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あいつより愛してるぼくに気づいて

岡村靖幸の歌詞には秀逸な名フレーズがたくさんある。代表例としては「あの娘僕がロングシュート決めたらどんな顔するだろう」の歌詞。「寂しくて悲しくてつらいことばかりならば あきらめてかまわない だいじなことはそんなじゃない」というもの。普通であれば「辛いだろうけどそこでくじけちゃだめだ!諦めたらそこで試合終了ですよ!」的な方向に行ってしまいがちだが、岡村靖幸はちがう。

「辛いんだったらあきらめちゃってもいいじゃん」っていう。おそらく彼のメッセージは基本的に強い人間に向けて送られているものではないのだろう。きっと器用にうまく生きられない人達やいろいろとこじらせている人に対してへの岡村ちゃんなりの応援であり優しさなのだろう。辛いのに無理して頑張って精神疾患になるくらいだったらあきらめてもいいじゃんよっていう。

それから「だいすき」の「ねぇ三週間ハネムーンのふりをして旅に出よう」なんかも秀逸だ。「ハネムーンのふり」だから実際は二人は結婚はしていないわけだ。彼氏彼女の関係なのにハネムーンを装い旅に出る。旅行会社の人にもホテルのフロントでも旅の道中で出会う多くの人々の前でも二人は幸せなハネムーンを(いたずらな笑みを浮かべながら)演じるのだ。そんな甘い世界観をワンフレーズで想起させる秀逸すぎる歌詞だ。

まだまだスッバラシイ歌詞はたくさんあるが一個一個挙げてはきりがない。ただ一つ言えることは上記の二つの秀逸な歌詞は岡村靖幸が頭を悩ませ、考えに考え、細かく推敲し、ブラッシュアップした末、生まれた歌詞なんだろうということ。少なくとも無尽蔵にわんさか溢れ出るようにして生まれた歌詞ではないだろう。

★☆★☆

先日「Dog Days」を何気なく聴いていて僕は見つけた。これ以上ないくらいに岡村ちゃんらしさが溢れる素敵な歌詞を。しかも上記の二つの歌詞と同じくらい秀逸な歌詞。しかし、秀逸でありながらそれほど考えに考えて捻り出したという印象はなく、岡村ちゃんの中からであれば無尽蔵に出てきそうな歌詞。それは・・・

【あいつより愛してるぼくに気づいて】

なんで今まで気づかなかったのだろう。この歌詞凄い。いわゆる告白できなくて情けなくて鬱々とした夜を過ごしているダメ男の心情をここまで的確に表現した歌詞はないだろう。

まず「あいつより愛してる」という箇所。一体何を根拠に言っているのだろうか?きっと根拠なんてないはずだ。そもそも岡村ちゃんはその彼女に対して何もアプローチ出来ていないはず。逆に“あいつ”は彼女に対して懸命にアプローチをしているだろう。だからこそ彼女は“あいつ”に気持ちが傾いているのだろう。何もしていないのに「あいつより僕の方が愛している」という思い込みが非常に身勝手であり、生々しい。

そして、そのあとの歌詞が「僕に気づいて」だ。・・・なんという受け身!!まるで高齢の猫のようにじっと黙っているだけで何のアプローチもしていないのに“あいつ”より僕の方が愛していると心の中で叫び、挙句の果てには、“気づいて”ときたもんだ。「岡村ちゃんよ…残念ながらそりゃ誰も気づけないぜ」と後ろから岡村ちゃんの肩を軽くポンと叩いてやりたい。

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この歌詞に共感する男たちは多々存在するだろう。学生時代。高嶺の花だった美人で清純そうな女子がちょい不良気味のイケメン男子と付き合っていると知った時、情けない男たちは誰もが心の中で密かにこう呟いたはずだ。あいつより愛してる僕に気づいて、と。


追記
「Dog Days」には「お前のせいで堕落してしまう」という歌詞もあるし、なかなかのダメ男っぷりの歌詞が散見される。しかし、「液体状の夕焼け流れ落ちてきてる 僕のベッドに」という文学的にも優れた描写の歌詞もあったりする。もちろん曲もアレンジも素晴らしい。改めて聴くと本当に名曲だ。

