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岡村靖幸出所記念月間 終幕

今日、ルーピーズさんという方から「Twitterで知りましたが、出所なさったようですね」という内容のコメントを頂いた。出所?岡村靖幸のことか?「Twitterで知った」ってどういうことだ?といろいろと疑問に思い、ググってみるとそれらしきツイートを発見した。

吉本興業所属のお笑いコンビ「ダイノジ」の大谷さんのツイッターにて

岡村ちゃんナイトやったら御本人から吉本にお礼の連絡があったそうだ。今社員さんから聞いた。岡村ちゃんが出てきたことをジャイアンナイトで知る。なんか泣きそうだ。


というつぶやきがあった。

「岡村ちゃんナイト」「ジャイアンナイト」ってのが、なんのことだかよくわからないが、要は、岡村靖幸が吉本興行にお礼の連絡をしたんですね。岡村靖幸が既に出所していることは、実刑2年(未決拘留日数40日を刑に算入知)という判決内容から、わかっていたことだけど、こういう情報は嬉しいな。もう刑務所の中じゃないんだ。普通に生活してるんだ。この先、吉本興行に戻ることはさすがに無理だろうけど、お礼を言うことは良いことだよね。感謝の気持ちは大事だよ。

さて、3月下旬からはじめた「岡村靖幸出所記念月間」ですが、本日を持ちまして終了です(96年の月カドの残りは近いうちにアップする予定です)。読んでくれた方ありがとうございます。はぁー疲れたな…。読む方も疲れただろうな。まあ、一番シンドイのは文字起こし人の紅林さんだったと思いますが。みなさまお疲れ様でした!

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全アルバム試聴解説

月刊カドカワ 1996年5月号 VOL.14 NO.5

表紙 なんで僕なの? 〜完全復活宣言〜
総力特集 岡村靖幸 完全保存版全47ページ

● INDEX
P18〜P19
総力特集 完全復活宣言
P20〜P28
スピリチュアル・メッセージ もう寂しい思いはさせないよ
P29
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その1 佐伯明
P30〜P33
全アルバム試聴解説

P34〜P42
突撃ルポ<瀧くんと行くフーゾク最前線>
P43
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その2 能地祐子
P44〜P47
岡村靖幸スーパーエステへ行く しりあがり寿(しりあがり氏による漫画のため掲載無し)
P48
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その3 小貫信昭
P49〜P56
ライオンと戦える男(カラーグラビアのため掲載無し)
P57〜P62
ライヴ・ドキュメント ひき語り全記録
P63
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その4 カトリーヌあやこ(カトリーヌ氏による漫画のため掲載無し)





P30〜P33
総力特集 岡村靖幸/なんで僕なの?〜完全復活宣言〜
全アルバム試聴解説

岡村靖幸のアルバムは、パワフルな説得力で男も女も打ちのめすスゴサをはらんでいる。
だから、耳を傾けたらもう最後!!そんなスゴサに打ちのめされた六人がここにいる。



『yellow』  チカ(ビンゴボンゴ)
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『yellow』
1. Out of Blue
2. Young oh!oh!
3. 冷たくされても
4. Check Out Love
5. はじめて
6. Water Bed
7. RAIN
8. 彼女はScience Teacher
9. White courage
(1987.3.21/Epic・ソニー・レコード)

 復活前の岡村靖幸をリアルタイムで知らない岡村ファンの私にとって、この一枚は彼のルーツを知る貴重なアルバム。私は彼の「自分自身を好きじゃなきゃ女の子は愛せないぜベェベ」みたいな、ゴキゲンな超ナルシストぶりの説得力にヤラれちゃった一人なワケだけど。でも、自分大好き、俺マニア的カッチョイイところはまだちょっぴりしか出していないみたい。現在そして空白前の岡村くんのエグさや天才ぶりの片鱗がジワリと見えつつも、ブラスシンセとかがその頃のアイドルかなって感じを醸し出したりしちゃってるのよ。他の人の詞やアレンジした曲が入ってるところも1stアルバムならではなのかしら。どちらかというと、ソングライターとしての岡村靖幸が前面に押し出されてる気がします。「バカ♡エッチ♡カッチョイイ♡」で青春してる岡村靖幸以前の岡村くん。そういった感じ。何はともあれ、天才岡村靖幸の記念すべき1stアルバム。お慕い申し上げております。




『DATE』   暴力温泉芸者
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『DATE』
1. 19(nineteen)
2. Super Girl
3. 生徒会長
4. Lion Heart
5. いじわる
6. DATE
7. どうかしてるよ
8. うちあわせ
9. 不良少女
10.イケナイコトカイ
11.19才の秘かな欲望
(1988.3.21/Epic・ソニー・レコード)

「やっぱり岡村ってスゴイ奴だね!」
 当時、このアルバムを学校の通学途中にCDウォークマンで聴き終えた僕は、思わずバスの中で叫んでしまいそうになった。それまで岡村靖幸と云えば「つぼ八とか白木屋とかで店員やってそうな優しいお兄さん」とか「夏にプールの監視やってそうなお兄さん」というイメージが強くて、とてもじゃないけど「歌を唄う人だって認識ができないでいた。しかも、こんなに鋭い切れ味を持った楽曲とクールでどこかに優しい視点で語られる歌詩(原文のまま)を自分で書くという、俗に云うシンガーソングライターだったなんて初めて知って二度ビックリ! 特に個人的にはその時期、図書館で借りた東西の冷戦構造についてキッシンジャーが書いた本のおかげで知り合った素敵な女の子と熱い交際をしてたんで、思わず8の「うちあわせ」の歌詩(原文のまま)がシンクロして特に思い入れがあります。岡村ちゃん、素晴しい青春のひとときをありがとう!



『靖幸』   奥田民生
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『靖幸』
1. Vegetable
2. ラブタンバリン
3. どんなことして欲しいの僕に
4. 友人のふり
5. 聖書(バイブル)
6. だいすき
7. Co mon
8. Boys
9. 愛してくれない
10.Punch↑
11.バスケットボール
(1989.7.14/Epic・ソニー・レコード)


 彼のこのアルバムくらいからだと思うんですよ。歌詞なんてどうでもいいっていうか、なんでもありだっていうか。そういうことを世の中に知らしめた功績は大きいです。いや、岡村さんは歌詞がいいって言われてるわけですけど、文字だけ見るとワケわかんないもんね。そういうの嬉しいんですよ。“なんじゃこりゃ”って詞が、メロディーがついて歌われると、すごくいい感じになる。結局、歌詞が評価されるっていうのも、メロディーあってのものだという気がするんです。岡村さんの譜割りなんか、怒るべきものがありますよ。で、僕もそういう曲作りを目指してるんで、親近感を感じてます。お互いがんばろう、というような(笑)。同い歳だし・・・・・・、三十歳。
「だいすき」のシングルは自分で買いました。それにしても、五年ですか? 長い間休んで、何をしていたのか聞きたいです。僕なんかまわりに負けて一年で働いてしまった。ヴァン・ヘイレンみたいですよ。えらい。



『家庭教師』   桜井和寿
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『家庭教師』
1. どぉなっちゃってんだよ
2. カルアミルク
3. (E)na
4. 家庭教師
5. あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう
6. 祈りの季節
7. ビスケットLove
8. ステップUP↑
9. ペンション
(1990.11.16/Epic・ソニー・レコード)


 デビュー前の僕の知人には、岡村靖幸さんに携わる仕事をしている人が多かった。多かった、といっても人数にすると二人なのだが、友人の少ない僕にとっては、かなりの割合で岡村靖幸さんの情報を耳にした。もちろん新譜の音もである。
 その当時の新譜が僕の愛するアルバム『家庭教師』だった。このアルバムを聴いた人には、わざわざそのものすごさを説明するまでもなく、聴いてない人には、ただただ同情する。そして僕は悔しいながらも、このアルバムに打ちのめされた。もはやこの人が天才だろうが、紙一重で背中合わせしたその向う側の人であろうが、はたまた和製プリンスであろうが、M・ジャクソンであろうが、岡村靖幸さんの音楽を形容するものには何の意味もないことに気付いた。
 それ以降の僕は、この日本におけるミック・ジャガーでもスプリングスティーンでもコステロでもデビット・バーンでもポール・ウェラーでもなく、岡村靖幸Part2になりたいと、悪戦苦闘しながら音楽と愛し合っている。



『早熟』   浜崎貴司
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『早熟』
1. Peach Time
2. Dog Days
3. Lion Heart(Hollywood Version)
4. だいすき
5. Out of Blue
6. いじわる
7. イケナイコトカイ
8. Vegetable
9. 聖書(バイブル)
10.Shining(君がスキだよ)
11.Young oh!oh!
12.友人のふり
13.Peach Time(修学旅行MIX)
(1990.3.21/Epic・ソニー・レコード)


『早熟』は発売された当時、友達からもらって聴いた。岡村ちゃんのアルバムをちゃんと聴いたのはこれが最初です。言葉がすごかった。歌詞カード見て、「えー、こんな言葉を音にしちゃってんの?」っていう感動があったな。全曲好きだけど、「だいすき」の♫もう劣等感ぶっとんじゃうぐらい♫のフレーズの譜割りが特に好きですね。
 彼の歌のテーマは同世代の僕には“そこまで、本当のこと言うか!?”という恐さと自分の趣味にもガッチリはまってて共感できる両面を含んでますね。
 この前のライヴで「なごり雪」を歌った時はみんなびっくりしてて面白かった。僕もびっくりしたけど(笑)、詞が好きだからって歌っちゃうピュアなところはすごく好きだな。だから、普段話してる時の彼と歌の中の彼ってすごく近い気がする。本気で世の中を見つめて、そこで自分が思ったことだけを歌にしてる感じがすごくするな。なんか、彼と話していると心が洗われるんですよね。




『禁じられた生きがい』   渡瀬マキ
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『禁じられた生きがい』
1. あばれ太鼓
2. 青年14歳
3. クロロフィル・ラブ
4. ターザンボーイ
5. 妻になってよ
6. パラシュート★ガール
7. どぉしたらいいんだろう
8. Peach X’mas
9. チャームポイント
(1995.12.13/Epic・ソニー・レコード)

 今回に限り岡村様のことを、あえて「岡村」と呼びすてにさせて頂きます。
 あばれ太鼓と岡村のシャウト!! アッウッイエイ。う〜んなんてエッチなんだー!! 踊りながらステージに現れた岡村のシルエットが頭の中をグルグルまわって・・・・・・思わずニタニタしてしまうんです。「野蛮でノーパンで冗談で」なんて、コレはもう「ベラこんちくしょ〜、岡村ってば〜!!」ですよ!? もちろん家でも「青年14歳SAY!!」の声に続いて「青年14歳!!」ってちっちゃな声で歌ってま〜す♡「妻になってよ」は初めて「カルアミルク」聴いてショックうけた時の胸のキュンキュンさを感じた。岡村ってそういう人なんだ・・・・・・? とか考えちゃったりなんかして(赤面)。
 このアルバムってさあ・・・・・・そうだな・・・・・・ディズニーランドに行って遊んで遊んで遊びまくって最後にシンデレラ城のむこうに打ち上げられた花火見て、うるうるしながら両手のこぶし上げて「サイコー!!」って叫んでしまった・・・・・・そんなアルバムなんだよなー!



文字起こし人:紅林




■ビンゴボンゴ
ラテン、ロック、歌謡曲をごた混ぜにしたミクスチャー・サウ
ンドが特徴。ユースケ・サンタマリアが在籍していたバンドと
しても知られる。1994年にデビュー、1997年に解散

■チカ(ボーカル 本名:藤井千夏)1967年5月5日。千葉県出身
。血液型A型。
近年、声優・ナレーターなどを務める。

■暴力温泉芸者
1990年に中原昌也を中心に立ち上げられたノイズユニット。海
外公演などを通じて国外でも高い評価を受ける。
中原昌也(なかはら・まさや)1970年6月4日。東京都出身。
1988年より音楽活動を始め、1990年にノイズユニット「暴力温
泉芸者」を立ち上げる。音楽活動と平行して映画評論も手がけ
る。1998年に小説家デビュー。2009年より執筆活動を停止、「HAIR
STYLISTICS
」名義での音楽活動が主になっている。

■奥田民生(おくだ・たみお)1965年5月12日。血液型B型。広
島県広島市出身。
1987年、ユニコーンのボーカリストとしてデビュー。1993年、
ユニコーン解散。1994年からソロ活動を開始。ソロ活動の傍らPUFFY
のプロデュースや、井上陽水とユニット「井上陽水奥田民生」
など、多方面での活動が多い。2009年、ユニコーン活動再開。
代表曲:ユニコーン「大迷惑」「働く男」「すばらしい日々」
「雪が降る町」など。ソロ活動「愛のために」「イージュー★
ライダー」「さすらい」「ましまろ」など。

■桜井和寿(さくらい・かずとし)1970年3月8日。東京都出身
。血液型O型。
1992年5月Mr.Childrenでメジャーデビュー。Mr.Childrenのボ
ーカル・ギター。2004年からはBank Bandとしても活動。
代表曲:「innocent world」「Tomorrow never knows」など多
数。

■浜崎貴司(はまざき・たかし)1965年6月11日。栃木県宇都宮
市出身。
FLYING KIDSでボーカルを担当。
1989年、TBS『三宅裕司のいかすバンド天国(イカ天)』に出
演。初代グランドキングになった事がきっかけで、1990年にデ
ビュー。1998年、FLYING KIDSは解散。バンド活動と平行して
俳優・声優としての活動も目立った。
代表曲:「幸せであるように」など。

■渡瀬マキ(わたせ・まき 本名:平川麻紀)1969年2月22日。
三重県出身。血液型O型。
1986年ヤングジャンプクィーン・グランプリ受賞。1987年に渡
瀬麻紀でアイドルデビュー。1989年に「LINDBERG」でデビュー
。2002年、解散。その後はソロ活動が中心になる。

★上記のプロフィールは、月刊カドカワに掲載されているものではなく、紅林さんが制作してくれたものです。わざわざありがとうございます。




GWチャット「君と僕の打ち合わせをしようよ~THIS IS IT~(仮)」ですが日程は以下の予定で行います。

5月1日(土)20時から
5月2日(日)22時から
5月3日(月)22時から
5月4日(火)22時から


ちなみに、僕はゴールデンウィーク中も仕事があるため、24時頃までしか参加出来ませんが、24時以降は、みなさま御馴染みの文字起こし人の紅林さんがホスト役を務めてくれますので24時以降でも参加できます。GWということで、みなさまお忙しいとは思いますが、上記の時間帯でお暇な方がおられましたら、ぜひ一緒に岡村靖幸の行く末について語りましょう。

突撃ルポ<瀧くんと行くフーゾク最前線>

月刊カドカワ 1996年5月号 VOL.14 NO.5

表紙 なんで僕なの? 〜完全復活宣言〜
総力特集 岡村靖幸 完全保存版全47ページ

● INDEX
P18〜P19
総力特集 完全復活宣言
P20〜P28
スピリチュアル・メッセージ もう寂しい思いはさせないよ
P29
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その1 佐伯明
P30〜P33
全アルバム試聴解説
P34〜P42
突撃ルポ<瀧くんと行くフーゾク最前線>

P43
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その2 能地祐子
P44〜P47
岡村靖幸スーパーエステへ行く しりあがり寿(しりあがり氏による漫画のため掲載無し)
P48
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その3 小貫信昭
P49〜P56
ライオンと戦える男(カラーグラビアのため掲載無し)
P57〜P62
ライヴ・ドキュメント ひき語り全記録
P63
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その4 カトリーヌあやこ(カトリーヌ氏による漫画のため掲載無し)






P34〜P42
突撃ルポ 瀧くんと行く、フーゾク最前線  
岡村靖幸 水先案内人/ピエール瀧



瀧くんとだったなら、テレクラだって大丈夫。
瀧くんとだったなら、ブルセラだって行けるかも。
瀧くんとだったなら、このモヤモヤが解決できるよ、きっと。
まずは、飛び込んでみるんだ。
知りたい世界にきみがいるのなら。
 撮影/ハービー・山口


 1 カルト・ショップ

 その日、渋谷の街には雨が降っていた。待ち合わせは電力館の手前、ななめ向かいの雑居ビル。一階には古着屋が入っている。傘をたたみながら、コギャル風制服女子高生二人組がエレベーターに乗り込む。彼女たちがあがっていったのは、10階だ。エレベーター脇の非常階段扉からは、何人かのWスーツにサングラス系男たちが下りてくる。
 時計は午後8時をまわっていた。
 待ち合わせの男たちはまだ現れない。
 一人目の男が現れた。
 黒いコートに携帯電話。
 男の名は岡村靖幸。
 この企画の主役だ。
「じゃあ、先に見に行きましょうか」
 男はカメラマンを促すと最初のチェック・ポイント、「カルト・ショップ トランプ」へと向かった。
 天井の低い9階フロアーに降り立つと、男はすぐさま蛍光色の看板を見つけ、「ここは、ありますよ、何か。フーゾク系は蛍光色好きですから。ジャンケンで負けた人、ブザー押しません?」
 誰もノらないのを確かめると、男は踵を返し、905号室の前へ立った。
 ブザーを押す。
 中の男からインターホンを通して「どうぞ」と声がかかる。
 ドアを開ける。
 ピロピロピロ〜。
 ワンルーム・マンションの明るい店内。隠微な気配はあまりない。Hな感じもあまりしない。ごく普通に“使用済み女子高生制服”“看護実習生服”“古着”“Hビデオ”“カセット・テープ”“化粧品”が陳列され、マライア・キャリーが有線で流れている。
「これ、すごいですね」
 岡村の指さしたのは、温室状のベランダに丁寧に置かれている“某AV純子嬢の世界で3体生型取りマネキン/百五十万円/要相談”だった。
「うちのコンセプトは、あらゆる欲望にお応えしようと・・・・・・女装も制服フェチ、何でも対応できるようにと思っているんです」
 プルプルプル〜。携帯が鳴る。
 二人目の男がもうすぐ登場する。
「ちわ〜す。遅くなりましたあ」
 男の名は電気グルーヴのピエール瀧。
 フーゾクに精通した瀧に、岡村はこの企画の水先案内を依頼したのだった。ふんふんふんと軽く店内を見回し、熟練・瀧はチェックする。
「これ、すごいですね」
 瀧の目が止まったのも“某AV純子嬢”であった。
ピエール瀧(以下P)「さわっても大丈夫ですか?」
岡村(以下O)「なめちゃだめですか?」
 ベランダからだしてもらった“某AV純子嬢”を二人は囲む。
P「こわいな、これ」
O「そうとうこわいよ。でも、理想的な乳輪」
P「いやぁー、なんかみとれちゃうって感じですね。ここんとこも・・・・・・」
店長(以下、店)「全部、型とってますから。愛してくれる人には、お安くします」
O「いや、買わないとだめでしょう」
 きっぱり言い切る岡村ではあった。
 ここで、電気グルーヴのビデオで某純子嬢に踊ってもらっていたことが判明。突然の再会に陰微な友情が瀧側に一方的に生まれる。


P「フリフリの服は誰が着るんですか? 男の人が着る? なるほどね」
店「女装系の人はいっぱいいますから」
P「しかも、昔から。どんな感じなんですか? 俺、亀戸のエリザベス会館は行ったことあるんですよ」
店「今は名古屋、三島ですね。ビル一軒、全部それ。会員が全国で四万人」
P「みんながアルバム買ったら、四万枚! 女装してアピールしないと(笑)」
 ただ、女装といっても、現在は細分化されてるらしく、肉体改造を賛成する派もあれば、反対する派もあって、いろいろなのだという。
P「おっ、26センチのハイヒール、親切だわ、それは」
 ピロピロピロ〜。
 一人、男がはいってくるが、「SEX CHANGE」カセット(三千円)を買って早々に出て行く。
店「このカセットはいわゆる暗示モノ。女になりきる時に使います。今売れてますよ」
 その他に、セックス・チェンジの要素とメイクのハウツーがはいったビデオもある。
O「男の人が買って行くんですか?」
店「ええ。ファンデーションの塗り方から教えてくれますから」
 そういう意味で、化粧品も置いてあったりするわけである・・・・・・。
“某恋ちゃんサイン入り靴下”“某愛ちゃん歯ブラシセット”・・・・・・等ギルガメ系も充実している。
P「制服ものは、都内のものじゃないと人気がないって感じですか?」
店「正直、うちは関西ものもほしいなぁって」
 関西系のセーラー服は襟が大きく、関東はさほどでもない。しかし、制服的に有名校のものがお高い。だいたい7万円前後。慶應女子NY校なんてのもある。
O「俺、カーディガンとか見ると、グッとくるなぁ、なんか」
P「ああ、こうブラウスがのぞいて、脇があまった感じ?」
 そう言いつつ、ブルマーセットを裏返してみる瀧。そろそろ次へ移動の時間。土産ものを物色する。店長のお薦めは『お嬢様・発狂』。
店「VIPの某夏子ちゃんのお嬢様シリーズをみたあとにこれを見ると“発狂”の意味がわかります」
P「深いんですね。リミックス盤みたいなもんだ」
O「ああ、オリジナルを見てるとリミックスが面白いと」
店「はっきりいいます。想像以上のものをお見せします」
P「うぁあ、本当、わあ、見てぇ。俺、それで勝負かけます」
O「ああ、僕もいいですか、この“発狂”」
 店長のはっきりした姿勢がカッコイイ!ということで、お土産もらって、トランプの扉をあとにするのだった。


 2 テレクラ

 ガタイの大きい男五人が、道玄坂小路をはいっていく。左右にテレクラ、イメクラ、キャバクラがひしめいている。中ほどを左に折れ、狭い階段を上がると「ときめきワンダーランドB2」がある。
 自動扉が開くと、すぐ左にフロントがあり、ここで120分三千円を払い、トイレに行ってBOXに消える。完全取継制なので、焦る必要はない。
店「取り次ぎの名前はどうしましょうか」
P「僕は、矢島。いつも決まってるので」
O「僕は、山本」
店「マニュアルが各BOXにはいってますので、読んだ通りに純粋にやっていただければ、100%間違いなく切られたりはしないですね。いいですか。じゃあ、10番と11番に」
 全部で12BOX。時計は午後十時近い。
 まずは読んでみますか・・・・・・と山本(仮名)はマニュアルを読みはじめる。
O「今日、暇なんで会える・・・・・・君、これから会える・・・・・・名前なんていうの・・・・・・何歳・・・・・・どこに住んでるの・・・・・・芸能人に例える誰に似てる・・・・・・彼氏いないの、あーあ、全然かかってこない」
 トゥルルル〜トゥルル。
P「岡村さん電話だよ」
O「もしもし、どうもコンニチワ。お元気ですか? 今どこからなんですか? ほんとに? 僕は三十歳です。何してたんですか?」
 畳みかけるように質問する山本(仮名)であったが、好きな音楽、好きな映画あたりから雲行きが怪しくなり、切られてしまう。
O「ああ、切られちゃった。うー、頑張ったのに、つらいなあ」
P「まずは一敗?」
どうも一人じゃなかったらしい。
O「三十歳っていうのはだめなんですかねぇ」
P「だめじゃないでしょ。狙ってくる人もいるよ。大丈夫だよ、三十で。あっ、俺だ」
 元気づける矢島(仮名)の元にも電話が入る。 
 電話に出る前に、会う約束しちゃってもいいのか確認する矢島(仮名)。かなりの自信ではある。
P「もしもし、こんばんは。何やってるの。何もしてないの、そうなんだ。雨ふっちゃって大変だね。今おうち? 違いますと。何やってるの? 学生? 楽しいね、学生。みんなで遊びに行ったりしないの? しないんだ。だめじゃん、そんなことじゃ・・・・・・」
 先方は高校生。君の中での流行もの、おいらの年齢、受験、住んでるところ、ドライブ、このヤロー、本当に迎えに行っちゃおうかな、見た目はでっかいフランケン、髪型、似てるのは清原、ピエール瀧(知らない)、ポケベル持ってない? 彼女いるよ、何、セカンドでもいいの? 俺は今、君しか見えない、携帯の番号教えるね、もう、頼むよプリーズという具合にことはうまく運んだ模様。
O「瀧くん、うまーい」
と感心する間もなく、山本(仮名)のベルも鳴る。
 今度はうまくいった様子。矢島(仮名)にも再び別の電話がかかり、二人とも話しこんでいる。そうこうするうちに、電話がパンク状態となり、付き添いのはずだったレコード会社関係の面々も次々とBOXの中へ消えて行った。
 三十分経過。皆、まだ継続中。
O「・・・・・・なるほど、人間、でも弱いものだと思うよ。なんかさ、心が引き裂かれる気分ってあるよね・・・・・・」
P「・・・・・・保育園の先生? 俺、自由奔放な末っ子タイプなんだ。さすがだねぇ・・・・・・で、子供がファンデーション食べちゃったんだ・・・・・・」
 他のBOXでも話が弾んでいる模様。しかし、ここらで切り上げていただこう。
Pうん、俺、もうちょっとで出なくちゃならないんだ。じゃ、ごめんね。またね、バイバーイ。(原文のまま。「」無し)
 山本(仮名)もフィニッシュし、ピースサインでBOXからでてきた。
O「名前きいちゃったよ」
P「教える、教える、そんなの」
O「どんな感じでした?」
P「一人目は十八歳、高校生。二番目が三十四歳」
O「僕はね、話が盛り上がったところで。ピエール瀧くんが好きだって言ってた」
P「ほんと? 誰に似てるのってきくから、俺、ポンキッキーズに出てくるピエール瀧に似てるって言われるんだけどって言ったら、みんな知らないのね」
O「ほんとに?」
P「あれだけ出てるのに」
O「なんか、ついつい真面目な話になっちゃうよね」
 前調査によると、夕方ぐらいまでは女子高生、夜も更けてくると、年齢層はバラバラだが、ヒヤカシも多くなるという。この日は雨のためか、かなりの確率で真面目(?)な話ができた。
P「ここはいいよ。ヤラセがなさそうだし」
店「うちは取継制ですからアポイント率は相当高いです」
O「ほんとに。また来まーす」
 ということで、ガタイの大きい五人の男たちは、それぞれに満足し、店を後にしたのだった。


