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評論「岡村ってやつは・・・・・・」

月刊カドカワ 1996年5月号 VOL.14 NO.5

表紙 なんで僕なの? 〜完全復活宣言〜
総力特集 岡村靖幸 完全保存版全47ページ

● INDEX
P18〜P19
総力特集 完全復活宣言
P20〜P28
スピリチュアル・メッセージ もう寂しい思いはさせないよ
P29
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その1 佐伯明

P30〜P33
全アルバム試聴解説
P34〜P42
突撃ルポ<瀧くんと行くフーゾク最前線>
P43
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その2 能地祐子

P44〜P47
岡村靖幸スーパーエステへ行く しりあがり寿(しりあがり氏による漫画のため掲載無し)
P48
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その3 小貫信昭

P49〜P56
ライオンと戦える男(カラーグラビアのため掲載無し)
P57〜P62
ライヴ・ドキュメント ひき語り全記録
P63
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その4 カトリーヌあやこ(カトリーヌ氏による漫画のため掲載無し)




P29
総力特集 岡村靖幸/なんで僕なの??完全復活宣言?

評論「岡村ってやつは・・・・・・」
  その1 佐伯明


 本誌でも再三書いてきたことではあるが、僕はしばしばシャーロッキアン・佐伯としてレコーディングやライヴの観察記を綴っている。シャーロッキアンとは架空の名探偵シャーロック・ホームズの熱狂的ファンの名称であり、ビートルズの熱狂的それをビートル・マニアと呼ぶのと同種のものである。したがって、いくら語尾の発音が同じだからといって、たとえばそば処の“長寿庵”とはまったく関係がないことをお断りしておく。
 ホームズ先生は特に19世紀の終わりから今世紀初頭の、主にロンドンが提供してくれる興味深い難事件の数々を解決したことで知られるが、シャーロッキアンの間ではいまだにどこかでホームズ先生は生きていると信じられており、つまり僕らの身近で起こった大事件から取るに足らない些細な出来事までを“ホームズ先生だったらどのように推理し行動を起こすのか?”と考えて見るのが、シャーロッキアンのこの上ない喜びにつながっている。
 僕は一人のシャーロッキアンとして、ミュージシャンのアルバムやライヴを一つの出来事(あるいは大仰に言えば事件)として扱っており、そこから導き出される推理を当事者であるミュージシャンにぶつけ、一片の真実らしきものを浮上させているのだと勝手に思っている。この場合、依頼人(クライアント)は出版社であり放送局であり、時には自分自身であることもないわけではない。つまり、図式化すれば、当事者であるミュージシャンは、僕にとっては犯人にあたる。
 “観察し記憶する”というホームズ先生の基本的方法をふまえ、インタヴューという、犯人とのやりとりをする現場に出向いた時、岡村靖幸という男は実にユニークな人物に映る。
「チャームポイント」なる彼の現状を打開する優れた楽曲を完成させておきながら、岡村はその夜、本誌のインタヴューに現れなかった。そのビルのすぐ下に彼の乗ったクルマが停まっているに、である。
「すべての事件に対する世界共通の解決方法を教えよう――それは睡眠だよ」。ホームズ先生の言葉を憶い出し、一晩眠り、次の日の夜、再度現場へ行った。
 ウール素材で薄緑色のハーフコートのボタンを一つもはずすことなく、毛糸の帽子を目深にかぶり、いらだちを押し殺すかのように煙草を何本も吸い、眼鏡を無造作にソファ(原文のまま)の上に投げ、岡村は「この六年間くやしい思いをしたことがなかった」と言った。そして、幻想ではあるがそれなしでは彼の音楽が成立しないであろう“みんな”を岡村靖幸は連発した。僕は目の前にいる彼に愛すべき部分を見出していたが、もし僕が仕事に事件簿なるものがあったら、彼の頁には備考欄が必要だ。“ひょっとしたら迷宮入りになるかも”


P43
総力特集 岡村靖幸/なんで僕なの??完全復活宣言?

