである。きっと前回の「洋楽ベスト30」が好評だったのだろう。前も書いたと思うけどスマステとアメトーークは、ツボを突いた秀逸な企画が多い(先日放送された「エヴァ芸人」も相当面白かった。感想書かないとな)。

今回の「80年代邦楽ベスト20」も面白かった。この手の企画は大好きだ。というか、中川翔子じゃないけど80年代が好きだ。80年代って他の年代と比べて明らかに浮いている。そして、何もかもが濃い。濃くて派手で垢抜けていない(それってかなり悪趣味?)。あらゆる面において洗練されておらず、ダサい(特にファッション面はヒドイ)。でも、そのダサさに惹かれる。最近はカジュアルな服装で、小奇麗にまとまった凡庸な曲を歌うミュージシャンが多すぎる。2000年代の一様に洗練されたミュージシャンよりも80年代のミュージシャンに強く惹かれる。80年代のミュージシャンは、まるで“クサヤ”のような中毒性を持つミュージシャンが実に多い。

ということで、今日の記事は、スマステで発表された「80年代邦楽ベスト20」のランキングについて――納得いかない点が所々あったので――以下あーだこーだ書いていこうと思う。

まずはじめに、ランキングの基準がわからない。売り上げなのか知名度なのか現在の音楽シーンへの影響力なのか、あるいは、番組ホームページで募集したのか、よくわからない。まあ、どんな基準のもとに作られたランキングであろうと、岡村靖幸が入ってないのはおかしいだろ!80年代といえば岡村ちゃんではないか。80年代に青春を送った今の30代にとって岡村靖幸は誰もが認めるアイドルではないか。なんで入ってないんだろう?………なんて言ってみたりして。そりゃ、スルーされて当然だよな。

岡村ちゃんはランキング外だったけど、親友の尾崎豊は9位。もう一人の親友吉川晃司は小林克也セレクトに入選。曲をたくさん提供している渡辺美里は5位。同じく渡辺美里に岡村ちゃんと共に曲を提供していた小室哲也率いるTMネットワークもランクインしてた。岡村靖幸がテレホンショッキングに出演した時に友達として電話をかけた杏子率いるバービーボーイズは20位。

岡村ちゃんの、いわば同志たちは次々にランクインしているのに…。少し寂しいものがある。それにしても、80年代におけるエピックソニーの勢いは凄まじい。ランクインはしなかったけど他にも80年代に活躍したエピック所属で岡村ちゃんと交流のあったミュージシャンは、大江千里、安藤秀樹、松岡英明、鈴木雅之などなど、たくさんいる。そんなエピック勢のなかにおいてさえ、一際異彩を放っていたのが岡村靖幸なのに…もったいないなぁ。

「80年代邦楽ベスト20」の1位は、なんとボウイだった。ボウイが1位ってのは80年代に青春を送った人からすると納得のいくランキングなのだろうか。よく知らないんだよな、ボウイって。1位は松田聖子かチェッカーズかマッチ辺りだと予想していただけに意外だった。松田聖子とマッチなんてランク外だったし。別にボウイが1位でも構わないのだけど、ボウイが1位だったのに対して、XJAPANがランキング外の小林克也セレクトだったのは解せない。XJAPANはデビューが89年であり、80年代という括りのランキングに不向きなのはわかる。しかし、Xはインディーズの頃から有名だった。86~88年頃から「元気が出るテレビ」に出演し、そこそこ知名度はあった。そしてデビュー直後に「紅」がスマッシュヒットし一躍注目された。ランクインしても決して不自然ではないと思うのだが。

まあ、でも、89年デビューってのは微妙だな。仮に「90年代邦楽ベスト20」だったとしてもXJAPANは上位にランクインしなかっただろう。90年代といえばやはり95~98年辺りが最高潮だろう。小室系とビーイング系。そしてシャ乱Qやらスピッツやらミスチルやらウルフルズやらイエモンやらのバンド系が、THE90年代だろう。XJAPANは90年代においてもシーンの盛り上がりとズレている。振り返ってみれば、Xは不幸だ。シーンの並に上手い具合に乗っかれば、Xはもっと売れてたよな。もったいない。

その点、尾崎豊は良い。デビューが83年。「卒業」がヒットしブレイクしたのが85年。まさに80年代のど真ん中で活躍したミュージシャンだ。スマステのラテ欄には尾崎の名前も目立つポジションに配されていたので、きっと尾崎は上位なんだろうなと思っていたが、結果は9位。これも微妙である。もっと上じゃないか?

