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岡村靖幸で「家庭教師」 全曲解説

1.どぉなっちゃってんだよ★★★★★
オープニングからガツンとくる衝撃的なファンクナンバー。爪弾くように弾き出された威勢の良いエレキとファンク色の濃厚なリズムが見事にかみ合ったサウンドは病み付きになること間違いなし。圧縮されたテンションの高いイントロだけでこのアルバムの底の知れない傑作ぶりの片鱗が伺える気がする。そして歌いだしの第一声「ヘップバラ(Hey everybody)」で完全に心が捉えられる。ややヒップホップ調のメロディラインにひと癖もふた癖もある言葉を乗せて歌っている。まるでヴィジュアル系のようにねっとりと歌う歌唱は前作の「靖幸」よりも格段にパワーアップしている。

「どぉなっちゃってんだよ 人生がんばってんだよ 一生懸命って素敵そうじゃん」
サビのフレーズだ。聴いてると出所のわからない勇気がみなぎってくる。根拠の無い自信がみなぎってくる。個人的な解釈だが、このフレーズは会話形式になっているように思う。1990年頃の岡村靖幸といえば、その派手な風貌や変態チックなパフォーマンスにより世間からは色眼鏡で見られていたことだろう。つまり世間が岡村靖幸に対して抱いていた率直な感情が「(岡村靖幸って)どぉなっちゃってんだよ?」だったのではないか。そんな幾分偏見やら嘲笑やらが交じった問いかけに対しての岡村靖幸のアンサーが「人生がんばってんだよ 一生懸命って素敵そうじゃん」なのではないだろうか。そう思い聴くと「人生がんばってんだよ」の歌唱にやや怒りが感じられる。曲の終盤には「週刊誌が俺について書いてることは全部嘘だぜ」という台詞からも当時のファンや世間が作り上げた「軟派なチャラ男」としての岡村靖幸像は虚像であり、実際は純朴に人生を頑張っている、ということを言いたかったのではないか。ただ、人生をがんばる理由は「一生懸命がんばってる自分って素敵そうだから」という、あくまでもナルシスティックな動機であり、微笑ましい。

他にも名フレーズがたくさんある。代表的なのはサビの終わりに、まるでお笑いのネタのブリッジに使われそうなメロディで歌われる「ベランダ立って胸を張れ」と「無難なロックじゃ楽しくない」の二つ。ベランダで胸を張っても今ひとつきまらないし、客観的に見ればなんだかおかしいが妙な説得力がある。ベランダ立って胸を張れば何かが変わりそうな気すらしてしまうから不思議だ。
「どぉなっちゃってんだよ」はシングルでリリースされた曲のため、PVが制作されている。これが、かなりカオスな出来栄えとなっている。金髪美女やBボーイ系の黒人の若者と岡村靖幸が共演している。せっかく容姿端麗な外国人と共演しているのだから、キメキメのダンスを一緒に踊ったりして、格好良いPVにすればいいのに、なぜかプロレス技の張り手(?)のような変な動作(まるでセクシーコマンドだ)を黒人ダンサーと一緒にやっている。

「靖幸」までの作風はプリンスからの影響が随所に見られたが、「どぉなっちゃってんだよ」からはファンクナンバーでありながらプリンスの気配がだいぶ薄れている。ついに岡村靖幸は「家庭教師」という絶世のマスターピースのオープニングナンバー「どうなっちゃってんだよ」において、完全無欠のオリジナルを修得したといえよう。

2.カルアミルク★★★★★
岡村靖幸の三大バラードといえば「イケナイコトカイ」「友人のふり」そして「カルアミルク」だ。「カルアミルク」は三大バラードのなかで一番認知度が高く、万人受けする曲といえる。多くのミュージシャンにカバーされており、最近は、Bank Bandの桜井和寿がカバーしたことでも有名。

どこか屈折していたり、変態っぽかったり、いい大人なのに学生時代の青春模様を題材にした曲が多かったり、何かと大衆性の低い歌をメインに歌ってきた岡村靖幸だが、「カルアミルク」はストレートに恋愛の歌だ。恋愛、それは「人類最大の関心ごと」と称されるように、やはり普遍的な需要があるのだろうか。「恋人と喧嘩した後いろいろと思い出に浸っていたら仲直りしたくなり、今俺六本木にいるからおいでよ。カルアミルクで仲直りしよう」という内容の歌詞をセンシティブな演奏に乗せて歌っている。「六本木」という固有名詞が印象的なアクセントとして使われている。当時、岡村靖幸は親友だった尾崎豊と吉川晃司の三人で六本木に繰り出し夜な夜な飲みに行っていたそうだ。そんな背景を頭に入れて聴くとさらに切なくなること間違いなし。