 3 深夜のカフェ

 雨足はいっそう強まっているというのに、ポケベルの番号、携帯の番号など、お宝を手に入れ、二人の足どりは軽い。この企画の主役岡村の、フーゾクに対する疑問は解けたのであろうか。
O「答えを出したかった、どういうところだか。僕は考えるだけじゃなく、喋るだけじゃなく、全部経験したい。経験してから偉そうなこと言いたいなと思って」
P「テレクラどう?」
O「いや、今日はすごく楽しかったです」
P「ほんと(笑)。どんな子だった?」
O「一人目は、たぶん高校生が近くから友達五〜六人で電話しててふざけてたんだけど、二人目はすごく面白かった。なにか逆ナンパとかもするコで、話してていい感じ。ヤな女の子じゃないんですよ」
P「テレクラにかけてくる女の子って、楽しんでるコは多いですよ」
 では、テレクラは何が楽しいんでしょう。
P「やってみないとわからない」
O「だからほら、OLの人たちが、『私、一生のうちにやっぱりフランスも行ってみたいし、オーストラリアも行ってみたいし、ドイツも行ってみたいの』というのと同じでしょう。いろんなこと経験してみたいし、他の世界も知ってみたいし。生きているうちに全部知っておきたいってこと」
P「別にすすめるわけじゃないけれど、向いてるなと思ったものとか、興味を持ったものにいけばいいんじゃないかな。興味を持った時の、その気持ちに正直にいったほうがいいと思うけどな。みんないこうぜとは言わないけど、いきたいってやつを止める理由はないって感じがするけれど」
 今の女子高生は、マスコミに出てるより、もっとすごいことになっているとテレクラの店長は言っていたけれど、その辺のところも今回調査したかったわけだが・・・・・・。
P「今のコが大人になっていくなり方は、うちらと全然違うじゃないですか。今のコの気持ちとか、周りの環境とか知らないから、とやかく言えるものじゃない。極端なこと言えば、俺らがわかりようのない世界もあるわけだ。放っておいてもいいだろうけど、そこにあるのは事実でしょう。だったら、そのコたちの環境の中で面白そうな部分があったら、飛びこんでいったほうが全然いいなと思う」
O「とりあえず今日は、瀧くんの電話のうまさを学びました。『だめじゃないか』『オイオイオイ』とか言ってて、すごく優しい」
P「体育の先生みたいな感じでね。あと地が出ちゃう、ウッカリ」
O「いや、相手の懐にズーッと入っていく具合の、そのうまさ。すごいもんがある」
P「でもね、とりあえずアポとれたとして、どこかで待ち合わせしようって待ち合わせして、来る確率って、10%ぐらいなの。それで、声と話の内容でしか、その人の人物像作ってないでしょう。答えを見せられた時のショックがすごい面白い」
O「『うわぁ、かわいい』ってのありました?」
P「『うわぁ』てときも、『アチャー・・・・・・』ってとこもあって、それがまたテレクラの醍醐味ではあるんですよ」
 では、カルト・ショップはどうだったのだろうか。
O「あそこはもう、人間万歳!」
P「人間万歳だったよね。たくましいよね、なんか」
O「すごいパワーを感じる。店長さんが自分のやっていることに確信持ってるし、説得力がある。言ってることが正しい、間違ってるかはともかくとして、説得力があった」
P「『なにが悪い?』って感じだったもんね。女装の人って、きっと意外にいますよ。やったことないから嫌っているだけで、やったら、すごいしっくりきちゃうかもしれないね」
 ランジェリー・パブ、キャバクラ、ソープランド、ヘルス、SMクラブ、性感マッサージ、ホテトル、デートクラブ、デートサークル、お見合いパブ、ビデオ鑑賞会、ストリップ、スワッピング、カップル喫茶・・・・・・数限りなくある風俗産業、人はなぜ風俗に行くのだろうか。
O「たとえば風俗産業は年間どのくらい収益をあげているんだろう。MACとかでも、結局、エッチのCD−ROMでパッと盛りあがることがあるじゃないですか」
P「性欲って、欲じゃないですか。食欲と一緒で。そう考えると、世の中にある食い物屋の数と同じだけのセックス産業があっても悪くないと思う」
O「自然だよね」
P「だからね、もうラーメン屋とヘルスはセットになってるとかさ。飯も食えるし、ヌケるしっていうのがあればさ、かなりいいよね(笑)。だからこういう話するとみんな嫌がるし、苦笑いするのは、みんな欲を、本当はあるくせに隠そうとするじゃないですか。『じゃあお前性欲ないんかい?』って言われて、『性欲ないです』って言ったら、それはすごい問題じゃないですか」
O「そうだよね」
P「性欲ないのって、おいらはそんなヤツは信用できませんよって思うし」
O「瀧くんはそういうところ闘ってるよね」
P「そう?」
O「見ててそう思う」
P「だってあるもん(笑)。なるべくそこは正直にいきたいなっていうのはあるなぁ」
O「そうね、そういうところで闘っている人のベスト3に入るかも(笑)。頑張れよ、もっと。いや、ほんとに。なかなかできない」
 なぜ男の子は風俗が好きか。それで彼女とは別に、どうして風俗に行くのだろうか。
P「ていうか風俗に行くヤツに、風俗に行きまくっているヤツに、たまたま彼女ができただけの話で。彼女と付き合うようになったからって、オナニーをしないわけじゃないでしょう」
O「それはある」
P「そういうもんですよ。要はオナニーの仕方じゃないですか、風俗なんて。だから別にそんな、いろんなところで恋するわけじゃなくて、オナニーをどういうかたちでやるか。お金を払わずに自分でシコシコ一人でやるか、それかお金を払ってオナニーを手伝ってもらうかぐらいですけどね。テレクラも広い意味では同じですよ。需要と供給って感じじゃないですか。いろんな女の子いますからね。それこそ、もう、やりたくてしょうがないティーンのコから、別にそういうわけじゃないけど、ただ淋しくて電話がかかってくるやつもいれば、いろいろですからね」
O「でもテレクラとかテンションよくないと、きっとおもしろくないだろうな、それ」
P「だから、風俗ってなんでもそうだと思うんですけど、いつもより三割、四割テンション高めて行かないと。だから今度は取材じゃないやつがいいね」
O「そうですね」
P「取材じゃなくて、このあと人と会う約束があって、キャバクラ行くんだけど、行く?」
O「乗りましょうか。今から?」
P「今から」
O「行きましょうか、行きましょう。行ってきます」
 まだまだ夜は長かった。

取材協力/カルトショップ・トランプ ときめきワンダーランドB2!渋谷店


文字起こし人:紅林




岡村靖幸といえば、石野卓球との交友が有名だ。「岡村靖幸と石野卓球」名義でシングル「Come baby」、「岡村と卓球」名義で「The Album」というアルバムをリリースしている。岡村靖幸の音楽は2000年代に突入した頃から楽曲の毛並みが、ややクラブよりというか、洒落っ気のあるアレンジに変化しているが、これは石野卓球の影響が強いのではないかと思う。音楽面で影響を受けたのが石野卓球であるならば、セクシャル面で影響を与えたのは、水先案内人・ピエール瀧ということになるのだろうか。卓球にしても瀧にしても、岡村ちゃんに変な影響を与えないで欲しいものですねぇ。

■カルト・ショップ
あの、ちょっと、初っ端からレベルが高過ぎてついていけないのだが…。かなり変態度の高いマニアックな店だな。岡村ちゃんも言っているが、店長がカッコイイですね。やっていることは全然カッコよくないけど確固たる理念を持っているというか、きっと自分の仕事に誇りを持っているんだろうな。そういうのっていいよなぁ。某AV純子嬢のマネキンについてのとこで、瀧が「さわっても大丈夫ですか?」にかぶせて岡村靖幸が「なめちゃだめですか?」と聞いているのに笑ってしまった。これって、冗談だよね。

■テレクラ
テレクラって一時期流行ったみたいだけど、これどこが楽しいのだろう?ただ、電話するだけでしょ。しかも相手は冷やかしの方が多いわけだし。なぜ、テレクラがこれほど流行ったのかが理解できない。まだ、ネットが普及していなかった頃だから、出会い系の前身的なものなのだろうか。
「・・・・・・なるほど、人間、でも弱いものだと思うよ。なんかさ、心が引き裂かれる気分ってあるよね・・・・・・」 なんかこれ、いかにも岡村ちゃんらしいな。でも、こういうネガティブな話題で通じ合って出会う女なんて十中八九、メンヘラそうで怖い。

■深夜のカフェ
「カルトショップ」「テレクラ」を経験した岡村ちゃんが深夜のカフェで語っている。妙に達観したピエール瀧がなぜだか頼もしく見える。「今のコの気持ちとか、周りの環境とか知らないから、とやかく言えるものじゃない~(中略)~だったら、そのコたちの環境の中で面白そうな部分があったら、飛びこんでいったほうが全然いいなと思う」とかめちゃくちゃいいこと言ってるよね。

本人自身による全アルバム解説

月刊カドカワ 1992年10月号 VOL.10 NO.10

表紙 総力特集 最初で最後の永久保存版
岡村靖幸  やさしく愛して

● INDEX
P20~P21
 総力特集 やさしく愛して 
P22~P31 
スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、ぼくに
P32~P37
コンプリート・ヒストリー さまよう青春
P38~P41
証言構成 ミステリアスな彼について、思うことがある――靖幸のこと
P42~P47
本人自身による全アルバム解説

P48~P50
本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告
P51~P58
イケナイコトカイ(カラーグラビアのため掲載予定無し)
P59~P77
実物大 岡村靖幸  図と解説 江口寿史(写真と江口氏によるイラストのため掲載予定無し)
P78~P79 
最終家庭教師 江口寿史(江口氏による漫画のため掲載予定無し)
P80~P89
精神講座 創ることと魅せること






P41〜P47
本人自身による全アルバム解説     岡村靖幸

青春って?   いまの僕たちはこのままでいい?
岡村靖幸の描く「岡村靖幸の世代の心」を聴いて私たちは
ふいに泣きたくなったり、マンションの屋上に昇りたくなったり、
手をつないで歩きたくなったり、する。   構成 佐伯明



『yellow』
1.Out of Blue
2.Young oh! Oh!
3.冷たくされても
4.Check Out Love
5.はじめて
6. Water Bed
7. RAIN
8. 彼女はScience Teacher
9. White courage


『yellow』が出た‘87年頃というのは、世相的にどんなことがありましたっけ? ゴッホの「ひまわり」を安田火災が53億円で買う・・・・・・あとは?
東京の地価上昇率が過去最高の76パーセントになる・・・・・・ほぉ・・・・・・その頃の僕はほとんど社会に関心がなかったと思いますね。全部、他人事で。女のコにモテたいとか、あと興味といったらファミコンぐらいかな。もうぜんぜん他人は関係ないっていう感じだった。
 バンド・ブームの前で、まだ歌謡曲に力があった頃でしょう? だから(中森)明菜ちゃんとかをよく聴いてましたよ。(松田)聖子ちゃんとかね。僕がファーストLPを出す前後に松田聖子が結婚してね。郷ひろみが好きだとか言ってたのに婚約もしないで、二、三カ月後にいきなり結婚を決めたでしょう? そのことに心を傷めた記憶がありますね。
 よく、歌謡曲が廃れてロックが主流になったっていわれるけど、歌謡曲とロックの境界線ってわかりづらいですよね。ロック・ミュージシャンとかいっても自分で詞を書けなかったりする人、多い。曲が書けなかったりね。逆に歌謡曲の人でも自分で詞を書ける人もいるわけで・・・・・・。だから、何をもって歌謡曲とロックを見分けるか? そこはむずかしい。自分や自分の曲に他者が介入することが多い日本の音楽界では特にね。歌謡曲でもロックっぽい魂感じるものがあったりするじゃないですか? でもどうして歌謡曲は衰退したんだろう・・・・・・。おニャン子の時期からかな?
 僕がデビューするきっかけになったのはスタジオで踊ってたってことなんですよ。早い話、まず踊りを認められた。だから、踊りをいちばんのポイントに置こうと思った。踊ることがいちばんのセールス・ポイントだなと思ってやってた頃です。
 その頃の精神状態としては、東京に来たばっかりでTVで「オールナイト・フジ」とかが始まると、そんなものにすごく心を揺らされたりしてた。心がグラグラしてた(笑)。心の持ちようをどうしたらいいのかわからなくて、夜中に一人でマラソンしたり、一人で牛丼食べに行ったりとかしてたもん(笑)。いまより大人げなかった。なんでTV見て心がグラグラするのかわからなくて。
 最初は歌詞なんか自分で書かなくてもいいと思ってたんです。踊りと歌で頑張ろうと思って。それが変わっていったのは、やっぱり他人の詞を歌ってると気持ち悪いんですよね。ライヴで歌ったりとかしてるとその気持ち悪さがお客さんにも伝わると思ったし。だからやっぱり下手でもいいから自分で詞を書こう! ってね。



『DATE』
1. 19(nineteen)
2. Super Girl
3. 生徒会長
4. Lion Heart
5. いじわる
6. DATE
7. どうかしてるよ
8. うちあわせ
9. 不良少女
10.イケナイコトカイ
11.19才の密かな欲望

 セカンドからは詞にものすごく力を入れた。そのせいかどうかは知らないけど、周囲の意見っていうか評価がファーストとセカンドでは違う印象がある。あと“セクシーな匂い”っていうのがセカンドは強いと思う。セクシーな匂いが出始めたというか・・・・・・。どうして出始めたのかなぁ。一時期の僕はファミコンとボディ・ビルディングの二つを大きな自分のテーマにしていて・・・・・・ファミコンをするのと身体を鍛えるっていう対極のことを取り入れるのが、自分のなかではすごく正しい道のように思えたんです。二つのバランスが“俺ってオリジナリティがあるじゃん”っていう自己確立にもなるし“ナウいじゃん”って感じもした。まったく性格の違うものを自分で取り込むことによって、何か自分が磨かれていくような気になることってあるでしょ?
“セクシーな匂い”ってたぶんそこらへんから出てきたんじゃないかな。だけどいろんなところで“岡村はエッチだエッチ”とか書かれたり言われたりしたし、いまだにずっとそのエッチな印象が続いているんだけれども、自分ではもうちょっと奥があるんだけどなって気がしてるし、セクシーさの根源は何か?とも思う。あとアルバム何枚も作ってるのに後継者が現れないのは寂しい。雑誌の特集でエッチがテーマになると、すぐに“レコードでは岡村靖幸の○○とか”って紹介されちゃう。エッチなのは俺だけじゃないだろうと思いますが。雑誌とかいろいろな人の話だと、岡村靖幸っぽいとか第二の岡村靖幸という話をあまり耳にしないのでしかたがないのかもしれない。
 でもエッチ=岡村靖幸みたいな図式って僕にとっては予期せぬものだった。“ちょっとセクシーな岡村靖幸”ぐらいだったらいいけど“岡村靖幸といえばエッチでどーのこーの”みたいになっちゃうとね。たとえばヘヴィ・メタルってジャンル名で呼ばれる人達もね、ある意味で少数だからそう呼ばれるわけでね、音楽が全部ヘヴィ・メタルみたいな音楽だったらもっといろんな言い方してもらえますよ、きっと。
 実際僕がセクシャルってことでレコード買ってる人はたくさんいるし、セクシャルなことをやってくれるんじゃないかって期待でライヴに来てる人も多いって事実もありますけど(笑)。僕が外国に行ったらセクシャルってことだけでこんなに言われないと思う。なぜなら他にもセクシャルな人はたくさんいるから・・・・・・セクシャルって非常に大きいテーマだし、テーマにされるべきことだったし。でも、日本も変わってきているから“僕も(岡村の)真似しよう”と言って真似してくれる人がこれからもたくさん出てくればいいのに。




『靖幸』
1. Vegetable
2. ラブ タンバリン
3. どんなことして欲しいの僕に
4. 友人のふり
5. 聖書(バイブル)
6. だいすき
7. Co mon
8. Boys
9. 愛してくれない
10.Punch↑
11.バスケットボール


 『靖幸』のジャケットはピンク色。一枚目が黄色で二枚目が紫、三枚目はピンク。なぜ色が出てきたかというと、アルバムごとにトータリティはないと思うんで、トータリティみたいなものを持たすために色を使った。でも、アルバム・タイトルと色は特別関係があるわけじゃない。この『靖幸』ってタイトルはその当時みんなびっくりしたし、最初は反対された。
 『靖幸』では作詞・作曲にプラスして、演奏からアレンジまで全部自分でやった。そして、この作品で強く打ち出したものはメッセージですね。男のコに対してのメッセージもあったけど、それ以前に自分に対するメッセージっていうのがいちばん大きくて、タイトルはそこからきてると思う。で、自分に向けたメッセージが僕と同世代の男のコに跳ね返ってるという図式があって、それで男のコのファンが増えていったんじゃないかと。あんまり客観的には言えないけれども・・・・・・。
 この頃になると、もうほとんどインタヴューは受けなくなっちゃって“岡村はなんだかわからんない”っていう始まりですね。わからない存在と『靖幸』ってアルバム・タイトルは、象徴的だと思う。
 インタヴューを受けなくなったのは(高倉)健さんの映画を何本も観て、単純に憧れたんですよね。インタヴューを受けないからといって、健さんがどうしようもない作品に出るわけじゃないし、何かああいうやり方がイイなと思ったわけです。あとは、インタヴューをしちゃうと“このアルバムはこういった作品である”というような“見方”が決まっちゃうでしょう? それが嫌なんですよね。どんなふうに聴いたか?ってことは各人に依るものだから、それぞれが僕のレコードと向き合えばいい。インタヴューでわかったような気になっちゃうよりそのほうがエネルギーの要ることだしね。だから評論家やライターと呼ばれる人たちが、僕や僕のレコードをどんなふうに書くのか、とても興味ありますよ。インタヴューすると僕のしゃべったことが良くも悪くも“土台”になっちゃってツマラナイ。
 自分も含めてですけど、テキストがない時に人間はどうするのかってとても面白い。テキストがないのに何かをやろうとする人間、ですね。極端な話、初めて飛行機を作ろうとした人間とかね。この前雑誌見てたらUFOを作ろうとした人の話が載ってたけどオカシイですよ。言うことが無理矢理で(笑)。でも、そういうところってあると思う。やっぱり何もテキストがないと“どうしてこれが無理矢理なんだ?”と作ってる本人は思うからね。ある面ではすごくガムシャラなんですよ。



『早熟』
1. Peach Time
2. Dog Days
3. Lion Heart(Hollywood Version)
4. だいすき
5. Out of Blue
6. いじわる
7. イケナイコトカイ
8. Vegetable
9. 聖書(バイブル)
10.Shining (君がスキだよ)
11.Young Oh! Oh!
12.友人のふり
11.Peach Time(修学旅行MIX)


根本的に自分を意識するっていうことは、自分の世代を意識するってことですよ。自分がとんでもなく変わった厭世(えんせい)的な人間じゃないかぎり、自分を書くってことは、自分の世代を書くことにつながってると思う。
 僕が自分のことだけ書いてこれだけ聴く人がいたってことは、自分の世代のことも書けたんだって結果的に思うんですけどね。
 僕の世代をマクロ的に見ると、あんまり苦労しなくなった世代でしょうね。
 コンビニがあったりファミコンがあったりヴィデオがあったりと。じゃあ、コンビニができる前、ファミコンをやる以前に僕達はどうしてたのか?ってことを思い出さないといけないと思う。で、思い出せない自分達がいるっていうことに、大きなね、大きな隔り(原文のまま。正しくは隔たり)があると思うんですよ、他の国との。気合いの入り方が違いますよね、絶対。
 コンビニがあったりファミコン、ヴィデオがあるものだから、どうしても“対自分”になってしまうでしょう? そうすると、だんだんと自分を批判するものがなくなってくる。自分をけなすものもね。で、当然、生活は楽な方向へ行く。誰だって自分を批判されたり、苦しい思いをするなんて嫌でしょ?
 バルセロナ・オリンピックをTVで見てて思ったのは、痛い目に遭わないと人間は成長しないのかな? ってことで、そのぐらい俺達はやっぱり怠け者なのか?ってね。
 何か知りたいとか何か利益があると思った時、人は単純に動く。これを読めば自分がモテるんじゃないか、ああすれば利益があるかな? と思って初めて人は行動できる。
 それが悪いことなのかどうなのかは、まだ自分のなかで解答は出ていないんだけれども、そういう現状なんだっていうことを感じて歌にし始めたのが『靖幸』ぐらいからです。
 だから、自分に対してのメッセージ・ソングだな。
 メッセージ・ソングというと、昔、50年代や60年代にあったもので言い回しとしては古いけど、社会とか政治とか外に向かったメッセージ・ソングではなくて、自分に対してのメッセージ・ソングというのは、すごく新しいと思ったし、自分らしいと思った。
 社会批判・政治批判としてのメッセージじゃなく、それ以前にそれだけのことを言える自分なのか? ってことに立ち返るメッセージとも言えますね。オマエはじゃあ何者なんだ? オマエはそれだけ言えるような器の人間なのか?   いちばん最初に批判すべき、考え直すべきは自分なんだと。
 だから、自分へのメッセージ・ソングは何か自分らしくて好きですね。



『家庭教師』
1. どぉなっちゃてんだよ
2. カルアミルク
3. (E)na
4. 家庭教師
5. あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう
6. 祈りの季節
7. ビスケットLOVE
8. ステップUP
9. ペンション


 ‘89年の6月には天安門事件があって、その年の11月にはベルリンの壁が崩壊しているのかぁ、で、’90年の夏にはイラク軍がクウェートに侵攻してる。このへんの出来事っていうのは、ぜったい教科書に載りますよ。もう、ほんとに世界が動いてるから。
 でもねぇ、たぶん日本人のほとんどはなんでイランとイラクとクウェートがあんなことになっちゃったのか解ってないでしょう? どうしなくちゃいけないか?ってことを含めて・・・・・・。
 たとえば、イギリスではいまだに宗教戦争っていうのが存在してるけど、どうして終わらないのか?は僕たちには解らない。それは知りたくないからだろうし、知る必要性も感じてないからでしょうね。必要を感じない限り知ろうと思わないっていうか・・・・・・。僕たちが知ろうと思っていることは雑誌に出てる“HOW TOなんとか”や“いまコレを買うとお得”とかそんなことでしょ? “この夏着たいのはコレ!”や“何とかのナイトクラビング”とか、知りたいことはそんなんでしょう、きっと。僕を含めて。
 たとえば、いま、前田日明がやってるプロレスを僕は見ていて怖いと思うんだけれども、当人にとってはあれをやる必要性があったと思うんですよね。見ててほんとに怖いんですよ、本気で闘ってるから・・・・・・。でも、そこまで辿り着くには何かあるわけですよね。実際、見てると何か切羽詰まったものを感じるし、反面、それを感じようとしない自分もいる。だから怖く感じると思うんですよ。そこにまで到る経緯が解ると怖さの度合も軽減するんじゃないかな?
 僕たちの世代っていうのは、辛いことがあったらやめちゃいますから。別にことさら必要性を感じなかったら、そうしなくても食っていけるし、そうしなくても痛い目に遭うっていうことはないから。でも、僕が試練のようにして音楽を作ってるのは、自分のなかでどうしてもそうする必要があるからだと思う。
 『早熟』ってセレクション・アルバムを出したのも、『靖幸』と作った段階で、あれはその当時の最大にして強いものだと思ったんで、逆に“次に作るものはどんなふうになるだろう? とんでもないものになるんじゃないか?”と思ったんで、その前にポピュラリティのあるものを出そうとしたわけです。で、『家庭教師』ができたと。


文字起こし人:紅林




アルバム解説というよりは、アルバムが出来たときの時代背景や回想が主。まあ、音楽って時代を反映しているものだろうから、それでも全然構わないが、“全アルバム解説”と銘打つならもうちょっと中身についての解説をして欲しかったな。

■yellow
『yellow』の部分で書かれていることは、これまでにも様々な記事で話されてきていることなので重複する部分が多いですねぇ。踊っていたところを認められたことが、デビューのきっかけになったというのは有名な話だが、初めの頃は「踊りをいちばんのポイントにしていた」というのはちょっと意外だった。だってさ、ポイントにするほどの踊りか?いや、凄いよ岡村靖幸のダンスは!でも、それは技術的な面での凄さではなく自己表現的な面でのダンスが凄いのだ…凄いってか面白いのだ……もっと言ってしまえば笑えるのだ。岡村靖幸はそこら辺りのことを自覚しているのだろうか?ただ、当時は編曲スキルがまだ伴っていなかっただろうし、ダンスをポイントに頑張っていこうという気持ちも理解できるけど。
最初は歌詞を自分で書かなくってもいいって思っていたところを、「やっぱり他人の詞を歌っていると気持ち悪い」「下手でも良いから自分で詞を書こう!」と思い直してくれなかったら、その後の名曲たちは生まれなかっただろう。「自分で書こう」という決断は岡村靖幸を語る上での隠れたターニングポイントと捉えることが出来るだろう。

■DATE
2ndから評価が違うことも、これまでに何度も言及されているが「ファミコンとボディ・ビルディングの二つを大きな自分のテーマにしていて」って…。意味不明である。「まったく性格が違うものを自分で取り込むことによって云々」ということは、まあ理解できるのだが、それについてもうちょっと言及してくれないと…。それにしても「DATE」で急に岡村ワールドが色濃くなっているな。“セクシャル”云々という話が出ているが、岡村靖幸の「女性性を強く求めてしまうこと」と「情けなさすぎる自分の男性性について」と「青春時代を引きずる悔恨」が融合した結果、唯一無二のセクシャルな楽曲として現れたことはある意味自然の摂理なのかもしれない。

■靖幸
岡村靖幸のファンの男女比ってどれくらいの比率なのだろうか。今でも6:4くらいで女性の方が多いのだろうか。「靖幸」がリリースされた頃は殆どが女性でしたね。ライブDVD「ピーチショー」なんか見ても客席は女性ばっかりだ。でも、岡村靖幸の曲の殆どは男のコ向けの歌だ。「男のコに対してのメッセージもあったけど、それ以前に自分に対するメッセージというのがいちばん大きくて」とあるが「男の子=自分も男の子」なわけで。『早熟』についての解説部分にもあるように、自分のこと・自分の世代のことについて歌っている、という意識が岡村ちゃん的には強いのだろうな。

■早熟
吉川とのインタビューでも語っていたが、どんどん世の中が便利に豊かになっていくなかで、浮かれずにむしろ危機感をもって真摯かつ直向な姿勢でいられることはすごいことだと思う。「オマエはじゃあ何者なんだ? オマエはそれだけいえるような器の人間なのか? いちばん最初に批判すべき、考え直すべきは自分なんだと」とあるように、どんどん有名になって周りからも認められてきたであろう頃にも関わらず「自分とはなんぞや」と模索し悩んでいる所が岡村靖幸らしい。

■家庭教師
次に作るものはどんなふうになるだろう?とんでもないものになるんじゃないか?”と思ったんで、その前にポピュラリティのあるものを出そうとしたわけです。で、『家庭教師』ができたと。

えっ、とんでもないものをリリースする前にちょっと一般受けするものでも作っておこうかみたいな軽いノリで作ったのが「家庭教師」なの?案外、力まずというか肩に力が入っていない状態の方が、良いものは誕生しやすいものなのだろうか。プレッシャーのなかで「とんでもないもの」を作ってやろうって思ってもなかなか上手くはいかないよね。結局、そのプレッシャー押しつぶされた結果が現在の岡村靖幸であるならば「家庭教師」なんて無くてもよかったのに…。

「辛いことがあったらやめちゃう世代」「必要性がなかったら止めちゃいそう」であるのに「僕が試練のようにして音楽を作ってるのは、自分のなかでどうしてもそうする必要があるからだと思う」と言っているが、今でもその気持ちを持ち続けているのだったら嬉しいですねぇ。

追記:ポピュラリティのあるもの=早熟でした。





●今日の動画

これは名曲

証言構成 ミステリアスな彼について、思うことがある――靖幸のこと

月刊カドカワ 1992年10月号 VOL.10 NO.10

表紙 総力特集 最初で最後の永久保存版
岡村靖幸  やさしく愛して

● INDEX
P20~P21
 総力特集 やさしく愛して 
P22~P31 
スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、ぼくに
P32~P37
コンプリート・ヒストリー さまよう青春
P38~P41
証言構成 ミステリアスな彼について、思うことがある――靖幸のこと

P42~P47
本人自身による全アルバム解説
P48~P50
本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告
P51~P58
イケナイコトカイ(カラーグラビアのため掲載予定無し)
P59~P77
実物大 岡村靖幸  図と解説 江口寿史(写真と江口氏によるイラストのため掲載予定無し)
P78~P79 
最終家庭教師 江口寿史(江口氏による漫画のため掲載予定無し)
P80~P89
精神講座 創ることと魅せること





P38~P41
証言構成 ミステリアスな彼について、思うことがある―――靖幸のこと


自分の才能を信じきってる。 田中美奈子(女優・歌手)
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 NHKの「ジャスト・ポップ・アップ」という番組で私が司会をやっていた時、岡村さんがゲストで来られたんです。その時のインパクトがあまりにも強くて。まず髪型が、“ベルサイユのばら”のようなたてロールで、びっくりしました。その番組のなかでいろんなミュージシャンの方が自分の好きな曲を演奏してくれるコーナーがあったんですけど、その時、岡村さんが「スウィート・メモリーズ」を弾き語りしてくれました。独特のフェイクとパフォーマンスに魅了されて、「この人の曲を聴いてみたい」と思ったのがはじまりです。他のアーティストとは違うぞって、その時、本当に思いましたね。
 曲はどれもGOOD。作詞、作曲、アレンジ、すべてこなして、しかも表現力が豊か。岡村靖幸の魅力は、ずばり、自分の才能を信じきっているところです。好きですね。あれ以上、彼に求めるとしたら、いったいどんな才能でしょうね?



