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本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告

月刊カドカワ 1992年10月号 VOL.10 NO.10

表紙 総力特集 最初で最後の永久保存版
岡村靖幸  やさしく愛して

● INDEX
P20〜P21
 総力特集 やさしく愛して 
P22〜P31 
スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、ぼくに 
P32〜P37
コンプリート・ヒストリー さまよう青春
P38〜P41
証言構成 ミステリアスな彼について、思うことがある――靖幸のこと
P42〜P47
本人自身による全アルバム解説
P48〜P50
本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告

P51〜P58
イケナイコトカイ(カラーグラビアのため掲載予定無し)
P59〜P77
実物大 岡村靖幸  図と解説 江口寿史(写真と江口氏によるイラストのため掲載予定無し)
P78〜P79 
最終家庭教師 江口寿史(江口氏による漫画のため掲載予定無し)
P80〜P89
精神講座 創ることと魅せること




P48〜P50 
総力特集 岡村靖幸/やさしく愛して

本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告  岡村靖幸

“どぉなっちゃってんだよ”。
岡村靖幸の沈黙の一年十ヵ月が過ぎようとしている。
しかし待ちに待ったその瞬間は、もう、そこまで来ているのだ。
構成/佐伯明

レコーディングは遅れてますが、レコーディングに関して仮に非常に信頼できる人がいたとしても、その人にある部分を委ねるってことは、僕が自身に課した“試練”からは遠のくことになる。その意味で僕の場合はね、他者が介在しないので客観性がないし、商品性がもしかしたら低いのかもしれないけども、お客さんがアルバムを買ってくれたりライヴに来てくれたりするのは、とても有り難いと思ってる。

 楽曲がしっかり納得いくものにならない、ちゃんとした宝石にまでなれてない時は保留にします。新曲が出ないということは、その間ずっと宝石にしようと、いろいろな実験を積み重ねているんです。でも、昔からね、僕以上に音楽で実験した人はたくさんいた。‘60年代であれば当然ビートルズがやったし、他にもいろいろなことが試みられたでしょ? だからビートルズのようなことじゃなくて、それ以上に実験的なことをやるっていうのは、聴く人にとっては非常に難解だったりするきらいがあるんですよ。現代にあって、いままで聴いたこともない音楽を作るってことは、どうしても前衛的になる。だからたとえばある音楽に対して「頑張ってるよねぇ」と言っても、ビートルズの焼き直しみたいなもののほうが実際はほとんどなんですよね。その上をいって実験的なものを作るとなると非常に苦労するし、ある種の修行みたいなことをやらないといけない。外国の人までやらなくなってしまったことだから、ある意味じゃ世紀末的な現象なんだけど、でも、なぜか僕はやんなくちゃいけなかったんですね。前衛音楽というジャンルにもいかず、ポップ・ミュージックのなかでそれをやるのはすごい困難。なんでみんなやらなくなってしまったかというと、やり甲斐のない世の中になったのかな? やっただけのことを分析してもらえないし批評もしてもらえない世の中だから、なおさらやらなくなったように思うんです。僕は性格上やらずにいられなかったんでしょうね。まあ、今後ずっとそういうことを何年もやり続けるかどうか? は解らないですけども。

 クラシックの頃からビートルズの時代、それから‘70年代といろんな音楽が出てきたわけなんで、いままで聴いたことのないような音楽を作るのは年数を重ねれば重ねるほど難しくなる。だからって、サンプリングすりゃいいってもんじゃないでしょ? 他人の音で音楽を作るっていうのは、ある意味じゃ愚かだし、世紀末的ですよね。
 一方ではね、なんでそんなに堅苦しく考えるんだ! って意見もあるし、今までにないようなものとかいうより、ポップでいい曲ができればいいじゃないか? って考え方もあるでしょう? 僕もそう思う時もあるけど、僕の人生の積み重ね方で、どうしてもこういかなくちゃ仕方なかったんですよね。
 アルバムが完成するってことは、一曲一曲が宝石のように輝いていて、しかもしっかりと配列されていなくちゃならない。いま、その配列を直してる最中です。

 みんな、なんでいままでにないようなものを作ろうとして頑張らないんだろうと思ってビックリする時もあるんだけども、いちばんの理由はその必要性を感じてないからじゃないかな? いままでにないものが作られた時にはね、パンクはパンクなりの、ビートルズはビートルズなりの、その時代にそういうことをやる必要性があったんだろうし・・・・・・いまは、そういった必要性が全くない時代のような気がする。だからいままでにあったものの焼き直ししか出てこないんじゃないかなあ。
 “じゃあ、俺がやってることは何なんだ!?”って思った時に非常に孤独な気持ちになるけれども、でも、自分のためにやってるんだと思うとなぐさめられるんですよね。
 さっき言った宝石の配列が決まりそうな兆しは、現時点であります。『家庭教師』というアルバムを超えなくちゃいけないから大変なんですけど、でも頑張って超えたいと思ってます。アルバム・タイトルは考えてて、だいたい決まっているといってもいいくらい。でもまだ発表できる段階じゃないですね。
 僕がなぜ音楽を作って発表しているか? ってところに動機づけをするなら・・・・・・自分が救われるためとか、そういうことが大きいと思いますよ。レコーディングやライヴをやってる時はやっぱり“救われてるな”って感じがするから。

