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スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、僕に(前半)

月刊カドカワ 1992年10月号 VOL.10 NO.10

表紙 総力特集 最初で最後の永久保存版
岡村靖幸  やさしく愛して

● INDEX
P20〜P21
 総力特集 やさしく愛して 
P22〜P31 
スピリチュアル・メッセージ どんなことして欲しいの、ぼくに

P32〜P37
コンプリート・ヒストリー さまよう青春
P38〜P41
証言構成 ミステリアスな彼について、思うことがある――靖幸のこと
P42〜P47
本人自身による全アルバム解説
P48〜P50
本人自身によるニュー・アルバム遅延経過報告
P51〜P58
イケナイコトカイ(カラーグラビアのため掲載予定無し)
P59〜P77
実物大 岡村靖幸  図と解説 江口寿史(写真と江口氏によるイラストのため掲載予定無し)
P78〜P79 
最終家庭教師 江口寿史(江口氏による漫画のため掲載予定無し)
P80〜P89
精神講座 創ることと魅せること






P20『総力特集 やさしく愛して 岡村靖幸』

言葉、涙、バーボン、車、地位、ダイエットフード 何にも満たされない彼がいる
淋しさというものが何ものによっても紛らわすことのできないものだということを知っているから 愛するということがどれだけ本気にならないとできないものだということを知っているから  やさしく愛して  それは彼からのメッセージでもあり、求愛の表現でもあり、そして彼がいちばん望んでいる無償の行為なのかもしれない

撮影/大川直人  BACKDROP=STUDIO BASTILLIE 03(3448)9019



P22〜P31
スピリチュアル・メッセージ
どんなことして欲しいの、僕に
岡村靖幸


総力特集 岡村靖幸/やさしく愛して

インタビューを受けて“こう思ってくれ、俺の音楽をこう感じてくれ”と言うことは、それでスリリングが一つ減るんです。商売っ気というのはもちろん大事だけれど、それだけで音楽は存在しない。僕は、自分の音楽に関して、常にスリリングでいたいんです。
構成/佐伯明 撮影/大川直人


神戸で生まれて四歳ぐらいまでいたと思うんですけど、万博に行った記憶が強く残ってるんで、五歳まではいたんでしょうね(笑)。だってEXPO‘70っていうぐらいだから開催は‘70年なわけでしょ? 僕は‘65年生まれなんでね。小さい頃の記憶ってすごく曖昧です。アルバム(写真)を見て、“何歳の時はこんなことしたんだ”とかって確認もほとんどしない。写真はたくさんあるんですけども・・・・・・。万博の時は、会場で「太陽の塔」を見たんですよね。あの形がけっこうショックで。子供の時憶えているのって現象や事柄じゃなくて、まあ、そういうことも憶えてますけど、やっぱり見たものの“形”が鮮明ですよね。昆虫採集に使った注射器やビーカーの形とか・・・・・・。
 
ダリの絵、マグリットの絵なんかもよく憶えてる。それは別に見ようと思って見たんじゃなくて、百科事典とかに載ってるじゃないですか? あの頃は一家にドカーンと百科事典があってね、僕の家は「ジャポニカ」だったんだけども、その巻末付録に“世界の名画集”とか“日本の名画集”とかがあって。で、暇な時に見てると、ムンクの「叫び」の絵が目に止まってね。僕だけじゃなくて、やっぱり子供って何か魑魅魍魎とした世界が好きでしょう? 昆虫や動物が擬人化されたものなんかに異常に反応するでしょう? だから、宮沢賢治の本とかに反応しつつ、その後、仮面ライダー、ゴジラにいくというね(笑)。幼稚園の頃は、ソフトビニールでできたゴジラやバルタン星人の人形を公園の砂場に持っていって、戦わせて遊ぶみたいなことをよくやってた。皆と同じと思いますよ、野球にメンコにビー玉。メンコにお相撲さんのイラストとかが描いてあったのをよく憶えてる。王、長島なんかの絵もあったな。いまの子供たちに比べて遊びがそんなに多面化してなかったんだろうし、買ってもらえる物の基準があった。そんなメチャクチャ高い物はなかったから、持ってる物もある程度均一化されてたと思う。両親のすすめもあって、そろえてあった。