せつないな。  奥田民生(ミュージシャン)
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 誰かが教えてくれたんですね。これいいよって、テープくれた。『DATE』だったと思いますが。初めて聴いて、おもしろいというかセクシーというか「僕にはないな」と(笑)。そして、せつないなあ、と。
 ヘンな日本語だけど(笑)、リズムやメロディーに載せる言葉の使い方――その載っけ方がとてもうまいと思いましたね。曲もいい。「だいすき」はだいすき。
 ライヴは見たことないんです、残念ながら。でもテレビで歌ってるのを見たら、息切れしてた。だいじょうぶなのかなあ。
 ふつうの会話してどういう人なのかみてみたいです。でも会ったとしても、何を話したらいいのかわからないな。話しかけづらい雰囲気を持っていても話すと実はふつう、という人だとしたら・・・・・・それは僕と似ています(笑)。
岡村さんも僕も‘65年生まれ。同い年で才能ある人がいるって、うれしいですよね。よきライバルでありたいなあと思います。



「ちょいとひと踊り」の精神を忘れずにいてください。    小山田圭吾(ミュージシャン) 
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 靖幸? 俺の知ってる靖幸はね・・・・・・(笑)ちょっと俺、靖幸のことほとんど知らないんですけど・・・・・・以前TVの「ジャスト・ポップ・アップ」で一緒になったことぐらいかな。その時にしても会話らしい会話も交わしていませんし。挨拶はさせていただきました。一応僕も礼節を重んじるタイプなんで。ホント、挨拶だけなんですけど、ただ、いきなり・・・・・・何かカメラ・テストみたいなものをやっていたんですけど・・・・・・いやもうキメまくって「アォ!!」とかってやってた姿が、僕のなかの唯一の靖幸のイメージなんですけど・・・・・・それしか本当に・・・・・・あ、あとそうだ、リハーサルか本番か忘れましたけど、小さいキーボードみたいなものを持ってきて「スウィート・メモリーズ」をうたいますって、うたってたのも覚えてます。強烈なインパクトでしたね。とにかく、これからも、いつまでも「ちょいとひと踊り」の精神を忘れずにいてほしいですね。なんて。ねぇ、靖幸。



ごくふつうの、 ファンでいさせて   仙道敦子(女優)
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 三年ほど前、私がやっていたラジオ番組で曲をかけさせてもらったのが岡村さんの音楽との最初の出会いです。番組の担当ディレクターさんの、大のお気に入りで。初めて聴いて、「すごいな、これ、何だろう!」って思いましたね。友達から岡村さんの話は聞いていたけれど、こんなにも、楽しい音楽を作る人だなんて。聴くだけで、どこかに遊びに行ったような気分になれる音楽。ライヴにも行きましたが、体全体で、自分を表現することにおいて天才的だと、本当に思いましたね。なかなかライヴには行けないんですけど、アルバムに彼の色、匂い、ぎっしり詰まっているから、耳で聴くだけでもかなり満足させてもらってます。
 私、岡村さんに対しては、すごいミーハーなんですよ。めったにそういうふうにはならないんですけど。岡村さんの音楽で私はすごく素直な気持ちになれる。岡村靖幸という人間の存在に現実味がないほど、ファンです。



抱きしめたい。    浜崎貴司(ミュージシャン)
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 岡村ちゃん、愛はうまくいってますか?
 セレクション・アルバムの『早熟』を聴いて以来、僕は岡村ちゃんのファンであり(シングル「ターザンボーイ」なんて自らレコード屋に買い求めに行ったほど)、同業者として、すごくやろうとしていることがわかるっていうのかな、共有できるものがあると、想いを寄せています。
 中野サンプラザでのライヴ「家庭教師」では、パルコ劇場の時よりさらにダンスがうまくなっていましたね。やっぱり岡村靖幸はDANCEさ! かといってアルバム一枚のなかであれだけ自分の世界を完璧に出しきれているのもすごいことで。
 きっと僕はこれからも岡村ちゃんのライヴに足を運ぶことでしょう。あのバラードの弾き語りを聴きに。すごく好きな世界だから、僕はその逞しい肉体を抱きしめたくなる。
 今度、女の話をしましょう。エロ話を、岡村ちゃんと思いきりしたい。



客観的に自分を捉えてる人。   根本敬(漫画家)
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 友達の車のなかでアルバム『靖幸』を聴いたのが最初かなぁ。「聖書(バイブル)」の♪同級生だし~~背が179!! のくだりに心をもっていかれて以来、のめり込んでる。アルバムは全部持ってますよ。耳で聴いた時の歌詞と本当の歌詞が全然違うんでどれも感心させられます。熱狂的なファンが自分の周りに多いんですよ。岡村靖幸のファンってバランスよくいたる所にいるんじゃなくて、いる場所には固まっているじゃないですか。そういうヤツからヴィデオを借りて歌ってる姿を観たことがあるんですが、なんか雰囲気が変ですよね。けど、彼の根本的なところには破綻のないすごく常識的な部分があって、ちゃんと客観的に自分を捉えてる人だと思います。でも、音楽とかものを創っていくと、どんどん変だって言われる方向にいってしまう。それは彼の性質だと思うんだけど、変な部分と常識的な部分の距離感を自分でうまくコントロールできているのが、岡村靖幸じゃないかなぁ。



真面目に生きてる人の歌。   槇原敬之(ミュージシャン)
n_makihara.jpg
僕がまだ非常に多感な頃は、岡村さんの音楽は僕にはとても信じがたい世界でどっちかというと毛嫌いしていたんです。でも、ある日突然、わかっちゃったんです、これが。わかったっていうと生意気かもしれないけど、ものすごく僕の気持ちにしみてきた時があって、“あー、この人はただのエッチな歌を歌ってるんじゃないんだ。エッチな歌を歌ってるようにみせかけて実はすごく大切なことをたくさん歌っているんだ”ってことに気づいたんです。それから僕は岡村さんのものまねもできるほどのファンです。岡村さんは嫌がるかもしれないけど、僕が歌いたいと思っている、男の子の本当の気持ちが岡村さんの歌のなかにはいっぱいつまってます。彼が作る歌はただの軟派野郎の歌じゃなくて、すごく真面目に生きている人の歌だと思います。いまの世の中、真面目に生きてたらきっとああいう歌になってしまうんじゃないかなぁ。岡村さん、早くアルバム出して下さいね。



若き岡村の悩み。   安藤秀樹(ミュージシャン)
h_andou.jpeg
まだお互いに、デビュー前のことである。彼は会うたびに口ぐせのように“恋してる?”“デートしてる?”“ときめいてる?”こうかましてくるのである。片手には中学時代勉強しなかったからと言って、古い歴史の教科書を持ち歩いていた。
 調べあげて知っていることにはうるさくて、こっちが知らないとわめくように自慢するのである。そんな彼も、友人のふりかどうかは知らないが、数少ない友達の一人として認めていてくれていたのは確かだった。
 真夜中の時間を気にしない電話やタイミングの悪い電話も、彼の寂しげな魅力ある声についつい長電話になってしまった。
 そう、彼は飢えていたのだ、女、名声、金、友、すべてにだ。いずれそれら全てを、そのいやらしい手につかんだとしても、飢えた魂は失わないでほしい。彼の歌、ギターいや音楽には魂が入っているのです。そう自分で言ってました。(すばらしき友より)



欲張りな人だなあ。   CHARA(ミュージシャン)
chara.jpeg
 初めて見たのはEPICソニーのエレベーターのなか。眉間に皺をよせている人がいて、その人が岡村さんだった。アルバムとしては『家庭教師』を聴いておもしろいなあと思って、そこから遡って聴いてます。「カルアミルク」で“バーボンソーダを飲んでるけどこんなのおいしくない”みたいな詞があって、昔、好きな人が同じことを言っていたから、ヤベ、ヤラレタってカンジ。岡村さんの詞って男の独り言ってところがあるでしょう。私も女の独り言を詞にしてて、デビューの頃、女・岡村と呼ばれたのはそんなところかなって気がします。ライヴはパルコ劇場のに行ったのですが、心の底から笑いました。ただ、エネルギー、パフォーマンス力がすごくある。笑いからアーティスティックな部分まで全部できる貴重な人。男のエロティシズムを表現できる数少ない人ですね。あと、ピアノもギターも弾くall instrumentで、歌って踊って、欲張りな人だなあと思いますね。


文字起こし人:紅林




■田中美奈子(たなか・みなこ 本名:岡田美奈子)1967年9月12
日。血液型A型。 千葉県船橋市出身。
1984年、「ミスマガジン」準グランプリ受賞。
1989年、カヴァー曲『涙の太陽』で歌手デビュー。この頃に
自分の瞳に1億円の保険を掛けて話題になった。
出演作品:「君の瞳に恋してる!」(フジテレビ/1986年)、
「同窓会」(日本テレビ/1993年)、「金田一少年の事件簿」
(1995年/日本テレビ)など。

■奥田民生(おくだ・たみお)1965年5月12日。血液型B型。広
島県広島市出身。
1987年、ユニコーンのボーカリストとしてデビュー。1993年、
ユニコーン解散。1994年からソロ活動を開始。ソロ活動の傍らPUFFY
のプロデュースや、井上陽水とユニット「井上陽水奥田民生」
など、多方面での活動が多い。2009年、ユニコーン活動再開。
代表曲:ユニコーン「大迷惑」「働く男」「すばらしい日々」
「雪が降る町」など。ソロ活動「愛のために」「イージュー★
ライダー」「さすらい」「ましまろ」など。

■小山田圭吾(おやまだ・けいご)1967年1月27日。東京都出身

1989年、フリッパーズギターのボーカル・ギターでデビュー。1991
年に解散。1993年CORNELIUS名義でソロ活動を開始。
近況:2009年9月よりYOKO ONO PLASTIC ONO BANDで活動開始。

■仙道敦子(せんどう・のぶこ 本名:緒方敦子)1969年9月28
日。血液型B型。
愛知県名古屋市出身。夫は俳優の緒方直人。
1980年、時代劇「大江戸捜査網」でデビュー。緒方直人との結
婚を機に、活動を一時休止。2003年からCMなどのナレーショ
ンで活動再開。
出演作:映画「鬼龍院花子の生涯」。ドラマ「ホットドック」
「クリスマス・イブ」「卒業」など。

■浜崎貴司(はまざき・たかし)1965年6月11日。栃木県宇都宮
市出身。
FLYING KIDSでボーカルを担当。
1989年、TBS『三宅裕司のいかすバンド天国(イカ天)』に出
演。初代グランドキングになった事がきっかけで、1990年にデ
ビュー。1998年、FLYING KIDSは解散。バンド活動と平行して
俳優・声優としての活動も目立った。
代表曲:「幸せであるように」など。

■根本敬(ねもと・たかし)1958年6月28日。東京都出身。
「因果者」「イイ顔」「電波系」「ゴミ屋敷」などといったキ
ーワードを作り出し、悪趣味系のサブカルチャーへ与えた影響
は大きい。「ガロ系」と呼ばれる日本のオルタナティブ・コミ
ックの作家の中でも、極北に位置する、もっとも過激な作風の
漫画家である。2008年、第11回みうらじゅん賞を受賞。

■槇原敬之(まきはら・のりゆき)1969年5月18日。血液型O型
。大阪府高槻市出身。
1990年「NG」でデビュー。1999年8月に覚醒剤所持で逮捕。執
行猶予付き有罪判決を受ける。2000年11月から活動再開。
代表曲:「どんなときも」「もう恋なんてしない」「世界に一
つだけの花」など多数。

■安藤秀樹(あんどう・ひでき)1960年1月22日。東京都出身。
血液型B型。
作詞家として吉川晃司や鈴木雅之などに詞を提供。
代表曲:「にくまれそうなNEWフェイス」「RAIN-DANCEがきこ
える」など。

■CHARA(ちゃら)1968年1月13日。本名は非公開。埼玉県
川口市出身。
1991年「Heaven」でデビュー。1996年、岩井俊二監督作品「ス
ワロウテイル」に主演。同作品で日本アカデミー賞優秀主演女
優賞を受賞。
代表曲:「あたしなんで抱きしめたいんだろう?」「やさしい
気持ち」「タイムマシーン」など多数。YEN TOWN BAND名義で
の「Swallowteil Butterfly~あいのうた~」など。

★上記のプロフィールは、月刊カドカワに掲載されているものではなく、紅林さんが制作してくれたものです。わざわざありがとうございます。

スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、僕に(後半)

ナチュラルな高校時代と正反対のドロッとした中学時代

 太宰府から新潟に移って、中一でまた関西に行った。その街は大阪と神戸の間あたりで“閑静な住宅地”って言われる前ですけどね。その頃の友人が気に入った友達全員に野球の入場券を配ったりしてた(笑)。だから友達みんなで近鉄戦や阪急戦を見に行ったりね。

 メチャクチャに勉強するヤツと校内暴力で荒れまくってるヤツと大きく二つに分かれてたな。先生がまた怖い。学校の椅子って鉄でできてるでしょ? 椅子の足の間に補強するために二本の鉄棒が渡してあるんだけど、それをポキンと先生が折って(笑)、で、ポンとか生徒を殴ったりする。上履き、外履きがどうのとかいうぐらいで殴ったりしてた。そんな感じだから、校内暴力もすごいし。そういえば、この頃はTVで校内暴力って取り沙汰されないなぁ?なんで社会問題にならないのかな? 僕は、どっちかといえば、勉強するほうだった。あと、音楽が好きになり始めたのもその頃です。「ザ・ベストテン」という非常に象徴的な番組があったんで、僕らの世代の音楽体験はだいたい似通ったところがある。サザン、ツイスト、ゴダイゴ、山口百恵にピンクレディー、みたいな感じで。「ザ・ベストテン」でなければ「ベストヒット・USA」ですね。関西は東京と放送日がズレてたと思うけど・・・・・・。で、音楽じゃなければ、お笑い。関西はほんとにお笑い番組が多い。僕はけっこう転々としながら関西に戻ったって感じでしょ? だから距離をおいて関西を見ると、ボケとツッコミが日常に存在してるんですよね。面白くてナンボっていうか、笑えるヤツは才能あるヤツって価値基準がある。学校でも面白いヤツはスターだった。俺も、家でギャグ練ってきたりしたこともあった(笑)。他の県や街にはなかったし、だってラーメン屋さんに入ってもそこでボケとツッコミが展開されてるんだもん。だから大阪の人はお笑いに厳しい。初めは僕も馴れなかったけど、でも一カ月もしたら、いちばん使う言葉が「しょうもな」になってましたね。多感期にふさわしい場所だったと思ってますよ。

 それで高校受験の時にまた新潟に戻って、高校に入学した。高校は何かナチュラルだったな。高校と中学じゃ、ぜんぜん違った。中学というのはなんだかんだいってもその前は小学生っていうか(笑)、すごくドロッとしてる。青春の側面として爽やかな面があるとしたら、その正反対にドロッとした面がある。なんでドロッとしちゃうかというと、まず未完成だから。哲学もなければ、思考力もなければ、心理学もわからなければ、何かをする術もない。他者の介在の仕方というのがクリアじゃないんだな。だからどうしてもトゥー・マッチになってドロッとする。高校ではもっとさばけてくるというか、友達関係もある程度、距離を保ったものになっていく気がするな。

 高校では、中学からやっていたバスケットボールに俄然燃え始めてね。坊主にさせられて、朝は学校が始まる前から夜は八時くらいまで練習に明け暮れてた。日曜日も休みなしだし、夏休みには合宿があって、もう生活のほとんど全部がバスケットだった。でも僕らのチームはあんまり強くなかったんです。オリンピックの試合を観てるとよくわかるけど、結局、技術とか練習量じゃかなわないスポーツはあって、バスケットやバレーボールはその部類に入るんじゃない? うちのチーム、僕以外は背が低かったりしたんで、なかなか勝てなかったんですけれどもね。

 そのバスケットも高三になると受験・就職ってことで終わる。ほとんどの生徒はそのどちらかに分かれてそれなりのことをやるんですが、僕はどっちも選ばなかったんです。まず大学というものに必要性を感じなかった。勉強に対する初歩的な疑問ってあるでしょう? サイン・コサイン・タンジェントが生活にどんな影響を及ぼすんだ? とか、化学記号が俺の人生にどう役立つんだとか、そんな疑問をけっこう前から持っていた。じゃあ就職か? っていったら、何をやりたいのか見つからなくて、結局どっちつかずだったんですね。で、高三の時に一年間はとてつもなく時間があって、それで初めて音楽を一生懸命聴いたし、ギターも弾くようになった。最初はレコードを聴いて、合わせて歌ったりして、当時好きだったのがビートルズ、スティーヴィー・ワンダーやポール・マッカートニーだった。クレジットを見るとスティーヴィー・ワンダーなんかは歌・演奏・アレンジ全部を一人でやってる。好きなものは真似したくなるのは当然だから、僕もマルチ・レコーディングというものをしてみようと思って、4チャンネルのレコーディング・マシーンを買った。


想像のつかない、常にスリリングな状態で音楽を作っていきたい

 
 高校を卒業する前に、普通の人が大学を出る二十二歳まではいろんなことをしようと決めたんです。で、二十二で“これだ!”と思った職業に就こうと・・・・・・。まず、手始めにいちばん可能性の低いものから挑戦しようと思った。ミュージシャン、小説家、役者というものは何か夢っぽくて可能性が低そうでしょ? だから高三の時に作ったテープをEPICソニーとかに送ったりして、その後東京に来てまずやったことが“曲を作る”ことだったんです。たまたま「一曲書いてみないか?」と言われて書いてみたのが、渡辺美里さんの「GROWIN’UP」になって・・・・・・それがシングルになったら、いろいろなところから曲を書いてみないかという話があったり、事務所に入ってみないかデビューしてみないか? って話まであって、“俺、なんでこんなにうまくいくんだろう?”と思いつつ、リアリティーがないままデビューまでいってしまった。曲を書いてる時なんて、完全にバイト気分ですよ。だってリアリティーがぜんぜんないんだもん。

 初めは吉祥寺に住んでいたんですけど、パルコへ行くと地下が本屋さんだから、いろんな本を読んでみたりしてた。やっぱり東京へ出てきて一人だと不安でしょう? で、不安に応えてくれる人はいないし、そうなると本に頼りますよね。僕はいわゆる名作と呼ばれているものに弱い(笑)。レコード選びもそうだけど、名作だと言われてる作品はすぐ買ってしまう。

 結局、音楽の仕事を一生懸命やっていたわけではないし、プロになろうとして練習をたくさん積んだわけでもないから、その頃の自分には全くリアリティーがなかった、東京の街と同じくらいに・・・・・・。音楽をやろうと決めてから実現するまでが、すごく短かった。デビューしてすぐに、いまはもうあまりやらなくなっちゃったけど、夏のイヴェントの数がものすごかった。バンド・ブームと言われる少し前かな? バンドがたくさんいて、僕も一緒になって全国を回るわけです。僕は新人だから一番手かその次ぐらいでね、ウケないし、ワーッとも言ってくれない。なんでファンでもないコの前で歌ってんだろう? って思って辛かったな。

 そう、六年も経っちゃったんですね。インタヴューを受けなくなってから、時代の流れがうまくわからなくなってきた。“いまはこんなのが流行っているんだよ”とかって話もしなくなったから、時間がゆっくり流れているんだか早く流れているんだか、解らなくなってきた。活動しているうちに歌謡曲というものがなくなったり、いろんな人たちがいなくなったりしているのは解ってるんですけどね。・・・・・・。

 インタヴューを受けなくなったのは、冗談抜きで高倉健の映画なんです。『あ・うん』でも何でも観て思うのは、その映画のなかに存在する人でいちばんカッコいい人は高倉健でね、高倉健が三番目にカッコいいってことはあり得ない。そういうのばっかり観てると影響されますよ。それがいちばんいいことだと思って。
 いまありがたいことに、僕が何も言わなくてもいろいろな人がいろいろなことを書いてくれるし、いろんなふうに思っていてくれるのがいいかなと思って。

 インタヴューを受けて“こう思ってくれ、俺の音楽をこう感じてくれ”みたいに言うことで、スリリングさが一つ減るんです。一つ、商売っ気が出るんです。商売っ気というのはもちろん大事だけれども、商売っ気だけで音楽は存在しないと、僕は思う。歌謡曲がなくなったのは作り手も受け手も敏感になったからかもしれないしね。僕は自分の音楽に関しては常にスリリングでいたい。

 たとえば一年間ぐらい毎月インタヴューを受けたとして、レコードを出した時やライヴをした時どういうことを書かれるのかは、だいたい想像がつきますよ。だけど三年間も全くインタヴューを受けないでいると、どんなふうに書かれるかは全く想像がつかない。でも、そのぶんスリリングだし、たとえ火花が飛んでもそういう感じが僕は好きだな。音楽の仕事をやっていく上でそれがいちばん正しいことだとは言わないけれども、少なくとも僕はそうやるのが好きなんです。

 音楽の聴き方の深さというか・・・・・・もっと深く追求してくれる人がたくさんいると嬉しいなといつも思う。音楽を文章にするのって、むずかしいことじゃないですか? どういうふうに感じたかをちゃんと書くのって。すると“逃げ”ではないと思うけれど、歌詞のことを書くのが決まりみたいになってしまう。
 宮沢賢治の作品に『注文の多い料理店』というのがあって、それに対して“面白い童話だ”って思う人もいれば、“完璧な社会風刺だ”と言う人もいれば、“非常にシュールだ”と思う人もいる。読む人によって物語のとらえ方も深さも変わってくると思うけど、そんな多面的な文章がないのは少し残念に思いますね。高倉健も俳優としてやっている時以外、何をしているのかさっぱり解らないけど、でもかえってそれが誠実に見えるでしょう? 偉そうだとは思わないでしょう? 頑固さが誠実さに感じられる時ってあるんですよ。


岡村靖幸‘92全国ツアー・スケジュール

11/27(金)名古屋市民会館
問:サンデーフォーク 052-(320)9100
12/4(金)仙台サンプラザホール
問:キョードー東北 022-(223)2188
12/6(日)大阪フェスティバルホール
問:キョードー大阪 06(345)2500
12/8(火)福岡サンパレス
問:B.E.A.092(712)4221
12/11(金)広島アステールプラザ(大ホール)
問:キャンディープロモーション 082(249)8334
12/16(木)北海道厚生年金会館
問:ユアソング 011(242)2200
12/26(土)、27(日)NKホール
問:フィリップサイド 03(3770)8899

注意:ツアー・スケジュールに記載されている公共施設名称、また問い合わせ先は当時の記事のまま記載しております。現在の名称・問い合わせ先ではございません。連絡等は一切ご遠慮下さい。


文字起こし人:紅林




自身の幼少期の思い出から始まり、中学、高校、デビューまでの経緯を詳細に語った「スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、ぼくに」。以前アップした「ロッキングオンジャパン 1989年9月号」の2万字インタビューと内容が被っている部分が多いが、月カドとロキノンだと随分印象が違いますね。ロキノンは文章が軽いけど、月カドは重量感がある。読み応えがあるのは嬉しいが、ちょっと読んでいて疲れるのが難点だな。以下、読んでいて気になった部分の感想。

