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なぜ、岡村靖幸は歌詞が書けなくなったのか?

岡村靖幸は歌詞が書けない。ベイベの間では周知の事実である。曲はいくらでも作れるが歌詞が書けないから新譜をリリースできない。岡村靖幸はシンガーソングライターなので曲だけ作れたとしても、曲とつがい関係である歌詞が書けなければ完成しないのだ。過去のインタビューで「曲のストックは80曲くらいあるけど歌詞がない」という内容の記事を読んだ記憶がある。他にも岡村靖幸は様々な雑誌のインタビューで歌詞の執筆に苦労していることを話している。

しかし、そもそもなぜ歌詞が書けないのかについての具体的な言及はない。また、ベイベも「岡村ちゃんは歌詞が書けない」ということに対して「そうか、歌詞が書けないのかぁ」とそのまま受け取るだけで、なぜ書けないのか?という点に疑問を持っていないのではないだろうか。

というわけで、今回の記事では「なぜ、岡村靖幸は歌詞が書けなくなったのか?」について、岡村靖幸のデビューまで遡り、時系列に辿りながら考えてみる。

■苦手意識
1986年。岡村靖幸は自身のデビューが決まった時、自分は作曲のみを担当し、作詞は他人に頼もうと考えた。しかし自分の曲に他人が書いた歌詞を乗せて歌ってみても違和感があり、上手く歌えなかったのだという。「なんかしっくりこない。だったら、いっそ歌詞も自分で書いちゃおう」と思い岡村靖幸は作詞も自分で手がけるようになった。これは岡村靖幸を語る上でとても有名なエピソードである。

しかし、このエピソードに何か引っかかることはないだろうか?疑問を感じないだろうか?

僕は思うのだ。なぜ若かりし頃の血気盛んな岡村靖幸はデビューするにあたって自分で歌詞を書こうとしなかったのだろうか、と。渡辺美里のレコーディングスタジオでまだまだ無名の作曲家にもかかわらず、スタジオの音楽に合わせて勝手に踊ってしまうような(きっと前髪クネ男のように)自信満々でナルシストで目つきの悪い(吉川曰く昔の岡村ちゃんは目つきが悪かったらしい)若かりし頃の岡村ちゃんが、だ。

なぜ歌詞だけは自ら脇役に志願するかのように遠慮したのか。イケイケであったであろう当時の岡村靖幸ならきっと「曲なんていくらでも作れますよ。歌ももちろんオゲッですね。ダンス?あぁ~まぁプリンスよりは上手いですよ。アレンジは経験不足なとこもあるけど俺天才だから問題ないまくりです。フォー!」ばりだったはず。しかし靖幸青年は作詞に関しては「他人に書いてもらいます」と弱腰になったことに疑問を感じる。

デビューを控えた岡村靖幸。どうせなら作詞も作曲も全部一人でやりたいはずだ。プリンスみたいに作詞作曲アレンジ、そして自ら楽器演奏までするというスタイルに憧れを持っていた岡村靖幸が作詞をいともたやすく放棄したという事実に疑問を感じないだろうか?僕は感じる。そしてなぜ作詞を自分でやらずに他人に頼もうとしたのかを考えると、やはり岡村靖幸の中でどこか苦手意識があったからなのではないだろうか。もちろん僕の勝手な推測だが。

■岡村ちゃんワールド
実際、苦手意識があったかどうかはわからないが、いざ出来上がった岡村靖幸の歌詞は素晴らしかった。ファーストアルバム「yellow」はまだどこか凡庸性のあるマスプロダクト的な歌詞であったがセカンドアルバム「DATE」で化ける。本領発揮である。岡村靖幸にしか書けないオリジナルな世界観が見事に完成したのだ。

学生時代を舞台とした、青春、女の子、変態、セックス、妄想、情けない自分などをごちゃまぜにしたカオスを背景に、空耳ウェルカムな画期的且つ柔軟な日本語をメロディに乗せるという唯一無二な歌詞を形成した。まさに岡村ちゃんワールド。これが岡村靖幸の唯一無二の“持ち味”となる。

この持ち味を岡村靖幸は自分のスタンダードとして定着させた上で、89年に「靖幸」、90年に「家庭教師」をリリースした。しかし「家庭教師」以降、岡村靖幸は寡作になる。歌詞が書けなくなったからだ。