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あまちゃん/リアルタイム

2013年12月31日。大晦日のテレビ番組。近年は「ダウンタウンの笑ってはいけない」を見ることが多かったのだが、さすがに飽きてきたので(毎年同じだし)去年は紅白歌合戦をぼんやりと見た。北島三郎の最後の「祭り」や泉谷しげるの不器用さや大島優子の卒業発言や綾瀬はるかの号泣やところどころで出演するももクロの安定のウザさ(あっ褒め言葉です)など見所がたくさんあり、久しぶりに見た紅白は予想以上に面白かった。

そして、2013年の紅白の目玉といえばなんと言っても「あまちゃん」である。僕は「あまちゃん」を見ていなかったので、繰り広げられる「あまちゃん劇場」を見てもどういう設定なのかがよくわからなかった。「潮騒のメモリー」にしても「なんで3回も同じ歌を歌ってるんだよ。それになんだこの無理やりな転調は」と酒を飲みながらやや批判的に見ていたのだけど、一瞬だけドキッとした瞬間があった。それは「潮騒のメモリー」を歌う能年が「ジョニーに伝えて 千円返して♪」の「千円返して」のフレーズを歌った時の顔である。左手を突出し目をまるで漫画のように大きく見開いたあの表情。そしてすぐさま愛らしい笑顔に戻る能年を見て「彼女は女優なんだ」と認識した。あまちゃんに全く興味がなくて酒の入った状態でぼんやりと見ていた僕にさえ「この子は何か光るものがあるのだろうな」と思わせた。

年は明け2014年正月。「あまちゃん」が全話アップされている動画サイトを発見する。なんと全156話らしい。1話が15分で、それが156回あるということは…膨大な時間を費やさなければいけない。いくら面白いと噂の「あまちゃん」とはいえ、さすがに全話見ることはないだろと軽い気持ちで見始めたのが最後。・・・止まらない。“Don't Stop Me Now”である。面白すぎる。気づけば6時間ぶっ通しで見続けている自分がいた。次の日も止まらない。仕事から帰ってきたらすぐに「あまちゃん」。休みの日は朝から晩まで「あまちゃん」。わずか10日程度で全話を視聴してしまった。最終回まで視聴した後はランダムで様々な回を視聴しては楽しんでいる。能年玲奈の写真集も買った。挙句の果てには、天野アキが北三陸編で背負っている赤のリュックと色違いの黒のリュックまで買った。

「あまちゃん」の魅力についての考察なんて去年の9月の時点できっと既に多くの人たちが語り尽くしているのだろうけど、遅まきながら僕も書きたいと思う。

やはりクドカンである。クドカンの脚本が1話から156話(157話も)までぬかりない。力強い推進力で物語は進んで行き、主役の天野アキは新しい世界にどんどん飛び込んでゆく。様々な愛すべき登場人物が天野アキを取り囲み、笑えて時には泣ける素晴らしい脚本だ。

「あまちゃん」の特筆すべき点は3.11を描いているということ。これには驚いた。震災のことを描いているとは全く知らないで見ていたため、物語が進むに従い(あまちゃんは2008年を舞台にスタートしている)どうやら2011年のあの日も避けて通れないことに気づく…。とてもおバカな笑いに溢れている「あまちゃん」と「3.11」が不釣り合いすぎて、一体どんな描き方をするのだろうと少々厳粛な気持ちになったりもして。結果、震災を描いたからこそ「あまちゃん」が揺るぎない国民的なドラマとなったのだろう。

そして「あまちゃん」の最大の魅力は言うまでもなく能年玲奈の存在だ。話は少し変わる。確か三谷幸喜の本で読んだのか、あるいはテレビ番組だったのか、詳細は忘れたが「古畑任三郎」に出演した桃井かおりは後に何かのインタビューでこんなことを話していた。「田村さんは本当に楽しんでたわよ。古畑任三郎を演じることが楽しくて堪らないんじゃないかしら」というようなことを言っていた記憶がある。そして桃井さん自身もそんな風に楽しんでいる田村さんと一緒に芝居ができて楽しかった、と。