自分で異常に好きだったのは作文。(中略)十分くらいでバーッと原稿用紙三枚は書けた。

岡村靖幸ってこのタイプだったのか。小学生の頃、クラスに必ず一人はいましたよね。異様に作文書くのが速いやつ。7~8分置きくらいに新しい原稿用紙を貰いに先生のところに行く奴。それにしても、岡村ちゃん、十分で原稿用紙3枚はさすがに速すぎじゃないか?すげーな。作文が好きっだったということは、自己顕示欲というか、自分の思っていることとか、感じていることを知ってもらいたいという衝動が強い子供だったのだろうか?その作文で「いちばんかわいそうなのは、難民の子供だ。もしも生まれてきても食べさせられないとか、ろくなことがしてあげられない状況であるなら、エッチをするのはやめてあげるべきだ」と真面目に書いて笑われているわけでしょ。これって、岡村靖幸の書く歌詞と通じる部分があるような気がする。一見エロかったり、意味不明だったり、軟派な歌詞が多いけど、岡村靖幸はそれらをふざけて書いているのではなく、本人は真面目だ。でも笑われる。自分の感じたことをそのまま正直にぶつけると笑われる。「岡村は大ボケだ」と言われる。昔から全然変わっていないじゃないか。


“俺、なんでこんなにうまくいくんだろう?”と思いつつ、リアリティーがないままデビューまでいってしまった。

ロキノンの2万字インタビューでは「小学校、中学校の頃からプロ目指してて、ライヴ・ハウスで『オーゲーっ!!』とかってガンガンやってる人もいるわけだしね。片や音楽学校行って、音楽的なこと完璧でさ、かつ才能ありまくり、みたいな人もいるわけじゃない、年に何千人も東京の音楽学校に来るわけなんだからさ。そしたらさ、そんなのに勝てるなんて絶対思うわけないじゃん、普通」と話していたように、まさか自分がミュージシャンになれるとは到底思っていなかったようだ。そりゃリアリティは感じないだろうな。でも、実際問題としてミュージシャンになれた。しかも周りからは天才と言われた。、同業者からの支持も多かった。これって、凄いプレッシャーなのではないだろうか?軽い気持ちでデモテープを送っだけの青年が、あれよあれよという間にミュージシャンになってしまったのだから。そんな簡単にプロになれた岡村ちゃんは羨ましくもあるが、可哀想でもある。それ故に、「不安に応えてくれる人がいないから代わりに本に頼る」とか「名作といわれる作品はすぐ買ってしまう」とか、自分の中に知識や肥やしを放り込んでどうにかして自分を一人前に形成しようとしていたのだろうな。

スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、僕に(前半)

月刊カドカワ 1992年10月号 VOL.10 NO.10

表紙 総力特集 最初で最後の永久保存版
岡村靖幸  やさしく愛して

● INDEX
P20〜P21
 総力特集 やさしく愛して 
P22〜P31 
スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、ぼくに

P32〜P37
コンプリート・ヒストリー さまよう青春
P38〜P41
証言構成 ミステリアスな彼について、思うことがある――靖幸のこと
P42〜P47
本人自身による全アルバム解説
P48〜P50
本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告
P51〜P58
イケナイコトカイ(カラーグラビアのため掲載予定無し)
P59〜P77
実物大 岡村靖幸  図と解説 江口寿史(写真と江口氏によるイラストのため掲載予定無し)
P78〜P79 
最終家庭教師 江口寿史(江口氏による漫画のため掲載予定無し)
P80〜P89
精神講座 創ることと魅せること






P20『総力特集 やさしく愛して 岡村靖幸』

言葉、涙、バーボン、車、地位、ダイエットフード 何にも満たされない彼がいる
淋しさというものが何ものによっても紛らわすことのできないものだということを知っているから 愛するということがどれだけ本気にならないとできないものだということを知っているから  やさしく愛して  それは彼からのメッセージでもあり、求愛の表現でもあり、そして彼がいちばん望んでいる無償の行為なのかもしれない

撮影/大川直人  BACKDROP=STUDIO BASTILLIE 03(3448)9019



P22〜P31
スピリチュアル・メッセージ
どんなことして欲しいの、僕に
岡村靖幸


総力特集 岡村靖幸/やさしく愛して

インタビューを受けて“こう思ってくれ、俺の音楽をこう感じてくれ”と言うことは、それでスリリングが一つ減るんです。商売っ気というのはもちろん大事だけれど、それだけで音楽は存在しない。僕は、自分の音楽に関して、常にスリリングでいたいんです。
構成/佐伯明 撮影/大川直人


神戸で生まれて四歳ぐらいまでいたと思うんですけど、万博に行った記憶が強く残ってるんで、五歳まではいたんでしょうね(笑)。だってEXPO‘70っていうぐらいだから開催は‘70年なわけでしょ? 僕は‘65年生まれなんでね。小さい頃の記憶ってすごく曖昧です。アルバム(写真)を見て、“何歳の時はこんなことしたんだ”とかって確認もほとんどしない。写真はたくさんあるんですけども・・・・・・。万博の時は、会場で「太陽の塔」を見たんですよね。あの形がけっこうショックで。子供の時憶えているのって現象や事柄じゃなくて、まあ、そういうことも憶えてますけど、やっぱり見たものの“形”が鮮明ですよね。昆虫採集に使った注射器やビーカーの形とか・・・・・・。
 
ダリの絵、マグリットの絵なんかもよく憶えてる。それは別に見ようと思って見たんじゃなくて、百科事典とかに載ってるじゃないですか? あの頃は一家にドカーンと百科事典があってね、僕の家は「ジャポニカ」だったんだけども、その巻末付録に“世界の名画集”とか“日本の名画集”とかがあって。で、暇な時に見てると、ムンクの「叫び」の絵が目に止まってね。僕だけじゃなくて、やっぱり子供って何か魑魅魍魎とした世界が好きでしょう? 昆虫や動物が擬人化されたものなんかに異常に反応するでしょう? だから、宮沢賢治の本とかに反応しつつ、その後、仮面ライダー、ゴジラにいくというね(笑)。幼稚園の頃は、ソフトビニールでできたゴジラやバルタン星人の人形を公園の砂場に持っていって、戦わせて遊ぶみたいなことをよくやってた。皆と同じと思いますよ、野球にメンコにビー玉。メンコにお相撲さんのイラストとかが描いてあったのをよく憶えてる。王、長島なんかの絵もあったな。いまの子供たちに比べて遊びがそんなに多面化してなかったんだろうし、買ってもらえる物の基準があった。そんなメチャクチャ高い物はなかったから、持ってる物もある程度均一化されてたと思う。両親のすすめもあって、そろえてあった。

 砂場で人形を戦わせてる時とかって、僕はやっぱり悪役のほうがぜんぜん好きでしたね。なぜかというと、ウルトラマンでも仮面ライダーでも何でもそうなんだけど、正義の味方はルックスが変わらないわけなんですよ。でも怪獣のほうは手を変え品を変えいろんなルックスのヤツが出てくる。そのなかでも自分の気に入ったヴィジュアルのヤツも出てくるでしょ? 一回やられてもまた出てきたりとか(笑)。たとえば死神博士(仮面ライダーに登場)なんかは、普段は死神博士なんだけど、戦う時になったらイカみたいになっちゃう。そう、イカ・デヴィル(笑)。仮面ライダーをやってた頃、日本はちょうどサイケの時期だったと思うんですよね。子供っていうのはサイケが好きだから・・・・・・。そういう“ごっこ”をやって自分から悪役になって、イカ・デヴィルとかが勝って仮面ライダーが泣いたりして終わる、それでケンカになることもままありましたね。

食べ物と遊び道具に興味津々だった幼稚園

僕は幼稚園に二つ行ってるんです、ロンドンと九州。父親が航空会社に勤めてて、当時からコーディネーターみたいな仕事をしていたんでしょうね。実情はよくわからなかったんだけど。イギリスに行った頃はまだ自己形成できる前だし、他者との関係性が持たれる以前だから、非常に順応性がよかった。“ここはこういう場所だ”と思って順応してました。英語なんかは両親よりもしゃべってたし。だから後になって日本語に弊害が出て、五月雨(さみだれ)とか二十日(はつか)、一日(ついたち)とかって読みが中学二、三年くらいまでうまくできなかった。ツイタチっていつのことなんだ?ああ一日か、とかって感じで。いったん日本ていうものがわかって外国に行くと、もっとうまくやれるんだろうけど、わかんないうちに行くと僕みたいになっちゃいますよ。僕、帰ってきてからも、他人の家に土足で入っていったりしてた(笑)。それでずいぶん怒られた記憶があるな。

 ロンドンの幼稚園は普通にパブリックなもので教会のなかにあった。僕が日本人で浮いていたということはなくて、その当時からロンドンというのは多種他民族というか、インドの方もたくさんいるし、中国系の方もたくさんいるしって感じで。たぶんみんな移ってきたんでしょうが、当時はインド系、中国系の方が多かった。

 みんなマッチ・ボックスという、マッチ箱ぐらいの大きさのミニカーを持ってた。ピンクパンサーやバットマン、あと西部劇の漫画なんかが人気あった。でも、やっぱりその時代はビートルズ。僕は当時、関心はあまりなかったけど、ビートルズがいちばんすごかったという印象がある。子供でもみんな「イエロー・サブマリン」を知ってた。うちの母親はトム・ジョーンズとかが好きで(笑)、レコードとかあった気がする。その頃は音楽なんかに興味なくて、食べ物と遊び道具ですよ。当時十字型のブーメランがあって、それをよくやってた。V字型のブーメランは上手な人じゃないときれいに戻ってこないんだけれども、十字型だと子供がやってもキレイに戻ってくる。それとあと、イースターやクリスマスとかの祝祭はほとんど食べ物で憶えてるんです。イースターっていうと卵、大っきな卵のチョコとかが家に置かれるわけですよ。クリスマスだとチキンがどうだとかアイスクリーム屋はどうだったとかね。アイスクリーム屋っていうのは、小さなクルマでチンドンチンドン音楽鳴らしながら売りに来る。食べ物の味はよく憶えてる。牛乳はどういう味だったとか。牛乳はやっぱり毎日運ばれてくるものだから、意外にキチンと憶えてますね。牛乳やアイスは日本とぜんぜん味が違った。その違和感が残っていてよく憶えているのかもしれない。

 イギリスでは小学校まで行ったのに日本に戻ってきてからまた幼稚園に行かされた。それで小二ぐらいで福岡の太宰府天満宮の近くに引っ越した。そこは非常に田舎だった。その頃“ツチノコ騒動”があって“ここはツチノコが出るんだ!”ってみんなが言い出して、ツチノコ探して盛り上がったりとかね。一学年一クラスしかなかったんで団結が妙に固かった。いまにして思えば、授業中にカラスは入ってくるわ、ヘビは入ってくるわ、イタチは教室のなかを走りまわるわで、スゴイ学校だったなと思う(笑)。子供たちも一人一人強力で“朝、ヤギの乳飲んできた子”とかさ。僕はちょっと前までロンドンにいたし、もうクラス全員が漫画の主人公みたいね(笑)。すごく楽しかった。

その学校では強制的に剣道と空手を習わされて・・・・・・嫌だろうが何だろうが、毎週日曜日は剣道をやらなくちゃいけなくてね。空手は夜六時ぐらいから始まる。道場がないんで境内で練習するんですけど、境内は下が砂利でしょう? 子供の足には非常に痛かったのをよく憶えてる。空手は紫帯まで取ったんですけど、その試験というのがまた不条理でね(笑)。普通ならどういう技ができるかとかどれだけの技能があるかで判定されるんでしょうが、そこではどれだけ殴られるのに耐えられるか?が基準なんです。だいたい先生が平手打ちで胸のところをバチン!と三発ぐらいやると、普通の子は泣くんですよ。で、まあ“三発じゃ紫はやれない”とか(笑)、そんなんでしたね。

当時はもちろん不条理だなんて思ってませんから耐えてましたよ。あと、いま考えると他愛もないなあと思うのはアメリカザリガニを捕りに行って、死ぬほどたくさん捕ったりね、イボガエルを捕まえるとイボができるから捕まえるなとか。ほんとの話かどうかも分かんないだけれども、○○って花に触ると死んじゃうよなんて言ってた。カマイタチは存在する!とか。九州だから下校途中、天気がよかったりするとすごい暑いんだけど、トラックが通ると風がフワッとくるから幸せだなあって(笑)。そんなことで幸せを感じてた。トラックが通ると大きな影ができるでしょう? これはギロチンだから触っちゃいけない、この時はジャンプしないといけない・・・・・・とかね。「あ、来たよ、ジャンプ!」なんて、そんなことをやってた。勉強は普通だったと思う。自分で異常に好きだったのは作文。たとえば道徳の時間があって、スライドを見せられたりNHKの番組を見せられたりして、「これについてどう思うか書きなさい」って言われると、みんなエー!?とか言うでしょ? 僕は上手下手とかいう以前にものすごく書くのが好きでね・・・・・・十分くらいでバーッと原稿用紙三枚は書けた。なんであんなに書けたのかいまじゃ不思議で(笑)。みんなは作文が書けないというより好きじゃないんだと思うんですよね。能力がなかったんじゃなくて・・・・・・だってテストなんかで“この作者がどんな風に思ったのか書きなさい”とかっていうと、他の子も書ける。きっと計算はできるけどするのが面倒くさいのと同じじゃないかな? 僕はたまたま好きだった。

 それで中学生の時に“24時間テレビ〜愛は地球を救う”を見て作文を書いて、学校代表に選ばれた。「いちばんかわいそうなのは、難民の子供だ。もしも生まれてきても食べさせられないとか、ろくなことがしてあげられない状況であるなら、エッチをするのはやめてあげるべきだ」って書いたら、それが大ウケでね。中学生の時にエッチとか言うと何か盛り上がるでしょ?(笑)いま言っても何ともないだろうけど、その時のインパクトたるや大変なものでしたよ。

文字起こし人:紅林


後半へ続く

本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告

月刊カドカワ 1992年10月号 VOL.10 NO.10

表紙 総力特集 最初で最後の永久保存版
岡村靖幸  やさしく愛して

● INDEX
P20〜P21
 総力特集 やさしく愛して 
P22〜P31 
スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、ぼくに 
P32〜P37
コンプリート・ヒストリー さまよう青春
P38〜P41
証言構成 ミステリアスな彼について、思うことがある――靖幸のこと
P42〜P47
本人自身による全アルバム解説
P48〜P50
本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告

P51〜P58
イケナイコトカイ(カラーグラビアのため掲載予定無し)
P59〜P77
実物大 岡村靖幸  図と解説 江口寿史(写真と江口氏によるイラストのため掲載予定無し)
P78〜P79 
最終家庭教師 江口寿史(江口氏による漫画のため掲載予定無し)
P80〜P89
精神講座 創ることと魅せること




P48〜P50 
総力特集 岡村靖幸/やさしく愛して

本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告  岡村靖幸

“どぉなっちゃってんだよ”。
岡村靖幸の沈黙の一年十ヵ月が過ぎようとしている。
しかし待ちに待ったその瞬間は、もう、そこまで来ているのだ。
構成/佐伯明

レコーディングは遅れてますが、レコーディングに関して仮に非常に信頼できる人がいたとしても、その人にある部分を委ねるってことは、僕が自身に課した“試練”からは遠のくことになる。その意味で僕の場合はね、他者が介在しないので客観性がないし、商品性がもしかしたら低いのかもしれないけども、お客さんがアルバムを買ってくれたりライヴに来てくれたりするのは、とても有り難いと思ってる。

 楽曲がしっかり納得いくものにならない、ちゃんとした宝石にまでなれてない時は保留にします。新曲が出ないということは、その間ずっと宝石にしようと、いろいろな実験を積み重ねているんです。でも、昔からね、僕以上に音楽で実験した人はたくさんいた。‘60年代であれば当然ビートルズがやったし、他にもいろいろなことが試みられたでしょ? だからビートルズのようなことじゃなくて、それ以上に実験的なことをやるっていうのは、聴く人にとっては非常に難解だったりするきらいがあるんですよ。現代にあって、いままで聴いたこともない音楽を作るってことは、どうしても前衛的になる。だからたとえばある音楽に対して「頑張ってるよねぇ」と言っても、ビートルズの焼き直しみたいなもののほうが実際はほとんどなんですよね。その上をいって実験的なものを作るとなると非常に苦労するし、ある種の修行みたいなことをやらないといけない。外国の人までやらなくなってしまったことだから、ある意味じゃ世紀末的な現象なんだけど、でも、なぜか僕はやんなくちゃいけなかったんですね。前衛音楽というジャンルにもいかず、ポップ・ミュージックのなかでそれをやるのはすごい困難。なんでみんなやらなくなってしまったかというと、やり甲斐のない世の中になったのかな? やっただけのことを分析してもらえないし批評もしてもらえない世の中だから、なおさらやらなくなったように思うんです。僕は性格上やらずにいられなかったんでしょうね。まあ、今後ずっとそういうことを何年もやり続けるかどうか? は解らないですけども。

 クラシックの頃からビートルズの時代、それから‘70年代といろんな音楽が出てきたわけなんで、いままで聴いたことのないような音楽を作るのは年数を重ねれば重ねるほど難しくなる。だからって、サンプリングすりゃいいってもんじゃないでしょ? 他人の音で音楽を作るっていうのは、ある意味じゃ愚かだし、世紀末的ですよね。
 一方ではね、なんでそんなに堅苦しく考えるんだ! って意見もあるし、今までにないようなものとかいうより、ポップでいい曲ができればいいじゃないか? って考え方もあるでしょう? 僕もそう思う時もあるけど、僕の人生の積み重ね方で、どうしてもこういかなくちゃ仕方なかったんですよね。
 アルバムが完成するってことは、一曲一曲が宝石のように輝いていて、しかもしっかりと配列されていなくちゃならない。いま、その配列を直してる最中です。

 みんな、なんでいままでにないようなものを作ろうとして頑張らないんだろうと思ってビックリする時もあるんだけども、いちばんの理由はその必要性を感じてないからじゃないかな? いままでにないものが作られた時にはね、パンクはパンクなりの、ビートルズはビートルズなりの、その時代にそういうことをやる必要性があったんだろうし・・・・・・いまは、そういった必要性が全くない時代のような気がする。だからいままでにあったものの焼き直ししか出てこないんじゃないかなあ。
 “じゃあ、俺がやってることは何なんだ!?”って思った時に非常に孤独な気持ちになるけれども、でも、自分のためにやってるんだと思うとなぐさめられるんですよね。
 さっき言った宝石の配列が決まりそうな兆しは、現時点であります。『家庭教師』というアルバムを超えなくちゃいけないから大変なんですけど、でも頑張って超えたいと思ってます。アルバム・タイトルは考えてて、だいたい決まっているといってもいいくらい。でもまだ発表できる段階じゃないですね。
 僕がなぜ音楽を作って発表しているか? ってところに動機づけをするなら・・・・・・自分が救われるためとか、そういうことが大きいと思いますよ。レコーディングやライヴをやってる時はやっぱり“救われてるな”って感じがするから。

 楽しませる側面も無視できないけど、レコーディングでそれは皆無といっていいでしょうね。ライヴにはけっこうあるんじゃないかな? ライヴではエンターテイメントの要素は、ここ数年大きくなってると思う。
 アルバムを何枚も発表してくると、僕の音楽の味っていうか感じっていうところで、認められたり期待されたりする部分も出てくるけど、それを意識的に自分のなかに取り込むことはないな。無意識だったら、もしかしたらあるような気もするんですけどね。でも、意識はしてない。意識してたら音楽にもっと出てると思うからね。


文字起こし人:紅林



デビューからハイペースでリリースを連発していた岡村靖幸が、4thアルバム「家庭教師」以降、急に音沙汰が無くなったため、上記の「ニュー・アルバム遅延経過報告」なる企画が生まれたのだろう。たったの一年十ヵ月間アルバムをリリースしなかっただけで、わざわざ遅延経過報告をするだなんて、今じゃ到底考えられないな。この遅延経過報告のニューアルバムというのは「禁じられた生きがい」だろうから、この遅延報告からさらに3年ほど遅延するわけか。んでもって、さらに次のアルバム「Me-imi」までは9年間かかって、その後は一時的に復活はしたものの、2回の逮捕により活動停止状態…。たかが、一年十ヵ月沈黙した程度で「“どぉなっちゃってんだよ”。岡村靖幸の沈黙の一年十ヵ月が過ぎようとしている。」だってさ…。へっ笑わせるぜっ!

ニューアルバム遅延の言い訳として岡村靖幸は、「前衛的、実験的な音楽をポップミュージックのなかでやらないといけないからとても大変」というようなことを話しているが、正直これの意味が僕にはよくわからない。「楽曲が自分の納得する宝石になるまでは保留する」ってのは理解できるが、前衛的・実験的な楽曲を作る必要性がイマイチわからないな。

最後の方で岡村靖幸自身もちらっと話しているが、要は「家庭教師」を超える作品にしなければならないというプレッシャー…これに尽きるのではないだろうか。岡村靖幸のアルバムはリリースする毎に誰の目から見ても明確にクオリティーが増している。「yellow」→「DATE」→「靖幸」→「家庭教師」と確実にクオリティは右上がりである。岡村靖幸本人だってアルバムをリリースする度に自分の才能が右上がり傾向にあることには自覚していただろうし。そうなると、必然的に次のニューアルバムは「家庭教師」以上の作品でなければならない、ということになる。しかし、皆さんご存知のように「家庭教師」は名盤すぎる。これ以上の作品なんてそうは作れない。

「『家庭教師』を超えるアルバムが作れない」ってのは、岡村靖幸にとって、とても屈辱的だったのかもしれない。でもそりゃ仕方がないよ。「家庭教師」は、もう、なんか、高みだもの。あれ以上のものなんてなかなか作れないよ。「自分の音楽の味を意識的に取り込んだ焼き直し」でもいいじゃないか。岡村ちゃんはそれを否定的に捉えているみたいだけど、それでいいと思うよ。本当に良いものは焼き直しでもやっぱり良いんだよ。例えばサザンや、あるいは岡村ちゃんの好きなプリンスなんかは、まさに自分の音楽の味を知った上での焼き直しばっかりだけど、それでも名曲連発しているわけだし。

遅延に遅延を重ねた末にリリースされた「禁じられた生きがい」は前作「家庭教師」を超えたとは個人的には思えないが、だからといって駄作では全然ない。「青年14歳」の怒涛のファンクネスには圧巻するし、「クロロフィルラブ」の浮遊感は最高だ。「禁じられた生きがい」からさらに9年後にリリースされた「Me-imi」だって作風は随分変化したものの「アチチチ」は岡村靖幸の新境地とでも言おうかノリノリな曲だし「ミラクルジャンプ」のズシズシくる重低音は心地よい。つまり「禁じられた生きがい」にしても「Me-imi」にしても「家庭教師」は超えていないかもしれないが(個人の好みにもよるが)、それでも十分クオリティは高いのだ。だから、実験的とか前衛的とかそんなことはあんまり気にしないで、どんどんリリースすればいいのに、いやするべきなのだ、岡村ちゃんよ。

PVレビュー 岡村靖幸で「だいすき」

岡村靖幸といえば「だいすき」である。岡村靖幸の代表曲は何だろうと考えたとき、個人的には「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」「(E)na」「ペンション」辺り(あらっ全部『家庭教師』に収録されている曲だわ)を代表曲に挙げたいところだが、個人的な好みを抜きにした場合、やはり「だいすき」が代表曲として相応しいだろう。車のCMのタイアップ曲に採用され、オリコンチャートでは上位にランクイン。売り上げも良かったし、何よりサビがキャッチーでかわいらしい。岡村靖幸の曲は日本では流行らないと言われているファンクな曲が多く、その上、エロい歌詞だったり、意味が難解だったりと、なかなか一般受けする曲が少ない。そんななかで「だいすき」のポップ感はまさに奇跡のような曲といえよう。

では、そんな岡村ちゃんの代表曲「だいすき」のPVを見てみよう。

白黒のポロシャツに深緑のジャケット。下は黄色いパンツという、やや時代を感じさせる衣装を身にまとった岡村ちゃんがパントマイム風な例の独創的なダンスをしながら終始カメラ目線で踊っている(このPVに限ったことではないが、岡村靖幸のPVってカメラ目線がやたら多いな)。さすが全盛期の岡村ちゃんだけあってイケメン度も高い。イケメン度というよりはキムタク度が高い。髪型も「ロングバケーション」の時のキムタク(瀬名)風だし。岡村靖幸って映像によって顔が全然違うけど、「だいすき」のPV(あと「聖書」のグレーのスーツを着たPVも)の顔のモチベーションはかなりハイレベルだ。

このPVのストーリーはイマイチ把握しづらいが、「女の子のために今日は歌うよ」や「まるで責めてるみたいだ動機が不順な僕を」辺りの歌詞をモチーフにしたのだろうか。まずは、カメラ目線でひたすら歌う岡村靖幸の後ろにセクシー系あるいは痴女系の女がいやらしい目線を岡村靖幸に向けている。2番の歌詞に入ると痴女は消え、清純で健気そうな、いかにも岡村ちゃんがタイプそうな女の子がうつむき加減で登場する。やはり岡村靖幸はタイプらしく、健気少女に求愛ダンスをはじめる(2:33)。すると、後ろの方から痴女が再登場!「えっマジで」みたいな岡村ちゃんの演技が相変わらず下手で笑える(2:40)。窮地に追い込まれた岡村ちゃんは健気少女へのアプローチを諦め、一人でサビを熱唱(2:47)。すると今度は幼女が登場し岡村ちゃんの周りをスキップ。この辺からカオスになりはじめる。3:05でカオスの頂点に達する。健気少女と痴女に挟まれた岡村ちゃんが幼女と手を繋ぎながらスキップして回ってる。なんだこれ(笑)。ラストは3人の女に囲まれて困った顔の岡村ちゃんがカメラ目線で意味不明な言葉「ヘポタイヤ」を連呼するというこれまたカオスな展開で終了。

「コンプリート・ヒストリー さまよう青春 」によれば、このPVが収録された日は1988年10/23~25とのこと。素人目にはこの程度の映像なら2~3時間あれば余裕で撮影できそうに見えるが、実際は3日間も費やしていたようで(本当だろうか?)それなりに時間をかけて製作したPVなのだろう。

「だいすき」はポップで楽しい曲のはずなのに、今回この記事を書くにあたって改めて見直してみるとなんだか、なぜだか、切ない気持ちの方が強くなってしまった。今、岡村靖幸本人がこの「だいすき」のPVを見たらどう思うのだろう?やはり切ない気持ちになるのだろうか?