■歌うべき主題がない
青春模様を舞台とした岡村ちゃんワールドな歌詞は「DATE」「靖幸」「家庭教師」の3作品に一滴も余すことなく全て注ぎ込まれたのだろう。故に歌詞が書けなくなったのではないだろうか。もっと正確に言えば書けなくなったのではなく、新たに歌うべき主題がなくなったのではないだろうか。当時20代も後半に差し掛かった岡村靖幸はそろそろ新たなステップに向かう過渡期だったのではないか。

話は少し変わるが尾崎豊も20代に入ってから歌うべき主題を見つけられず苦労したそうだ。十代の頃は先生や大人に対する不満を率直な言葉で歌っていた。15歳の頃に家出をしたことを題材にした「15の夜」や高校時代に先生に刃向い悶々とした日々を描いた「卒業」。それらの曲が当時の若者の共感を呼び十代の教祖と一部では呼ばれていた。しかし、自分が20代になり、尾崎自身が社会の一員になったとき一体何を歌えば良いのだろうか?と悩んだという。そして結局答えは見つからないまま亡くなってしまった…。

話は戻り、主題がなくなったのなら探さなくてはならない。90年代中盤から後半にかけて岡村靖幸のアンテナに引っかかった対象は「援助交際」「おやじ狩り」「テレクラ」などだった。非常に救いようのない暗い対象だ。岡村靖幸はそれらを「ハレンチ」「ハッピー ウェディング」の歌詞の中に実際に組み込んだ。しかしそれ以上これらの主題が広がりをみせることはなかった。

きっと90年代後半の時代と岡村靖幸はまるで水と油のように宿命的に肌が合わなかったのだろう。個人的には僕もこの時代にはうんざりだった。テレビ番組で言えば「ロンドンブーツのガサ入れ」や「ネプチューンの原田が巴投げしてパンチラさせる番組」や「ガチンコファイトクラブ」などが流行っていて、街にはルーズソックスにガングロのコギャルがいて、おやじ狩りがあって、なんていうか、ザラザラとがさついた不健康な時代だったよなぁ、と。そんな時代が岡村靖幸は反吐が出るほど嫌でたまらなかったのだろう。

明確な主題が見つからないままリリースした「禁じられた生きがい」の歌詞をじっくりと読んでみると、少々酷な言い方をすればこれまでの岡村ちゃんワールドを薄めて再生産したといったイメージがある。「禁じられた生きがい」は曲もアレンジもそして歌詞だって決して悪くないのに「DATE」「靖幸」「家庭教師」と比較したときワンランク魅力が薄い理由は(もちろん「禁じられた生きがい」がフェイバリット作品だという人も少なくないだろうが)、再生産的な匂いを無意識のうちに感じとっているからなのかもしれない。

■プレッシャー
歌詞が書けなくなり長い間引きこもる岡村靖幸。長い間表舞台から姿を消せば普通はそのまま消えてしまう。各レコード会社からは毎年期待のニューフェイスがまるで流しそうめんのように次々とデビューする。新しい波が留まることなく押し寄せ、古いものは容赦なく淘汰されていく。

しかし、岡村靖幸は消えなかった。なぜなら、岡村靖幸が過去に残した音楽は何年、何十年たっても色あせることなく、ピカピカと輝いていたからだ。決して埋もれてしまわない輝きを放った音楽があるから、長い間引きこもることができたのだ。これは岡村靖幸にとって非常に幸運なことだが、だからこそのプレッシャーがあったのではないだろうか?常に前作よりもクオリティの高いものを右肩上がりで発表し続けなければいけないというプレッシャーが岡村靖幸を苦しめたのではないか。

■こじれる
「禁じられた生きがい」からさらに9年もの長いインターバルを経てリリースした「Me-imi」。歌詞に対する苦手意識のようなものは相変わらずな用でだいぶこじらせている印象。1曲目の「5!!モンキー」から歌詞の意味がよく分からない。でもきっと熟慮に熟慮を重ねた上で厳選した言葉を紡いでいるのだろうという影の苦労みたいなものが滲み出ている。故に「Me-imi」に収録されている曲の歌詞はどの一文をとってもキレキレである。そのままブログのタイトルに使えそうなくらいの切れ味がある。しかし、岡村靖幸は一体何を歌っているのかがよくわからない。まるで難解な抽象画と同じくらいよくわからない。