また「カルアミルク」は歌詞がわかりやすい。隠喩も独善的な言葉使いも無い。「ラブタンバリン」の「心に住んでる修学旅行が育つんだ」とか「ライオンハート」の「あの日から傘さえも開けない」など難解な歌詞がひとつもない。歌詞の意味に他意がない。故にそのままの意味をそのまま受け取ればいいのだ。普通はそれが当たり前なのだけど岡村靖幸の書く歌詞にしては非常に珍しいといえる。
カルアミルクを聴く度にいつも「もっとこういう曲を作ってくれよ」と思う。しかし脂が乗っていた全盛期だからこそ作れた曲なのだろう。岡村靖幸にはストック曲が80曲以上あるらしいがそのなかに「カルアミルク」を超える曲はいったい何曲あるのだろうか。

3.(E)na ★★★★★
楽器編成がとても賑やかで音の密度が高い。多種にわたるパーカションが隙間なく鳴っておりヘッドフォンを装着し耳を澄ますと数え切れないほどの楽器が潜んでいるように感じる。サウンドは重厚でまさに「ウォール・オブ・サウンド」と化している。サウンドの向こう側が透けて見えることは決して無いだろう。サックスは唸り、シンセは素っ頓狂に鳴り、今となってはユニークな電子ドラムが響き…さまざまな楽器が渾然一体となっている。やや喧騒を感じないでもないが、ギリギリの線で不協和音にはなっていない所はさすが。それぞれの楽器は有機的にまとまり一体感がある。明確な意思を持ったサウンドの塊として生き生きとしている。岡村靖幸のアレンジメントの貪欲さに脱帽する。

「(E)na」といえば特筆すべきはPVだろう。岡村靖幸の全PVのなかでもずば抜けて出来が良い。近年は、まるで山下達郎ばりにPVに本人は出演しない。まるでイメージビデオだ(唯一「ミイミ」の初回特典版についてきた「ミラクルジャンプ」には本人も出演しているが)。「(E)na」のPVでは、もろバブリーな頃の岡村ちゃんが拝見できる。「ひとつ屋根の下」の時のあんちゃん(江口洋介)のようなロンゲで前髪がやや内巻きになっている。この髪型がいかにもバブリー。手抜きでお金のかかってなさそうな低予算のPVが殆どだが(大ヒット曲「だいすき」ですら、かなり手抜きだ)「(E)na」は明らかにそれ相応のお金のかかったセットが用意されている。ビーカーなど理科実験に使用されるような小道具からSM風のムチや衣装までちゃんと用意されている。そして、なによりも振り付けが施されている。バックダンサー二人と合わせてダンスをしているのだ。この秀逸なPVの影響もあり、ライブで「(E)na」の「ナーナカナーカナカ」というイントロが流れるとファンたちは、両手を挙げ手首を前後に振り振りする。岡村靖幸のライブでの数少ない「お決まり」である。

4.家庭教師 ★★★★★
ひと癖もふた癖もある名曲ばかりが収められた「家庭教師」。そんな異色な曲ばかりが集まったアルバムのなかでも、さらに頭ひとつ飛び越えて異色さを燦々と放っているのが、4曲目に収録されているタイトルチューン「家庭教師」。あらゆる意味合いにおいて、他を遥かに圧倒し凌駕した曲。この曲を聴かずして岡村靖幸は語れない。

アコースティックギターってこれほどまでに淫靡で怪しげで纏わりつくようにエロい音色が奏でられる楽器だったのか。卓越したギターテクニックが惜しみも無く披露されている。「靖幸」収録の「Boys」のように「しゅくぱーら」「んっんっんっ」「はぁはぁはぁ」という別録されたボイスパーカションが規則的に構築されひとつのリズムを形成している。これほどまでに淫靡なサウンドは「家庭教師」以外にはないだろう。