尾崎がランクインした時に流れた映像は、BIRHツアーのアンコールで歌った「15の夜」と「卒業」。そして「I LOVE YOU」のPVの3曲だった。尾崎豊の映像が流れると香取は「なんだこのパワー。この引き込まれる感じ」と言い、ゲストの友近は「ちょっと、正座してもいいですか」と言い、小林克也は「生き方そのものが音楽でした」とコメントした。なんか妙に丁重な扱いだった。やっぱりカリスマだ。

総括すると、あーだこーだ書いてきたが―――個人的な好き嫌いを差し引けば―――それほど不自然なランキングではなかったと思う。順位については基準が不透明なため、すっきりしない点があるものの、20という限られた枠のなかに、80年代を代表する主要なミュージシャンの殆どがフォローされていたのは見事。なかなか見応えがあった。スマステには、ぜひこのシリーズを続けて欲しいものだ。あっ、でも、このシリーズは80年代だから面白いのかもしれないけど。

アナログ放送終了が目安

8日に岡村靖幸の判決が出た。懲役2年。前回は懲役1年6ヶ月だったから、まあ妥当か。法廷で詩の朗読なんてしなければもっと減刑されてたかもしれないけど、まあ、塀の中では規則正しい生活が強いられるだろうし、クスリの調達は出来ないだろうし、むしろ長い方が岡村靖幸にとって良いのかもしれない。

2年か。ということは、2010年の5月に刑執行終了、仮釈放は2009年12月から2010年1月の間くらいだろうか。出所後はまた音楽活動をやる意思があるようだが、今回はすぐに音楽活動を再開せず精神科医・名越康文氏のもと治療・カウンセリングを行い(完治する可能性は10~20パーセントだそうだ)、それから沖縄料理店を営む知り合いと共に沖縄でゆっくりとスローライフを送る、というプランがあるようだ。

なので、出所してから少なくとも1年は活動しないだろう。ということは、今度僕らの目の前に岡村靖幸が姿を現す日は、すばり2011年の7月24日だと個人的には推測する。「2011年の7月24日」とはアナログ放送の終了日である。いい目安だと思いません?アナログ放送の終わりは国民的な関心ごとだから、この先何度も、さまざまな媒体でインフォメーションされるだろう。その度に我々岡村ちゃんファンは彼の復活の目安を確認できるのだ。スマップが出演しているフレッツのCMに「引越しのときガムテープを見たらフレッツ光に申し込むことを思い出してください」というセリフがあるけど、それと同様に「アナログ放送終了の宣伝を見たら岡村ちゃんを思い出してください」っていうのも悪くないのではないか。

現在の岡村靖幸に対する思いは複雑だ。靖幸関連のサイトを読んでいると、「岡村なんてもう終わりだ。また捕まるよ。最低だよあんな奴」みたいな嫌悪派がいる。その一方「ずっと待ってるから。信じてるから。辛かったんだよね、岡村ちゃん」みたいな擁護派もいる。嫌悪派も擁護派もどちらもしっくり来ない。嫌悪派の意見に対しては「気持ちは分かるけど、そんな言い方はないだろ」と思うし、擁護派の意見に対しては「気持ちは分かるけど、甘くないか。3度目だよ」と思う。僕の脳内では岡村靖幸を嫌悪する考えがある一方、擁護したいと思う考えも同時に生じ、戦っている。まるで漫画の主人公の頭の上に浮かぶ天使と悪魔みたいに。で、その天使と悪魔を戦わせ、辿り着いた結論は「音楽次第」となるのだけど。

何はともあれ、岡村ちゃんはこれから2年間、再び塀のなかでの生活である。そして出所後は療養するようなので最低でも1年はそれに費やすだろう。つまりアナログ放送終了の3年後、2011年の7月くらいまで音楽活動はないだろう。あっ、もちろん、一生復活しない可能性もなきにしもあらずだけど…まぁ、やるだろうな。40代後半で前科アリで社会人経験ゼロの男に職はなかなか無いだろうし。生活するにはインディーズだろうがなんだろうが音楽やるしかないもんね。その際は応援するぜ。

無敵バンド

5月3,4日に味の素スタジアムで行われたhideの追悼ライブ「hide memorial summit」について。このライブの模様は5日にWOWOWで放送されたので、案の定youtubeに主要な部分は殆ど全てアップされた。ありがたい。いや、本当にありがたい。youtubeのありがたみについては、過去に何度か書いていると思うが、筆舌に尽くしがたいほどの感謝の気持ちで一杯だ。ありがとう、ようつべを開発したアメリカ人!