 楽しませる側面も無視できないけど、レコーディングでそれは皆無といっていいでしょうね。ライヴにはけっこうあるんじゃないかな? ライヴではエンターテイメントの要素は、ここ数年大きくなってると思う。
 アルバムを何枚も発表してくると、僕の音楽の味っていうか感じっていうところで、認められたり期待されたりする部分も出てくるけど、それを意識的に自分のなかに取り込むことはないな。無意識だったら、もしかしたらあるような気もするんですけどね。でも、意識はしてない。意識してたら音楽にもっと出てると思うからね。


文字起こし人:紅林



デビューからハイペースでリリースを連発していた岡村靖幸が、4thアルバム「家庭教師」以降、急に音沙汰が無くなったため、上記の「ニュー・アルバム遅延経過報告」なる企画が生まれたのだろう。たったの一年十ヵ月間アルバムをリリースしなかっただけで、わざわざ遅延経過報告をするだなんて、今じゃ到底考えられないな。この遅延経過報告のニューアルバムというのは「禁じられた生きがい」だろうから、この遅延報告からさらに3年ほど遅延するわけか。んでもって、さらに次のアルバム「Me-imi」までは9年間かかって、その後は一時的に復活はしたものの、2回の逮捕により活動停止状態…。たかが、一年十ヵ月沈黙した程度で「“どぉなっちゃってんだよ”。岡村靖幸の沈黙の一年十ヵ月が過ぎようとしている。」だってさ…。へっ笑わせるぜっ!

ニューアルバム遅延の言い訳として岡村靖幸は、「前衛的、実験的な音楽をポップミュージックのなかでやらないといけないからとても大変」というようなことを話しているが、正直これの意味が僕にはよくわからない。「楽曲が自分の納得する宝石になるまでは保留する」ってのは理解できるが、前衛的・実験的な楽曲を作る必要性がイマイチわからないな。

最後の方で岡村靖幸自身もちらっと話しているが、要は「家庭教師」を超える作品にしなければならないというプレッシャー…これに尽きるのではないだろうか。岡村靖幸のアルバムはリリースする毎に誰の目から見ても明確にクオリティーが増している。「yellow」→「DATE」→「靖幸」→「家庭教師」と確実にクオリティは右上がりである。岡村靖幸本人だってアルバムをリリースする度に自分の才能が右上がり傾向にあることには自覚していただろうし。そうなると、必然的に次のニューアルバムは「家庭教師」以上の作品でなければならない、ということになる。しかし、皆さんご存知のように「家庭教師」は名盤すぎる。これ以上の作品なんてそうは作れない。

「『家庭教師』を超えるアルバムが作れない」ってのは、岡村靖幸にとって、とても屈辱的だったのかもしれない。でもそりゃ仕方がないよ。「家庭教師」は、もう、なんか、高みだもの。あれ以上のものなんてなかなか作れないよ。「自分の音楽の味を意識的に取り込んだ焼き直し」でもいいじゃないか。岡村ちゃんはそれを否定的に捉えているみたいだけど、それでいいと思うよ。本当に良いものは焼き直しでもやっぱり良いんだよ。例えばサザンや、あるいは岡村ちゃんの好きなプリンスなんかは、まさに自分の音楽の味を知った上での焼き直しばっかりだけど、それでも名曲連発しているわけだし。

遅延に遅延を重ねた末にリリースされた「禁じられた生きがい」は前作「家庭教師」を超えたとは個人的には思えないが、だからといって駄作では全然ない。「青年14歳」の怒涛のファンクネスには圧巻するし、「クロロフィルラブ」の浮遊感は最高だ。「禁じられた生きがい」からさらに9年後にリリースされた「Me-imi」だって作風は随分変化したものの「アチチチ」は岡村靖幸の新境地とでも言おうかノリノリな曲だし「ミラクルジャンプ」のズシズシくる重低音は心地よい。つまり「禁じられた生きがい」にしても「Me-imi」にしても「家庭教師」は超えていないかもしれないが(個人の好みにもよるが)、それでも十分クオリティは高いのだ。だから、実験的とか前衛的とかそんなことはあんまり気にしないで、どんどんリリースすればいいのに、いやするべきなのだ、岡村ちゃんよ。

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