コンプリート・ヒストリー さまよう青春

月刊カドカワ 1992年10月号 VOL.10 NO.10

表紙 総力特集 最初で最後の永久保存版
岡村靖幸  やさしく愛して

● INDEX
P20〜P21
 総力特集 やさしく愛して 
P22〜P31 
スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、ぼくに 
P32〜P37
コンプリート・ヒストリー さまよう青春

P38〜P41
証言構成 ミステリアスな彼について、思うことがある――靖幸のこと
P42〜P47
本人自身による全アルバム解説
P48〜P50
本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告
P51〜P58
イケナイコトカイ(カラーグラビアのため掲載予定無し)
P59〜P77
実物大 岡村靖幸  図と解説 江口寿史(写真と江口氏によるイラストのため掲載予定無し)
P78〜P79 
最終家庭教師 江口寿史(江口氏による漫画のため掲載予定無し)
P80〜P89
精神講座 創ることと魅せること






P32〜P37
コンプリート・ヒストリー
さまよう青春   岡村靖幸

創りたいものを、創りたいように創る
アルバム、ライヴ、映画、どれをとっても何をやっても
スリリングでリアルな岡村靖幸の世界
‘86年のデビューから、早熟な彼の軌跡をたどる



1986

デビュー前より渡辺美里等に曲を提供。
8/26 オンキョースタジオ2st、レコーディング・スタート。
9/19 一口坂スタジオにて初めての取材(PATI PATI誌)。
10/7 東海ラジオ「SFロックステーション」録音、10/9から毎週木曜深夜25:00〜27:00 パーソナリティを担当。
10/20 1stシングル・カッティング、CBSソニー信濃町スタジオ。
12/1 シングル「Out of Blue」でデビュー。きっかけはコーラスとして参加した渡辺美里のレコーディング・スタジオで、曲に合わせていきなり踊り始め、その踊りの独創性にスタッフ一同が仰天したこと。
12/21 TBSラジオのイヴェントに参加。初LIVEを日本武道館でやる<出演順:白井貴子、岡村靖幸、渡辺美里、TMネットワーク>。
12/24 東海ラジオ「SFロックステーション」イヴェント【名古屋市民会館】
12/27 文化放送公開生LIVE【青山ホンダ・ショールーム】


1987

1/10 2ndシングルジャケット撮影【六本木アートプラザ1000、3st】
1/16 初のキャンペーンを北陸からスタート。
1/20、21 広島キャンペーン
1/24〜27 大阪キャンペーン
1/28、29 福岡キャンペーン
2/2 NHK109stにて、オーディションを受ける。1stアルバム・ジャケット撮影(撮影/大川直人)。
2/2 札幌キャンペーン
2/5、6 仙台キャンペーン
2/18「Young oh!oh!」ヴィデオ・クリップ収録。
3/5 2ndシングル「Check Out Love」リリース。
3/7 横浜LIVEHOUSE。鈴木賢司LIVE飛び入りゲスト。
3/18 「ファン・PATI・LIVE」芝浦インクスティック、満員御礼。チケットはニッポン放送「ファン・ファン・TODAY」、PATI PATI誌からプレゼント。
3/21 1stアルバム『yellow』リリース。
4/4 フジテレビ「オールナイトフジ」初出演。
4/8 1stツアー<yellow>スタート、札幌メッセホール。全国10都市14会場、ライヴハウス中心に回る。観客総動員数約7000人、全会場即日SOLD OUT。
4/11 仙台CADホール
4/15 福岡ビブレホール
4/16 広島ウッディストリート
4/17 名古屋ハートランド
4/18 大阪バナナホール
4/22 渋谷公会堂
5/21 3rdシングル「Young oh!oh!」リリース。
6/12 全国キャンペーン・スタート。12仙台、13青森、7/8、9福岡、10、11大阪、15岡山、16広島、22、23札幌。
6/25 TVK「LIVE TOMATO」5曲LIVE。
7/20 文化放送「パパラナイト」公開LIVE【ラフォーレ原宿】。
7/22 4thシングル「Dog Days」リリース。
8/1 「Mizuno Beat Blast’87」大阪城公園内運動場。アン・ルイス他共演。
8/2 「NEW KIDS ON THE ROCK’S ‘87」名古屋城深井丸。S.スライダーズ他共演。
8/5、6 「平和がいいに決まっている」広島サンプラザホール。渡辺美里、尾崎豊他共演。
8/15 「盛岡ロックシティカーニバル」岩手産業文化センター野外特設会場
8/16 「秋田ロックシティカーニバル」秋田向浜県営サッカーラグビー場
8/18 「青森ロックシティカーニバル」青森浅虫ヨットハーバー野外
8/20 「仙台ロックシティカーニバル」仙台泉パークタウンスポーツガーデン特設会場
8/21、22 「BEAT CHILD」熊本・グリーンピア南阿蘇アスペクタ。大雨。
8/24 SEDICスタジオにてレコーディング開始。曲作り及びレコーディングが平行して進む。
11/7 広島女学院学園祭
11/10 「DANCE TO HEAVEN」EPICソニーコンベンション【新宿歌舞伎町ステレオホール】
12/8 5th シングルジャケット撮影。
12/10 レコーディング・スタート、デジタルスタジオ。14オンキョースタジオ、26テイクワンスタジオ、‘88 1/16オンキョースタジオ、18テイクワンスタジオ。


1988

2/1 5thシングル「イケナイコトカイ」リリース。
2/8 アルバム完成、テイクワンスタジオRst。PM1:00〜アルバムジャケット撮影【代官山スタジオ】。
3/17、18 『SUPER GIRL』ヴィデオ・クリップ撮影。
3/21 2ndアルバム『DATE』リリース。
4/1 新宿パワーステーションでライヴの予定が、病気でキャンセルになる。
4/4、5 札幌キャンペーン
4/11 NHK「ジャスト・ポップ・アップ」初出演。
4/14、15 名古屋キャンペーン
4/21 6thシングル「SUPER GIRL」リリース(読売テレビ系テレビアニメ「シティ・ハンター2」エンディング・テーマ曲になる)。
4/29 新宿パワーステーション
5/17 青森キャンペーン
5/18、19 仙台キャンペーン
6/1、2 新宿パワーステーション、2DAYS LIVE満員御礼。
6/30 札幌道新ホール
7/5 シングルレコーディング制作スタート。CBSソニー信濃町スタジオ。
7/11 NHK「ジャスト・ポップ・アップ」収録。NHK101st。
7/19 日本青年会館。「PAPI PAPI LAND」公録。
7/21 1stヴィデオ『DATE in shurt pictures(原文のまま。正しくはshout pictures)』リリース。
7/30 「オールナイトフジ」出演。
8/1、2 新宿パワーステーション。両日ともに満員御礼。
8/9 札幌「FM ROCK Kids」イヴェント。
8/10〜20 レコーディング【デジタルスタジオ】。
8/27 OBCイヴェント、御堂会館。
9/5 NHK「ジャスト・ポップ・アップ」出演。NHK101st。
9/21 7thシングル「聖書(バイブル)」リリース。
9/21 全国キャンペーン・スタート。21札幌、27、28福岡、30仙台、10/5、6東海地方、13〜15大阪、17、18名古屋。
10/12 クラブチッタ川崎LIVE。
10/16 新潟NT21イヴェント。
10/21 名古屋イヴェント【名古屋FLEXホール】。
10/23〜25 ヴィデオ・クリップ『だいすき』収録。
10/29 仙台フォーラストーン
10/31 ツアーパンフレット撮影【代官山スタジオ3st】。
11/2 8thシングル「だいすき」リリース(HONDA NEW Today CMソング)。
11/19 TVK『別冊ミュートマ・ジャパン』ゲスト出演。
11/20 岡山理系大学学園祭
12/1、2 広島キャンペーン
12/3 NHK「クリスマス・LIVEスペシャル‘88」101st収録。
12/4 大阪厚生年金会館よりツアー。<1988 TOUR “DATE”>と題されたこのツアーは、全会場SOLD OUT。
12/5 新潟市音楽文化会館
12/9 名古屋FLEXホール
12/15 広島東区民会館
12/19 仙台電力ホール
12/20 青森文化会館
12/22 札幌道新ホール
12/26 福岡都久志会館
12/29 MZAサウンドコロシアム。満員御礼。


1989

1/18〜2/5 ヴィデオ・トラック・ダウン。
1/23 ツアー・パンフレット、ヴィデオ用ジャケット撮影【エビススタジオ2st】
2/25 TOUR <DATE・SPECIAL>スタート。札幌市民会館、全国5都市5会場大ホールクラスになる。観客総動員数約1万人。全会場即日SOLD OUT。
2/27 渋谷公会堂
2/28 渋谷公会堂
3/4 大阪厚生年金会館大ホール
3/8 愛知県勤労会館
3/21 1stヴィデオ「LoveφSex’88 DATE」リリース。
3/30 NHK・FMレギュラーパーソナリティー「ジョイフル・ポップ」スタート。毎週火曜日21:15〜21:55。
4/5 レコーディング【テイクワンスタジオ】。
4/21 9thシングル「ラブタンバリン」リリース。
6/14〜23 「eZ・special」収録。
6/30 <Peach>ツアー・パンフレット撮影【エビススタジオ5st】。
7/14 3rdアルバム『靖幸』リリース。
7/22 「オールナイトフジ」出演。
7/26 全国キャンペーン・スタート。26青森、28札幌、29仙台、31新潟、8/3中国地方、8熊本、9福岡。
8/17 TOURゲネプロ福生市民会館。
8/19 TOUR <Peach>スタート。仙台電力ホール。全国13都市14会場。しめくくりの武道館は2時間でSOLD OUT。観客総動員数約4万人、全会場SOLD OUT。
8/21 新潟県民会館
8/22 レコーディング・スタート。
8/24 北海道厚生年金会館
8/25 青森市文化会館
8/31 前橋市民文化会館
9/5 長野県県民文化会館(中ホール)
9/6 愛知県勤労会館
9/8 大阪厚生年金会館大ホール
9/9 大阪厚生年金会館大ホール
9/18 京都会館第2ホール
9/19 広島郵便貯金会館
9/21 熊本市民会館
9/22 福岡市民会館
9/27 日本武道館
9/28 映画『Peach』クランク・イン。
11/4 NTV「爆風スランプのお店」収録。
11/21 ANB「ビデオ・ジャム」収録【三田ビデオセンター】。
11/30 NHK「クリスマス・LIVEスペシャル‘89」収録。
12/4 フジテレビ「笑っていいとも」出演。新宿アルタスタジオ。
12/12 TBS「MTV・JAPAN」出演【芝公園スタジオ】。
12/15 2ndヴィデオ『Peach Show’89』リリース。
12/16 TVK「別冊ミュートマ・ジャパン」出演、日比谷NEC C&Cプラザ。「オールナイトフジ」出演。
12/21 10thシングル「友人のふり」リリース(映画主題歌)。
12/23〜29 渋谷パルコパート3にて、映画『Peach』先行ロードショー。
12/23、24 渋谷パルコ西部劇場にて、映画『Peach』レイトショー(20:30〜)。舞台挨拶。チケットSOLD OUT。
12/31、‘90 1/1 「バンドスタジオ」LIVE大阪城ホール


1990

2/21 11thシングル「Peach Time」リリース。
3/20 映画『Peach』全国公開。全国約4万人動員。
3/21 4thアルバム『早熟』リリース(セレクション・アルバム)。
5/1 3rdヴィデオ『Peach“どんなことして欲しいの僕に”』リリース。
6/21 1stヴィデオ・シングル『Peach Time』リリース。
7/21 12thシングル「どぉなっちゃってんだよ」リリース。
10/10 13thシングル「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」リリース。
11/1 2ndヴィデオ・シングル『どぉなっちゃってんだよ』リリース。
11/6 5thアルバム『家庭教師』リリース。
12/1 14thシングル「カルアミルク」リリース。
12/31 パルコ劇場 スペシャルイヴェント「年末年始・岡村くんと過ごそう」パルコ劇場6日間公演。2400席発売同時にSOLD OUT。


1991

1/2〜6 パルコ劇場
3/16 コンサートツアー<家庭教師>スタート。中野サンプラザホール
3/17 中野サンプラザホール
7/1 4thヴィデオ『ライブ家庭教師‘91』リリース。
7/25 15thシングル「ターザン・ボーイ」リリース。
8/1 5thヴィデオ『It’s a Peachful World』リリース。
10/10 <岡村靖幸‘91ライブ>ツアー・スタート。大阪フェスティバルホール
10/11 愛知県勤労会館
10/12 大阪厚生年金会館大ホール
10/18 NHKホール
10/22 宮城県民会館
10/30 福岡メルパルクホール
11/4 札幌市民会館
11/13 新潟県民会館
11/25 中野サンプラザホール
11/26 中野サンプラザホール

注意:ツアー・スケジュールやレコーディング等で使用されている公共施設やスタジオの名称は、当時の記事のまま記載しております。

文字起こし人:紅林



86年のデビューから91年までの岡村靖幸の音楽活動を執拗なまでに詳細に記した“コンプリート・ヒストリー さまよう青春”。これは、凄まじいですねぇ。さすが月カドだ。「総力特集 最初で最後の永久保存版」という宣伝文句も伊達じゃない!そして、こんな細々したのをわざわざ文字起こししてくれた紅林さんありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。

“コンプリート・ヒストリー さまよう青春”。これ、じっくりと読むとなかなか味わい深いものがある。きっと岡村靖幸ファンであればあるほど面白く読めるだろう。「えっ『だいすき』のPV撮るのに3日もかかったのか」とか「SEDICってとこでレコーディングしているのか」とかこれを読んではじめて知った岡村靖幸情報が結構あって面白かったな。わかってはいたことだけど改めてこういう年表を見ると、岡村ちゃんって、昔はめちゃくちゃ働いてたんだねぇ。ライブたくさんやってコンスタントにリリースしてテレビにも出てラジオのDJもやって映画もやって…デビューから「家庭教師」頃までの岡村靖幸の活発な活動っぷりに圧倒されますね。

さて、そんな岡村靖幸のサクセスストーリー年表のなかから僕が少し気になった部分を太字にしたので以下その感想を。

12/1その踊りの独創性にスタッフ一同が仰天
これは有名な話ですね。このエピソードはやはり好きだ。「コーラスとして参加した渡辺美里のレコーディング・スタジオで、曲に合わせていきなり踊り始め~」って…なんでコーラスで参加している人が急にダンスはじめるわけ(笑)。コーラスとかめちゃめちゃ脇役なのにメインの渡辺美里より目立ってるもんな。このときの踊りがどんなだったか見たい。独創性のある踊りってどんなだろう?


1/16 初のキャンペーン
岡村靖幸がキャンペーン!まだ、デビューしたての20そこらの新人なのだから、そりゃキャンペーンのひとつやふたつするのは当たり前なのだろうけど、キャンペーンって似合わないよなぁ。無愛想で仏頂面の岡村さんにキャンペーンなんて出来たのだろうか?


2/2NHK109stにて、オーディションを受ける。
岡村靖幸がオーディション!しかもNHK!!これまた似合わないな。ちゃんと受け答えできたのかしら、あの子は?心配になってしまう。今急に思い出したけどNHKって出演者には全員オーディションってか面接を行うんですよね。たしか「たま」の石川さんが「オーディションなしでNHKに出演したミュージシャンは『たま』だけなのだ」みたいなことをどっかに書いていたような記憶がある。「たま」は音楽番組ではなくNHKのニュースで「たま現象」として取り上げられ、出演したためオーディションはなかったとか。


8/5、6「平和がいいに決まっている」広島サンプラザホール。渡辺美里、尾崎豊他共演。
親友・尾崎豊が飛び入り参加して「Young oh! oh!」を熱唱した例の動画のコンサートが「平和がいいに決まっている」。鬼才変人変態の岡村靖幸も尾崎豊の異様なテンションの前ではフツーに見えるっていう。最後にはダサい踊りをしていた尾崎豊からダンスのダメだしをされて苦笑いするしかないっていうね。


8/21、22 「BEAT CHILD」熊本・グリーンピア南阿蘇アスペクタ。大雨。
「BEAT CHILD」に岡村靖幸が出演してたんだ!これは知らなかった。豪雨のビートチャイルドといえば尾崎豊ファンの間ではかなり有名なライブ。この日はヤバいくらいの豪雨だったけど、岡村ちゃんも尾崎と同じように雨の中熱唱したのだろうか。


8/19 全国13都市14会場。しめくくりの武道館は2時間でSOLD OUT。観客総動員数約4万人、全会場SOLD OUT。
この辺から本格的に“売れっ子”になってきた感じですね。SOLD OUTの文字がこれ以降多くなっている。全盛期といっても過言ではないくらい勢いがあったころなのだろうか。この頃のファンの方が羨ましい。でも当時は岡村靖幸のファンであることを公言すると周りから変態扱いされる傾向にあったらしくなかなか言い出せない人が多かったらしいですね。

12/23、24 渋谷パルコ西部劇場にて、映画『Peach』レイトショー(20:30〜)。舞台挨拶。チケットSOLD OUT。
舞台挨拶やってたのか。MCすらできない男が舞台挨拶とはねぇ。ってか舞台挨拶するほど中身のある映画じゃないけどね。


「年末年始・岡村くんと過ごそう」パルコ劇場6日間公演
なんだこれwww


と、僕が引っかかった部分はこれくらいかなぁ。皆さんはこの年表を読んで「おっ!」と思った箇所はあったでしょうか?あっ1990年の「ヴィデオ・シングル」ってのも気になるな。なんだよそれ。そんな言葉知らないけどな。

岡村靖幸のもっとも輝かしいデビューからの約5年間を記した“コンプリート・ヒストリー さまよう青春”は91年で終わってるけど、その後の岡村靖幸の年表をもし作るとしたら、暗い話題ばかりになってしまいますね。また再び輝かしい年表を刻み付けられたら良いですね。

精神講座 創ることと魅せること(後半)

カッコつけた手の届かない人に憧れてた

岡村 最近の雑誌見てて確実に違うなって思うのはさ、僕たちってすごくカッコつけるでしょ、雑誌に載るときとかさ。でも、いまの子ってあまりカッコつけないじゃない? なんでかなって思う。僕なんか、デビューするときは衣装作って、ヘアメイクを呼んで、いままでにない髪型作ってくれって言ったりしたし、アルバム出すたびに髪型変えてがんばろうかな、とかあったけど、いまの子達にはそういうのないみたいだね。
吉川 憧れているもんが違うんじゃないかな。俺たちが憧れたのは“こういうやついるわけないじゃん”っていうタイプだったじゃない。ロック・スターにしたって、俺なんかプレスリーだったりデヴィッド・ボウイだったり、手の届かないところにいる人で、後光がさしてるようなイメージがあるけど、いまの子達ってもっとリアリティに敏感なんだよ、きっと。だからドラマにしたって、となりのオフィス・ビルで起きてるような、自分たちにできそうなシチュエーションなんだよ。憧れてるものが近いところにあるんだと思うな。
岡村 歌謡曲が消えちゃったのには、その理由があるような気がするな。
吉川 そうだね、夢物語よりもリアリティ、みたいなさ。
岡村 僕は音楽ではリアリティを追求してるけど、音楽で自分自身を出すかわりに、見せる部分では観にきてくれる人を喜ばすためにいろんなことをしてるっていうのはある。レコードは自分のためだけど、ライヴは人のためっていうさ。
吉川 もの創るっているのは(原文のまま)コンプレックスの裏返しで、虚勢だからね。
岡村 そう。俺たちにはコンプレックスはないんだよっていうのが究極の状態だから、そういうふうに見せるように俺たちふたりはがんばってるんじゃないかな。そのための努力たるや、昔は強力なものがありましたよ。
吉川 昔は?(笑)。それじゃあ、いまはしてないってわけだね。
岡村 いまもしてるけどさ(笑)。それは強力なものですよ。
吉川 だけど俺は、それを努力とは言わないけどね。努力って言葉、嫌いだから。
岡村 んー、だからなんて言ったらいいのかな、そう見せるための働きかけには強力なものがあったよね。そのために貯金がゼロになっても、平気なんじゃないかな。
吉川 さっきも言ったけど、俺たちが外に出してる部分っていうのは俺たちの憧れの部分なんだよね。実際はもっとグシャグシャなわけ。普通の人より情けないときって多い。だからそれができる土壌を絶対に手放したくないっていうのかな。ステージって一回上がったらもうドラッグだと思う。きっとステージに立つとアドレナリンが頭のなかにグショグショに出るんだよ。で、この場だったら憧れに手が届きそうだって思う。さっき岡村はステージでは来てくれた人のために歌うって言ったけど、俺は誰のためにも歌わない。レコードもステージも自分のためにしか歌わない。だから都合のいい野郎なんだよね。まあ、これでお前ひとりでやってろって言われると困るんだけど(笑)。来てくれた人のパワー弾いたり吸収したりしながら、オーラの交換みたいなところで一緒に高まっていくんだけどさ。
岡村 幸せもんだよ、それは。
吉川 エッ? 俺って幸せもんなの?
岡村 そうだよ。自分のために歌っててさ、お客さんがパワーをくれるんだから。
吉川 そうか。ありがとう。お褒めの言葉をいただいて(笑)。


自分のためにやってる音楽は いばらの道でも楽しい

岡村 晃司は自分の弱さみたいなところは、音楽では出してないの?
吉川 だんだん裸になれるようになったよ。デビューのころっていうのはさ、視線を見られたくないっていうところがあって、サングラスは自分のプロテクターみたいに思ってたんだよね。歌っているときは自信あるし気持ちが盛り上がって自分が憧れていたどんなアーティストにもなれるんだけど、しゃべりに関しては長けていきたいっていう指向性がなかったから、そこで裸になるのが怖いっていうかさ。だんだん自分のフィールドが作れてきたからだと思うけど、どんどん裸になっているところはあるよね。で、たまにそれまでの自分の知らない感情を自分自身で見るっていうのが快感になってきたりしててさ。だから自分で自分を脅迫したりとか痛めつけたりするのが最近は好きなんだよね。
岡村 敵はやっぱり自分だからね。誰でもそうだけど、いちばんのライバルは自分だし、いちばんの味方も自分だから。そうなるといちばん考えなくちゃいけないことが自分のことだったりして、当然詞にはそういうことが出てくることになるよね。
吉川 すごいこと言うねー、なるほど。岡村は自分自身の像を自分で描くときに、本当に細かい毛細血管まで知ってるんだろうね。俺はそこまではまだわからないし、なにか、わからない、部分がいっぱいあったほうがいいっていうかさ。ハッとすることがなにかないかなっていつも思ってるんだよね。現実に不器用っていうか、嫌いなんだろうね、現実が。だから失楽園を求めて日々自分を痛めつけてるっていうか(笑)。
岡村 わからないもの、とか、自分にないものを求めるっていうのは誰にでもあるんじゃないかな。きっと、みんなそうだよ。そうじゃないっていうことは、発展する気持ちがないっていうことでしょう。それがない人はいないよ。僕はレコーディングやライヴしているときはいつも、不可能はないって思ってるんだよね。限界なんてない、不可能なんてない、と思えたときに初めていままでと違うものが出てくるし、そうしないと前作とは違っていて、かついいアルバムっていうのは出てこないし、それはライヴでも一緒だよね。僕としてはアルバム出すごとに違う世界を展開したいからさ。みんな、そう思ってると思うけど。
吉川 それはそう思うね。
岡村 あとね、歌を歌う人はみんな、ある程度神様に命令されたんだって思ってると思うんだよね。だからこうやると利益が上がるっていうものは抜きなわけで、そうやって授かったものだから、じゃあ、俺はなんで歌うんだろうって考えた場合に、ある程度みんな、メッセージ・シンガーになると思うんだよね。人によって強いメッセージだったりそうでなかったりするんだろうけど。さっき言ったみたいに自分のいちばんの敵は自分だから、当然メッセージは自分に向けられていくわけじゃない。いろんな外的な敵がはっきり見えていたらそっちに向くのかもしれないけれど、いまはそういうのはぼやけているし。晃司もそうだろうけど、みんな自分へのメッセージ・ソングを歌っているんじゃないかなあ。それをみんなが聴いて共感してくれたりするんだと思うな。
吉川 俺はそれがいちばんすばらしいと思うけどね。自分が実感して動いた気持ちの形を歌っていければいいなって思う。なにか、目先で戦争反対って歌っているやつは信用ならないね。あくまで自分の責任の取れる範囲じゃないといけないんじゃないかな、と思う。あとさ、海の向こうの出来事を歌っても危機感はないと思うんだよね。もっと身近な危機感ってあるわけじゃない。都会で生活してると人間はロボットみたいになっていっちゃうとかさ。とくに日本人は精神的な文明に対してすごく失礼な人種っていうか、金を出せば買えるからといって海外の有名な絵を買ってきちゃったりしてるでしょ。身近にそういう恥ずかしいことっていっぱいあるし、そういうことを自分レベルで歌うっていうのがもっと大事なんじゃないかな。
岡村 そう思うな、僕も。自分の家にいるとよくわかるけど、自分の家は当然くつろげる部屋になっていて、動かなくてもヴィデオをつけたり電話がとれたりいろんなことができるようになってるじゃない。だけどそれって自分は堕落しているわけだよね。筋肉は動いていないし、便利にはなっているけど、人間は堕落しているような気がする。人間は痛い目にあわなくちゃいけないっていうことはないけど、便利なことはいいことじゃないんじゃないかって最近すごく思うなあ。恋愛だって、さっきの晃司の話じゃないけど、障害があって、いろんな敵がいたからこそドラマチックに燃え上がれたわけでさ。そこまで便利にならなくてもいだろう(原文のまま)、って思う。ゴッホの絵だって、メチャクチャ苦しんだから、それこそ狂気にいくような苦しみがあったからできたんであって、のほほんとした、いまみたいな便利な社会のなかじゃとても生まれてくる絵じゃないよね。芸術にとってもいろんな面にとっても、便利になるっていうことは果たしていいことなのかどうか・・・・・・。
吉川 だからいまこそアナログっていうのが大事だし、オリジナリティじゃないかなって思うね。デジタルを多用することに危機感をもっているし、俺はそうしないようにしてるんだよね。
岡村 でもね、ここでひとつパラドックスが出てくるのはね、そうしてる人たちが日本をよくしようとやってるっていうことなんだよね。
吉川 かわいそうだけどね、確かに。働き蜂といわれながら、エコノミック・アニマルといわれながらこういう便利な社会を作ってくれたお父さんたちに感謝はするけど、いま、違うところはやっぱりあるよね。でも、二十歳くらいのやつらってそういうことをあまり思ってないんじゃないかな。諦めてるっていうかね、大人が多いんだよ。
岡村 生まれたときからそういう状態だからね。
吉川 だからキツいと思うよ。俺らが幼稚園のころは“宇宙飛行士になりたい!”とかあったけど、いま、小学一年生でもすごいシビアだもんね。かわいそうだなって思うよ。だから、あいつらがそういう状況のなかで夢を売るポジションについたらすごく認めちゃうし、怖いと思うよね。
岡村 みんなが便利だということはよくないことなんじゃないかっていうことに気がつけば、なんとかしなくちゃって思うんじゃないかな。
吉川 みんなはしないよ。だってわざわざキツい道を選ぶ必要はないからね。俺らは自分で勢いつけて、いばらの道だから楽しいじゃん、というふうに思えるシチュエーションで生きていくことを運よく貰えたから、キツい道を歩くことに苦はないけど、絨毯を敷かれて“さあ、どうぞ”って言われたら、その上を歩いていっちゃうよね。
岡村 うーん。僕も自分のためにやっていることはいっさい辛いとか思っちゃいけない、と思ってるし、仮に思うことがあっても思ってはいけないっていう志でいたいな、と思ってるけどね。人のためにやっているならともかく、自分のためにやっているんだから。でもね、ホントに大きいことなんだよ。これ以上便利にならなくていいっていうことにみんな気がついて、新しいもの、便利なものに飛びつかなくなれば企業もそういうものを作らなくなるだろうし、別なところに発展を見出せると思うんだけどな。このままの状態で進歩するっていうことは、寝たままの状態でも生きていけるようにしてるだけなんだから。ハイテクの最先端であるヴァーチャルなんて、モニターの前でなんでも体験できるっていうことだからさ。
吉川 発展するほど心は細るよね。
岡村 みんなそのことに早く気がついてくれるといいな、と思うな。
吉川 そのほうがきっと自分も楽しいはずだからね。
岡村 うん、絶対にそうだから。