■ヘルシーメルシーは重要
「Me-imi」のリリースから6年が経った2010年に岡村靖幸は再び復活した。復活した岡村靖幸はYoutubeで「ぶーしゃかLOOP」を発表する。岡村ちゃんの才能がクールにほとばしった素晴らしい楽曲だが歌詞は実質ないようなものだ。その後、精力的に何度もツアーを開催し、最高のパフォーマンスを披露するが新曲はおあずけの日々が続く。そして2013年遂に新曲「ビバナミダ」がリリース。しかし、作詞のクレジット欄には「岡村靖幸 西寺郷太」と記載されていた。あの岡村靖幸が他人に作詞を任せるなんてよっぽどだな…とがっかりしたがカップリングの「ヘルシーメルシー」はなんと岡村靖幸本人による作詞だ。

「ヘルシーメルシー」の歌詞をじっくりと読む。僕は確信した。上述したようにやっぱり「岡村靖幸は歌詞が書けないのではない。書くべき主題がうまくみつけられなかっただけなのだ」と。そして、現在の岡村靖幸は長い間模索し続けた結果ようやく歌うべき主題を見つけたのだ。それは、一体何か?おそらく「自分自身について歌うこと」なのだろう。きっとそれが今後の岡村ちゃんの大事な主題になるのではないだろうか。「ヘルシーメルシー」の歌詞の1番は岡村靖幸の自叙伝であり、2番の歌詞は48歳の岡村靖幸の目に映る景色をニュートラルにありのまま紡いだ内容だ。

灯台下暗しとでも言えばいいのだろうか、別に過敏にアンテナを張って頑なに社会問題を歌う必要なんて全く無い。自分自身についてありのまま歌えばそれで良いのだ。ベイベにしてもそういう歌(歌詞)の方が嬉しいのだから。「健康管理や食事はとても大事ぃ♪」「あーわかっとらん男ですいませぇん♪」でいいじゃん。最高じゃん。

★☆★☆★☆★☆

気づけば前作の「Me-imi」から早いもの10年が経つ。2014年。岡村靖幸が1曲でも多く作詞を手掛けたニューアルバムがリリースされればこれに勝る喜びはない。
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スッバラシイ幕開け

遅くなってしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。2014年は元旦から全国放送の地上波で岡村靖幸が見れるというスッバラシイ幕開けでした。出演時間はほんの一瞬(しかも岡村ちゃんが出たのは番組の最後だったからド深夜)だったけれども、まぁ・・・・オゲッ。元日にテレビで岡村ちゃんを拝見できるなんて縁起が良いではないか。今年はきっと良いことがたくさん起こるような気がする。例えばアルバムのリリースとか…。あのね、今年は出そうな気がします。…いや、出ますよ。岡村靖幸のニューアルバムは2014年にリリースされます(となぜか断言してみたりして)。ありがとうございます。

とりあえずは4月から始まるツアーだ。その名も「将来の夢」。今年で49歳の岡村靖幸が描く『将来の夢』とは一体なんなのか?ツアータイトルが奇抜なだけでライブ自体はいつもと同じ内容&セトリではないことを切に願う。ライブを見終えた後に「将来の夢」というツアータイトルを振り返り「なるほどこれが岡村ちゃんの将来の夢か」と笑顔で思えるような素敵なライブだったらいいなぁ。今から非常に楽しみだ。

ちなみにチケットはまだゲットしておらず。ファンクラブには入会していないのでFC先行予約はできず。なので公式サイト先行予約でゲットしようとしたのだが1階席のチケットしか販売されてなかったので、迷いに迷った末見送ることにした。実は僕、今回は2階席希望なのだ。2階席から岡村ちゃんをじっくり(あるいはねっとり)と観察したいと考えているのだ。スタンディングはやっぱり疲れるし、客の頭の隙間からチラチラとしか岡村ちゃんの姿が見れないというのはストレスだし、だからと言って最前列までグイグイと切り込む積極性はないし、故に今回は2階席希望なのだ。というわけで、いまだに僕の手元に「将来の夢」への切符はない。無事ゲットできると良いなぁ。

というわけで、今年もよろしくお願いします。


★2013紅白→あまちゃん→グループ魂という流れ。あると思います。
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サブカルの戯言
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ツイッターを先取りした「サブカルの戯言」も本日にて終了。332回の戯言のご愛読ありがとうございました!!
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