評論「岡村ってやつは・・・・・・」
  その2 能地祐子


 復活した岡村靖幸は、‘90年代の“辻哲学者”だと思った。フレンドリーで優しくて、セクシーな辻哲学者。最高じゃん。
 新作『禁じられた生きがい』のインタビューで、彼は歌の中でも触れているヘアヌード問題などなど、数年来の若者文化について執拗に言及している。
「毛なんか出すなよ」
 なぜ、みんなが平気で毛を出すようになったのか。その疑問は表面上はひどくまっとうで、“隠遁”生活から現実社会へと戻ってきた男ならではの浦島太郎的心情だと短絡的に結論づけることさえできる。しかし、岡村の本能は“ヘアヌード現象”が単なる嘆かわしい風俗ではないことを探りあてている。テレクラもサイコスリラーも全部ひっくるめた最近の風変わりな“流行”は、変わりつつある時代を暗示している。この国を覆い始めている、奇妙な空気感。それが人間の本質をも侵していくものかもしれないという危機感。そんな予感を、彼は“ヘアヌード”とか“コギャル”といった実にわかりやすいキーワードを用いて説明してくれる。それは机上におさまらない、現実に根ざすリアルな哲学だ。
 彼の歌は“自分探しの旅”などという陳腐で偽善的な私小説には頼らない。ストーリーテラーに徹しながら、時にはユーモアをたたえた言葉で聴き手の内面を覚醒させていく歌だ。だからこそ、彼は“辻哲学者”なのだ。この時代に暮らす人間としてのリアルな感触を歌いながらも、自分を含めた現代社会を俯瞰しているウォッチャーとしての“哲人”のような存在でもある。その手触りこそ、岡村靖幸ということだ。
 同じ曲を何十回か聴いた時、彼のエッチな囁きの中に壮大で深淵な人生の真理が隠れていることに気づかされることがある。その瞬間を楽しみに、わたしは岡村を聴き続けているのかもしれない。解けない知恵の輪が、何気なく指でもてあそんでいるうちにスルッと外れた時のような。そんな快感で何かを悟らせてくれる。その瞬間は、実際にCDを聴いている時に訪れることもあれば、道を歩きながらメロディを口ずさんでいる時に訪れることもある。
“でんきかんのむこーで/テキドロボーにあったひー”と、スローに・・・・・・はちゃめちゃに「チャームポイント」のワンフレーズを口ずさんでみた瞬間に泣けてきた。なんで自分が泣けてきたのか。知らなくてもいいことだけど、知っていたほうがいいような気がする。知らないでいいや、と思ったら自分が色褪せていくような気がする。考えなくていいことだけど、考えたほうがいいことがある。無垢な好奇心を振りかざすことは、決して子供じみた真似じゃない。ジタバタすることはカッコ悪いけど、しないことはもっとカッコ悪い。そのことを確認したくて、私は今日も岡村の歌を聴く。


P48
総力特集 岡村靖幸/なんで僕なの??完全復活宣言?