文字起こし人:紅林




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きっかわ・こうじ ‘65年8月18日、広島県広島市出身。血液型B型。
‘84年2月『モニカ』でデビュー。発売早々にヒット・チャートをかけのぼり、新人賞を独占。ライヴ活動はもちろん、映画主演でも活躍。‘89年からの2年間は布袋寅泰と“COMPLEX”を結成。シングル・ヒットも飛ばし多大な評価を得た。‘91年5月の初セルフ・プロデュースアルバムから、約1年4カ月ぶりのアルバム『Shyness Overdrive』が9月9日に発売される。
(92年 掲載時のまま)





気心の知れた、親友・吉川晃司が相手とあって、普段はあまりみせない岡村靖幸の“素”の部分が随所に出ている。普段のインタビューでは口数が少なく「・・・・・・・・・」と考え込んでしまうことの多い岡村ちゃんだが、この対談では饒舌だ。「~だもんね」とか「~と思うな」とか、あと「うるさい!」とか吉川相手に喋るときはの岡村ちゃんの口調は、なんていうのだろう…ちょっとかわいいですよね。

この対談が行われたのは92年だから岡村・吉川の年齢は27歳。僕も今年で27なので今の自分と同じ年齢である。自分とタメであることを踏まえてこの対談を改めて読むと、吉川晃司は地に足の着いた大人として落ち着いており、話す内容もしっかりしているけど、岡村ちゃんはまだまだ大人になりきれてない印象を受ける。出会いのチャンスを求めチャラチャラしたスポーツクラブに入会したり、青山学院大学に入学しようとしたり、と、まだまだ大人になりきれてない印象だ。

岡村靖幸のこの「大人になりきれない感じ」ってのは、きっと今でもそうなのだろうな。むしろそこが魅力なのかもしれない。MUSICAの復帰インタビューでも、フェアな関係の友人が欲しくて英会話スクールに通っているとか言ってたし、今でも自分から告白できないだろうし…。岡村靖幸のインタビューをいろいろと読んで痛感したことは、本当に昔からずっと同じことに悩み、苦しみ、抜け出せないでいて、その状況は年齢を重ねる度にどんどん悪化し、はたから観ると痛々しくなっているように思う。負のスパイラル。無限ループ。

今回の対談内容は、まずは、最近のミュージシャンはカッコつけたがらない、ということについて。この頃で言えば、イカ天出身のバンドやユニコーンとかジュンスカあたりのことを指しているのだろうか、確かに、自然体のミュージシャンが増え始めたのはこの頃からかもしれない。その一方でXをはじめとするヴィジュアル形(当時はまだ“ヴィジュアル系”という言葉はなかったため吉川曰く“様式美系の音楽”)はまだ黎明期ではあったにせよ確実に存在していたわけで、自然体と様式美系(あるいは“イロモノ”)の二極化が激しかった時代なのだろうか。2010年の今ではすっかり様式美麗は廃れて、自然体なミュージシャンが殆どになってしまったな。もう、ラフな普段着でロックするのがすっかりスタンダードになっちゃったなもんな。かくいう岡村ちゃん自身もパーカーでステージに上がっちゃってるしねぇ。う~ん。やっぱり岡村ちゃんといえば紫のスーツとか鶴(だっけ?)の刺繍の入ったジャケットとか、黒のタイツとかこれぞステージ衣装って感じの派手な服を着て欲しいものだ。

最後の方は、やや真面目な話。どんどん便利に豊かになっていく世の中に危機感を持っている岡村・吉川の会話。

吉川 発展するほど心は細るよね。
岡村 みんなそのことに早く気がついてくれるといいな、と思うな。


日本人は精神的な文明に対してすごく失礼な人種


デジタルを多用することに危機感をもっているし、俺はそうしないようにしてるんだよね。


今の時代だったらそれこそ“エコ”ってことでありふれた話だけど、まだまだバブルの余韻が残っていた1992年の時点で、どんどん豊かになりまくる日本を俯瞰的に眺めて「これは間違ってる」と気づいていたのは凄いことだと思う。僕はバブル世代じゃないので、リアルに体験したわけじゃないけど、本当にバブルの頃の日本ってギラギラしていて全てが悪趣味ですよねぇ。そんな下品な時代に背を向けるように岡村靖幸は引きこもり気味になるわけか。いま、ふと思ったのだけど、この辺のことを曲にしたのが「チャームポイント」なのかなぁ。

今でも初恋憶えてるなら激しく健気な頃の夏を取り戻せ

吉川晃司との貴重な対談「精神講座 創ることと魅せること」はこれで終わりです。次も92年の月カドから適当にアップします。それにしても、文字起こしばっかりになってるなぁ。「PVレビュー」「ライブDVD全曲実況」辺りも書きたいところだな。こんなに頻繁にブログを更新するのは久しぶりなので、GWのチャットが終わったらきっと事切れることでしょう。

精神講座 創ることと魅せること (前半)

月刊カドカワ 1992年10月号 VOL.10 NO.10

表紙 総力特集 最初で最後の永久保存版
岡村靖幸  やさしく愛して

● INDEX
P20〜P21
 総力特集 やさしく愛して 
P22〜P31 
スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、ぼくに 
P32〜P37
コンプリート・ヒストリー さまよう青春
P38〜P41
証言構成 ミステリアスな彼について、思うことがある――靖幸のこと
P42〜P47
本人自身による全アルバム解説
P48〜P50
本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告
P51〜P58
イケナイコトカイ(カラーグラビアのため掲載予定無し)
P59〜P77
実物大 岡村靖幸  図と解説 江口寿史(写真と江口氏によるイラストのため掲載予定無し)
P78〜P79 
最終家庭教師 江口寿史(江口氏による漫画のため掲載予定無し)
P80〜P89
精神講座 創ることと魅せること






P80〜P89
精神講座 創ることと魅せること
岡村靖幸  特別講師/吉川晃司


七年前に知り合い、刺激的な青春時代を共に過ごした二人。
友達でもあるが、お互い独自の音楽を追究し、
第一線で活躍しているアーティスト同士。
二人にとって、ものを創り、人を魅了させる意味とは・・・・・・。

撮影/井出貴久
進行/佐伯明
構成/木村由理江



吉川 今日は何をお話すればいいでしょうね(笑)。
岡村 んー、夏風邪には気をつけろ、ということで。
吉川 なるほど(笑)。
岡村 僕は三日間ほど寝込んでました。夏風邪の怖いところは、お腹が空かないところ。
吉川 ちょうどいいじゃない、減量になって(笑)。
岡村 そういう痩せ方じゃだめなんだよ。
吉川 健康的に痩せないとだめだ、と。
岡村 それで最悪なのは、仕事が入っても夏風邪はやってくる、というところ。しかも急には治ってくれないんだよ、注射でも打たない限り。
吉川 で、注射を打つのは嫌いだ、と。じゃあ、どうやって治したの?
岡村 いつも通っている整体の先生にきいた方法で。お湯のなかに足を浸けて、そこに三十分おきくらいにすっごく熱いお湯を足すんだよ。でも、それだけじゃダメで、発汗させるために服を何枚も重ねて着てジーッとしてるの。で、出てきた汗を拭いて、着替えてっていうのをくり返したんだよ。
吉川 なるほどね。で、知り合ってからもうどれくらいになるんだっけ、俺たち。七年くらい?
岡村 長いよね。
吉川 最初、曲を書いてくれたんだよね。
岡村 それもあるけど、みんなでつるんで遊ぶのが流行ってたころでさ、鈴木賢司とか、みんなでしょっちゅうディスコに行ったりカラオケに行ったりしてたんだよ。
吉川 そうだそうだ。尾崎(豊)なんかも一緒で、みんなで盛り上がってたんだ。バーでダイアモンドが転がっている、みたいな時代だったんだよね。別にお酒を飲むのがどうのこうのっていうより、みんなでつるんでどっかに行くっていうのが刺激的だったっていうかさ。今度はいつ会おうっていうことではなくて、なんとはなしに集まって、なんとなくはけるっていう感じだったんだよね。
岡村 特別に何かを話すっていうわけでもなくね。
吉川 一緒に体温を交わしあう、とかそういうことだけで安心できたり触発できたりしたんだよ。言葉で気持ちを交わす必要がない、みたいなところってあってさ。といっても、そうしょっちゅう会ってたわけじゃないよね。年に二、三回、かな。あの頃は俺も酒を飲むのが好きだったし、岡村は踊るのが好きだから、譲り合いだったんだよね。今日は飲みに行こう、とか、今日は踊りに行こう、とか。岡村、踊るからなあ(笑)。
岡村 晃司だって、飲めないと怒ってたじゃないか(笑)。
吉川 まあね。でも、同じ歌い手でこういう感じの、カインド・オブ・友情っていうのがあるのは珍しいよね。なかなかこうはなれないからさ。続いてるしね。
岡村 バンドじゃなくてソロでしょ、僕たちは。当たり前なんだけど、ソロっていうのはバンドとはぜんぜん違うから、共有できる悩み、みたいなのが多いっていうのがあって話してても盛り上がったのかな。
吉川 あとはいい意味でも悪い意味でも孤独感を共有できるというのはあるね。なんでも追求していけばいくほどひとりの要素っていうのは増えるでしょ、だからかな。実際ビジネスで関わってないっていうのもあると思うけど。
岡村 晃司の場合、自分でも多分わかってると思うけど、とりあえず、メチャクチャ性格がいいっていうのが基本にあるよね。
吉川 そうそうそう、俺はメチャクチャ性格いいけど、お前はメチャクチャ悪いから(笑)。
岡村 あとは生き方で、自分の持ってないカッコいいところっていうのは確実にあるから、それにやっぱり刺激されるし、それがあるからずっと付き合ってるんじゃないかな。しかも、同じ歳でソロ歌手で、とかいったら、ほとんどいないもんね。
吉川 同じジェネレーション、ということで、物の見方が離れてないっていうのもあるよね。でも、俺らのあとからでてきたアーティストとは違うんだけどさ、また。
岡村 僕もそう思うな。ちゃんと話したことがないからあまりわからないけど、上の世代とも下の世代ともあんまりしっくりこないっていうかね。
吉川 合わないんだよな。同じ歳でもちょっとあとから出てきたバンド系の連中とはぜんぜん合わないしね。深く話をするわけじゃないんだけど、回転の周期が違うから歯車が噛み合ないっていう感じだよね。お互いに合わそうとしていないっていうのもあるけど、その点、岡村とは合わそうとしなくても合うっていうかね。おもしろいよね。今度一緒に飲みに行って友情を深めようぜ、というところから入ってないにもかかわらず、何となくいつも頭のどこかにいるんだよね。


俺らってけっこう女の子に対しては小心者だよね

岡村 僕たちは大学に行かなかったわけでしょう。いまはそんなにうらやましいと思わないけど、当時は「オールナイトフジ」とか流行ってて、いろんな女と出会いやがってっていう感じで大学生が強力にうらやましかったころでさ。そういうの全く経験してなくこの世界に入ったから、これはこれで俺たちなりの青春さっていう主張だったのかもしれない。とりあえずは青春したいっていうかさ。あとで振り返ったときに、音楽だけやってました、みたいなのは青春じゃないんじゃないか、とかね。
吉川 いわゆる、同じ年代のみんなが感じるフリーダム感覚っていうのは僕らにはなかったと思うよね。その分エキサイティングなものはあったけどね。でも、岡村は俺よりデビューあとだからさ、少しは・・・・・・。
岡村 でも、僕も大学行かなかったからさ。
吉川 でも俺、岡村みたいに遊びたい願望ってあまりなかったな。それよりも、知らないフィールドに突然出て、「ザ・ベストテン」とか「ザ・トップテン」とか出ていて、夢見、憧れてたものと現実はかけ離れてるんだ、みたいなところがあったからさ。あのころはそれをちょっと壊してやろうかな、みたいなところで燃えてた。当初はそんな手段がわからないからさ、ホントにセットなんて壊しちゃった、みたいなね(笑)。そういうことに明け暮れてたよね。
岡村 ふうん。
吉川 恋愛なんかは、普通の人が味わうようなものは味わえなかったけど、普通の人が味わえないものを味わってるよね。ほとんど『007』みたいなデートだったから(笑)。だって写真週刊誌の記者がバイクや車でバンバン追いかけてくる、みたいな状態だから、いやがおうでも恋が盛り上がるっていうのかな。追いかけられると結束しちゃう、とか、会えない時間が長いと燃える、とかさ。そういう映画のような恋をせざるを得ないようなシチュエーションを作られちゃってた。だから、都内の一方通行の道とかだいたい知ってるよね。一方通行だと相手も逃げられないから、車止めてうしろに走っていってボンと一発殴って、鍵を取って捨てて「じゃあね」って言って行く、みたいなこと、けっこうしてたからね。
岡村 うーん。僕はまず、出会う機会があんまりなかったからなあ。僕はシャイだから飲み歩くっていうこともあまりしなかったし。出会う機会を作ろう、と思って大学に行こう、と思ったことあるけどさ。
吉川 そういえば岡村、そんなこと言ってたな。
岡村 そう。それで青山学院大学に行こうと思ったんだよ。チャラチャラしてそうだし、いいかな、と思ったんだけど、意外に入るのが難しいっていうのと、一年か二年の間は青山の校舎じゃないっていうのが思ってるのとぜんぜん違うなんていうことになってあきらめたんだよね。で、スポーツ・クラブに入ろうかなって思ったんだけど、スポーツ・クラブに出会いは・・・・・・。
吉川 行ってるじゃないかよ、スポーツ・クラブに(笑)。
岡村 行ってるよ、行ってるけど・・・・・・。
吉川 お前の行ってるようなスポーツ・クラブに入っているやつは、ナンパ目的のやつばっかりだろう(笑)。
岡村 うるさい!(笑)お前はそういうこと言わなくていいよ、ここで。だから僕は出会う機会がなかったんだよね、スポーツ・クラブでも。僕にとってすごく大きいのは、自分から好きだって言えないことなんだと思うな。酔っ払おうとなにをしようと、自分からは言えない。
吉川 俺も言えないよ。
岡村 だから、街を歩いてるとすごくかわいい子がたくさんいるから、そういう子に声をかけられるようになったら、僕の人生は変わるなっていつも思う。
吉川 そういう状態じゃさ、仮に大学に入ってたとしても駄目だったんじゃないの。
岡村 いや。大学に行ったら付け髭みたいなのを付けて、名前も違う名前で登録してさ、それでいろいろサークルとか入ってさ。いろいろ出会っているうちに、僕が好きだって言わなくても誰かが僕を好きだって言ってくれたりすればうまくいくかなって思うんだよね。僕、僕だってわからないのがいいから。
吉川 そりゃあ無理だよな。
岡村 だから無理じゃないように変装するんだよ。よく、TV番組とかであるじゃない? 普段は焼きソバ屋のオヤジなんだけど、実は探偵だった、とか、そういう感じってカッコいいって思ってたから、そういうのやりたいなって思ってたんだよね。
吉川 俺らってけっこう、女の子に対して小心者になっちゃうところあるよね。こっちが好きでも相手が俺たちのなにが好きなのかわからないじゃない。一応世の中に名前が出てるからね。その辺で傷ついちゃったりさ。俺なんか、帰ってきたら貯金通帳とか洋服ダンスの洋服が全部なかったり、とか、あったからさ。
岡村 そんなことさ、発表しなくていいよ。
吉川 いいじゃん、俺は言いたいんだから。
岡村 そうか・・・・・・。
吉川 俺はいつも素顔のままだからさ(笑)。
岡村 はいはいはい。
吉川 そういうところで捩れちゃうところ、あるよね。やっぱりシャイだからさ、俺もけっこう言えないんだよね。なにかさ、様式美系の音楽をやってるってことはさ、本当の自分はシャイだから虚勢張ってる、みたいなところ、あるよね。逆にすごくシリアスな歌を歌っている連中のほうが、そういうところに長けてたりさ。おもしろいよね。だから、俺たちが表に出しているものっていうのは、憧れでもあるわけじゃない、自分にとっても。こういう男になりたい、とかさ。例えばステージに立つとそういうふうに振る舞えたり、大きな声でモノが言えたりする。その魅力にひかれていまの自分がここにある、みたいなことになるんだけど、実際の自分はすごく逆だったりするんだよね。
岡村 だからっていうことになるのかな。二人ともなんで突っ張らなきゃいけないんだかわからないけど、突っ張らなきゃいけない状況っていうのがあるよね。
吉川 うん、突っ張っちゃうよね。
岡村 突っ張ることがカッコいいと思ってるもんね。
吉川 醒めることにすごく臆病で、醒めたくない、醒めたくないって思ってるんだよ、きっと。そう思うことで自分を活性化できるっていうか、血の巡りをよくできるっていうか。



文字起こし人:紅林



岡村靖幸と交友のあるミュージシャンといえば、小室哲哉、渡辺美里、石野卓球、川本真琴、CHARA、大江千里(?)などなどたくさん思い浮かぶが、そのなかでも、特に交友が深い親友といえば吉川晃司と尾崎豊であろう。岡村靖幸がR30に出演した際には、吉川と尾崎と共に遊んでいた頃の話をしていたし、生前の尾崎豊はラジオ番組「SFロックステーション」に出演した際、岡村靖幸とのエピソードを笑いをこらえながら嬉しそうに話していた。

ちなみに尾崎豊がそのラジオ番組に出演した回というのは例の事件で逮捕され復帰後の出演だった。なので、はじめの方は、深刻な口調で謝罪し終始暗めのトーンで喋っていたのだが、後半になるにつれ緊張もほぐれ、岡村靖幸の話題の時にはすっかり持ち前の明るさを取り戻し、「おっかむらー愛ってなんだーって感じですよ」とか「あぁー岡村に会いたくなってきたなあ」などとカラカラ笑いながら話していた記憶がある。

同い年、ソロミュージシャン、十代でデビューなどの共通点により仲が深まった尾崎、岡村、吉川。このインタビューが行われた半年前に尾崎豊は亡くなっているため、岡村と吉川、二人の対談となっているが、もし、尾崎豊が生きていたら、岡村、尾崎、吉川3人での座談会になったのだろうか…、と考えると、なんだかため息が出てきますねぇ(僕は尾崎ファンなので)。

さて、対談内容ですが…やはり気心知れた間柄だけあって、遠慮がないですね。特に吉川の岡村ちゃんに対するものの言い方に躊躇がないため、読んでいるこちらが側が心配になってしまう。なんつったって初っ端から


ちょうどいいじゃない、減量になって(笑)。



岡村靖幸の最大のタブーは体系。そこをいきなり突いている。まあ、でもこの頃は映像作品でいえば「ファンシーゲリラ」と同時期だから、まだそれほど太ってないころか。でも、岡村靖幸本人はかなり気にしてたんだよな。「ファンシーゲリラ」を観ればわかるが、画像はを縦長に編集して少しでも体を細く見せようとしていたもんねぇ。他にも


お前の行ってるようなスポーツ・クラブに入っているやつは、ナンパ目的のやつばっかりだろう(笑)。
岡村 うるさい!



俺はメチャクチャ性格いいけど、お前はメチャクチャ悪いから(笑)


吉川 俺はいつも素顔のままだからさ(笑)。
岡村 はいはいはい。



もうさ…吉川スゲーよ。今、岡村靖幸に対してこんなこと言える人なんていないよねぇ。岡村ちゃんの受け答えも「うるさい!」「はいはいはい」って。岡村靖幸ってそんなキャラだったっけ?「お前はメチャクチャ悪いから」に対しては何も反応せずに華麗にスルーしているのも笑えるな。次、岡村靖幸が復活したら、ぜひ吉川晃司と対談をやってほしいな。そんで、岡村靖幸のタブーにズバズバ突っ込んで欲しいもんだ。「お前さ、太り過ぎだろ」とか「覚せい剤はやめられそうなの?どうなんだよ?」とかズバっと聞いて欲しいよ。ま・・・岡村ちゃんが断るだろうけど。