 砂場で人形を戦わせてる時とかって、僕はやっぱり悪役のほうがぜんぜん好きでしたね。なぜかというと、ウルトラマンでも仮面ライダーでも何でもそうなんだけど、正義の味方はルックスが変わらないわけなんですよ。でも怪獣のほうは手を変え品を変えいろんなルックスのヤツが出てくる。そのなかでも自分の気に入ったヴィジュアルのヤツも出てくるでしょ? 一回やられてもまた出てきたりとか(笑)。たとえば死神博士(仮面ライダーに登場)なんかは、普段は死神博士なんだけど、戦う時になったらイカみたいになっちゃう。そう、イカ・デヴィル(笑)。仮面ライダーをやってた頃、日本はちょうどサイケの時期だったと思うんですよね。子供っていうのはサイケが好きだから・・・・・・。そういう“ごっこ”をやって自分から悪役になって、イカ・デヴィルとかが勝って仮面ライダーが泣いたりして終わる、それでケンカになることもままありましたね。

食べ物と遊び道具に興味津々だった幼稚園

僕は幼稚園に二つ行ってるんです、ロンドンと九州。父親が航空会社に勤めてて、当時からコーディネーターみたいな仕事をしていたんでしょうね。実情はよくわからなかったんだけど。イギリスに行った頃はまだ自己形成できる前だし、他者との関係性が持たれる以前だから、非常に順応性がよかった。“ここはこういう場所だ”と思って順応してました。英語なんかは両親よりもしゃべってたし。だから後になって日本語に弊害が出て、五月雨(さみだれ)とか二十日(はつか)、一日(ついたち)とかって読みが中学二、三年くらいまでうまくできなかった。ツイタチっていつのことなんだ?ああ一日か、とかって感じで。いったん日本ていうものがわかって外国に行くと、もっとうまくやれるんだろうけど、わかんないうちに行くと僕みたいになっちゃいますよ。僕、帰ってきてからも、他人の家に土足で入っていったりしてた(笑)。それでずいぶん怒られた記憶があるな。

 ロンドンの幼稚園は普通にパブリックなもので教会のなかにあった。僕が日本人で浮いていたということはなくて、その当時からロンドンというのは多種他民族というか、インドの方もたくさんいるし、中国系の方もたくさんいるしって感じで。たぶんみんな移ってきたんでしょうが、当時はインド系、中国系の方が多かった。

 みんなマッチ・ボックスという、マッチ箱ぐらいの大きさのミニカーを持ってた。ピンクパンサーやバットマン、あと西部劇の漫画なんかが人気あった。でも、やっぱりその時代はビートルズ。僕は当時、関心はあまりなかったけど、ビートルズがいちばんすごかったという印象がある。子供でもみんな「イエロー・サブマリン」を知ってた。うちの母親はトム・ジョーンズとかが好きで(笑)、レコードとかあった気がする。その頃は音楽なんかに興味なくて、食べ物と遊び道具ですよ。当時十字型のブーメランがあって、それをよくやってた。V字型のブーメランは上手な人じゃないときれいに戻ってこないんだけれども、十字型だと子供がやってもキレイに戻ってくる。それとあと、イースターやクリスマスとかの祝祭はほとんど食べ物で憶えてるんです。イースターっていうと卵、大っきな卵のチョコとかが家に置かれるわけですよ。クリスマスだとチキンがどうだとかアイスクリーム屋はどうだったとかね。アイスクリーム屋っていうのは、小さなクルマでチンドンチンドン音楽鳴らしながら売りに来る。食べ物の味はよく憶えてる。牛乳はどういう味だったとか。牛乳はやっぱり毎日運ばれてくるものだから、意外にキチンと憶えてますね。牛乳やアイスは日本とぜんぜん味が違った。その違和感が残っていてよく憶えているのかもしれない。