評論「岡村ってやつは・・・・・・」
  その3 小貫信昭


 岡村とは、つまり「ハズシの美学」なのか? いや、僕はそうは思わない。彼は本質的な男である。ただ、そこへの辿り方が、ヒトと違うのだ。
 ところで、世紀の復活ライヴに行きそびれ、武道館ベェベになりそびれた私に、こうして彼のことを書く資格があるのだろうか? でも、久しぶりにリリースされた『禁じられた生きがい』からは、心地よい刺激を受けた。だからこうして、評論バトルに参加させてもらうことにした。
 あのアルバムを聴いて思った。音楽の新しさ古さとか、その時に彼がとった方法とか、そんなのどうでもよかった。岡村という生身の、世界にただひとりの人間が、そこに居るだけでよかった。つまり彼はロックンローラーということだ。ロックンロールとは、どんな時代でも、特定の「個人」にのみ宿るのだ。復活までの期間、我々業界関係者は、幾度となく彼の噂話をした。岡村待望論は、彼には代わりがいないから根強かった。
 なぜ覚えていたかというと、彼の音楽には独特のエモーションがあったからだ。その快感は、原初的なテイストで、つまり我々は、なにやら自分の中のアニマルなものを、彼の音楽によって目覚めさせたのだ。それは大いに思春期系の、大人の入り口で感じた下半身の生暖かい快感に近い。
 アニマルなものの目覚めは、彼のヴォーカルと、バック・トラックとの、遠慮しあわない関係にある。彼がその初期から信望していると伝えられるのは米国のプリンスなるアール・アンド・ビー・シンガーであるが、プリンスの爬虫類調歌唱は、確かに岡村の中で、まったく別の花弁を持つ植物として育ったといえる。
 そんな岡村の描く世界は、現実のようで、どこか嘘っぽい。彼の取る方法は、当てずっぽうならぬ“当て推量”のようなスタイルだからかもしれない。雑誌の見出しだけからでもイマジネーションを広げられる感覚がある。そこには痩せる石鹸のような現実が、確かに転がるが、凡人には想像できないパラレルかつスピーディな情報処理能力を持つ彼によってシャッフルされるから、時にはどこか別の星のお話のように響くことさえある。
 彼は勇敢だ。日本語の使い手として勇敢だ。日本語の欠点を長所にしちゃう。ポップにしちゃう。売れる音楽やしみる音楽には、大まかではあるが法則があり、もし近道したいのならそれを頼りにやる手もある。が、しかし彼はそれをしないで“当て推量”にこだわるのだ。これは危険な行為でもある。早い話がカスると大いに滑稽なものができあがる。でも、今の彼は、ユーモアをも獲得できて、その上の「絶対感動」を目指している。つまり今の岡村は『フーテンの寅さん』級だということである。ちょっと褒めすぎた。


文字起こし人:紅林



4月からはじめた文字起こしのアップは今回で終了です。「89年のロキノン」「92年の月カド」「96年の月カド」と、莫大な量の文字起こしをしてくれた紅林さんには改めてお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました!


■ロッキングオンジャパン 1989年9月号
その1
その2
その3

■月刊カドカワ 1992年10月号 VOL.10 NO.10
スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、僕に(前半)
スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、僕に(後半)
本人自身による全アルバム解説
証言構成 ミステリアスな彼について、思うことがある――靖幸のこと
精神講座 創ることと魅せること (前半)
精神講座 創ることと魅せること(後半)
本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告
コンプリート・ヒストリー さまよう青春

■月刊カドカワ 1996年5月号 VOL.14 NO.5
スピリチュアル・メッセージ もう寂しい思いはさせないよ (前半)
スピリチュアル・メッセージ もう寂しい思いはさせないよ (後半)
突撃ルポ<瀧くんと行くフーゾク最前線
全アルバム試聴解説
ひき語り全記録
評論「岡村ってやつは・・・・・」



■岡村靖幸の記事
100515_1811_02[1]
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スピリチュアル・メッセージ もう寂しい思いはさせないよ (後半)

月刊カドカワ 1996年5月号 VOL.14 NO.5

表紙 なんで僕なの? 〜完全復活宣言〜
総力特集 岡村靖幸 完全保存版全47ページ

● INDEX
P18〜P19
総力特集 完全復活宣言
P20〜P28
スピリチュアル・メッセージ もう寂しい思いはさせないよ

P29
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その1 佐伯明
P30〜P33
全アルバム試聴解説
P34〜P42
突撃ルポ<瀧くんと行くフーゾク最前線>
P43
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その2 能地祐子
P44〜P47
岡村靖幸スーパーエステへ行く しりあがり寿(しりあがり氏による漫画のため掲載無し)
P48
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その3 小貫信昭
P49〜P56
ライオンと戦える男(カラーグラビアのため掲載無し)
P57〜P62
ライヴ・ドキュメント ひき語り全記録
P63
評論「岡村ってやつは・・・・・・」その4 カトリーヌあやこ(カトリーヌ氏による漫画のため掲載無し)