天野アキを演じる能年玲奈を見ていると上述した桃井かおりのエピソードがふと頭に浮かんだ。能年はきっと天野アキを演じることをめちゃくちゃ楽しんでいる。特に東京編のあたりから天野アキに磨きがかかっているように思える。東京編から喋り方(なぜか鼻声)や仕草がより天野アキになっている。それに合わせるかのようにキョンキョンはより春子になり松田はより水口に磨きがかかっているように思える。東京編の脚本は賛否が別れているようだが(僕は好きだけど)、能年が天野アキをこの上なく楽しんで演じている様が見れるという点でも非常に見どころがある。「あまちゃん」の打ち上げで能年は「ぜひ『あまちゃん2』をお願いしたいです」と発言したことからも能年にとっての天野アキとは田村正和にとっての古畑任三郎と同じくらいハマリ役なのだろう。

以上が「あまちゃん」の個人的な感想である。しかし、音楽でもドラマでもそうだけどエンターテイメントへのアンテナは常に敏感に張っていないといけないものだな。

「あまちゃん」を見返すことはいくらでもできる。でも一番素敵な「あまちゃん」の楽しみ方は月曜から金曜まで「あまちゃん」をリアルタイムで見ることだろう。毎日楽しみながら明日はどんな展開になるのだろう?とワクワクしながら日々の生活の中の楽しみの一つとして「あまちゃん」が組み込まれている。これが理想だ。リアルタイムでしか体感できないものって絶対あるもの。

たったの数か月前に終わったばかりのドラマなのに、今見るのとリアルタイムで見たのではだいぶ違う。例えばドラゴンボール。現在の少年が単行本で1巻から42巻まで一気に読んだとする。きっと楽しんで読み終えるだろう。「こんな面白い漫画があったのか。スゲー」と感じるだろう。でもドラゴンボールがジャンプで連載していた当時、毎週月曜日を待ち望んで食い入るように1話1話リアルタイムで興奮しながら読んでいたかつての少年とは同じドラゴンボールを読んでいるにも関わらず決定的に何かが違う。

リアルタイムだからこそ感じることができるアリガタミみたいなものを味わうためにもアンテナは常に敏感にしときたい。「あまちゃん」を見てそんなことを思った。

冬季二ヵ月間論

北海道の冬はとても寒い。毎日、容赦なく雪が降り積り、気温は常にマイナスの真冬日。はっきりいって辛い。良いことなんて一つも無い。毎日が苦痛である。子供の頃は冬が楽しみだった。雪が積もれば積もるだけ遊びのバリエーションが増えるからだ。雪合戦はもちろん、雪だるまや“かまくら”を作ったり、雪山に登って遊んだりと様々な遊びで楽しむことができた。しかし、大人になるにつれ次第に雪が憎くなる。雪の降る北国に住む者にとって雪とは憎悪の対象でしかない。これは決して大げさな表現ではない。北国に生まれ育った僕が言うのだから間違いない。

その代り春から夏にかけての北海道の気候は素晴らしい。梅雨もないし台風もない。真夏になってもそれほど熱くない(ついでにゴキブリも皆無。羨ましいだろ!)。特に初夏の北海道(よさこいのシーズン)の気候の気持ち良さは日本一だろう。木々の若葉の爽やかさと果てしない大空と広い緑の大地に吹く心地よい風は至高である。なんか松山千春みたいな言い回しになってしまったが北海道の春から夏にかけてのシーズンは最高なのだ。

しかし、9月に入り秋になると北国の人間は憂鬱になる。本州の9月と言えばまだまだ残暑が厳しい季節なのだろうが、北海道ではみるみると気温が低くなっていくからだ。あっという間に20度を下回り、ふと気づけば10度を下回り、そろそろストーブの準備をしなければと思った日には既に初雪が観測されてたりする。ついこないだまで夏だったのにあっという間に冬になってしまうのだ。冬になってしまえば翌年の4月まで極寒の日々だ。良いことなんて一つも無い冬をじっと我慢しながら過ごさなければいけないのだ。北国の冬は辛い。そして雪が心から憎い。雪が綺麗だなんて微塵にも思わない。

初雪の降る10月下旬から根雪の解ける4月の上旬までを冬と仮定すれば、北海道の冬の期間は約五か月間となる。五か月間は長い。辛い地獄のような冬が五カ月間もあるだなんていくらなんでもひどい。そこで僕が本記事にて提唱したいのが「冬季二ヶ月間論」である。

「冬季二ヶ月間論」とは一体何かというと、なんのこっちゃない、読んで字のごとしだ。「北海道の冬は厳しいけど、たったの二カ月で終わるよ」という考え方だ。詳しく説明すると