今回は全体的にたわいもない話が多いけど、後半はやや真面目なお話になります。つづく。

ロッキングオンジャパン 1989年9月号 その3

よく言われるよ。童貞じゃないですかって。ファンの女の子たちにも。

▶かわいいなぁって感じね。じゃあ、実際に相思相愛になったっていうのは?
「高校の時に一回あったかなぁって感じだな」
▶それは空前絶後の至上の幸福としてあったんですか。
「全然そんなんじゃなかったけど。サーファー・ギャルでさ、ハーフの子だったんだけど」
▶今までに、これは決定的に幸せな恋愛だなぁっていう体験はありましたか。
「無い」
▶今、現実に彼女はいないんですか。
「いない、いない。これは神に誓って」
▶さびしくないの?
「そりゃあ、さびしいでしょう」
▶もうどれぐらいいないの?
「東京に来てからは一度もいないよ」
▶高校から全然いない?
「うん。だって、東京に来たらすぐに作曲家になったでしょ。そしたら音楽関係の人としか知り合えないでしょ。普通の人と知り合うとしたら、あとはナンパできしか方法(原文のまま)ないでしょ、六本木とかで。でも、俺、ナンパできないからさ。そうすると、出会う機会全くないでしょ」
▶だって、業界の人だって、ファンの子だって普通の人じゃない。そういうのはだめなの?
「そういう人たちって俺のことを普通に見てくれないでしょ」
▶でもさ、人間って誰でもそれなりの属性を背負ってるもんでしょ。しょうがないじゃない?
「背負ってないよ。だって、マキシーンとの時だって何もなかったじゃない。平井さんとの時だって何もなかったよ。たまたま机が隣だっただけじゃない。そういうのって普通の人だったら、たくさんあり得るわけでしょ、たまたま同じ職場で働いてて、とかさ」
▶でも、業界でたまたま一緒になりましたっていうのも同じ偶然性でしょ? たまたま僕のコンサートに来てくれていました、とかさ。
「だってフェアじゃないもん。例えばさ、物凄いもてる子がいたとするじゃない。で、僕以外にも彼女のこと好きだと思ってる人が20人ぐらいいたとするじゃない。そしたら、その人たちに対しても悪いじゃない」
▶(笑)悪いってこたぁないでしょ。
「岡村君は歌うたってるから好きだ、みたいなさ。A君はお弁当屋だから岡村君より劣ってるってことになったら、それはフェアじゃないじゃない」
▶でも、まぁ、そんなもんでしょう(笑)。
「それは良くない」
▶(笑)あ、そうスか。けど、そんなこと言ってたら、一生懸命恋愛出来ないじゃない、身分明かさずにナンパでもしない限り。
「だから、俺ね、物凄いがんばってんだよ、ナンパ出来るように」
▶・・・・・・そうですか。では、高校時代の恋愛の話をもう少し訊きたいんですが。
「さっきも言った、サーファーでハーフの女の子がいて、その子、僕と違う高校に行ってたの。で、その頃、バイクに乗ってて、僕。んで、よく会うようになって。その子の家って海の近くで、その子がね、岡村君の家に遊びに行きたいって言ったんだよね。だから、こりゃ気があるなって思って。高校の頃って、外見とかすごい気にするんだけど、その子、すごいかわいかったし。んで、よく会うようになって。その子の家って海の近くで、よくバイクで送って行って。・・・・・・・・・それで、俺、『好きだ』って言おうと思ったの。生まれて一度も女の子に『好きだ』って言ったことなかったんだけど・・・・・・。そしたら、その子、男がいてね」
▶その子は二股掛けようとしてたわけ?
「うん。で、その子が泣きながら、男がいるって話をして。で、あぁ、これは美しくないなって思って。何てしたたかな嫌な女なんだろうって思ってね。美しくないじゃん、彼氏がいるのに他の男の子にモーションかけようとするなんて。で、醒めちゃった」
▶ということは、その時も結局、自分からは「好きだ」とは言えずじまい?
「うん」
▶それ以降、誰かに言ったことあります?
「コンサートとかでよく言ってるけどね。レコードでもよく言ってるし」
▶現実場面では無い?
「無い」
▶無いっ!?じゃあ、ちゃんと性的な面も伴った恋愛っていうのはその一度きりなんですか。
「・・・・・・そういうことになるね」
▶ありゃ、ま。まさか、童貞じゃないでしょうね?(笑)。
「(笑)よく言われるよ、童貞じゃないですかって。ファンの子たちもね、『岡村君はエッチなこと一杯歌ってるけど、実は童貞じゃないかとニラんでます』とか書いてくる」
▶(笑)その憶測は外れてるんですか。
「いやぁ、外れてると思うけどね」
▶「思う」ってどういうことだよ(笑)。高校の時の一回だけしかまっとうな恋愛体験がないとするとさ、岡村さんの歌に頻繁に登場するセックスのイメージっていうのは、自分の中ではどういう風に位置づけられてるんだろう。
「まずね、歌を聴いてもわかると思うんだけど、根本的に、美しくないものは良くないと思ってるの。美しいっていうのは、見た目が美しいとかってことじゃなくて、その時にすごく純粋になってるかどうかってのが、一番大事だと思ってるのね。純粋じゃないと、後で痛い思いとか悲しい思いをすると思うの。単にキスしたいからとか、単に抱きしめたいからとかそれだけで、『好きだ』って言ったりとか、あわよくば『結婚しよう』って言ったりとかするのは良くないと思うんだよね」
▶一方でさ、男として正直だったらヤルのはあたり前だ、みたいな考え方もあるでしょ。実際、そうしてる人だってすごく多いわけですよね。そういうことは自分では認められないんだ?
「そういう人たちは自分から『好きだ』って言えるんだよね。これが結構響いてるんだよね、『好きだ』って言えるかどうかってのが」
▶岡村さんはそういう性的な衝動に勝ってるってことですかね。
「そう、俺は勝ってるよ。そう。絶対に勝ってるよ。いつも勝ってる」
▶岡村さんにとって性っていうのはどういう問題なんですか。例えば性は性として恋愛感情と切り離して処理しますっていう考え方もあるでしょ。
「そういうのは生まれて一度もない」
▶自分の性衝動はどうしてるんですか。好きでもない女の子にそのはけ口も求めることは絶対にありませんか。
「絶対にない。・・・・・・ないね」
▶そういうことやっている男の子は汚く見えたりするのかな?
「いや、それは人それぞれだからね。俺、そういうことに関しては、ちょっと病的なくらい潔癖なところがあるのかも知んない、確かに」
▶常に心身一致してないと嫌なんだ。
「うん」
▶じゃ、岡村さんにとってのセックスって何ですか。
「・・・・・・・・・・・・美しい愛の、どうしても辿らなくてはならない道なんじゃないかな」
▶歌詞の中に3Pなんてのが出てきますけど、あれはどっから出てきたシチュエーションなんですか。
「・・・・・・うーん、それは難しくて答えられないな」
▶高校2年で、大学を受験しないことに決めますよね、その時の将来の展望ってどういうものだったんですか。
「何にも無かったんだよ、これが。まず、勉強がやりたくないっていうのがあって。そうすると、当然働かなくちゃいけないじゃん。で、やりたい仕事見つけなくちゃいけないんだけど、これがまた無いんだよね。もう、最悪のパターンでね。でもね、いい案を思い付いたの。俺は運がいいことにバイクを持ってたじゃん。それを売って、普通の人が大学に行く4年間、色んな仕事をやってみようと思ったの。花屋さんでもいいし、お弁当屋さんでもいいし、現実的じゃないのだったら、音楽の仕事でもいいし、本書く人のお手伝いとか、俳優とかでもいいし、ともかく全てやってみて、で、普通の人が大学を卒業する年にどれかに決定しようと思ったのね。で、これを実際にやる時に、現実的な仕事から始めると、すごい時間がかかると思ったのね。夢みたいな、これはかないそうにないっていうのからかたずけていこうってね。それは早く済むから。で、最後に花屋さんやお弁当屋さんをやろうと思ったの。んで、一番アタマにあったのが音楽だったの。これはまあ、絶対ムリでしょ、でも好きだなぁ、みたいな。デモテープもあったし、一番簡単に、すぐトライできるじゃんって感じで。それで、送ったら、これがうまくいったんだよね」
▶なんかイージーですねぇ。
「でね、人に曲書かない?ってことになって、人に書いてたら色んな話が来て、で、スタジオで踊ってたら、踊りが上手いからデビューしろって言われて、で、現在に到った(原文のまま)の」
▶で、最初に人に曲書いてくれって話が来た時は、渡辺美里さんの仕事だったんでしょ。その時はそう思いましたか。
「わぁ、すっげぇとか思って。こりゃ、もう有頂天よ。でも、美里ちゃんだっていっても、その当時は誰も知らないわけだから、不安と期待が入り混じりって感じだったけどね。まあ、俺なんかより美里ちゃんやスタッフの方が100倍も不安と期待が入り混じりって感じだっただろうけどね。そこらへんのわけのわかんない男の子に曲書かせるんだからね(笑)」
▶うんうん(笑)。
「よく考えると不思議だよね、俺なんかによく曲書かせたなぁって思うよ」
▶いや、そういう風に当人が感じる方が不思議だよ。スタッフは岡村さんの才能を認めたから、曲を書かせたわけでしょ。普通のロック・ミュージシャンだったらそこで、「俺は自分の絶対的な才能を信じてたけど、今まで誰も評価してくれなかった。初めて俺の才能が認められた。やっぱり俺はすごいぜっ!」とかって考えるでしょ?
「それはみんなプロになろうとしてるからでしょ、初めから。でも、俺は違うもん」
▶物凄い謙虚じゃない?
「いや、謙虚とかじゃなくてさ、プロってそんな生やさしいもんじゃないと思ってたからね。だって、小学校、中学校の頃からプロ目指してて、ライヴ・ハウスで『オーゲーっ!!』とかってガンガンやってる人もいるわけだしね。片や音楽学校行って、音楽的なこと完璧でさ、かつ才能ありまくり、みたいな人もいるわけじゃない、年に何千人も東京の音楽学校に来るわけなんだからさ。そしたらさ、そんなのに勝てるなんて絶対思うわけないじゃん、普通」
▶(笑)そういうもの?
「あったり前だよ、プロなんか目指してないんだもん」
▶はぁーっ。じゃあ、自分に才能があるんじゃないかって気付いたのはいつなんですか。
「デビューする前後だね。でも、その時もね、半信半疑だったけどね。とりあえず、僕がデビューしたのは踊りが気に入られちゃったせいだからね、これはほんと。歌詞も全然書いてなかったしね、誰にも見せたことなかったし」
▶じゃあ、自分があんな詞を書くっていうのはびっくりしませんでしたか。
「びっくりした、それ。俺、デビューした時って詞は書かない予定だったの」
▶で、人に書かせたけど、歌おうとしたらこれが歌えない、と。
「歌えないんだよね、これが」
▶全然よその世界を歌っているようで、違和感があってしょうがない、と。
「そうそう。これじゃ、人に伝わらないだろうって思って。そしたら、自分で書けよって言われて。書けるわけないじゃん、とか思いながら、一生懸命書いてたんだけどね」
▶そうやって書いた詞が、本当に他と全く違ってるって気付いた時には驚いたでしょ?
「驚いた。特に『DATE』とかの評判が異常だったからね。子供たちに与えた影響とかも物凄かったしさ、あれはほんとに意外だった。・・・・・・・・・・・・・・・『DATE』はほんとに僕に自信をつけさせたよ」
▶『DATE』で初めて、自分のアーティストとしての才能を自覚したんだ?
「『イエロー』の頃はまあまあかなぁ、って思ってたんだよね。『DATE』になったらね、天才だ!とか、みんなが言い出したからね、『オーケィ、そうかも知んない』とか思ってね(笑)」
▶岡村さんは普通だって言われるとうれしいですか。
「結構うれしいですね」
▶でも、普通ですねって言われてうれしがるアーティストってあんまりいないですよ。
「人間的に普通ですねって言われるとすごいうれしいよ。音楽が普通ですねって言われれば、そりゃ悲しいけど」
▶変わってますねぇって言われるとうれしくないんですか。
「全然うれしくない。うれしいって思う人の気が知れない、はっきり言って」
▶なるほど。自分で詞を書くようになってから、「俺はこんな詞が書きたかったのか。俺はこんな詞を生んでしまうのか」って感じで、自分の新たな一面に気がつきませんでした?
「それはあったんじゃないかなぁ。出来上がった後で結構そういうのあるんだよね。今回のアルバムにも一杯あったけど『あらぁ、こんなの作っちゃったぁ』みたいなね」
▶詞を書いたことによって初めて見えてきた自分、というのはないですか。「あ、俺はここに飢えてるんだ」とかさ、「俺はここを守ろうとしてるんだ」とかさ。
「・・・・・・・・・そうだねぇ、そういうのあるかも知んないねぇ」
▶とりたてて自覚しなかった?
「とりあえずね、今回のアルバムは特にそうだけど、出来上がった後で聴いてみると『うわーっ!』て思うんだよね。ねるとん紅鯨団の告白タイムってあるじゃない。『ナントカさん、今度僕と一緒に海に行きましょう』とか言ってると、『ちょっと待ったーっ!』とか言って、で、3人ぐらい男の子が並んじゃって、さあ、どうするって瞬間があるじゃない。そん時に『あぁつ、見てらんない。うわー!』って気持ちがあんのね。あれとおんなじ」
▶(笑)やっぱあの番組好きでしょ。ああいう風に3人並んで、そん中から女の子に選んでもらったらうれしいんでしょ?
「うん、そうだね」
▶やっぱりね。それが一番うれしんだろうと思った(笑)。ところで、今後、岡村さんのね、恋愛の歌とか、女の子の見方とか、そういうものは変わると思いますか。
「最近ね、やっぱり少しずつ変わってるよ。外見だけで女の子を見なくなってるしね。性格が大事だなぁ、とかさ。で、自分の歌を聴いて、俺はやっぱり純粋なものを求めてるんだなってことを再確認できたりとかね」
▶じゃあ、自分から「好きだ」って言って、男の子らしく女の子にアプローチできるように変わることもあり得ますかね。
「変わりたい」
▶変わり、たい? それは、永遠の“たい”でしょう?
「うーん、永遠と言われると困るけど。もしかしたら、近々の“たい”かも知んないしね」
▶そぉ?そんなこたぁないでしょ(笑)。永遠の願望こそが岡村靖幸でしょ?
「またぁ、やめてほしいな(笑)」
▶永遠の“たい”こそ、岡村靖幸のアーティストとしてのピュアネスでしょう。
「近々かも知んないよ。岡村靖幸、今年の年末結婚!? とかあるかも知んないよ」
▶いや、それは女の方から結婚して下さいって言われないとないよ、きっと。
「そうかなぁ」
▶だって「好きだ」って言うのより「結婚しよう」の方がずーっと究極でしょ。最も激しい意思表示ですよ。それは岡村さんの口からは一生出ないでしょう(笑)。
「そりゃひどい(笑)。俺はそうはおもわないけどね」


* 今月の「インタヴュー場外乱闘」
岡村靖幸 7.20 六本木プリンス
 岡村のインタヴューを行った六本木プリンスは未曽有の外タレ来日ラッシュで、テキサス、トランスヴィジョン・ヴァンプ、ジプシー・キングス、スキッド・ロウの御一行が宿泊中。「誰か会ってみたい人はいますか?」と岡村にきくと、案の定岡村はこの中の誰一人として知らないのであった。ま、知る必要ないんですよ。岡村さんほどメジャーな人はこの中にはいませんから。オリコン初登場4位の岡村と5千円のすしを食いながら六本木プリンスの二人だけの夜はふけてゆくのであった。ああ・・・・・・。(増)


文字起こし人:紅林



今回のインタビューの内容はこれぞ岡村靖幸の真骨頂とでも言おうか、異性に対する情けなさっぷりが炸裂している。文字起こしをしてくれた紅林さんからは、このインタビューの感想として「本当に薄っぺらい男だなぁと思いました」という言葉を頂戴したが(笑)、まあ、そうですね…不憫な人ですよねぇ。異性に対しての考え方が究極にマジメで潔癖すぎて異性から見ても「めんどくさい男だわね」みたいな印象を抱くのではないだろうか。

しかも、このインタビューは1989年だ。日本はバブルのど真ん中。ロールスロイスにDCブランドにリゾートに地上げ六本木に新人類…。そんな享楽的でウハウハな時代のなかにおいて、このマジメすぎる恋愛感、確固たる貞操観念は浮きまくってたんだろうな。インタビュアーも痺れを切らしたのか「ありゃ、ま。まさか、童貞じゃないでしょうね?」とかモロに聞いちゃってるし。

「よく言われるよ、童貞じゃないですかって」
▶その憶測は外れてるんですか。
「いやぁ、外れてると思うけどね」
▶「思う」ってどういうことだよ(笑)。



このやりとり本当に面白いなぁ。岡村ちゃん、どんな顔して「いやぁ、外れてると思うけどね」と言ったのだろうか。渋い顔して言ったのだろうか。それとも伏し目がちに朴訥と話したのだろうか。いずれにせよ、笑える。

最後は、自分の音楽の才能について。セカンドアルバム「DATE」で才能が開花し、周りから絶賛されたことでやっと自分の豊潤な音楽の才能に気づいたという岡村さん。そこらへんの音楽とは群を抜いてクオリティーの高い音楽を作っているのになぜ自分では気づかないのだろうか?灯台下暗だ。


「『イエロー』の頃はまあまあかなぁ、って思ってたんだよね。『DATE』になったらね、天才だ!とか、みんなが言い出したからね、『オーケィ、そうかも知んない』とか思ってね(笑)」




これは、凄いわかるな。個人的に「イエロー」は悪くはないけど名盤とまではいかない。全体のインパクトが弱いし、一般受けは良いかもしれないけど、別に岡村靖幸じゃなくて、他の誰かでも代用が可能であり、岡村ちゃんが言うように「まあまあかなぁ」って感じのアルバムだ。だが、「DATE」は違う。「DATE」で一気に化けるんだよな。もう岡村ちゃんワールドがドクドク広がっていて、岡村靖幸以外の代用は皆無。その分一般受けはやや低いかもしれないけど中毒性は高い。

「DATE」で才能が開花した岡村靖幸。その後、さらにその才能を遺憾なく発揮し名盤「靖幸」、そして未曾有の名盤「家庭教師」をリリースするわけか…。はぁ・・・凄いですねぇ。

さて、今回で「ロッキングオンジャパン 1989年9月号」の文字起こしは終わりです。次は、1992年10月号の「月刊カドカワ」に掲載されている岡村靖幸総力特集の文字起こしです。この号の「月刊カドカワ」は岡村靖幸の特集だけで70ページも紙数を割いた凄まじいもので、ファンの間でも有名な永久保存版である。知っている人も多いのではないでしょうか。先日、紅林さんから70ページ分すべてを文字起こししたファイルが添付されたメールが届きましたので後日アップしたいと思います。

えーと、岡村靖幸のファンブログである「ラブタ○バ○ン」でも月カドの文字起こしがアップされてますが向こうはダイジェストでの文字起こしですので、完全版が読めるのサブカルのすすめだけです!

今回の「岡村靖幸出所月間」の裏テーマは「打倒、ラブタンバリン」を目指しているので一応宣言しときました。(目指すところが“打倒”ってのがいいでしょw)。

ロッキングオンジャパン 1989年9月号 文字起こし その2

「岡村は大ボケだ」と学校中の女生徒から思われていた

▶反抗したりはしなかったんだ?
「そうね、中学ぐらいからは普通の反抗期に入ったけど・・・・・・」
▶で、いわゆる衝動的な音楽体験というか、音楽って自分にとって重要なんだなって思うきっかけになったのは何ですか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・重要だって思うきっかけねぇ」
▶それはもっと後になってからのことなの?
「ずーっと後じゃないかなぁ」
▶あ、ほんとに? 中学ぐらいでも洋楽とか聴いてる子とかいるでしょ。そういう子じゃなかったんですか。
「全然違う。いわゆるベストテン番組とか観てたから。ただ、幸福だったのは、僕が中学の頃にベストテン番組に出てたのが歌謡曲ばっかりじゃなかったことでね。ゴダイゴも出てたし、サザンオールスターズも出てたし、ツイストも出てたし、原田真二も出てたの。で、音楽も良かったの。いい曲書くなぁって思ってた。世良公則もいいと思ったし、原田真二もすごいなぁって思ったしね。レコードも買ったしね、その人たちの」
▶でも、とりあえずそれは、普通に人気があるものを自分も好きで聴いてただけで、周りの人たちと全く同じですよね。
「そうそう」
▶そうすると、「俺は他人と違うものを聴いてるんだぞ」っていうんで得意になってたことっていうのは、ほとんど無いんですか。
「生まれて一度も無いかな」
▶やっぱ、そうなんだ。
「だって、ブルース・スプリングティーンちゃんと聴き始めたの去年だもん。『明日なき暴走』ってすげぇいいじゃん、みたいなのって去年だもん。そりゃあ、すごいですよ、言っとくけど。自慢しちゃいけないか(笑)」
▶(笑)じゃあ、初めての洋楽体験っていつなんですか。
「すっごい遅い。だから、高校の中頃。高校2年生ぐらいになると、もう受験勉強しなくちゃいけないでしょ。でも、僕、大学行かないってもう決めてたから、受験勉強しなくていいから、時間が物凄いあるわけ。それで、かつ、就職用の勉強もしなかったの。だから、その間に、ビートルズとか聴いたりとか。んで、ビートルズ全部聴いたら今度はポール・マッカートニー聴いてみようかとか、ジョン・レノン聴いてみようとかって感じで」
▶普通さ、ミュージシャンは洋楽に対して早熟でしょう。例えば小学校5年生ぐらいの時にビートルズを聴いてショックを受けた、とかさ。そういうのは全く無かったみたいですね。
「無い」
▶高校2年で洋楽聴いてても、全然普通ですもんね。周りの人と同じですよね。
「だって、今だってそうだもん、僕。今でも人気あるバンドとか全然聴いたことないもん」
▶しかし、それでよくあんな音楽作れるねぇ。
「だから、最近、それじゃよくないなって思ってね、ブルース・スプリングティーンは去年、全部買ったしね。んで、やっぱ有名どころは全部聴かなきゃいけないってことで、プログレとかもね、イエスの『危機』とか買ったし、『クリムゾン・キングの宮殿』も買ったし」
▶遅いっつーの(笑)。
「でもね、去年はすっごい勉強したの。色々買ったよ。トッド・ラングレンも流行ってたから買ったし、ディープ・パープルとかレッド・ツェッペリンとかもね全部買ったの」
▶そうすると、自分の音楽的な才能とか素養ってどこで築かれたわけ?
「大学行かないって決めてからの、高校2年と3年の2年間っていうのは、普通の大学生くらいヒマだったんですよ。そこでね、フォーク・ギター弾いたりとかね、ベースとかキーボートとか4チャンのMTRとか買ってきたりとかしたのね。ていうのは、当時好きだったのが、さっきも言ったけど、ビートルズで、アルバムのライナー・ノーツに、この曲はポールが1人で全部演奏してるとかって解説が書いてあるわけ。で、こりゃ、すげえとか思って。全部1人でやるっていうスタイルがすっげぇ格好いいって思ったの。んで、ビートルズでもヘビ・メタルでもそうだけど、その人を好きになると、その人とおなじことしたくなるでしょ。ビートルズが好きならマッシュルーム・カット、ヘビ・メタが好きなら金髪にしたくなるのと同じで、ポールみたいに1人で全部演奏するやつもやりたいなあって思ったの。ミーハー心で。だから、弾けなくてもいいからベースも買って、キーボードも買って、MTRも買って、で、多重録音とかしてたの」
▶へえー。
「で、その頃ね、プリンスとかも好きになってね。プリンスが人気出る、一歩前ぐらいかな」
▶いつ頃?
「『1999』の頃。なんかのビデオ番組に出ててね、こりゃ格好いいなぁって思ってね。で、レコード買ったら、これがまた、全部自分でやってんの。んで、『これだ!』って思ってね。よく家でやってた」
▶じゃあ、その頃から他の人との差別化が始まっていくんだ。それはだけど、めちゃくちゃ遅いですねぇ。普通、ロックやるんだったらさ、その前の段階で、他の人とは決定的に違ってるんだっていう自意識があるもんでしょ。他人とは趣味が違う、人間が違う、アウトサイダーである、とかさ。
「俺は大体、あのアウトサイダーの道を歩むっていうのが嫌いなんだって。これは前にも話したと思うけど、疎外感っていうのがすごい嫌いだから。真面目なこと言ったのに笑われるっていうのは疎外感以外の何物でもないし。そういう恐怖を日常生活で物凄く感じてるから、なるべく疎外感っていうのは感じたくないなぁっていうのがあったんじゃないかな」
▶なるほどね。じゃあ、俺しかこれはできないだろうっていうプライドはどういう部分で確保してたんですか。
「そんなのはね、プロになってからだと思うよ」
▶そういうプライドは必要なかったのかな?
「大体、どうしてそういうものが必要なんだろ?根本的に」
▶・・・・・・。
「だって、俺、プロになろうなんて思ってなかったんだよ。子供の頃からプロになろうって思ってる人ならともかく。プロなんて、空の上の星ぐらい遠い存在だと思ってたから」
▶ちょっと話を戻しますけど、自分が真面目に言ったことが受け入れられない、笑われちゃうっていう恐怖の最初の体験ってどんなことですか。
「・・・・・・・・・・・・はっきりと記憶してないな、それは。この前言った話とか結構印象に残ってるね」
▶あぁ、アフリカの飢餓をなくすためにはセックスをするなって書いて笑われたやつですか。
「うん、『セックスしない方がいいと思います』って言ったら、ドッと沸いたやつね」
▶それ以外には何かありませんでした?
「・・・・・・・・・・・・・・・たくさんあったんじゃないかなぁ・・・・・・・・・」
▶勉強も徹底的にできないというわけでもない、スポーツはできるけども、そんんなにずば抜けてるわけでもない、そして音楽にも目覚めていない。とするとさ、ほんとに平凡な子供ですね。
「そうなるね。・・・・・・ただね、当然、思春期だからもてる為に色々努力とかはしたけどね。スポーツもその一環だと思ってたし。あとね、その頃、香水とか流行ってたんだよね。ムスクってのが流行ってたの」
▶異性を魅きつけるとかいうやつでしょ。
「そそそそ。ムスクってのは、原料を鹿のどっかから取ったってやつでさ」
▶精巣から取ったとかいうんでしょ。
「そうだっけ。んで、それを付けると、女の子は思わず抱き付きたいような気持ちになるって聞いたわけ。これが俺にとってはすごくてね、『オッケー、問題無いまくり!』とか思ってね、ばっこんばっこん付けてたら、『岡村君、臭い』とか言われてね。でもね、そういう努力って常にしてた。『清潔好きはモテる』とかって明星に書いてあったりすると、必ず物凄い清潔にしてたりとかね。そういうとこは、もしかすると普通の人より努力してたかも知んない」
▶何で女の子に対してだけは、そういう尋常じゃない努力をしてたんですか。
「もてたかったんじゃないかな。で、問題は、今でもやっぱりそうだけど、自分からは告白しないっていうことで。自分からはどうしても言えないなっていうのがわかってたから、ということは、相手に言わせるしかないわけでしょ。んで、それなのに、もてたいという気持ちだけはすっごい強かったから、努力するしかないよね、人からは好きだって言われるように」
▶でも、何でそんなに人一倍もてたい愛されたいという動機があったんだろう?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わからない」
▶岡村さん、お母さんは好き?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうねぇ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お母さんねぇ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
▶それじゃあ、中学の頃の恋愛体験にはどういうのがありましたか。
「全然、恋愛体験らしい恋愛体験はないね。全部空回りに終ってる。一度も自分から言ったことないわけだし、高校になってからも言わなかったけど。女の子からも、本気で告白してきたっていうのはなかったしね。グループ交際ってのはやってたけど、学校抜け出してボーリング行ったりとかね」
▶でも、スポーツで多少目立ってんだから、結構もてたんじゃないですか。
「そうなんだよね、キャーキャーとか言ってくれたんだけど、全然なかったね。電話かかってきて、今から会いたい、みたいなのは」
▶でも普通、スポーツやっててさ、ルックスも悪くないわけだし、それなりにもてそうなもんだけどね。
「あと、やっぱり、大ボケやったっていうのもあったんじゃないかな」
▶女の子にとっては恋愛対象じゃなかったんだ?
「だって、学校中が大笑いしたわけじゃん、“セックスするな”事件って。岡村は大ボケだと思われてたんじゃないかな」
▶(笑)全女生徒から大ボケの人として認知されているという?
「じゃないかなぁ。例えば、岡村と付き合ったら『ええっ、あの大ボケと!?』ってことになってたんじゃないかな」
▶(笑)そういう状況っていうのは、自分にとってはかなり苦しかったんですか。
「それはもう、苦しい以外の何物でもない。て言うか、自分は気が狂ってるんじゃないかっていうのの、一歩手前まで思い詰めるわけ。俺は物凄いシリアスに、すっごくいいこと言ったつもりだったわけ、セックスするなって言った時にね。みんなが感動して泣いてもいいくらいだなって思ってたわけ。ところが、みんな大笑いするわけじゃない。大笑いするっていうことは、僕の存在自体がすごいおかしいと思ってるわけじゃない。今回のアルバム(『靖幸』)じゃないけど、僕が自分自身をばーってさらけ出した時に、そんな風に思われるわけだから。そりゃ“セックス”って言葉自体、言うのは恥ずかしかったけど、中学生だから当然。でもね、それよりも、自分が言おうとしたメッセージが伝わるんじゃないかと思って、みんな感動してくれるんじゃないかと思って、そのことの方が大きいと思って言ったんだけどね。なのに、すごい大笑いされてね、俺は頭がおかしいんじゃないかって思う一歩手前で、物凄い恐怖を感じたよ」
▶なるほどね。「ひょっとしたら俺は」っていうのが、そこで初めて自覚されたわけですね。
「しかも、悪いパターンでね。だから、俺はいっつも一番格好いいじゃんって思った服着てるんだけど、それが他の人にとっては、大笑いの服装なんじゃないか、みたいなさ。それはやっぱり恐いよ、物凄く」
▶じゃあ、自分が「ここで他人よりも抜きん出てるんじゃないか」って才能の部分をね、あえて、自覚しないように、しないようにしてたってことはないですか。
「だから、一回押さえてた時があった。中学2年か3年の頃、こりゃまずいって思って。自分は気が狂ってるんじゃないかって思う一歩手前だからさ。この前のインタヴューでも言ったけど、自分の中で、話したい言葉を2回も3回もくり返して、で、ちょっとでもおかしい部分があったらそれを削除してって、みたいな流れ作業をやった上で、発言してた。でも、それやると、前にも言ったように、よくないことがたくさん起きるから・・・・・・やめた。で、そういうことやってる自分が物凄く空しく思えた。なんて悲しい人間だろうって」
▶・・・・・・そりゃ、疲れるよ。
「疲れるし、悲しい。・・・・・・(突然、大声で)『俺たちはっ、―――だよなあっ!!』みたいなのと全然逆の世界。本当はそういう熱いこと言いたい年頃じゃない。それを押さえて、自分の中で流れ作業やんなきゃいけないっていうのは、結構悲しいもんがあるよね」
▶それは、もっぱら例の事件だけがきっかけになってるんですか。
「いや、それ以外にもたくさん色んなことがあったんじゃないかな」
▶そういうのが精神的な傷みたいになっちゃったんだ?
「うん。前にも言ったけど、人の78倍から96倍は多いからね」
▶そういうことを自覚したのが中学生くらいだとすると、結構遅いですよね。
「いや、小学校の頃もあったと思うんだよね。ただ、小学校と中学校で違うのは、小学校の頃は大ボケの奴とかたくさんいるんだよね」
▶あ、そうか。
「俺だけじゃなくて大ボケ軍団がたくさんいるの。マンガに出てくるようなわけのわからんない奴とかね」
▶そういう人たちも、思春期になるとたいてい直るもんね。バランス感覚が育つからね。ところが岡村さんだけは、そういうバランス感覚が育たないまま(笑)。
「だって、俺、今でも大ボケとかあるんだもん。今23歳だけど」
▶(笑)でも、そういうハズシの状態というのは、段々バランスを回復してくるんじゃないですか、成長するに従って。
「それはね、今までずーっと続いてるんだよ。今回のアルバム(『靖幸』)とかね、俺にとっては物凄いシリアスなわけ。もう、ほんっとに、自分の身体ちょん切って出したみたいな、ほんっとにレアで、すっごい、ある意味でヘヴィーなアルバムだと思ってるのね。でも、やっぱり、『このアルバムは笑える』とか、時々雑誌とか見ると書いてあるしね。『岡村は笑える』とかよく書いてあるしね。今でも全然続いてんだよね」
▶じゃあさ、岡村さんが笑える人っていうのはどう人(原文のまま)なの?
「とんねるずとか大好きだけど」
▶(笑)あ、そう。でも、あれは笑わそうとしてやってるわけでしょ。そうじゃなくて、真面目にやってんだけど、大笑いだよなぁ、あいつ、みたいなの。
「知らない、そんなの」
▶(笑)知らないっスか。人を傷つけることのできない人間ですね。
「・・・・・・そうかなぁ」
▶ただそういう恐怖を抱えてはいても基本的に明るい子だったんでしょう。
「そんなに明るかったかなぁ。結構、恐怖だったよ、基本的には。一番ひどかった頃はね、人がたくさんいるとこに行くと気持ち悪くなるの。マクドナルドが大好きだったのね、中学の後半の頃。ビッグ・マックとチョコレートのマック・シェイクを食べたくてしかたなかったんだけど、絶対1人では行けなかったね。自分と同い年くらいの人がたくさんいるとこ、だめだったからね」
▶中学、高校の頃には、この人は自分が心から愛する大切な人なんだっていう具体的な恋愛対象になる人がいたんですか。
「たくさんいた。かわいいなぁって思う人がたくさんいた」