 イギリスでは小学校まで行ったのに日本に戻ってきてからまた幼稚園に行かされた。それで小二ぐらいで福岡の太宰府天満宮の近くに引っ越した。そこは非常に田舎だった。その頃“ツチノコ騒動”があって“ここはツチノコが出るんだ!”ってみんなが言い出して、ツチノコ探して盛り上がったりとかね。一学年一クラスしかなかったんで団結が妙に固かった。いまにして思えば、授業中にカラスは入ってくるわ、ヘビは入ってくるわ、イタチは教室のなかを走りまわるわで、スゴイ学校だったなと思う(笑)。子供たちも一人一人強力で“朝、ヤギの乳飲んできた子”とかさ。僕はちょっと前までロンドンにいたし、もうクラス全員が漫画の主人公みたいね(笑)。すごく楽しかった。

その学校では強制的に剣道と空手を習わされて・・・・・・嫌だろうが何だろうが、毎週日曜日は剣道をやらなくちゃいけなくてね。空手は夜六時ぐらいから始まる。道場がないんで境内で練習するんですけど、境内は下が砂利でしょう? 子供の足には非常に痛かったのをよく憶えてる。空手は紫帯まで取ったんですけど、その試験というのがまた不条理でね(笑)。普通ならどういう技ができるかとかどれだけの技能があるかで判定されるんでしょうが、そこではどれだけ殴られるのに耐えられるか?が基準なんです。だいたい先生が平手打ちで胸のところをバチン!と三発ぐらいやると、普通の子は泣くんですよ。で、まあ“三発じゃ紫はやれない”とか(笑)、そんなんでしたね。

当時はもちろん不条理だなんて思ってませんから耐えてましたよ。あと、いま考えると他愛もないなあと思うのはアメリカザリガニを捕りに行って、死ぬほどたくさん捕ったりね、イボガエルを捕まえるとイボができるから捕まえるなとか。ほんとの話かどうかも分かんないだけれども、○○って花に触ると死んじゃうよなんて言ってた。カマイタチは存在する!とか。九州だから下校途中、天気がよかったりするとすごい暑いんだけど、トラックが通ると風がフワッとくるから幸せだなあって(笑)。そんなことで幸せを感じてた。トラックが通ると大きな影ができるでしょう? これはギロチンだから触っちゃいけない、この時はジャンプしないといけない・・・・・・とかね。「あ、来たよ、ジャンプ!」なんて、そんなことをやってた。勉強は普通だったと思う。自分で異常に好きだったのは作文。たとえば道徳の時間があって、スライドを見せられたりNHKの番組を見せられたりして、「これについてどう思うか書きなさい」って言われると、みんなエー!?とか言うでしょ? 僕は上手下手とかいう以前にものすごく書くのが好きでね・・・・・・十分くらいでバーッと原稿用紙三枚は書けた。なんであんなに書けたのかいまじゃ不思議で(笑)。みんなは作文が書けないというより好きじゃないんだと思うんですよね。能力がなかったんじゃなくて・・・・・・だってテストなんかで“この作者がどんな風に思ったのか書きなさい”とかっていうと、他の子も書ける。きっと計算はできるけどするのが面倒くさいのと同じじゃないかな? 僕はたまたま好きだった。

 それで中学生の時に“24時間テレビ〜愛は地球を救う”を見て作文を書いて、学校代表に選ばれた。「いちばんかわいそうなのは、難民の子供だ。もしも生まれてきても食べさせられないとか、ろくなことがしてあげられない状況であるなら、エッチをするのはやめてあげるべきだ」って書いたら、それが大ウケでね。中学生の時にエッチとか言うと何か盛り上がるでしょ?(笑)いま言っても何ともないだろうけど、その時のインパクトたるや大変なものでしたよ。

文字起こし人:紅林


後半へ続く
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