特別歌詞がエロいというわけではない。いや、エロいのだが、純粋にエロという点のみを見れば「どんなことをして欲しいの僕に」や「聖書」など他の曲にもたくさんある。「家庭教師」が別格な理由は、その構築された世界観そのものがエロいということ。その世界観においてはどんなに真面目な振る舞いであろうが、どんなに紳士な発言であろうが、どんなに礼儀正しい行いであろうが、エロくなってしまうのだ。その世界観のテリトリーのなかでは不可避の変換装置により淫靡になってしまう。「赤羽サンシャイン」も「村会議士」も「世界大恐慌」もそしてもちろん「家庭教師」というタイトルすらも淫靡に響くのだ。

「家庭教師」の凄味の所以は2分40秒にも渡る「語り」だろう。家庭教師以前にも岡村靖幸の曲に「語り」は多々ある。しかし、これほどまでに例外的に長い「語り」は家庭教師だけだ。6分の内2分40秒が「語り」。つまり約半分弱が「語り」ということになる。岡村靖幸が「性の家庭教師」として教え子のエリコちゃんに迫る模様の「語り」だ(なんか書いてて馬鹿らしくなってきたなぁ…)。そこで、いろいろと名言が多発している。なかでも僕のお気に入りは「お金を使わないで幸せになる方法」だ。もはや「性の啓蒙活動」である。
「ライブ家庭教師91」では「語り」の部分は演技気的要素の入った寸劇として披露されている。これは伝説!抱腹絶倒間違いなし!R1に出演したら2回戦は突破できるだろう。


5.あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう ★★★★★
前曲のドロドロとした暗闇の室内から一転、突然太陽が燦々と降り注ぐ健康的な外界に放り出されたような爽やかなアコギが気持ちよく鳴っている。自分でも弾きたくなるようなキャッチーで空まで突き抜けるようなフレッシュなギターリフが印象的。タイトルからもわかるように青春真っ盛りの名曲。青春時代特有の刹那的な時間の流れを歌っている。まるでタイムリミットのように忙しなく刻まれるドラムに胸騒ぎを感じる。一番は、「あと15秒でバスケの試合が終わる瞬間」、2番は「あと15分で引越しし旅立つ瞬間」が歌われている。どちらも胸が締め付けられるような限られた時間のなかに存在している。時間の前では人間は無力であり抗うことはできない。そんな脱力感や焦燥感がうまく表現されている。

岡村靖幸は大人でありながら、学生時代の青春模様を歌った曲が多い。純真な岡村靖幸にとって学生時代を舞台にすることは必然的なのかもしれない。インタビューで何度か語っているように、「学生時代の恋愛には、仕事とか年収とか既婚者とかそういった類の「ものさし」がなく、打算的な駆け引きがない」から青春時代の歌が多いらしい。実際に学生時代を振り返ってみるとそれなりにしんどい出来事もあるが「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう(以下「あのロン」)」を筆頭に岡村靖幸の青春ソングを聴いていると自分の青春時代ですら煌くようにキラキラして見えて来るから不思議だ。

「あのロン」で注目される歌詞に「寂しくて悲しくてつらいことばかりならば あきらめてかまわない だいじなことはそんなじゃない」という歌詞がある。岡村靖幸の全ての曲の中で最も名フレーズとして話題に上る歌詞だろう。このフレーズは、別に難解な言葉を使っているわけじゃないし、隠喩表現もない。小学生低学年にも通じる簡単な言葉だ。その割にはファンの間で解釈がバラバラになっているのが面白い。

この歌詞の良い所は「あきらめ=逃げ」みたいなマイネスの固定概念に縛られてない所だろう。少年漫画や学校教育において、あきらめることは、まるで道徳に反するかのような行為とされている。しかし、リアルの世界ではそんな悠長なことばかりは言ってられない。限られた人生のなかのさらに限られた青春時代ではなおさらだ。寂しくて悲しくてつらいことばかりだったらあきらめて構わない…当たり前のことだ。この歌詞はネガティブに曲解することもできるが、真意はポジティブな意味が込められた歌詞だと思う。
ちなみに、カラオケで「あのロン」を歌うと意外と間奏が長く歌うところが少ない。大きい割に身の少ない魚のようだ。

6.祈りの季節 ★★★★
大人の雰囲気がぷんぷんと漂うジャジーなサウンドにアレンジメントされた演奏に乗せ、ねっとりとした声で歌っている。ほんとこれ以上ないくらいにねっとりと…。間奏のムーディなサクソフォーンは薄暗い会員制高級クラブとかで流れていそう。そんな大人な音に乗せて歌っている内容はずばり少子高齢化について。やや、矛盾や安易な結論付けが目立つが「老人ばっかじゃBaby バスケットもロックも選手がいなくなってオリンピックに出られない」とか、面白いから良しとしよう。

