スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

島崎藤村で「破戒」

今年初めて読んだ小説、島崎藤村の破戒の感想を書く。地味に予告していたものの既に読了してから一ヶ月以上経っているので細かい内容は覚えていなかったりするのですが…。爆笑問題の太田さんは高校時代島崎藤村を読んで熱く共感したそうだ。しかし後に太宰治を知りいかに島崎藤村の小説がつまらないかを知ったそうだ。太宰は読者に対してのサービス精神(つまりは読んでいて単純に面白い展開、描写がある)が文章の至る所にあるけど藤村にはそれがない、と。これは頷ける。僕も破戒を読んでいてずっと感じていた。破戒には面白みがあまり無い。藤村という人にはユーモアが無いのではないか。僕は破戒しか藤村の作品を読んでいないから決め付けてはいけないのだろうけど、少なくとも破戒に関してはユーモアは無い。文章に遊び心が無い。美しい風景描写は随所にあるのだけど。淡々と主人公の瀬川丑松の行く末を綴っている。これほど純文学らしい純文学を読んだのは「破戒」が初めてだ。

破戒とは「戒めを破ること。特に、僧が戒律を破ること」という意味だ。僕はてっきり「デストロイヤー」(プロレスラー)の方の破壊かと思っていた。破壊の国字的なものが破戒なのかと思っていた。この小説は全編にわたって読みづらい旧仮名遣いの文章だし。
主人公の瀬川丑松は、えた(穢多)である。
中学校の歴史の時間に習ったあの「えた」だ。江戸時代における士農工商にも属さない最下層の身分のことだ。丑松はえたである身分を隠し小学校の教師をしている。生徒からも好かれていて勉強家で好青年なのだがえたという身分であることを隠している。現代だったら身分による露骨な差別は無い(少なくとも表向きには)が、1900年前後の時代においては、えたであることは耐え難いものであったらしい。えたであることが世間に知れただけで普通の人間として生きられないのだ。まるで獣のようなけがわらしい扱いを世間から受ける。現代に生きる僕たちからしたら信じがたいが本当の話らしい。えたであるがために人間として認め
られないというのは驚きだ。去年、夏目漱石の「抗夫」についての記事を書いたけど抗夫になるような人種がえたなんだろうな、きっと。
瀬川丑松のことを疎ましく思う輩によりえたであることを世間に公表され結局丑松は小学校からも住んでいた地域からも追放されてしまう。被差別部落にえたとして生まれただけで人間扱いされないなんてどうかしてますよね。この話は実際に合った話らしいので余計に迫力があるな。

僕は人に対して差別をするなんてことはさすがにないけど、第一印象や先入観による偏見で物を考えがちな頭の固い人間なので藤村の「破戒」の時代に生きていたらきっとえたに対して侮蔑の目で見るような種類の人間なのだと思う、正直な話。もっと視野の広い本質的で達観的な審美眼を持ちたいものだ。
スポンサーサイト

Leave a comment

Private :

Comments

- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
04 06
サブカルの戯言
第332回:10月12日
ツイッターを先取りした「サブカルの戯言」も本日にて終了。332回の戯言のご愛読ありがとうございました!!
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
プロフィール

yuji

Author:yuji

リンク
ブログ内検索
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
QLOOKアクセス解析