1日目は客の入りが悪く、またノリもイマイチだったようだが、二日目は凄かった。やっぱり、みんなXJAPANが目当てなんだろうな。次点がLUNA SEA。で、あとのメンツは正直どうでもいいのだろうな。2日目の異様な盛り上がりがそれを物語っているように思う。XJAPANはもちろん二日目のトリに出演。復活ライブの一日目「破壊の夜」よりも遥かに充実したセットリストで扇情的且つ感動的なライブを完遂した。前段階の予想ではHIDEが作曲した曲をたくさん演奏するのだと思ってたのだけど結局「SCARS」だけだったのがちょっと残念。「SADISTIC DESIRE」なんかはさすがに今のTOSHIには歌えないか。“無邪気な女を笑いながらなぶり殺して” “鼻歌口ずさみ 肉体噛みちぎる”って歌詞は、「世界の子供たちを応援するTOSHI」にとって、NGでも仕方のない気もするが(ちなみに鼻歌は口ずさめない)。

全編において素晴らしいライブだったが、ハイライトはXJAPANによる「ピンクスパイダー」無敵バンドによる「X」だろう。まず、「ピンクスパイダー」。hideの代表曲であるピンクスパイダーをXJAPANが演奏するだなんて誰が想像できたであろうか。しかも、YOSHIKIがギターを弾き、真也がドラムを叩いてのピンクスパイダー!ありえない…。hideの曲をTOSHIが歌ったらきっと微妙な具合になってしまうのではと想像していたが、TOSHIが歌うピンクスパイダーは意外にも秀逸だった。声はかすれ気味だったが、むしろそれが良かった。ざらざらしていて荒削りな歌い方は初期のTOSHI(あの金髪で髪を逆立ていたTOSHI)がまるで蘇ったかのようでなかなか良かった。そしてHEATHのベースもリズミカルに唸っていた。その前に演奏されたサイレントジェラシーでのベースソロはしょぼかったけど、ピンクスパイダーでのベースはカッコよかったし、何よりHEATHにしては珍しくノリがよかった(ピョンピョン跳ねながら弾いていた)。この動画は何回も見てしまうな。

そして、2日間に渡って催されたhide memorial summitのラストを飾った無敵バンドによる「X」。すさまじいほどにカオスだった。遥か昔に行われたエクスタシーサミットに比べれば、一見カオス指数は下がっているように思われるが…ここは冷静に考えよう!エクスタシーサミットとhideメモリアルサミット、それぞれのステージ上に立っている輩の年齢を考えよう。20代と40代である!どちらがカオスなのか?自ずと答えが出るのではないか。さすがに髪を長く伸ばして、カラフルに染めている人はいないけど、今回の無敵バンドも十分カオスだ。

注目すべきは(というか否が応でも注目してしまう)、西川貴教の圧倒的な声量だ。ヴォーカルにはTOSHI、河村隆一と歌唱力に定評のある豪華なメンバーが揃っていたが、その中においてさえ、西川貴教の声量は抜きん出ていた。なんなんだあれ。声出すぎだろ。ただ、歌唱力の突出している方向性というかベクトルが影山ヒロノブや水木一郎系統になっている。上手いには違いないが、“そっち方面”の上手さを追求するとアニソン歌手になちゃうかも。ニコニコのコメントでは西川貴教のマイクのボリュームが大きいのではとか言われているけど、確かにそれもあるかもしれない。Xのイントロがはじまる前にTOSHIが自分のマイクを西川貴教に渡して煽りをさせる場面があるのだけど、その時の西川貴教の声はそれほど大きくない。で、Xを歌いはじめると、あのTOSHIよりも遥かに声が大きい。やっぱりマイクのせいなのかもしれないな。