7.ビスケットlove ★★★★
「祈りの季節」からのムーディな余韻を残したままメドレーではじまる「ビスケットlove」。「だいすき」で効果的に使用された子供のコーラスが今回も良いアクセントとして使われている。それにより、幾分明るめの曲調になっている。しかし、その明るさは陽気なものではなく、どこか退廃的に感じられる。全体的にけだるい。リベラルな性の匂いがぷんぷんと漂っている感じ。そんなかったるい雰囲気と無邪気な子供の「すごーいすごーい」という声のギャップが言い得もせぬ折衷的な世界観を形成し、中毒性を高めている。

曲終わりには微妙に節のついた「語り」がある。自身の理想と思しき恋愛感やデートプランが語られている。曰く「一緒に映画見に行ってその映画について後でスッペイン料理屋で語り合ったり真夜中にマンションの屋上で花火したりとか」というシチュエーションが理想みたいだ。個人的にはこの「語り」を聴くとドラマ「ロングバケーション」を思い出す。

8.ステップUP↑★★★★★
アップテンポなファンクナンバー。アフリカの民俗音楽のようにリズミカルでシンプルな太鼓が鳴り、ビッグバンドのように迫力のある「ダーダ ダダダダン」というアンサンブルが被さり、「イーヤッホー」と声帯がえぐれるようなジェームズブラウン風のソウルフルなシャウトが響き渡る。これほどまでにハイになれるイントロはそうはない。これを聴いて何も感じない人が居るのだろうか。居たら不感症なのではないか。高揚感が得られるという点に置いては最高のイントロだ。ライブではこのイントロが流れるだけで会場は瞬間湯沸かし器のように興奮の坩堝と化す。夏フェスでは立てノリになる。

曲自体も型にはまったものでなく後半に新たな展開に突入する。いわゆるAメロやサビなどの定型から逸したリズムに入りカオスと化した岡村ちゃんワールドが広がる。意味不明な岡村ちゃんの叫び(「一人ぼっちじゃボバンボン二人じゃなくちゃババンボン」)と叫べば、どこから沸いて出てきたのか、無骨な野郎のレスポンスが入ったり、岡村ちゃんの語りを被うように早送りにサンプリングされた音声が流れたり。もう、いろんなものが渾然一体となっている。

9.ペンション ★★★★★
90年代を代表するマスターピース「家庭教師」のラストを飾る曲はバラード。ナイーブで刹那的なピアノ。決してキャッチーとはいえないが流麗なメロディライン。神経質な文学青年のように凡庸な自己に向けられた自虐的な怒りが表現されている。ラストに相応しい美しい曲。
やや突っ込み所の多い内容の歌詞が目立つ。特に「平凡な自分が本当は悲しい」という歌詞。…平凡なわけがないだろ。最後は岡村流のソウルフルなアドリブ英語で終わる。

三大バラードに入れても良いほどの名曲なのだが、やはりペンションは「家庭教師」というアルバムのラストに在ってこそ魅力的に輝く曲だと思う。「どぉなっちゃってんだよ」から「ステップUP↑」まで聴いた後に最終曲として聴くべき曲だ。「ペンション」が終わりアルバム全曲を再生し終わったことを告げるCDプレイヤーの機械音も含めて「ペンション」だ。「ペンション」は終幕でなければいけない。そういう意味では「ペンション」には単体(シングル)としての資質は低い。「カルアミルク」「イケナイコトカイ」「友人のふり」のように曲単体が一人歩きしていくような強味はない。「家庭教師」の最終曲としてしか生息出来ないのだ。それくらい儚く脆弱で、まるでカタストロフのような存在なのだ。しかし「ペンション」の有する宿命的な脆弱さに我々は強く惹かれるのである。


総評★★★★★
これまで、全曲解説の総評は過去記事からの抜粋で済ましていたが「家庭教師」については思い入れが深い故、本記事用に改めて書きたいと思う。まず星の付け方について。9曲中7曲が五つ星。旗から見ればあまりにも盲目的であることは重々承知している。しかし、これは仕方がないのだ。これでも譲歩した方だ。本当は全曲五つ星なのだから!!星をつけるというシステムは相対関係があってより効果的になるものだから、苦汁を飲んで、6曲目の「祈りの季節」と7曲目の「ビスケットlove」を四つ星にした。別にトラック6、7が楽曲として劣っているという意味ではない。

