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江戸川乱歩で「孤島の鬼」

江戸川乱歩の「孤島の鬼」を久しぶりに再読した。孤島の鬼をはじめて読んだのは高校生の頃だと思うのでなんだかんだで5,6年ぶりだ。やっぱり面白い小説だ。小説に限らず漫画でも映画でも音楽でも一人一人趣向や好みは違うから100人読んで100人がみんな挙って面白いなんてものはこの世に存在しないだろう。でも江戸川乱歩の孤島の鬼に限っては誰もが手放しに絶賛するのではないかと思う。それこそ100人読んだら100人がみんな面白いと感じるのではという半ば盲目的な考えを抱いてしまう。つまりは僕は孤島の鬼が大好きなんです。
孤島の鬼を読むきっかけになった経緯はあだち充の「タッチ」だ。今手元にタッチの単行本が無いので詳しくは解らないが確かこんな描写がある。上杉達也が本屋(図書館だったかも?)にふらっと立ち寄り棚にある本を取ろうとするとライバルの新田明男(だったけか?)もたまたま同じ本を取ろうとして手が触れ合うというシーン。二人が手に取ろうとしていた本が江戸川乱歩の「孤島の鬼」なのだ。あだち充は自分の著書をわざとらしく作中の本棚に宣伝とギャグを兼ねて描きこんだりしているが孤島の鬼は全く関係ない作品だ。では、なぜ「孤島の鬼」をタッチの1コマに登場させたのか?それは単純にあだち充の好きな小説だからだろう。それしか考えられない。「あだち充好き」としてこれは読まねばと思い初めて江戸川乱歩の小説を読んだ。そういうきっかけだ。
孤島の鬼は1929年に発表された小説だ。だから舞台背景はかなり古いものだが文章からは古臭さを殆ど感じない。この時代の小説家の人の文章って大抵堅苦しい文章が多いのに乱歩の文章は凄く読みやすい。今の小説よりも読みやすい。難しい言葉や文章も少ない。だからといって幼稚なわけではない。乱歩よりさらに過去の作家である夏目漱石の作品もそうだけど時代を超える名作は読みやすいものが多い。村上春樹の文章だって100年後の日本人が読んでもきっと読みやすい美文だろうし。孤島の鬼はいわゆる「使ってはいけない言葉」がたくさん出てくる。今だったら絶対に問題になる表現や言いまわしが多々ある。しかしこれらは古典として評価されている作品だからその世界観を崩さないために原文のまま掲載してある。乱歩の得意とする不気味なグロテスクな雰囲気がぷんぷんしていてなんとも言えぬカオスが展開されている。
乱歩は先見の明があるのか主人公の相棒の諸戸道雄はゲイである。諸戸は主人公のことを病的に愛している。主人公も時折満更でもない感じで甘ったるくなるシーンが随所にある。この801っぷりを1929年に描いていたのだから乱歩は当時は異彩だったのだろうなぁ。冷静に考えれば801だのグロテスクだのがふんだんに存在する小説を100人中100人が絶賛するとは思えないな。

追記
801で思い出したが井上陽水と奥田民夫のツアー映像がyoutubeに14分割にされてアップされていた。じっくりと見たが良い。ベテランのコンサートって感じだ。で、なぜ801かというとコチラ。60と40のおっさんの801MCには爆笑した。こんな大人になりたいな。
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