無敵バンドはいわば祭りだから、歌唱力やら声量やら、とやかく言うのは野暮だ。突っ込みどころもたくさんあったがそれをわざわざ指摘するのも野暮だ。屋根がないのに“屋根をぶち破っちまえ”はおかしいのではないかとか、YOSHIKIの煽りの滑舌が悪すぎて何言っているのかわからないとか、そういう指摘は野暮なのだ。ノリが全てなんだから。そういう意味で、無敵バンドのXは最高にノリの良い演奏だった。まさに瞬間の美学であった。感動した。

hide アルバム解説

2008年5月2日は、hideの10回忌。そして、昨日今日はhideメモリアルサミットが味の素スタジアム(ネーミングがなぁ…)で行われている。どんな内容なのだろうか。気になる。5日にはWOWOWで放送されるそうなので…まぁ、ようつべで見れるのかな。Xの復活ライブではHIDEの曲をまったく演奏しなかったので「サディスティックディザイアー」とかやるんだろうな。TOSHIの声でhideのソロを歌われても微妙だろうし。そういえば、ヒデメモリアルのCMが北海道でも結構頻繁に流れていたのだが、わざわざ北海道から行く人なんているのか。いるとしたら、その人はCMとは関係なしに行くと思う。CMの意味はあまりなさそうでやんす。さて、今日は先週の尾崎豊の記事と同様、追悼の意を込めてhideのアルバムの感想を書きたいと思う。

HIDE YOUR FACE(1994年2月23日)
記念すべきhideのソロデビューアルバム。意外にもXのメンバーの中では一番遅い(あのPATAよりも遅い)ソロデビューである。BLUE BLOODで「CELEBRATION」Jealousyでは「Miscast」「Joker」などなど、Xにおいて既にhideは曲をいくつか発表しているが、これらの曲はあくまでもX仕様であることが「HIDE YOUR FACE」を聴くとわかる。TOSHIの声質やXの方向性を考慮し、それに相応しい曲を提供しているように思う。しかし、ソロではそんな配慮はいらない。故に、やり放題である。グランジであったりデスメタルであったりノイズであったり…、頭でっかちな団塊の世代のジジィなんかが聴いたら“こんなの騒音だろ”と一蹴されそうな曲(DICE、SCANNER、DOUBT)がある一方、ヒットチャートを賑わせそうなポップな曲(EYES LOVE YOU、TELL ME)もある。自分のやりたい音楽を自由に作って詰め込んだアルバム、それが「HIDE YOUR FACE」。マスターピースである。

PSYENCE(1996年9月2日)
前作と同様、基本的にはhideのやりたい音楽を種々雑多に詰め込んだアルバムであり、こちらもやはりマスターピース。1曲目は“はじまり”を予感させる臨場感溢れるインストからスタートし、ラストはシュールなインストで終わる所も前と同じ。曲数が多く、コンセプトアルバムとしての流れのようなものが希薄な所も前と同じ。違う点を敢えて挙げるならば、若干ハードなデス系の曲が控えめの傾向になっているだろうか。「GOOD BYE」「LEMONed I Scream」なんかは前作には見られない曲調だし、「Hi-Ho」なんかも結構大胆にポップな異色作だ。また個人的に大好きな「POSE」も収録されている。ジャンルに囚われず、まるで趣味で制作されたかのような(もちろん良い意味で)柔軟な曲が詰まったアルバムであり、生前に発表された最後のアルバム。