ツアーを終えて、ちょっと
クールに胸を張って振る舞える
ようになってきたと思う


ツアー前とツアー中に、女性アーティストのプロデュースをしたんです。頼まれて、一曲だけやりました。詞は彼女が頑張って書いて、曲はぼくが作って。アレンジからトラック・ダウンまで全部やりました。自分で曲を書く人なんですけどけれども、そういう形でやりたいということで。アルバム全部ではなくて、シングルだけです。ツアー中に、急に、全開ですね。
 自分の作品じゃないと、すごい早いですよ(笑)。プロデュースとか、相手がいるわけですから。その相手にとってどういうものがいいんだろうかっていうポイントと、相手がぼくの中でどういうものを望んでいるかっていうポイントが見えているから、明確なわけですよ。そうしたら、すごく早い。今回のプロデュースも、本人に一回会いました。たとえば、キーとか、その人ができることとできないことの許容範囲が明確であり、そういうものがピシッピシッとなっているから、簡単だし、早いですね。彼女が書いた詞については、ぼくのレコードを一生懸命聴いて、頑張ってやってくれたみたいですよ。ここはこうしたほうがいいっていうのは少しだけ。あとはそういうことを直接言うよりも、ぼくの作品を聴いてもらい、CDの歌詞を見てもらって、で、自分がいいと思うものを盗んだり吸収したりするのがいちばんいいんじゃないですかね。五月の初め頃に出ると思います。
 あのね、ツアーをやって、自分の・・・・・・ぼくらしい物の見方っていうのは再認識できたんだけど、その見ているものの具象に関しては答えが出てるわけじゃなくて。それは日々変わるものだろうし。自分が困惑していたことに関しても、恋愛観だとか、女の子の見方にしても、もしかしたら千人ぐらいにインタビューしてもわからないものかもしれない。うん、ただ、ツアーが終ってみて、自分が困惑していた感じよりも・・・・・・本当は困惑しているんだけれども、もうちょっとクールに胸を張って振る舞えるようにはなってきていると思うんです。公では、そうじゃないかな。だからたとえば、自分にとって悲しいこととか、怒るようなこと、その怒ることとか悲しいことっていう事実は変わらないんだけど。悲しいことが嬉しいことに変わるわけないし。歳月が癒してくれるとかそういうことはあるけれども、悲しいっていう事実は悲しいって、永遠に定まっているし。ただ、たとえばその場に際して、自分がどういうふうに振る舞うか。まあ人によってはなしくずしで泣き崩れる人もいるだろうし、頭を抱えてしゃがみ込む人もいるだろうし、お酒を飲んで忘れる人もいるだろうし、目をつぶって見ないようにする人もいるだろうし。それを徹底的に自虐的に楽しむ人、頽廃的に楽しむ人もいるだろうし。そういうふうに、人それぞれ、そういう対処の仕方っていうか、反応があるけど、そういうものが自分の中で定まりつつあるというか、定まろうとしてて。そういうことに対する自分の気持ちとか感じ方っていうのは、そんなに変わっていないのかもしれない。ただ自分が公の場に出たとき、人が見ているときにどういう振る舞いをするべきかっていうことが、定まりつつあったり、定まってきているんだと思う。
 ツアーが終った後は、ちょっとぐらい休みました。でも今はもう復帰してます(笑)。
 東京に新しいコンサート・ホールができるんで、そこでライヴをやります。“ブリッツ”っていうんですけど。
 レコーディングの予定もあります。いつごろなんでしょうね(笑)。・・・・・・でも定期的になったんで、早いうちに出ると思いますけど。
 いっぱいじゃないですけど、他の人のCDも少しずつ、自分なりに少しずつ少しずつ聴いています。人がすすめてくれるものを聴いたりしてますよ、洋楽とかも。でも、うーん、すごいなあっていうのはないんですね。ジョニ・ミッチェルとかみたいに、全部聴いたり、ずっと聴いたりっていうアーティストはなかなかいないですね。恐らく、そういう人は多いんじゃないかな。
 今回のツアーはいろんな人が観に来てくれましたよ。マイ・リトル・ラヴァーの人、trfの人、あとフライング・キッズに、松岡英明くん、鈴木雅之さんも来てくれたし、電気グルーヴの卓球くんも来てたし、今回一緒にテレクラに行くピエール瀧くんも武道館に来てくれたし。楽屋まで来てくれた人もたくさんいました。でも、みんながどんなこと言ってくれたか、全然憶えてないんです。とりあえずライヴが終わってすぐ、俺がハーハー言ってるときに来たんで、何言ってるんだか憶えてないんです、全然。ハーハーですよ。明日、ピエール瀧くんには、テレクラ行くときにもう一回感想きいてみます。