前から感じていたのだが「家庭教師」を1曲目から最後まで通して聴くとトラック6、7の2曲はややラフな作りになっている。割と短い時間で即興で作られたような感じがしないだろうか。「カルアミルク」や「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」など他の曲はメロディラインがカッチリと練りこまれているが、6,7はアドリブテイストの曲調に聴こえる。昨年「はっきりもっと勇敢になって」のカップリングに収められた「嵐の気分(着替えをもって全裸のままで)」のような近年の曲と雰囲気が似ている。またこの2曲はメドレーになっており、曲調も似ている。ひとつのパラグラフとしての小品のようなイメージがある。要はトラック6,7は他の曲と比べて毛並みが異なるように感じたため4つ星にした次第である。

名盤「家庭教師」の傑作の所以は曲順が大きく関係している。洋の東西を問わず、名盤というのは曲順が不思議なほどに優れているものだ。多分に漏れず「家庭教師」の曲順も良い。一曲目の「どぉなっちゃってんだよ」からラストの「ペンション」まで、正に霊妙なさまである。この曲順じゃないと「家庭教師」の魅力は落ちるのではないか。「あのロン」のイントロの爽快さはタイトルチューン「家庭教師」のドロドロ感があってこそだ。威勢のよい「どぉなっちゃってんだよ」の後は繊細なバラード「カルアミルク」じゃないと駄目だし「あのロン」の後はムーディな「祈りの季節」じゃないと駄目だ。この曲順だからこそ生じるシナジー効果のようなものがある。だから、最後は「ペンション」で〆じゃないと、それはもはや家庭教師ではないのだ!もちろん1曲単位で聴く場合、曲順なんて関係ないが、1曲目から順に最後まで通して聴いた場合、否応なく一貫した「流れ」のあるコンセプトアルバムとしての秀逸さに気づくはずだ。

不世出の天才・岡村靖幸がその飽くなき完全主義を貫き奇跡的に誕生した「家庭教師」。曲も曲順も文句のつけようがない。もちろん、歌詞も最高だ。使い古されたありがちなレトリックはなく、誰もが見向きもしないような不恰好な言葉を選んでいる。一見恣意的に見られがちだが、本人曰く「曲はいくらでも作れるけど歌詞が書けない」とのこと。苦労の末、選び抜かれた言葉なのだろう。名フレーズだらけだが、僕の一番好きな歌詞は「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」の「僕の胸のドラムがヘビメタを熱演している」だ。まさに岡村ちゃん節だなと思う。情景がリアルにすっと浮かぶ。汗ばむ手のひら、胸はドキドキしていて、真剣な黒い瞳はバスケットゴールをまっすぐ見据えている。誰もが一度は経験し、実体験として感じたであろう、煌いた青春のひとコマだ。
岡村靖幸の胸のドラムは今もヘビメタを熱演しているのだろうか?
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Comments

No title
このブログ最高です.本当にありがとうございます.
心から感謝したいです.

僕へのミュージック・プロバイダーだった親友が,プリンスの次に勧めたのが岡村靖幸でした.僕と同様,彼女なしの親友と僕は,岡村靖幸を「岡村」とまるで知り合いのように呼んでいました.

今では2児の父親ですが,23歳で初めて彼女ができたときに,岡村への共感が一瞬にして消えたのを思い出します.

あれから十余年経ち,再びアルバムを手にしようとしています.
Posted at 2009.07.08 (12:47) by パライソ (URL) | [編集]
Re: No title
コメントありがとうございます。
素晴らしい、ミュージック・プロバイダーですね。
最近はあまり更新してませんが、お暇な時にでも読んでいただけると嬉しいです。
Posted at 2009.07.08 (22:58) by yuji (URL) | [編集]
初めまして。岡村靖幸の20年来のファンです♪フェルナンデスのギターを検索してここにたどり着きましたw「家庭教師」、最高傑作ですね。yujiさんに激しく同感です。
>プロレス技の張り手(?)のような変な動作~

wあれは当時マドンナがやっていた「ヴォーギング」ってダンスじゃ無かったですかね?
Posted at 2010.05.03 (18:20) by 思考機械 (URL) | [編集]
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