Ja,Zoo(1998年11月21日)
1997年12月31日にXJAPANのラストライブが東京ドームで行われ、解散。その翌日、「hide with Spread Beaver」が誕生。実に展開が速い。これは計算や戦略ではなく、純粋にファンを悲しませたくないというhideのパーソナリティがそうさせたのだろう。「ROCKET DIVE」は好調なセールスを記録。Mステやポップジャムに出演し歌い、オールナイトニッポンRのレギュラー番組を持つなどメディアにも積極的に関わりを持ち、ソロとして本格的に精力的に活動する。しかし、5月2日、不慮の事故で亡くなる。享年33。
「Ja,Zoo」は言うまでもなく名盤である。90年代を代表するアルバムといっても大袈裟ではないくらい。収録されたシングル4曲はすべて大ヒットした曲なので、hideに興味のない人にもおすすめ。20代以上の人なら「あっ、これ聴いたことある」と思う曲が必ずあるはず。hideの真骨頂であり代表曲「ピンクスパイダー」。布袋チックな疾走間満点なサウンドの「ROCKET DIVE」。率直なメッセージが込められた爽快な「ever free」。何かを悟り人生を俯瞰したような「HURRY GO ROUND」。すべて名曲だ。ニルヴァーナの「BREED」をモチーフにしたであろう骨太なロック「BREEDING」もカッコいいし「FISH SCRATCH FEVER」もキャッチー。肥満気味で内省的な少年時代を送ったhideだからこそ生まれたであろう、前向きに生きることを呼びかけるような歌詞が顕著だ(ピンクスパイダーも逆説的な意味では前向きか)。
インストを除けば実質8曲しかないが、それ故ファースト、セカンドでは味わえないコンセプトアルバムとしてのまとまりが感じられる。曲順からは流れが感じられるし、想像力を豊かにすればその流れから物語を感じることも出来るはず。ハギャ(レオル)が言うところの「聴き終わるといい小説を読んだ後みてーな心地よい浮遊感が残るんだ」って感じ。

3・2・1 /zilch(1998年7月23日)
zilchとは、やたらと豪華な外国人ミュージシャンたちがレコーディングに参加し、海外進出を視野に入れて結成されたhideのバンド。hideが他界した後に一枚アルバムがリリースされただけで、zilchの実質的な活動は皆無なのが惜しい。全編英歌詞でナイン・インチ・ネイルズっぽいヘヴィな曲が大半だが、要所々々でhideの「俺は日本人だぜ。このアルバムはメイドインジャパンだぜ」みたいな気概が感じられる。その気概は初っ端から発揮されている。いきなり昭和のNHKのアナウンサーみたいな声の人が「日本の神奈川県、横須賀市から、いらっしゃいました松本秀人さんです。はりきってどうぞ!」のセリフが飛び込んできて、その直後にがっつりヘヴィなギターサウンドが入る所は素晴らしい。
晩年のhideがよく口にしていた、日本人なら誰もがネイティブに備わっている強み(主に歌謡曲)というのが初っ端の数秒に集約されているように思う。日本でロックをやる場合、なるべくなら歌謡曲的なものを捨てたいと思うはずなのに、hideはそこに強みを感じた。素晴らしいよ。バター顔の西洋人にゃ、ジュリーもマッチも百恵ちゃんもキャンディーズもわからない→でも日本人は知っている→しかも日本人は洋楽も結構知っている→あれ?日本人凄い!hideのこういう考え方、好きだ。

岡村靖幸で「早熟」 全曲解説

Peach Time★★★★
キャッチーなんてもんじゃねーぞ、ってくらいキャッチーなアイキャッチ風イントロからはじまるピーチタイムは3分程度の短い曲だが強烈なインパクトを有した名曲。終始、突き抜けた陽気さに満ちており、アトラクションのようなワクワク感が味わえるサウンドは病みつきになること受けあい。言葉の乗せ方は桑田佳祐並にユニークであり、一見、意味不明な歌詞も実際に歌ってみると歯切れのよいメロディの乗せ方になっている。特に「姉貴が言うにゃ食事はニューオリンズ」のフレーズは何回歌っても楽しくなれるし、飽きない。こんなに素敵で小気味の良い韻を踏んだメロディはそうはないだろう。そして、それを上回るほどの名フレーズはサビの「なんでぼくらが生まれたのか ぜったいきっと 女の子なら知ってる」。恐れ入るほどの、岡村ちゃん節である。哲学なのかオフザケなのか。浅いのか深い歌詞なのか。まったく検討の仕様のない歌詞だ。しかし、得体の知れない勇気がみなぎってくるから不思議だ。ネガティヴな気持ちの時に聴くと――絶対きっと――気分が晴れるだろう。それにしても、「生まれてきた理由を女の子なら知ってる」って、岡村靖幸にとって女の子とは何なのだろうか。どれほど高みに存在しているのだろうか。生まれてきた理由を知っているだなんて、まるで神様である。