三年まるごと活動をせず、五年間アルバムを出さずにいた岡村靖幸が、ようやく動き出した!という事実は本当のことであり、当事のファンの思いを率直に体現した言葉なのだろうけど、このインタビューの後の岡村靖幸が辿る堕落の道を考えると「完全復活宣言」というこの6文字がなんだか虚しく思えてしまう。

“反省の念”でいっぱいになった靖幸には“責任感”も誕生し―――とあるが……まぁ、こんなことを言ってしまっては元も子もないが、長年のファンからしてみたら、マイスペのログインを日課としている今こそ“反省の念”でいっぱいになって“責任感”も誕生して欲しいと強く思う。

危機感とかほとんどなくて、ぼくはおっとりしてましたね
三年間活動をしないで、五年間アルバムを出さなかったことに関して「ぼくより周りの人のほうが心配しちゃってて。危機感とかほとんどなくて、ぼくはおっとりしてましたね。」と言っているが、まあ、この頃はまだ「前科無し」なわけで、ただ単に活動していなかっただけだから、心に余裕もあったのだろうけど…さすがに今は危機感を持ってるよね?今現在の岡村靖幸がもし「ぼくより周りの人の方~」なんて思ってたらどうしよう?うーん。このインタビューを読んで思うことはいろいろあるのだけど、それらは結局すべて今の岡村靖幸にオーバーラップされる。今度こそはちゃんとしてくれよ、って。もうラストチャンスなんだから。いや、人によっては前回がラストチャンスで今回はもう無理だと思っている人もたくさんいるのだろうけど…。

ツアー前とツアー中に、女性アーティストのプロデュースをしたんです
これは川本真琴のことですね。「自分っていうものに対して客観性がないんですよね」と言っているけど、他アーティストのプロデュースとなると急に的確に客観視をしだす岡村ちゃん。川本真琴に限らず岡村ちゃんの提供曲はいつも素晴らしい作品に仕上がっている。この先、表舞台に出ることが不可能だとしても、舞台裏で名プロデューサーとして活躍するという道も十分あるよな。でも、あの岡村靖幸が裏っかわだけにいるっていうのは、モッタイナイ話ではあるのだけれどさ。

現在進行形で活動中のミュージシャンの熱狂的なファンになりたい

僕が好きなミュージシャンでバリバリ現役で音楽活動をしている人は殆どいない。活動停止状態だったり、解散していたり、あるいは…亡くなっていたりするミュージシャンが多い。活動していたとしても極端に寡作だったりする。なんかさ、「第一線で活躍しているミュージシャンの熱狂的なファンになりたいなぁ…」と最近思う。好きなミュージシャンの情報に毎日気を配り、テレビ出演があれば必ず録画して、CDはもちろん購入して、ライブにも行って、みたいな熱いファンになりたい。そういうのって楽しそう。きっと平凡な生活に彩りが生まれるよね。