まず北海道における厳しい冬とは具体的に何かといえば、それは「大雪が馬鹿みたいに降って深夜に除雪車がガーガーうるさくて最低気温がマイナス10度を下回ってるからストーブはフル回転でガス代(あるいは灯油代)がかかりまくりで水道管が凍結するくらいの寒さ」のことを指す。このような極寒の日々は実は1月と2月の2か月間に集中している。つまりたったの2か月間しか厳しい冬は存在しないのだ。

もちろん12月と3月だってムカツク程に寒い。それに12月と3月の街並みを見れば一目瞭然だが根雪がドーンと横たわっている。しかし12月の根雪はたったの一日でも気温が高めになれば容易く溶けてしまう弱っちい雪だ。事実、去年の12月(2013年12月)は何度か大雪が降ったがすぐに溶けクリスマスの直前まで(僕の記憶が正しければ12月22日まで)札幌の街並みに雪は全くなかった。12月下旬の時点で雪が全くないのだ。

そして3月。3月の時点では根雪はまだある。嫌になるほどありまくる。しかし3月に入ると徐々に気温は上がる。最高気温がプラスの日がどんどん出てくる。屋根からは水滴が留まることなくしたたり、道はシャーベット状態になる。つまり3月の雪はこれから徐々に解けてゆく過程にある根雪なのだ。憎らしい雪がどんどんと消滅していく過程にある雪なのだ。まるで盛者必衰の如く衰えていく雪を見るのは気味の良いものではないか。

「12月の雪はまだ解ける可能性をたぶんに含んだ雪であり、3月の雪はこれから溶けていく過程の雪である」という捉え方で北海道の冬を眺めると幾分は楽な心持になるのではないだろうか。つまり耐え忍ぶ期間は1月と2月のたったの2か月間だけなのだから。11月と12月の寒さはこれから来る本格的な恐ろしい寒さと比べればまだまだマシだと考え、3月の寒さはこれからどんどん気温が上がるポジティブな過程の中に存在していると考えれば良いのだ。

以上が「冬季二ヶ月間論」である。豪雪地帯に住む者にとって冬とは辛く憂鬱なものだ。しかし、「冬季二ヶ月間論」(薄っぺらい精神論ではあるが)を纏うことで少しでも厳冬がもたらす北国の人々の苦痛が和らげば幸いである。

何のためらいもなく「2F:指定席」をタッチする。

えっとぉ・・・いち・・なな・・よん・・・きゅう・・ご・・っと。ガラケーに四ケタの数字を入力する。ウールの生地のパーカーの上にダウンジャケットを着こむ。パーカとダウンジャケットにそれぞれ備わっているフードを2重に重ねて被り、マスクを装着し、手には手袋を。防寒対策は疎かにしない。なぜなら外はマイナス8度なのだから。ストーブを消し、テレビの主電源を切る。PCもシャットダウンしようかと思ったがどうせすぐ戻ってくるのでそのままにする。午前9時57分。家を出る。

2月8日10時。一般発売開始。
2月8日10時3分。僕はローソンのロッピーの前に立つ。

Lコードを入力する

“17495”

4月19日(土) 岡村靖幸 Zepp Sapporo、詳細が表示される。

「まったく、便利な時代だぜ」と、脳内で独り言をつぶやく。そして、選択肢。

1F:整理番号付
2F:指定席


何のためらいもなく「2F:指定席」をタッチする。

ロッピーから「ジジジィー」という機械音とともに出てきた紙を取る。ついでに買い物をする。5リットルの「家庭用指定ゴミ袋」と「いなばのタイカレーの缶詰」をレジに持っていく。代金を払い、ローソンを後にした瞬間、その場でチケットを開ける。まるで受験の合格発表みたいなこのドキドキ感に懐かしさを覚えながら、座席を確認する。そこには「○列の○番」と記されていた。そして「ハッ」とした。僕はZepp札幌の座席表をそもそも知らないではないか……!

午前10時15分帰宅。Zepp札幌の座席表をネットで検索し(全く便利な時代だぜ)、チケットに記載された席と照らし合わせる。うーん。微妙である。2階席が実際どんな空間なのかがよくわからないが、おそらく微妙な席な予感がする。しかし、1階席の後方よりは断然岡村ちゃんの姿がノンストレスで見られるだろうからよしとしよう。

というわけで、今から4月19日が楽しみだ。ワクワク
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