Dog Days★★★★★
焦燥感を煽るような刹那的なアコースティックギターが終始鳴っており、どこか現実離れした世界観が広がるサウンドが幻想的。タイトルの「Dog Days」とは盛夏(夏のもっとも熱い時期)という意味であり、故にサマーソングである。夏の暑い日に歴史に残る勇気を振り絞って告白するもあっさりフラれ、お前のせいで俺は堕落してしまうぜベイベー、といった内容の青春の歌である。盛夏と青春が見事にマッチしていて、聴いているとジリジリと暑い夏の記憶が思い起こされるようだ。また、岡村靖幸の楽曲のなかでも上位に位置するほど歌詞が秀逸だ。特に「液体状の夕焼け 流れ落ちてきてる 僕のベッドに」なんて歌詞は優れている。聴き手の脳内にまるで印象派の絵画のように風景を思い描かせる絶妙な歌詞だと思う。ちなみにサビの「お前のせいだぜ」という歌詞のモチーフは吉川晃司らしい。また、「友人のふり」や「ライオンハート」の歌詞に出てくる「アイツ」というのも吉川晃司らしい。どうやら、岡村靖幸は吉川晃司を恋敵に想定するといい歌詞(主に情けない片思いを題材にした歌詞)が浮かんでくるようだ。

シャイニング(君がスキだよ)★★★
爽やかなエレキのリフと力強いドラムが印象的な屈託のないロックンロールナンバー。真っ直ぐでロック調なサウンドとポジティブで初々しく健全な歌詞が、逆に気持ち悪い。なんか万人受けしそうで怖い。やっぱり、岡村靖幸は「家庭教師」や「どんなことして欲しいのぼくに」みたいに変態な曲の方がしっくりくる。気持ち悪いエロ系の「語り」があってこそ岡村靖幸なのだ。そういう意味で「シャイニング(君がスキだよ) 」は平凡だ。「君の夢なら そうさ すべてを叶えてあげたい」なんて歌詞はジャニーズに歌わせておけばよいではないか。「シャイニング(君がスキだよ) 」は、大衆性は高いがそれ故に、岡村作品においては異色作といえるかもしれない。

Lion Heart(ハリウッド・ヴァージョン)★★★
セカンドアルバム「DATE」に収録されている「Lion Heart」のリアレンジ。その名も「ハリウッド・ヴァージョン」。なぜハリウッドなのかは聴けばすぐに理解できる。とにかく音飾が派手で華やかで豪華なのだ。初っ端から押し付けがましいほどのストリングスが展開されている。しかし押し付けがましいのは最初だけで、間奏のアレンジはこちらの方が合っているように思う。
曲調は詩先風のメロディによるバラード。言葉の乗せ方がいかにも五線譜のおたまじゃくしを辿っているかのような印象を受ける。肝心の歌詞は「実はさ この僕も あの日から 傘さえも ひらけない」という非常にメタフォリカルあるいは独善的な内容となっている。スマップの「Lion Heart」と同じタイトルだが全く関係ない。

Peach Time(修学旅行ミックス)★★
「Peach Time」のリミックス。一応ボーカル付きだが所々インストになっている。遊び心満載のアレンジが施されており、楽しい。最後の方は「だいすき」「アウトオブブルー」など、いろんな曲が次々にまるでフラッシュバックのように挿入されており、ベストアルバムのラストに相応しい出来となっている。個人的には全く聴かない曲である。

総評★★★★
デビューから僅か3年。それまでにリリースしたアルバムはたったの2枚。このような浅いキャリアでもってリリースされたベストアルバム「早熟」にはオリジナルアルバム未収録の上記5曲が収録されている。「Peach Time」は岡村靖幸を象徴する重要な曲であり、「Dog Days」は岡村靖幸の初期に発表された曲のなかでは屈指の名曲である。13曲中5曲が「早熟」でしか聴けない曲なので、ベストアルバムにしては良心的なリストといえる。
「早熟」というタイトルは、岡村靖幸が命名したものではなくスタッフが考えたらしい。そのスタッフ曰く「早熟」の意味は主に二つあるとのこと。ひとつ目は、3枚目にしてベストアルバムというのは異例の早さであるという意味での早熟。ふたつ目は、ゴッホやゴーギャンなど死後になってから評価される作品があるように、岡村靖幸の音楽も30年後40年後50年後に真に評価される音楽である。そういった意味では、現在(80年代後半)岡村靖幸の音楽をリアルタイムで好んで聴いている人の感覚は先端的であるという意味での早熟。つまり岡村靖幸の音楽とそれを応援するファンは早熟であるという二つの意味が在るのそうだ。確かにこれほどまでにクオリティの高い曲を世に発表しているのに(一部では熱心に評価されているものの)メジャーになりきれない岡村靖幸は早熟なのかもしれない。