ブログを更新していなかったここ1ヶ月の間に「おお、好きかも」とビビっときたお気に入りのミュージシャンはいるにはいる。しかし、悲しいかな「COMPLEX」と「LUNASEA」なのである。

「COMPLEX」は吉川と布袋のユニット。僕の中で「COMPLEX」といえば小室とYOSHIKIの「V2」と同じ棚に収まっていた。つまり。なんていうか、本人たちもきっと無かったことにしたいんだろうな…、みたいな。ともさかりえが「さかともえり」と名乗っていた時のような気恥ずかしさを感じていたのだが、ブックオフで「COMPLEX」のアルバムを案の定250円で購入し聴いてみるとこれがなかなかの良作で驚いた。吉川のねちっこいボーカルと布袋のまだまだボウイ時代の匂いが残っている楽曲が見事にマッチしている。捨て曲なし。「Be My Baby」の強烈な中毒性を秘めたイントロは何回聞いても飽きないし、1曲目の「Pretty Doll」のいい意味で時代を感じさせるスピーディな曲は何度もリピートしてしまう。


「LUNASEA」は公式サイトにて“REBOOT”と謳いまたまた再結成するとの情報を耳にしたので、何気なくYOUTUBEでいろいろと視聴していたらハマってしまった。2007年の復活のときも2008年の「hide memorial summit」のときも特に関心は無かったのだけどな。上手い表現が見つからないけど、なんつーかバンドサウンドが日本のバンドの音じゃないんだよなぁ。重量感があってタイトでズシズシくる感じが圧倒的でかなり良い。バンド演奏のレベルがデビューから常に右肩上がりを維持し続けているのも凄い。あと、YOUTUBEで見るボーカルRYUICHIの変遷もなかなか味わい深いものがある。往年のルナシーファンは河村隆一としてソロでブレイクしてからの“RYUICHI”には物足りなさを感じているのだろうけど、まあ今がデフォルトなんだからしょうがないよね。昔が無理してたんだから。


と、まあ「COMPLEX」と「LUNASEA」が最近はお気に入りなのだけど、「COMPLEX」は解散しているしルナシーは“REBOOT”って言葉が唐突に発表されただけで今後の活動はわからないし…。それに、もしこの二組が音楽活動を本格的に再開したとしても僕が熱狂的なファンになる確率はかなり低いしなぁ。

やっぱりいわゆる「最近のミュージシャン」のファンになった方が、ファンとしては幸せだよなぁ。最近のミュージシャン・・・・一人も思い浮かばねぇぜ・・・・。あっ、そうだ、「Superfly」は好きだな。あのボーカルの女性(名前は知らない)の目が良い。初期のYUKIを髣髴とさせるあの野心的な目は好み。歌も上手いし、ジャニスジョプリンに影響されているらしいし。70年代ファッションも良い(ベルボトムが好き)。「Superfly」はいいなぁ。あと他に最近の良さげなミュージシャンといえば・・・。うーん・・・・全く思いつかない・・・。

僕が、現在進行形で活動中のミュージシャンにハマるためには、尾崎豊にちょっと生き返ってもらって音楽活動を再開してもらうしかないわけだけど、それはさすがに無理なので妥協案として(あくまでも妥協だけど)ここは岡村靖幸に頑張ってもらいたいと思う。妥協してあげるから岡村ちゃんがんばってね。


追記
今回の記事では、あえて「アーティスト」ではなく「ミュージシャン」と表記しました。
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サブカルの戯言
第332回:10月12日
ツイッターを先取りした「サブカルの戯言」も本日にて終了。332回の戯言のご愛読ありがとうございました!!
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