文字起こし人:紅林



今回のインタビュー記事を読むとわかるが、岡村靖幸は学生時代、勉強が出来てスポーツ万能で女子からはモテるようなタイプでは決してなかったようだ。いわゆるクラスのなかの派閥でいうところの“派手グループ”には属していなかったようだ。むしろ地味グループだったのだろうと予測される。

▶全女生徒から大ボケの人として認知されているという?
「じゃないかなぁ。例えば、岡村と付き合ったら『ええっ、あの大ボケと!?』ってことになってたんじゃないかな」



人がたくさんいるとこに行くと気持ち悪くなるの。マクドナルドが大好きだったのね、中学の後半の頃。ビッグ・マックとチョコレートのマック・シェイクを食べたくてしかたなかったんだけど、絶対1人では行けなかったね。自分と同い年くらいの人がたくさんいるとこ、だめだったからね。



自分の中で、話したい言葉を2回も3回もくり返して、で、ちょっとでもおかしい部分があったらそれを削除してって、みたいな流れ作業をやった上で、発言してた。



などの発言からも、かなりイケてない男子であったことは間違いないだろう。「のび太みたいなもんだよ。あんなにいじめられてないけど、ホントにあんな感じじゃなかったかな」という発言もあったように、岡村靖幸という人のデフォルトは“冴えない男子”なのだろう。

岡村靖幸の本当のところは「大ボケで冴えない男子」であるという事実は案外大事な事柄なのではないだろうか。岡村靖幸のパブリックイメージは、音楽の天才で、誰よりもむき出しで痛々しいほど正直なメッセージを発信していて、変態で、エロくて、変な踊りを踊っていて、顔は一見キムタク似のイケメンなのにときたまコロッケの面影が覗きどこかしら笑える、でもカッコイイ…といったようなイメージだと思うのだが、実際はイケてないわけだ。

結局のところ岡村靖幸はミュージシャンとして大成功して、“イケてるグループ”のなかで活躍していたわけだけど、本来は全くイケてない岡村靖幸がイケてるグループの中で頑張りすぎた結果が「家庭教師」以降の引きこもり、または近年の逮捕に繋がっているような気がする。

う~ん…。なんかわかりにくい文章ですいません。なんかさ、僕自身もどちらかといえば学生時代はイケてないグループに所属していたので、ひょんなことからイケてるグループに入っちゃったときの、なんっつーか身の置き場に困る感じ?とか焦燥感とかがわかるので、本当は全然イケてない岡村ちゃんがミュージシャンという、いわば“日本のイケてるグループの総本山”のなかで生きていくのはかなり息苦しかったのではないかとふと思ったのでした。

岡村靖幸の記事

ロッキングオンジャパン 1989年9月号 文字起こし その1

ROCKIN’ON Japan vol.28 1989 SEPTEMBER

P08 岡村靖幸20000字インタヴュー
   僕は本当に、ドラえもんののび太くんみたいだった


P08〜P21
自分がアウトサイダーになるのが恐かった  岡村靖幸

満たされることのない恋愛感情、ハズシ大王の恐怖、がんじがらめの倫理観。普通であろうと努力し続けた天才児、岡村靖幸の洗いざらいしゃべりまくり

インタヴュー=増井修
撮影=宮本一郎
メイク=五月女碧
スタイリング=辻田寛乃
撮影強力=EPOC3JAPAN/WARKERS FOR FREEDOM
ficce uomo
RICHARD TORRY AT STUDIO・V
イラストレーション=川添貴




僕は本当に、ドラえもんののび太くん みたいなもんだった

▶岡村さん、生まれはどこですか。
「たぶん、大阪の千里ニュータウンの近辺だと思いますけど。そういうことってあんまり親に訊いた記憶ないんで」
▶えっ、何で?
「だから、生まれてからずーっとね、転々家族なんでね。でも、たぶんそこだと思いますよ。んで、万博のあるちょっと前ぐらいかな、その頃に生まれたような・・・・・・。生まれてすぐの頃って、ずーっと大江千里・・・あ、大江千里じゃないや、千里ニュータウンに住んでいたような気がするね」
▶(笑)どういう間違いですか、それ(笑)。じゃ、いくつまでそこにいたのかわからないんだ。
「うん。で、えーっとね、千里ニュータウンの次はイギリスへ行くんですよ」
▶それはいくつの頃ですか。
「えー、幼稚園の頃です。えー、確かね、3年か4年いたんですよね、イギリスに。んでー、えー、学年制が違うんですよ、イギリスと日本じゃ。だから、イギリスの小学1年生と日本の小学1年生とじゃ年齢が違うというね。で、確かね、僕ね、あっちでね、幼稚園と小学校1年生と2年生を経験したような気がするんですよ」
▶イギリスへ行ったのはお父さんのお仕事の都合ですか。
「そうですね、ええ」
▶お父さんのお仕事って何なんですか。
「エール・フランスって飛行機会社に勤めてる」
▶へぇー、じゃあ家は裕福なんだ。
「そういうことに・・・・・・なるのかな。でも別にね、飛行機会社だから裕福っていうこともないし、仕事で行ってるんだから。転々家族だから、お金持ちの人は転々家族なんてすることないから、違うんじゃないかな。でも、まあまあ裕福だったかな」
▶大阪にいた頃の記憶って、しっかりしたものが無いんですか。
「うん、無い。あんまりしっかりしてないですね。ただね、万博に行った記憶があるんですよね、なんとなく。で、物凄いもんだったという記憶があって」
▶じゃ、イギリスに行くと決まった時には別にこれといった感慨もなかったのかな?
「うん。イギリスではもう英語でしゃべってましたから。日本語もままならないうちに外国に行くわけでしょ、だから当然そこの言葉覚えちゃうわけですよ。ちょうど幼稚園から小学校1、2年っていう吸収の早い頃でしょ、だから英語ペラペラにしゃべってましたね。親より上手だという」
▶楽しかったですか、イギリスは。
「結構色々ありますよ。今考えてみるとね、ビートルズがね、ちょうど解散する前後だったと思うんですよ。でね、“イエローサブマリン”をね、子供たちも大人たちもみんなすごい歌ってたの。その曲が記憶にあるのとね、あと、サッカーが異常にね、日本の野球の36倍くらい盛り上がってたの」
▶イギリスにいた時は周りに溶け込んで楽しい生活をしてた、と。
「楽しいことたくさんあった、本当に。彼女もいたしねぇ」
▶彼女ぉ!?彼女なんかそんな齢の頃にいる?
「いるいる。いた。だって、僕がね、日本に帰る時に泣いたもん、その子」
▶あ、ホント。
「で、お別れにキスしてくれなきゃ嫌だ、とかその子が言って、ほっぺに嫌々キスしたけど」
▶(笑)それはどんな子ですか。
「マキシーンっつってね(原文のまま)、お父さんがスペイン人でお母さんがイギリス人で―――あぁ、俺はっきり憶えてる―――お父さんの名前はチャンピオンっていうんだけど、やっぱりすごく体格のいい人でね」
▶(笑)とんでもない名前ですねぇ。
「それで、お母さんはすごいきれいな人なの。んで、どうしてその人たちとね、仲良くなったかっていうとね、イギリスに来たばっかりの頃に、自転車が欲しくなったんですよ。その頃ね、チョッパーっていうのが流行ってたんですよ、ハンドルが伸びて曲がってるやつね。で、それがどうしても欲しくて、買ってもらって。まだ小さかったから、補助輪付きのね。んで、うれしくて、坂道とかガンガン乗り廻してたらね、ある日、転んでね、自転車から落ちてね、顔面バーンってぶつけてね、口から血出してね、ワーッて泣いてたらね、色んな人たちが集まってきてね、助けてくれたの。で、エーンって泣きながらマキシーンの家に連れてかれて、で、それ以来、家族を含めたお付き合いをしたんだけど」
▶その偶然から付き合うようになったんだ。
「うん。で、マキシーンのことは俺はそんなにかわいいとは思ってなかったんだけどね、すごい積極的な子でね、朝5時とかに平気で家にやって来てね、『遊ぼ、遊ぼ』とか言ってね、だから、すごい親しくなったんだけど。まあ、2人で公園行ったりとか、2人で自転車乗ったりとか、色んなことあったけど。んで、今にして思えば、すごい純粋なお付き合いしてたし、初めての恋愛じゃないかなってね。だからね、自分がね、他人のプロデュースやる時はマキシーン・システム・カンパニーという名前付けてるの」
▶マキシーンが別れ際に泣いた時にどう思いました?
「なんで泣いてんだろうって」
▶むこうの方が大人だったんだ。
「全然大人でしょう。それよりもね、イギリスに3年間もいたわけだから、おもちゃがダンボール箱2つくらいたまってたわけですよ。それをね、日本に持って帰るのがめんどうだってことで、どうしても持って帰っちゃだめだってことで、マキシーンのとこにあげなくちゃいけなくなったんですよ。それが嫌でねえ、すっごい嫌でねえ、その想いが先立ってて、マキシーンどころじゃねえって思ってた」
▶(笑)なるほど。で、日本に帰って来てからは何年生に編入されたんですか。
「それがねえ、また幼稚園に戻されたの」
▶(笑)戻されたぁ?何でよ?
「学年制が違うからね。んで、すっごい、そん時ショックでね。何で俺がまたガキになんなくちゃいけないんだろうってね。それはすごいはっきり憶えてる。んでね、日本語の勉強でたいへんだった」
▶あ、そうか、日本語わかんないんだ。
「全然」
▶そこで結構苦労した?
「『ワタシハァ』とか言ってた」
▶(笑)
「本当に。『アーンド、リトル、ビット、ナントカデスネェ』とかね、そんな感じで。それも憶えてる。みんなに笑われたから」
▶(笑)そこから笑われるのが始まっちゃったんだ。そんな子供いないもんな(笑)
「いない、いない」
▶日本語が不自由でも友達できました?
「できた、できた」
▶その頃はどこに住んでたの?
「また団地に戻ったのね、今度は九州に行ったんだけど。九州の・・・・・・何っつったっけな・・・・・・・・・・・・室住団地」
▶そこにはどの位いたんですか。
「かなりいたんじゃないかな。3年生位までいたんじゃないかな」
▶そこでまた好きな子ができたりしませんでしたか。
「いたいたいた。これがねぇ、小学校2年生の時に平井さんって子がいて―――この子のお母さんは学研の『科学』と『学習』の訪問販売やってて―――クラスとかも一緒で、んで、何でだか知んないけど、すっごい恋愛が盛り上がってねぇ。何であれ盛り上がったんだろ・・・・・・席が隣になったのかな。で、よく消しゴムとか貸し合ったりしているうちに、一緒に学校から帰ろうってことになって、2人で仲良く学校から帰ってたの。そしたらねぇ、お友達の男の子の集団がねぇ、『やーい、やーい』ってね、ひやかしに来たわけ。で、逃げたわけ、2人で手つないで、何だか知らないけどとりあえず急いで逃げたの。そしたらその子、転んじゃって、足すりむいて、それでも『逃げよう』って言って。それ以来ね、なんか知んないけどすっごい盛り上がってねぇ。作文とかあると『ぼくはしょうらい平井さんとけっこんして、たんていになって・・・』とか書いてて、で、隣を見ると平井さんも『私は岡村君とけっこんして・・・』とかって書いてるわけ。これがすっごい盛り上がったねぇ」
▶(笑)なんか転ぶことがきっかけになってるケース多いですね。
「うん、そうかな。・・・・・・なんかすごいきれいな子だったって記憶してるなぁ」
▶(笑)あ、そう。
「『科学』と『学習』を家に持ってくる時にお母さんと一緒に平井さんも来たりしてね」
▶その時はもうはっきり、「あぁ、好きだ、この子が」って思ってたんだ。
「うん、思ってた。かわいい子だった」
▶その子と別れる時がまたたいへんだったとか?
「それがねぇ、別れる前にね、なんか冷めちゃったんだよね、平井さんの方がね」
▶なんで?
「知らない。いつの間にか。・・・・・・・・・その頃ね、学校で物凄い流行ってたのが、こう、ペンがあって、ピュルピュルピュルって伸びて、よく先生達が黒板消すのに使うやつ」
▶アンテナ・ペンってやつですね。
「そうそう。あれが異常に人気があってね。それを俺が喧嘩かなんかに使ったのかな、それ以来嫌いになられたんだったかなあ。とりあえず心が冷めちゃったみたいでね。まぁ、席替えで席とかも替わったし、そういうことも原因になってたんだろうけど、なんか他の人を好きになっちゃったみたいなんだよね、学級委員長みたいな人を。坊主頭の。いっつも半ズボンはいてるような、結構肉感的な人。確か清水君っていったと思うけど」
▶肉感的? 小学生だろ、おい(笑)。
「結構ショックだったような気がするなぁ・・・・・・・・・・・・確か平井さんがいじめられてたんだよね、5人位の人に。で、泣いてたの。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああっ、思い出した! テストで悪い点取ったんだ、平井さんが。で、男の子が笑ったりとかしていじめてたの。俺は『こりゃ、いかん!』とか思ってね―――一応、彼氏だと思ってるから―――で、『これは違うんだ!』とか言って、アンテナ・ペン持ってきて、25点のところに0つけて『250点だ!!』とか言ってたんだよ。でもね、もうその頃から心は冷めてたんだよ、平井さんは」
▶そんな努力も報われず(笑)。
「・・・・・・あぁ、でも結構ショックだったなぁ。平井さんがいじめられて、俺が『250点だ』とか言ってた日のね、確か次の日か次の次の日にね、作文がまたあってね、平井さんのを見たらね、『清水君とけっこんしたい』とかって書いてあるんだよね」
▶(笑)しょうがねえな(笑)。そこで決定的な失恋の痛みを蒙ったんだ。
「清水君っていうのが人気者みたいな人でね、委員長やってて、頭がすごいいい子で、半ズボンはいてて、目が細くて、んで結構男らしくて、スポーツもできて、みたいなね」
▶岡村さんはそういう人間じゃなかったんですか。
「違ってたような気がするなぁ」
▶クラスの中ではどういうポジションにいたの?
「まずね、そんなに勉強ができた記憶がないのね。あと、スポーツとかはよくやっていたけど、天才的なスポーツ少年だったとは記憶してないしね」
▶特色というと何だったんだろ?
「その頃は平井さんとの結婚だと思っていたんだけどねぇ、確か。失恋の事件があって以来、何がなんだかわかんないね」
▶特色は平井さんとの結婚? それ以外ではごくあたり前の男の子だったのかな。
「うん、のび太くんみたいなもんじゃないかな。ドラえもんに出てくる。・・・・・・あんなにいじめられてないけど、ホントにあんな感じじゃなかったかな」
▶小学校2年生からは今度はどこに行くんですか。
「今度はね、九州の太宰府ってとこに行くの。これがまたすごいとこでね、山を切り崩したようなとこでね、すっごい田舎なの。ツチノコが出るっていって話題になったとこなんだけど」
▶何ですかそれ(笑)
「で、どうしてそういうとこ行ったかっていうと、初めて家を建てることになってね。山を切り崩して300戸ぐらいばーっと家が建ってる、ナントカ・ニュータウンって感じのとこだったんだけど、これが超イナカでね、僕が今まで引っ越した中では一番イナカだったんじゃないかな。学校とかもすっごいボロだったしね、一学年、一学級しかないの」
▶そこにはどれ位いるんですか。
「・・・・・・小学校5年か6年位まで」
▶またそこでも3年間位なんだ?
「そう」
▶小学校高学年にもなると、また転校しなくちゃいけないっていうのは、結構へヴィーじゃないですか。
「・・・・・・・・・うん。ただヘヴィーっていうよりも悲しかった記憶があるけど。友達と別れるのがね。室住団地から太宰府に来る時はそうでもなかったんだけどね」
▶太宰府の頃には恋愛体験はないんですか。
「太宰府の時はない。太宰府はホントにイナカだからね、九州の典型的なパターンで、例えば女の子が僕のこと呼ぶ時に『岡村君』って言わないの。『岡村っていう人』っていう風に呼ぶのね」
▶うっそでしょ、何それ(笑)
「ホント。だから男の子も、例えば、佐々木さんって女の子がいたら、『ねぇ、佐々木っていう人』って呼ぶの」
▶ワンクッション置いて呼ぶんだ。めずらしいっスね。
「そうそう。とりあえず、すっごい田舎でね、友達の一人なんか、家でヤギ飼ってて、毎朝ヤギの乳を飲んで来るからね、ヤギ臭いの。学校ん中はウサギがピョンピョン飛び跳ねてるしね」
▶(笑)本当かなぁ。そういう環境は好きでしたか。
「面白かった。でね、太宰府っていうのは菅原道真のお陰もあって、観光地でもあるのね。ちょっと駅の近くとか行くと、ずらーっとお土産屋さんが連なってて、そこに超合金のロボットとかミクロマンとか見に行ったりとかね。あとね、すっごいさびれた遊園地があったの。そことかにタダで入ったりとかね」
▶どこに行っても、すぐその土地に慣れちゃうのかな?
「・・・・・・・・・この後もずっと引っ越しが続くんだけど、そろそろ思春期に入るでしょ、そうするとやっぱり色々あるよね。引っ越すのが嫌だなあ、とか当然そういうのありますよ」
▶太宰府の次はどこに行ったんですか。
「今度はね・・・・・・・・・大阪に行ったんじゃないかな。大阪で1年暮らして、それから新潟に行ったんじゃないかな」
▶じゃ、新潟に行ったのは中学校1年生ぐらい?
「うん、そうかな」
▶一番行きたくないなぁって思って行ったのが新潟だった?
「いや、一番嫌だったのはね、新潟行って、また大阪に戻るの。で、そこからまた新潟に戻るの。それが一番嫌だった」
▶どうして?
「やっぱ、もう中学生だから、別れる時はもうほんと、『バイバーイ、必ず手紙書くよーっ』って感じで。で、大阪行って、1年位でまた新潟に戻ってきちゃったから、しかも、同じ中学に、戻ってきたから、『何しに来たの?』みたいな感じで」
▶(笑)みんなしらけ返ってたんだ?
「結構みんなクールになってた(笑)。『あぁ、また来たのォ』みたいな。それが一番嫌だった」
▶(笑)しかし、そんなに引っ越しが多いなんて、たいへんな仕事ですね、お父さんも。そういうことについてはちゃんと理解示してましたか、子供ながらに。
「うーん、ていうかね、お父さんはその・・・・・・・・・・・・結構偉そうな人だったから。偉そうなこと言う人は偉いんだろうなって思ってたから、ずっと」


文字起こし人:紅林



1989年9月号のロキノンのインタビューの文字起こし。俗に言う“2万字インタビュー”である。音楽雑誌なのに音楽のことはさておき、生い立ちやら幼少期やらのどうでもいいエピソードを延々と質問しまくるというロキノンお得意の企画。

大阪の千里ニュータウンからはじまる岡村靖幸の奇妙な転勤家族遍歴が延々と語られている。このインタビューで語られる内容は「笑っていいとも」の「テレホンショッキング」に出演した時にも同じことをタモリと話してましたよね。岡村ファンの間では有名なエピソードがわんさか出てくるので、この際改めて復習するのもいいかもしれません。

岡村靖幸といえば、変わった人というイメージ(イメージじゃなくて実際に“変人”だけど)があるけど、この頃はまだ、ごくごく普通の子供だったようで意外だ。マキシーンや平井さんとの淡い恋の話も普通でなんだか微笑ましい。岡村靖幸が「もしかして自分は変人なのか?」と自覚するのは、もうちょっと先のようだ。

このインタビューを読んでいて「・・あぁぁ・・・う~ん・・」と考え込んでしまうことが一つある。それは、千里ニュータウン→イギリス→室住団地→太宰府→大阪→新潟→大阪→新潟、と忙しなく転勤を繰り返している話をしていて、その原因は「父親がエールフランスに勤めていたから」と言っているけど、これってデマなんですよね(?)。僕も最近、知ったので詳しくはわからないけど、前回の裁判で「父親がエールフランスに勤めていた」ってのはどうやら嘘だってのが白日の下に晒されたようで…。

そう考えると「千里ニュータウン~新潟」までのエピソードは一体何なんなんだよっていう話になるわけで、もちろん全てが嘘ではないのだろうけど。少しだけ虚しさが残る。父親がエールフランスって…どういうこと(笑)なんだろ?金持ちの坊ちゃん的なイメージが欲しかったのだろうか。そんなものなくても岡村靖幸はその存在だけで十分なのに。

あんまり もてなかったほうだし 臆病で正直じゃないから
なんだか「友人のふり」の歌詞が思い浮かびました。

復活(エイプリルフール)

こんなネットの偏狭にある本ブログを定期的に読んでくださっている方なら、もう既に知っているだろうけど、岡村ちゃん早々に復活したみたいですね。3月31日に行われた大江千里のライブにシークレットゲストとしてサプライズ登場し「どぉなっちゃってんだよ」「あの娘僕がロングシュート決めたらどんな顔するだろう」「真夜中のサイクリング」の3曲をフルバンドをバックに熱唱したとのこと!感激だぜ!

それにしても、なぜ大江千里?岡村ちゃんと大江千里って交流あったんだ。どうせなら盟友・吉川晃司のライブで復活してほしかったけど、この際贅沢はいえない。正直、復活の嬉しさよりも心配の方が大きいな。復活は嬉しいけど…さすがに早すぎじゃないか?これじゃ前回と同じパターンになりそうで怖い。まずは薬を完全に絶って欲しいよなぁ。まあ、音楽活動しながらでも治療はできるし、岡村靖幸からしてみればむしろそっちの方が精神衛生上よいのかもしれないし。ポジティブに考えよう!

さて、昨日の新宿のライブハウスで行われた岡村ちゃんの映像だが、さっそくYOUTUBEにアップされていたようで。…これすぐに削除されるよな。だって、もろ客席から撮影してるんだもん。こんだけ堂々と撮ってたら盗撮と思われないかも。アップされている動画は名曲「どぉなっちゃってんだよ」。

http://www.youtube.com/watch?v=-hjfUFjPeM4&feature=related

異様に盛り上がってる会場。大江千里のライブなのに岡村ちゃんのライブ会場みたいだ。2年ぶりの岡村靖幸…やはり痩せている。髪型は「ライブ家庭教師91」の頃を髣髴とさせる鶏冠ヘアーが素敵だ。気持ち悪さは健在で目がもうナルシスト過ぎて、なんかもう目玉がぐっりぐりになっちゃってる。ダンスは…正直かなり下手になったな。キレがなくなってるよねぇ。全体的にダンスがもっさりしているのが残念。歌唱力も落ちたね。前はもっと上手かったのに。岡村靖幸はその気持ち悪さの中に「愛らしさ」があって僕はそこが好きだったんだけど、その「愛らしさ」もなくなってる。これじゃただの気持ち悪いおっさんじゃないか・・・うん?・・・・ただのおっさん?・・・もしや・・・・・・こいつ・・・岡村靖幸じゃないぞ!!騙されたー!!!

というわけで、エイプリルフールネタでした。本物の岡村靖幸の復活はまだ先でしょうねぇ。騙された方はいないでしょうけど、すいませんでした。あと大江千里さんもすいません。あなたを登場させると程よいリアリティが出そうだったので。

上の映像は最近YOUTUBEにアップされている動画でこのボーカルの方は「おくむらやすゆき」というらしいです。岡村ちゃん風のMCが結構似ている。思いっきり客に爆笑されてるけどね。


最後は本物のカッチョイイ岡村靖幸を見てお口直し。

さすが本家!おくむらくんとはレベルが違い過ぎる。
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第332回:10月12日
ツイッターを先取りした「サブカルの戯言」も本日にて終了。332回の戯言のご愛読ありがとうございました!!
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