「早熟」に収録されている他の曲の解説はこちらから。

ザッキザキ

ネオヴィジュアル系になる
これまで一度も髪を染めたことが無いのだけど、今週末のゴールデンウィークに期間限定で髪を染めることにした。以前に一度「自分は黒髪にポリシーを持っているから絶対に髪は染めない。だいたい髪を染める奴なんて時代に流されている。かっこわるい」みたいな内容の記事をブログに書いた気もするが、考えは変わるものだ。村上春樹は「人生とは移動の過程に存在し、記憶とは忘却の過程にある」みたいなことをなんかの本で書いていたし、別にいいじゃないか…染めても。
もう既にヘアカラー(「UNOの定番ブラウン」ってやつ)は買ってあるし、パッチテストもちゃんと48時間かけて試験済。あとは染めるだけ。染色に関する知識は全く無いので知らなかったのだが、黒髪にヘアカラーを塗っても(ブリーチとやらを使わない限り)殆ど変化しないらしい。でも、たった3日程度のためにブリーチを使うのも面倒だから今回は(次があるのか?)我慢しよう。気分的には既にネオヴィジュアル系である。

お気に入りから外される
ブログをはじめたころは敬体(です・ます)で文章を書いていた。それが1年ほど前から少しづつ常体(だ・である)で書くようになった。今ではすっかりシフトチェンジし、常体に馴れてしまったため、逆に敬体で文章を書くのがちょっと恥ずかしく感じるほどだ。で、最近は常体で書くのも飽きてきて、なんか良い語尾はないだろうか、と考えていたら閃いた。「でやんす」だ。今使いたい語尾は「です・ます」でも「だ・である」でもなく「でやんす」なのだ!
もの凄く語尾を「でやんす」にしたい衝動に駆られる。でも、急に「今日は岡村靖幸の曲を聴いたでやんす。やっぱり、岡村ちゃんは最高でやんすね」みたいな文章を書いたら、きっと読んでいる人は引くと思う。お気に入りから外されると思う。だから、でやんすの衝動を必死に抑えて(今だってそうだ)ブログを更新しているのだが…もう限界だ。これからは時々でやんすを使っていこうと思う。なので、もし語尾に「でやんす」があったとしても引かずにそっと見守って欲しいと思う。

形骸化された民族的シャマニズム
秋葉原の歩行者天国でパンツを見せていた卑猥な女性が逮捕された件について。この件を報道している全国ニュースの動画をYOUTUBEで見た。「家族連れだって歩いてる通りでパンツを見せるなんて非常識だ」ってコメンテーターは言うけど、全国放送で卑猥な映像を流す方が非常識だし罪深くないか。ホコ天でたまたまあの場面に居合わせて不幸にもパンツを見た家族連れはかわいそうだと思うが、せいぜい数十組だろう。でも、テレビで放送すれば何百万組もの家族がお茶の間で気まずい思いをしなければいけないわけだし。
こうだくみの例の羊水発言の時、松本人志がラジオで言っていたけど、それが人を傷つける発言であれば、本来は「不適切な発言」と報道するべきだ。まるで流布するかのように「羊水腐る」発言を撒き散らしたら、傷つく人はどんどん拡大していくだけだ。
それにしても、「路上で破廉恥なことをやって逮捕される」といえば寺山修二のアングラ劇団「天井桟敷」も同じようなことをやって捕まってたな…。路上でリアルな男根の形のサンドバックを殴る女性たちとか勝手に見知らぬ人の家に不法侵入して芝居をはじめたりとか…。寺山修司も捕まってるし当時はバッシングもかなりされていたらしいけど、今となっては教科書に載ってもおかしくないほどの人物だもんな。動機が芸術であれば許されるのか。あのパンツ女も謝らずに寺山修司みたいに「パンツを見せるのは形骸化された民族的シャマニズムを奪回するための前衛芸術です」みたいな、わけのわからない発言をすれば、ある種の人々はくいついたかもしれない。
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サブカルの戯言
第332回:10月12日
ツイッターを先取りした「サブカルの戯言」も本日にて終了。332回の戯言のご愛読ありがとうございました!!
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